My Biography


My Biography(25)_ケルンNo.1プロクラブ(1.FC.Köln=FCケルン)アマチュアチームへのチャレンジ(その5)・・(2014年2月19日、水曜日)

■サッカー選手に必要なモノ・・

その後の3週間、1.FC.Kölnアマチュアチームのトレーニングに参加しつづけた。

もちろん、慣れていくにしたがって、プレーは安定してきたし、そのことで自信が芽生え、心に余裕も出てきた。

そのことは、パスを受けたときの(相手プレッシャーにも動じない!?)ボールコントロールやキープだけじゃなく、そこからの「確実な」パス展開でも体感できていた。

でも・・

そう、プレーに余裕を持てるようになったからこそ、チームメイトたちとの、本当の意味の「チカラの差」を、より冷静に分析できるようにもなっていったんだ。

サッカーで良いプレーをするためのバックボーンには、色々ある。

身体のサイズ、スピード、パワーなどのフィジカル要素。ボールを扱うテクニックやスキル。戦術的な能力(理解力や応用力など)。もちろん、心理・精神的な部分も、とても大事だ。

あっと・・、それにもう一つ。そう、運。

ちょっと非科学的かもしれないけれど、サッカー選手のなかには、本当に「ツキを呼び込める」ヤツがいるんだよ。

ソイツの自信&確信オーラが、周りの雰囲気を「そちら」へ引っ張っていく・・というか、何らかの「スピリチュアルエネルギー」が放散されているというか・・。あははっ・・

そんな、サッカーに必要な様々な要素のなかで、私に(決定的に!?)足りていなかったモノには、前回コラムで書いたフィジカル要素だけではなく、それまでの私の生活にかかわる(日本の生活文化的な!?)要素もあった。

■サッカーの基本的なメカニズム・・

私は、サッカーのことを、「自由なボールゲームだ・・」なんて呼ぶことがある。

まあ、「最後は自由にプレーせざるを得ない・・」という表現の方が的確かな。

サッカーでは、イレギュラーするボールを、身体のなかでは比較的ニブい足を使って扱わなければならない。だから、ミスはつきものだし、そのことで、瞬間的に状況が大きく変わってしまうのも日常茶飯事なのだ。

そんなサッカーだから、常に「主体的」に判断、決断し、勇気と責任感をもってリスクにもチャレンジしていかなければ、良いプレーなど望むべくもない。

サッカーは、最後は『自由にプレーせざるを得ない』ボールゲームであり、その「高い自由度」こそが、他を寄せつけない世界ナンバーワンスポーツである所以なのだ。

もちろん近年のグラウンド(芝の状態)は、かなり平坦に整備されている。だから、味方同士のプレー(パス)は、ある程度はうまくつながっていく。

とはいっても、予想を越えた状況は、常に起こり得るのがサッカーなんだ。

ちょっとでもイレギュラーバウンドして、パスを止めるのに時間がかかったり、トラップをミスってしまったら、その瞬間に、アタマに描いていたプレーを諦めざるを得なくなる。

そしてそこからは、自分の(自分一人の!)判断と責任で、勇気をもって状況を打開していかなければならないというわけだ。

そのことが、とても重要なポイントだ。自分一人の責任で、リスクへもチャレンジしていかなければならない・・。

私が何を言いたいか、もうお分かりだと思うけれど・・

そう、日本人にとって、それほど不得手な状況はない。集団主義をベースに教育された日本人は、「そんな状況」に立ち向かっていくトレーニングが十分ではないと思うのだ。

かくいう私も、例外ではなかった。

もちろん最近では、日本人(若い世代)のメンタリティーは、かなり「個」が前面に押し出されるようにはなっている。それに対して、私が、自我の芽生える年代の学校教育を受けたのは、1950〜60年代のことだからね。

それでも私は、当時としては、かなり独立したマインドを持っていたと自負してはいたと思う。でもサ、対峙するのは、徹底的に「個」をベースに教育されたドイツ人だからね、そんな彼らの、自己を前面に押し出す「パワー」に対抗できないのも自然な成り行きだった・・と思う。

あっと・・

言いたかったのは、当時の私の場合、サッカーに必要な要素のなかで、特に心理・精神的な部分が大きく劣っていたということだ。

もちろん、1.FC.Kölnアマチュアチームの選手たちは、ドイツのなかでも選ばれたヤツらだから、フィジカル的な要素だけではなく、そんな心理・精神的な部分でも、かなり差をつけられていたと感じていたのである。

まあ、とはいっても、テクニックとか戦術的なチカラ(チームプレー的な理解力や応用力)では、そこまで劣っているとは感じていなかったけれど(過信!?・・あははっ・・)。

その、心理・精神的な要素だけれど、それは、「意志のチカラ」というふうに言い換えられるかもしれない。

■サッカーは意志のスポーツ・・

前項で、サッカーは、不確実な要素が満載されているからこそ、最後は自由にプレーせざるを得ないボールゲームだと書いた。

そこで、その背景ファクターに考えをめぐらせるんだよ。

そして、ハタと思い出すんだ。

そう、サッカーは、自由度がとても高いが故に、本質的には「積極的な意志のスポーツ」だということを・・。

それは、そうだ。

特に現代のプロサッカーでは、優れたプレーを展開するためのもっとも重要なファクターは、攻守にわたって、いかに実効ある「汗かきのハードワーク」をつづけられるかということなのだ。

攻守のハードワーク・・。

それは、最前線から必死に相手ボールホルダーを追いかける忠実なディフェンスとか、攻撃では、パスを受けるために、ボールがないところでも、しっかりと全力スプリントを繰り出すようなような「汗かき」のサポートプレー等のことだ。

特に現代のプロサッカーでは、そんなハードワークの量と質を、いかに効果的にアップさせていくのかというテーマが、監督・コーチの主要な課題になっているのである。

人間、誰しも、楽してカネを稼ぎたいはずだ。もちろん私も例外じゃない。

でも、サッカーでは(もちろん世の中のほとんど全ての活動もそうだろうけれど・・)、そんな、効率性の追求を行動原則にすることは、「百害あって一利なし・・」なのだ。

私は、そのメカニズムを、『優れたサッカーは、クリエイティブなムダ走りの積み重ね』だと表現することにしている。

優れたサッカーは、そこに不確実な要素が山積みだからこそ、(積極的で前向きな!)ミスを積み重ねることでしか実現できないのである。

そして、だからこそ、攻守の汗かきハードワークを積み重ねるなかで、いかに勇気をもってリスクにもチャレンジしていくのか・・というテーマを突き詰めていく姿勢こそが問われるのだ。

そんなプレー姿勢が、積極的な意志からしか生み出せないことは自明の理だと思う。

ちょっと、ロジカルな(退屈な!?)内容がつづいてしまって恐縮なのだけれど、この、「サッカーが秘める本質的なメカニズム・・」というテーマを外すわけにはいかなかった。

ついでだから、こんな主張もさせて下さいな・・。

サッカーは「積極的な意志のスポーツ」であり、だからこそ、21世紀日本社会のイメージリーダーに「も」なり得る社会的な存在だ・・ってね。

私は、1.FC.Kölnアマチュアチームで過ごした時間のなかで、クリストフ(ダウム)をはじめとしたチームメイトたちとの、ビールを酌み交わしながら のディスカッションを通して(英語ベースだったから、そう簡単じゃなかったけれど・・)様々なことを考えさせられたのだった。

■そして「現実」と対峙するときが・・

そうそう、1.FC.Kölnアマチュアチームでのトライアル(テストトレーニング)のハナシだった。

たしかに、局面でのボールコントロールなどでは、大きく「ひけ」を取ることはなかったと思うけれど、徐々に、彼らのスピードやパワー、また組織パスコンビネーションの流れなどに「ついていく」のが辛(つら)くなっていったのも確かな事実だったんだ。

何が、もっとも辛かったかって!?

そりゃ、自分の(意志の!?)チカラが、ヤツらに遠く及ばないという事実を自覚させられたことだよ。

スピードやパワーで後れを取るのは仕方ないにしても、積極的な意志が求められる戦術的なコンビネーションでも、お荷物になってしまうような辛いシーンがつづいたんだ。

前述したように、仕掛けていかなければならないケースでも、ミスを冒すことが怖い(!?)私は、チャンレンジャブルな仕掛けパスよりも、安全第一の横パスとかバックパスに逃げてしまうんだよ。

周りでは、私からの「勝負パス」を受けるために、チームメイトが全力で走り回っているというのに・・。

そして、私が、リスクへチャレンジしていかないことは、ビーザンツさんだけではなく、チームメイトたちも、明確に意識するようになっていた・・と思う。

でも、誰も何も言わないし、いつものように、親切に接してくれる。でも私にとっては、そんな彼らの態度も、とても辛かった。

そして、3週間が経ったところで、ビーザンツさんのオフィスに呼ばれたというわけだ。

「キミは器用だし、ボール扱いも上手いよ・・でも、自分でも自覚していると思うけれど、今はまだ、このチームの戦力としては考えられない・・」

ビーザンツさんは、とても注意深く、言葉を選んで話してくれた。その言葉のなかでは、「まだ」という表現が、とても印象に残ったことを覚えている。

その言葉に救われた思いがしたんだよ。

「キミには別のチームを紹介しよう・・そこでチカラを付け、またウチでトライすればいい・・そのときは、私に直接コンタクトを取ってくれて構わないよ・・」

まあ、いつかは言いわたされると思っていた。でも、実際に現実と対峙させられると、やっぱり、ショックだった。

「・・I understand・・」

そのときは、その言葉を絞り出すのが精一杯だった。

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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 ところで、湯浅健二の新刊。三年ぶりに上梓した自信作です。いままで書いた戦術本の集大成ってな位置づけですかね。

 タイトルは『サッ カー戦術の仕組み』。出版は池田書店。この新刊については「こちら」をご参照ください。また、スポーツジャーナリストの二宮清純さんが、2010年5月26日付け日経新聞の夕刊 で、とても素敵な書評を載せてくれました。それは「こちら」です。また、日経の「五月の書評ランキング」でも第二位にランクされました。

 





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