My Biography


My Biography(1)__カーラ登場・・さてドイツ留学だ・・(2013年9月11日、水曜日)

「えっ!?・・アンタ、ドイツ語もできないのに留学するの!?・・それって、甘いんじゃない・・」

忘れもしない。そんな強烈な言葉を浴びせかけられたのは、大学4年の秋のことだった。

当時わたしは、武蔵工業大学(現、東京都市大学)の卒業を控えていたのだが、研究室(流体力学)の仲間は、私をのぞいた全員、就職先が決まっていた。

ただそんな仲間たちとは違い、私は、ドイツへサッカー留学すると心に決めていた。研究室のなかでも一人「浮いた」存在になってしまうのも道理だった。

どうして、ドイツへサッカー留学することを思い立ったのかって?

もちろん、サッカーが大好きだったから。それを職業にすることが夢だったんだよ。

エンジニアとして組織の「歯車」のなかに組み込まれることへの拒否感も強かったということなんでしょ。もちろん、「組織内のプロフェッショナル」として仕事ができれば、それは、それで魅力的な生活ではあるんだろうけれど・・

でもそのときは、とにかく「サッカーの夢」が、あまりにも強すぎたんだ。だから、他の可能性など、まったく眼中になかったということだった。

あっと・・、研究室の中で「浮いた存在」になっていたこと。わたしは、そんな状況にも、まったく不安を覚えなかったね。強烈な、サッカーに対する夢・・それだった。

後述するけれど、たぶん「その確信」の一端は、当時でも月に15万円ほどは稼いでいたトラック運転手(ISUZUトラックの陸送)というアルバイト(収入の可能性)にも支えられていたはず。もちろん大学3年のときに、大型免許は取得していた。

また、ドイツでの留学がモノにならなくても、少なくともドイツ語は、ある程度は操れるようになるはずだ・・なんていう、漠然とした期待もあったと思う。

そして私は、目指していたケルン総合大学から、留学するための入学書類を取り寄せたのだけれど・・

まあ、当たり前のことだけれど、その入学願書には、すべてドイツ語で書き入れなければならなかったというわけだ。

当時のわたしにとって、ドイツ語は、まったくチンプンカンプンの外国語。たしかにNHKのドイツ語講座は「見たり聞いたり」はしていたけれど、まったくアタマに入ってはこなかった。

・・言葉なんて、必要に迫られなきゃ上達するはずがないさ・・言葉は、コミュニケーションツールだからね・・それを使う機会がなければ、「活きた道具」としてアタマに入ってこないのも当たり前なんだ・・

当時は、そんな、自分自身に対する言い訳ばかり。もちろん、ドイツ語よりも、やらなければならないことが多すぎたこともあった。

ということで、お恥ずかしながら、ケルン総合大学からの「留学手続き書類」を目の前にして、まさに茫然自失ってな体たらくだったのだ。

ところで、ケルンの「総合大学」という表現だけれど、ケルンには、その他に「体育大学」と「音楽大学」あるから、そのように分けて標記しなければならないんですよ。

もちろんドイツだから、大学の多くは「公立」。ドイツでは、数が限られている大学そのものが狭き門だから、学生には、社会的エリートという身分が保証されている。

余談だが、私も、その「学生という、社会的に特別な身分のアドヴァンテージを存分に享受させてもらった。

学費が無料なだけではなく、学食にしても学生寮にしても、自治体(国)から十分すぎるほどの援助が与えられている。また、保険、バスや市電の料金、公共サービス料金などなど、とにかく学生は、そのすべてで、特別に優遇されているというわけだ。

ということで、冒頭の刺激的な発言なのですが・・

それは、鎌倉の長谷にあるドイツレストラン「Sea Castle」のオーナー、カーラ・ライフさんにブチかまされた言葉だった。

ネットで検索すれば、カーラが、特別なパーソナリティーの女性であると分かるはず。とにかく、すべてが「本音」の彼女にかかったら、まさに泣く子も黙る・・のである。私も含めて・・

彼女との出会いだけれど、実は、「そのとき」が初対面だった。

ドイツ語に四苦八苦している私を見て、いまでも親交が深い友人(高校の同級生)が、鎌倉のドイツレストラン「Sea Castle」のオーナー(カーラ)に相談してみたら・・と提案してくれたんだよ。

彼は、名物オーナー(カーラ)のパーソナリティーについて、「歯に衣着せないしゃべり方には度肝を抜かれるだろうけれど、根はとても優しい女性のはずだよ・・」と言う。

そうなんだよ、その言葉のとおり、根はとても心優しい女性なのです。

日本に長く住んでいるドイツ人のコミュニティーでも、養老施設で生活するご老人の方々を定期的に慰問するなど、コミュニティーでも頼りにされている相談役なのだ。

私は、そんなカーラを、とても敬愛している。もちろん今では、ドイツ語で、丁々発止のディベートだって繰り広げちゃう。

でも、「あの時」だけは、ホントに当惑させられた。そして、目を醒まさせられた。

こちらは、訳の分からないドイツ語の書類と格闘して落ちこんでいたからね。でも、初対面であるにもかかわらず、カーラは、許してくれない。

「アンタは、なんでドイツに留学するんだい?・・そう、サッカーね・・でも日本じゃ、サッカーは、まったくポピュラーじゃないじゃん・・サッカーでは生活 していけないんじゃないの?・・それでも、どうしても行きたいの?・・そう、自分の責任でね〜・・まあ、少なくともドイツ語だけは出来るようになるだろう ね・・」

そんな風に、落ちこんでいるコチラの心情とは関係なく、強烈な(本音の)突っ込みを入れてくるんだよ。それも、完璧な日本語だから、なおさら刺激が強い。

もしかしたら、私にとって、そのときのカーラとの会話は、最初のカルチャーショックだったのかもしれない。

彼女は、私の「夢」が、あまりにも漠然としていることを指摘していた。

もっと現実的に、そして具体的な「目標、目的」を立てなければ、ドイツへ行ったところで、泣きながら帰ってくるのがオチだ・・

もちろん私も、ドイツでサッカーを勉強したい・・出来ればプロになってプレーもしたい・・そのスタートラインとしては、学生という身分が最善だし、ドイツへ行けば、より具体的に「目的」が見えてくるはずだ・・と主張する。

でもカーラは、日本にいても、その目的をもっと具体的にするための情報収集ができるんじゃないの?・・アンタは、その努力を怠っているんじゃないの?・・と、たたみ掛けてくる。

たしかに、青山にあるドイツ文化会館やゲーテ協会のことは知っていた。ただ、彼女に指摘されたとおり、そこへ通って色々な情報を集めることまでは、十分にやっていなかった。だから、カーラの指摘に、後ろめたさを感じさせられたものだ。

でもそのときは、ドイツへ行って、様々なことをダイレクトに体感し、経験することの方が、事前に情報を集めてプランするよりも、より現実的だと感じていたんだ。だから、とにかくまずドイツへ渡ることにエネルギーを注ごうと決意していたんだよ。

後につづく連載コラムで書くけれど、私は、大学二年の夏に、学生援護会が主催するヨーロッパ団体旅行に参加して、一度ドイツを訪れていた。そしてそこで、サッカーで留学するならばドイツしかない・・と確信したのだ。

もちろん、そんな経緯もカーラに話した。とにかく、まず現地へ行くことが大事だと思う・・と。

でも、そんな「本音トーク」を重ねているうちに、私の心も、徐々に解放されていったと思う。まあ・・ネ・・カーラに対して「着飾ろう」としても、しっぺ返しを喰らうだけだしね。

だから、こちらも、自分の心のなかと本音で向き合い、本当のところ(本音)を言葉にするようになっていたのだと思う。

たぶん、変な「甘え」から解放されたということなのだろうね。そして、本音で話しはじめたからこそ(!?)よりフッ切れた心持ちでカーラと話せるようになっていったし、より自信をもって主張できるようにもなってった・・と、思う。

カーラも、そんな私のなかでの「ポジティブな変化」を感じ取ったんだろうね、徐々に、態度が軟化していった・・というか、私が、彼女の態度を、とてもフェアだと受け容れはじめた・・というふうに、雰囲気が変化していったと覚えている。

とにかく、そこからのカーラは、とても親身になって書類の作成を助けてくれた。もちろん、甘えさせない。だから、分からない言葉があったら、すぐに辞書を引かせられた。

その作業は、たぶん数時間はかかったと思う。でもカーラは、イヤな顔一つもせずに、最後までつき合ってくれた。

そのとき私は、その数時間を、それまで経験したことがないほど濃密な、自分自身の心の中に入り込む哲学的なプロセスだと感じていた。

今でもカーラに深く感謝している。彼女は、わたしの心のなかに巣くっていた、本音と建て前のメカニズムを、明確に意識させてくれた。

そして、そんな厳しい心のプロセスを経てもなお、私のドイツへの強い思いは、まったく変わらなかった。私は、そのことでも、ホッと胸をなで下ろしていたのだった。

そして私は、ある程度は完成したと思われる入学願書を、ケルン総合大学へ返送した。後は、入学許可証の到着を待つだけだ。

でも・・

(つづく)

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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