My Biography


My Biography(62)_日常のエピソード・・一人旅(その1)・・(2017年2月6日、月曜日)

■(旧)ユーゴスラビア・・

「ハイドゥック!!・・ハイドゥック!!」

低く、力強い応援が響きわたる。その迫力に圧倒されながら、彼らの、長く深いサッカー史のバックボーンを感じていた。

そこは、旧ユーゴスラビア(現クロアチア)のスプリットという町。紺碧のアドリア海に面した、夢のように美しい都市である。

そしてそこにも、長い歴史に支えられた、町を代表するサッカークラブがある。

ハイドゥック・スプリット。

そのクラブは超名門であり、アレン・ボクシッチ、ロベルト・ヤルニ、スラベン・ビリッチ等など、世界的な名選手を輩出している。

まあ、とはいっても彼らは、私がドイツに留学していた1970年代ではなく、ユーゴ内戦を経てクロアチアが分離独立してからの選手たちだけれど・・。

ハナシが逸れた。

それは、クルマを購入してからの一人旅。

「A-ライセンスのコーチングスクール」を無事に終えてから2年後の、「プロライセンスのコーチングスクール」がはじまる直前のサマーバケーションのときのハナシだ。

「A-ライセンス」と、「プロライセンス」のコーチングスクールについては、時間が前後するかもしれないけれど、また機会を改めて書くことにしたい。悪しからず・・

ということで一人旅。

それは70年代のことだから、「火薬庫」バルカン半島とはいっても、まだまだ「ソビエト連邦」の抑えが効いていることで、落ち着いた状況にはあった。

そんなバルカン半島を、一度は見てみたいと(もちろんクルマでの一人旅にも行きたかった!)、一路、南へ下っていったというわけだ。

「見てみたい・・」と書いたけれど、そこには、ケルン体育大学で知り合った多くの(旧)ユーゴスラビア人たちが魅せるテクニカルサッカーのルーツに触れてみたいという思いもあった。

■ところで、クルマ・・

読者の皆さんは、少し奇異に感じられたかもしれない。何せ、貧乏学生だった筆者が、急に「クルマを購入した・・」などと語りはじめたのだから。

その背景は、こうだ。

ドイツは、本物のクルマ社会。クルマがあれば、まさに体感できる世界が一変する。

要は、公共の交通機関が、日本の都会ほど整っていないということなのだが(日本の田舎ではクルマは必須・・)、そのこともあってクルマは、ドイツ人にとっての必須の足なのだ。

もちろん私にとっても事情は同じ。

クルマがあれば、サッカーの練習や観戦への移動が何倍も楽になるだけじゃなく、週末には、ケルンの郊外にだって足を伸ばせる。

またその頃は、プロのコーチングスクールへ参加するための準備をすすめていたこともあって、移動のときの時間の節約や荷物の運搬などでクルマが必要だったという事情もあった。

そして、もちろん、「クルマでの一人旅・・」というモティベーション。

そこには、日本にいた当時の、オートバイでの一人旅に通じる、心の底から湧き上がってくる「何らかの深い喜び」があった。

私は、そんな(クルマや単車での!)一人旅が好きなのだ。そのモティベーションは、還暦を過ぎた今でも、大きく衰えてはいない・・と思う。

それに、(留学当時は)陸つづきのヨーロッパにいたから、クルマさえあれば、すぐにでも外国へ行ける・・という大きな魅力もあった。

私が、クルマを手に入れるために必死のアルバイトでカネも貯めていたことは言うまでもない。

■余談だけれど・・

陸つづきのヨーロッパだから、ドイツとの国境を通過すれば、すぐに外国だ。

ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランス、スイス、オーストリア、それに東欧のチェコなど(当時は東ドイツがあったから、ポーランドは隣接する外国ではなかった・・)。

そんな、陸つづきの外国というところが、島国の日本とは決定的に違うのだ。

私にとっては、簡単に、まったく違う言語の(まあスイスとオーストリアは同じドイツ語圏だけれど・・)地域へ簡単に移動できること自体が、とても新鮮で魅力的だった。

そのことも、言語と文化(生活の仕方)の違いとの関連性に(も)興味を抱いた背景にあった。

■あっと・・クルマのハナシだった・・それを手に入れた経緯・・

ドイツでは、クルマは必需品ということで、中古であっても、価格は高い。

日本の場合(都会の場合!?)は、中古で売却するときは、まさに二束三文・・ってな感じだよね。

まあ、そのことで、中古車の価格も、そんなに高くはない(そのはずだ!?)けれど、ドイツでは、新車と比べて価格が大きく落ちることはない。

そう、彼らにとって、クルマの「価値の中心」は、移動の手段なんだよ。それに対して日本では(もちろん都会のハナシだけれど・・)、所有価値という側面もあるからね。

あっと、蛇足・・

とにかく、中古車の価格は、生活必需品という社会的な意味合いの一端を示しているというわけだ。だから私にとってクルマは、高嶺の花だったわけさ。

でも・・

そう、喉から手が出るほど欲しかったクルマを購入する(できる!)チャンスに恵まれ、迷うことなく、それに飛びついたんだよ。

ケルンの日本人コミュニティーでは、帰国する人の情報が口コミで回ってくる。そんな帰国者の一人の方が、破格でクルマを売りたいらしいという情報を小耳にはさんだんだ。

ほんとうに、とても、安い。中古価格に詳しい友人に言わせれば、それは実勢価格の半分以下ということだった。

モデルは、真っ青な、オペルのカデット。1300cc。

このメーカーの、それも、この排気量のモデルは、ドイツ人には評判がよくない。そのこともあって、この帰国者の方は、日本人への売却をプライオリティーにしていたのかもしれない。

でも、事実、それはとても安いし、外観的にも(値段にしては!?)納得がいくレベルだった。

そして最初の話し合いで、その方の、ドイツで頑張る日本人の若い貧乏学生に少しは貢献したいという気持ちを感じたこともあって、価格交渉などせずに即決ということになった。

でも、具体的にいくら支払ったのかは、もう忘れた。

たぶん、2,000マルクくらいだったと思う。当時のマルクは、日本円に対して高かったから、それは、とても高い買い物ではあった。

でも、とにかく欲しかったから、有り金をはたいてカデットを手に入れたというわけだ。

でも、このカデットのエピソードは、購入した後もつづいた。

■ショッキングな不具合の発見・・

乗りはじめて一週間頃だったろうか、信号で止まったとき、後ろを走っていたドイツ人ドライバーの方から話し掛けられたんだ。

「アンタのクルマの後輪、ちょっと大変なコトになっていると思うよ・・一度、修理工場でみてもらったほうがいい・・とにかく、タイヤの回転が歪んでいるからね・・」

「エッ!!!!・・ホントに!?・・教えてくれて、どうもありがとうございます・・」

感謝の言葉は絞り出せたけれど、そのときのショックは、今でも忘れない。

とにかく、信じたくなかった。何せそのクルマは、買ったばかりだったのだから・・。

■修理工場のマイスターが・・

すぐに私は、クルマを、学生寮の近くの修理工場に持ち込んだ。その工場は、学生寮の管理人のオッサンに紹介してもらった。

「あそこのマイスターは、ウデがいいから、安心しな・・」

そんな管理心の方の推薦は、間違っていなかった。

もちろん、事実をクールに伝え、冷静に、最高のソリューション(解決法)を提示して修理を完結させる・・という意味でね。

でも、そのショッキングな事実を、事実として把握せざるを得なくなったときは、とても冷静ではいられなかったよね。

15分ほど後輪をチェックしていたマイスターが、表情を変えずに、こんなショッキングな事実を突きつけてきたんだ。

「あのクルマの、リアのドライブシャフト(後輪を回転させる軸)は、曲がっている。これは、交換するしかないな・・」

「エッ!? リアのドライブシャフトが曲がっているんですか??」

そのときの私の声だけれど、もしかしたら裏返っていたかもしれない。それほどのショッキングな事実だった。

私は、工科大学を卒業したこともあって、クルマの機構については、ある程度の知識はあった。もちろん陸送のアルバイトやオートバイで培った実践的な知識だ。

だから、すぐに、コトの重大さを実感していた。

・・リアシャフトの交換となると、その修理代は、このクルマの購入価格よりも高にものになるかもしれないじゃないか・・そんなカネ、どこにあるんだよ・・

ちょっと呆然としていた。そんな厳しい雰囲気を察した(!?)マイスターが、私のショックを和らげるように、優しく声を掛けてくれたのだ。

「アンタ、学生だろ!? 寮のマスターが言っていたよ。日本から!? そうか〜・・」

「よし、それじゃこうしよう・・この状態じゃ、アウトバーンを走行するのは危険すぎる・・でもまあ、市内だけならば、気をつけて運転すりゃ何とかなるだろう・・オレは、仲間の修理工場や中古屋に連絡して、スクラップになったカデットの部品を探してみるよ・・」

マイスターは、どうして、そこまで親切にしてくれたんだろうか・・

彼が、すべてが終わってから、こんなハナシをしてくれた。

「実は、オレの父親は、第二次世界大戦が終わった後シベリアに抑留されていたんだ・・そのときに、日本人の抑留者と知り合いになった・・親父は、その日本人の高潔な生き方を、何度もオレに語ってくれたんだよ・・」

パーツだけれど、結局彼が、安い中古品を探し出してくれた。また修理代の総額も、パーツ原価に少しの工賃を乗せるだけで、まさに破格ということにしてくれた。

「ホントに、なんて感謝したらいいか・・」

そんな私の言葉に、マイスターは、多くを語らずに、優しく微笑みながら肩を抱いてくれたっけ。

そして(旧)ユーゴスラビアへ・・

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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