The Core Column
- The Core Column(12)__サッカーに必要な心理ベースの「両輪」 ・・二面性パーソナリティー・・(2013年11月19日、火曜日)
- ■世界のベクトルは、組織ハードワークと個人プレーの「高質バランス」へ向かっている・・
「そうさ・・以前のような、アイツは才能系プレイヤーだから(ハードワークをしなくてもいい!?)・・なんていう考えは時代遅れもはなはだしいんだよ・・」
「・・大事なことは、選手たちが・・いや、もっと言えば、特に才能のある上手いヤツらこそが、攻守のハードワークにもっとリキを入れなきゃいけないんだ・・ヤツらにしたって、それが、自分たちのウリ(営業ツール!?)になるってことを意識しはじめているしな・・」
ドイツで再会した友人のプロコーチと話していたときのことだ。そこで、「昔は、選手たちを正しくリードするのに苦労したよな〜・・」なんて、オジさんの会話みたいになってしまった。
でも以前は、「才能系の選手たちに、いかに攻守のハードワークもやらせるのか・・」というテーマで激論を交わした仲だから、そんなハナシになるのも自然な流れだったんだ。
そう、選手たちを取り巻く「環境」は大きく変わってきているのだ。
■環境変化のバックボーンは・・
もちろん今でも、勘違いした「才能系」の選手たちは多い。
ただ、割合的には、少なくなっていると思う。いや、少なくなっていかざるを得ないと言った方が正しい表現だろう。
そのバックボーンに、世界的な情報化の進展という環境変化があることは言うまでない。
世界のどこにいても、トップサッカーを、映像とともに「体感」することができるようになっているのだ。
若く、才能に恵まれている選手たちは、どんなに山奥で生活していようと、現代サッカーで活躍できるために避けて通れない「道」を意識し、そして脳裏に、そのイメージが植えつけられていく。
バルセロナのシャビやイニエスタといった天才連中が、相手にボールを奪われた次の瞬間には、ものすごい勢いで守備のハードワーク(チェイス&チェックや協力プレス)をブチかましていくシーンが、否が応でも目に入ってくるのだから、それも当然だ。
・・才能に恵まれているからこそ、より積極的に、攻守にわたるハードワーク「も」忠実にこなしていかなければならない・・
・・そのハードワーク自体が、自分自身を(その内に秘めた才能を)アピールするための効果的な手段なのだから・・
天賦の才に恵まれていると自他ともに認める「若い才能系」の選手たち。
彼らにしても、メッシやクリスティアーノ・ロナウドといった「超天才」に肩を並べられる選手なのかと問われたら、うつむいてしまう者がほとんどに違いない。
まあ、それでも中には、「そうさっ・・オレの才能は、ヤツらに優るとも劣らないんだよ!!」なんて強気の態度をつらぬく強者もいるだろう。
もちろん、それは、それで希望の星だ。
もし本当にその選手の才能が高いレベルにあるのなら、そんな強い自己主張(強烈な意志!?)こそが、本物の「ブレイクスルー」を達成するための決定的ファクターになるはずだから・・
そう、不確実な要素が満載しているサッカーは、だからこそ「意志のボールゲーム」でもあるのだ。
ちょっとハナシが逸れた。
とにかく、世界トップネーションの現場(監督・コーチ、そして選手たち)が、攻守のハードワークが十分でなければ、ギリギリの勝負を勝ち抜いていくためのスタートラインにもつけないという現実を、より明確に意識しはじめているということが言いたかった。
■欧米で、「バランス」を高みで維持するために必要なアプローチは・・
個人主義(自己主張マインド)が、社会文化として深く根付いている欧米には、日本人には足りない「エゴイスト・マインド」が、社会生活のなかで「自然と」身についていく環境がある。
もちろん、責任感とか勇気といった心理ファクターについては、人それぞれだろうが、自分が「やりたいプレー」にチャレンジしていく意志については、日本の比ではない・・と思うのだ。
だからこそ欧米のコーチにとっては、そんな自己主張のカタマリともいえる選手たち(特に、エゴイズムを前面に押し出すような才能系の選手たち)を、攻守にわたる組織ハードワークに「も」真剣に取り組ませることが大事なミッションになるのである。
筆者は、日本だけではなく、ドイツでも、ユース世代をコーチしたことがある。
だから、そこで効果を発揮する心理・精神的なアプローチには、日本と大きな違いがあることを、論理的にだけではなく、体感としても知っているつもりだ。
そのことを反芻するたびに、たしかに乱暴なロジックかもしれないけれど、欧米において「高質バランス」を目指すアプローチの方向性は、日本とは「逆」なのかもしれない・・とさえ思えてくる。
■日本での「バランシング・アプローチ」は欧米に対して「真逆」!?
私は、いろいろなメディアで、日本では、「二面性パーソナリティー」を育成していくことが大事だ・・というテーマを提唱しつづけてきた。
集団主義的な教育を受けてきた日本人は、「組織の陰に隠れる」というプレー姿勢が目立つ。
要は、一人で責任を負うことに対して・・、もっと言えば、主体的に考え、自己主張することに対して慣れていない(≒トレーニングされていない!?)ということなのだと思う。
それでは、イレギュラーするボールを足であつかう(不確実な)サッカーで、良いプレーなど望むべくもない。
もちろんサッカーの基本はパス。
だから、日本人の特性である「協調性マインド」は、組織サッカーに向いているし、それをベースに、ある程度のレベルまではスピーディーに進化していくだろう。
でも、そのレベルから世界トップへと「ブレイクスルー」を果たしていくためには、不確実な要素が山積みのサッカーだからこそ、ロジックな組織プレー(パスコンビネーションサッカー)だけでは十分ではなくなってくるのである。
そこでは、それぞれの選手の判断と決断による個人の勝負プレーによって局面を打開していくこと「も」強く求められるのだ。
そう、サッカーでは、攻守にわたり、責任感をもって個人勝負プレーに「も」挑んでいかなければならないのである。
しかし、団体責任が基本的な心理バックボーンになっている日本人は、一人で状況を打開していくようなリスキーな勝負プレーは得意ではない。
だからこそ日本では、基本的な「組織マインド」はそのままに、必要なときに、個の勝負に「も」、後ろ髪を引かれることなく(勇気をもって)チャレンジして
いけるようなエゴイスト・マインド「も」発展させていかなければならない・・というディスカッションが盛んに行われているのである。
そこでは、「主体的に考える姿勢」を伸ばすことの重要性が声高に叫ばれもした。
集団主義的な「協調性マインド」を絶対的なベースに、そのなかで、必要に応じて「エゴイスト・マインド」も表現できるような心理構造を定着させる。
私は、その発展プロセスのことを、二面性パーソナリティーの進化・・と呼ぶことにしている。
■欧米と日本では、二面性パーソナリティー育成のアプローチは逆方向!?
またまた繰り返しになるけれど、大事なポイントだから、もう一度・・
冒頭で記したように、世界サッカーのトレンドは、組織的なハードワークと個人プレーを高みでバランスさせる・・というベクトル上にある。
日本人が「より」強くもっている「組織マインド」と、欧米人のスタートラインである「自己主張(エゴイスト)マインド」は、サッカーにおいては、心理ベースの「両輪」というディスカッションだ。
だから、前述したように、コーチングの方向性は「真逆」とも言えるのである。
日本では、主体的に考えることと責任感をベースに、必要とあれば、リスキーな個人勝負プレー「も」しっかりと繰り出していけるような、勇気あるプレー姿勢を育成していかなければならない・・
それに対して欧米では、組織のための自己犠牲プレーの必要性を、選手たちに自覚させなければならない・・のである。
■その逆方向アプローチだけれど・・
それでは、どちらの「育成アプローチ」の方が、より難しいのだろうか?
そりゃ、「結果」がネガティブに振れることの方が多い、組織マインドに「エゴ・マインド」を付け加えいく(日本での!?)コーチングの方が難しいでしょ。
欧米では、組織プレーの大事さは、冒頭で述べたように基本的には理解されているし、そこに「も」選手たちがエネルギーを傾注することに対しては、結果にかかわらず、賞賛されこそすれ、批判にさらされることはない。
もちろん、個のチャレンジプレーについては、たとえ失敗しても、非難されることは少ないという「正しいサッカー文化(考え方)」が、しっかりと根付いている。
要は、組織ハードワークも、(状況をわきまえた!!)個人のエゴプレーも、良いサッカーを展開していく上で欠かせない要素だという共通認識が深く浸透しているということだ。
それに対して日本では、周りの不満を誘発する可能性を秘めた、リスクを伴う個人プレーに「も」チャレンジさせなければならない。そりゃ、誰でも二の足を踏むだろう。
微妙なニュアンスなのだが、特に個人の仕掛け(リスクチャレンジ)プレーで失敗したとき、日本では、(結果を受けて!?)ネガティブな目で見ることの方が多いように感じる。
・・何だ、自分勝手なプレーに奔(はし)りやがって・・ほら、失敗したじゃないか・・チームに迷惑をかけやがって・・等など・・
もちろん、そんな「感覚的」なニュアンスが、(広い視野の心理的評価ベースからしても・・)正しい場合もあるだろうが、集団主義的な心理環境が「主流」の日本では、その雰囲気が、結果だけを受けて(!!)安易に膨張していきやすい・・と思うのだ。
それに対してフットボールネーションでは、リスクチャレンジ自体へのポジティブな評価ベースが定着しているし、サッカーの本質的な魅力をアピールする積極的リスクチャレンジを、結果にかかわらず擁護するというのが主流なのだ。
だから監督・コーチの仕事は、チャレンジプレーを仕掛けていくときの状況を「正しく評価する」という仕事の方に重点が置かれるのである。
そんな、日本と欧米フットボールネーションの違いは、本当に大きい・・
■個のチカラの発展が求められる日本サッカー・・
だからこそ日本では、まず、正しい「プレー評価の文化」を定着させなければならない。
・・リスキーなプレーが、結果に関係なく、そこで表現された「チャレンジ姿勢」そのものがポジティブに評価される・・そして、それ故に、選手たちの積極的なプレー姿勢が高みで安定していく・・
そんな評価ベースを定着させることこそが、いまの日本サッカーに望まれる心理環境だし、そのことで、確実に選手たちの「気持ち」が、積極プレーへドライブされていくはずだ。
もちろん、責任感あふれるリスクチャレンジプレーと、無責任な「無謀(蛮勇)プレー」との間には、雲泥の差があるから、それに対する評価ベースの整備も必要だけれど(前述した、状況に対する正しい評価の必要性)・・
最後に、もう一度確認しておかなければならないことがある。
それは、日本にも、積極的に「個」のリスキープレーにチャレンジしていく強い意志をもったパーソナリティーがいるという事実。
でも、「才能系プレイヤー」という条件を付けたら、その絶対数は、欧米の比ではなくなってくるというわけだ。
いま日本では、個の勝負プレーの重要性にスポットライトが当てられている。
選手たちも、組織サッカーに、それをタイミングよく繰り出していくことが大事だと強く意識しているのだ。
でも・・
そう、その課題は、一朝一夕にはクリアされない。
そこには、集団主義的な心理環境などの『生活文化』的な障壁も、強力に立ちはだかっているのである。
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「The Core Column」の全リストは、「こちら」です。
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重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。
追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。
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ところで、湯浅健二の新刊。三年ぶりに上梓した自信作です。いままで書いた戦術本の集大成ってな位置づけですかね。
タイトルは『サッ カー戦術の仕組み』。出版は池田書店。この新刊については「こちら」をご参照ください。また、スポーツジャーナリストの二宮清純さんが、2010年5月26日付け日経新聞の夕刊 で、とても素敵な書評を載せてくれました。それは「こちら」です。また、日経の「五月の書評ランキング」でも第二位にランクされました。
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