The Core Column


The Core Column(27)__ サッカーは「走る」スポーツ・・イビツァ・オシム・・(2014年3月4日、火曜日)

■イビツァ・オシム・・

「走らないのでは、良いサッカーなど望むべくもない・・」

ジェフユナイテッド市原(現在は千葉)や日本代表を率いたヨーロッパの智将、イビツァ・オシム。

彼が、繰り返し、そんなメッセージを発信しつづけていたことを懐かしく思い出す。

もちろん基本的には、自分の選手たちに向けられていたわけだけれど、そこは「あの」イビツァ・オシム。彼が発するメッセージには、全国のサッカー人が耳を傾けたものだ。

私は、監督としての素晴らしい実績から、イビツァ・オシムの名声は、来日する前からアタマの片隅にあった。彼は、本場ヨーロッパの、特にエキスパート連中からレスペクトされる優れたプロコーチなのである。

1990年イタリアワールドカップでは、旧ユーゴスラビア代表チームを率い、ハードワークと創造性が高い次元でバランスする素晴らしいサッカーで世界にアピールした。

また、UEFAチャンピオンズリーグでは、超マイナーだった、オーストリアのSKシュトルム・グラーツを、光り輝かせた。

その素晴らしい実績については、ドイツ(プロ)サッカーコーチ連盟(BDFL)が主催する国際会議でも話題になったモノだ。

しかし、そんな彼が、「J」の監督に就任するという。それも、当時は「Jリーグのお荷物」という、有り難くないイメージが定着していたジェフユナイテッド市原。

そんなチームを、イビツァは、どのように料理するのだろう・・。彼がジェフを率いると聞いたとき、自然とその動向を注目するようになっていた。

たしかにそこでは、彼が語る戦術的な分析や、比喩を多用する哲学的な「意味深コメント」には耳目が集まった。

ただ私は、あれほどの名将が、「走ることが大切なんだ・・」といった単純なメッセージを繰り返し発しつづけたことの方に、大きな意義を感じていた。

曰く・・

・・走らないのだから、負けて当たり前だ・・一生懸命に走らなければ果実を得ることなど出来るはずがない・・もし選手たちが、走らなくても良いサッカーが出来るなどと考えているのだとしたら、それは思い上がり以外のなにものでもない・・等など・・

■そしてジェフ市原のサッカーが変わっていった・・

イビツァが監督に就任してからのジェフ市原の「チェンジ」には、ある意味、ショッキングなほどのアピール性があった。

ジェフ選手たちは、攻守にわたって本当によく走り、闘うようになったのだ。

彼らは、走る、走る。

それも、攻守にわたって、ボールがないところでの全力スプリントを積み重ねていく。それは、とても厳しいハードワークだ。

それを、ジェフ選手たちは、まさに当たり前のように実行しつづけるのである。その背景に「強固な意志」がなければ到底ありえないじゃないか。

そう、そのバックボーンに、イビツァ・オシムという「スーパー・ストロングハンド」による、とても高質で微妙、そして強烈な心理マネージメントがあったんだよ。

ボールを失ったら、間髪を入れない攻守の切り替えから、まず近くにいる者が相手ボールホルダーへの強烈なプレッシャーをブチかます(チェイス&チェック)。

もちろん周りのチームメイトたちも、その「最初の守備アクション」に呼応して、協力プレスをサポートしたり、次のパスを狙う。

まさに忠実を絵に描いたようなディフェンスのハードワーク。

それが、途切れることなくスムーズに連動しつづけるんだよ。そんな組織ディフェンスを観ながら、感動さえ覚えたモノだ。

また攻撃でも、ボールがないところでの動きの量と質が、観ている者の心を動かす。

「エッ・・!? アイツは、いったいどこから、この最終勝負シーンに顔を出してきたんだ!?」

よく、そんな頓狂な声を上げたものだ。

相手のボールを奪い返した次の瞬間からはじまるダイナミックな押し上げサポート。

ボールを持っている味方の周りでは、全力スプリントでオーバーラップしていくチームメイトたちが疾風を巻き起こす。

だから、たまには、(例えば最終ラインの選手とか)予想もしないヤツが攻撃の最終ゾーンまで上がってきていたりする。そりゃ、頓狂な声だって出るさ。

そして、(繰り返しになるけれど・・)次のディフェンスでも頓狂な声のオンパレードっちゅうわけだ。

「エッ・・!? どうして、今さっき相手ゴール前で競り合っていたアイツが、もう自分のゴール前で守備に就いているんだ・・!?」

当時のジェフユナイテッド市原が魅せつづけた、半端じゃない運動量(闘う意志!)は、日本サッカー界に新鮮な感動を呼び起こしたのである。

■走ることはダサい!?・・

走ること・・。

日本サッカー界では、長らく、走ることが基本中の基本という「事実」を声高に主張することには、ダサいというイメージがつきまとっていた。

その背景には、「根性サッカーは野暮ったい・・」という通念があったのだろう。

だから、サッカーコーチのなかでは、「もっと走れ・・」と直接的に要求するのではなく、こんな格好つけた表現が横行していたのだ。

「素早くクレバーにポジショニングを修正していくことが大事だ・・」とか、「スマートに相手の攻撃を遅らせ、効率的にボールを奪い返そう・・」、はたまた、「走りすぎないで、狙うスペースを意識して肝心な勝負所まで動きをタメよう・・」なんていうモノもあった。

ただ、イレギュラーするボールを足で扱わなければならないサッカーでは、クレバーでスマート、そして効率的にプレーしようとすることが、とてもネガティブな「現象」につながってしまうケースも多いという現実がある。

そう、歌を(走ることを!)忘れたカナリヤ(選手たち)ってな現象。

たしかに、テクニック的に「雲泥の差」がありゃ、究極の「効率サッカー」だって可能かもしれない。

でも、現代サッカーでは、世界的な情報化の進展によって、世界のどこにいても、優れたテクニカルプレーを目の当たりにし、真似することができるんだよ。

そう、あるレベル以上のサッカー(舞台)では、以前のような、テクニック的に大きな差があるチーム同士のゲーム(大量ゴール差のゲーム)は、もう希な出来事なんだ。

たしかに、戦術的には、バスケットボールやハンドボールが「理想イメージ」に近い。でもサッカーじゃ、手は使えないわけだからね。

そんな、不確実なファクターが満載しているからこそ、優れたサッカーを展開するために、攻守にわたる(ボールがないところでの)ハードワークの量と質「も」問われるというわけだ。

現代の「ハイレベルサッカー」で監督・コーチに求められるのは、特に、高い技術(才能)レベルの選手たちを、攻守にわたるハードワークに「も」精進させられる「ストロングハンド」なのである。

ちょっと蛇足だけれど・・。

私は、そのメカニズムを、優れたサッカーは、攻守にわたる「クリエイティブ(創造的)なムダ走りの積み重ねだ・・」などと表現する。

クリエイティブなムダ走り。

それがあるからこそ、攻撃では、味方のためにスペースを作りだしたり、才能あるドリブラーに、より有利なカタチでボールを持たせることができる。

また守備でも、味方に、より有利なボール奪取シチュエーションを演出することができる。そう、美しいインターセプトや、相手トラップの瞬間を狙った効果的なアタックなどだ。

■プレーの質をアップさせる創意工夫・・

もちろん、しっかりと考えつづけながら、様々な「工夫」を凝らすプレー姿勢は大事だ。それがあれば、本当に効果的な「動きのタメ」だって可能になる。

でも、それが高じて、「楽して金儲けしよう・・」などというマインドが、ちょっとでもアタマをもたげてきたら、その「工夫」は、必ず破綻する。

逆に、ハードワークに労を惜しまない「闘う意志」をバックボーンに凝らす「創意工夫」であれば、必ず、大きな成果に結びつく。

そう、本当の意味の「効率プレー」だって可能になるのだ。

不確実な要素が満載であり、技術的、戦術(発想)的に「高次平準化」する傾向が強い現代サッカーだからこそ、攻守にわたる優れたハードワークが(≒攻守にわたるクリエイティブなムダ走りの量と質が!)もっとも重要な競争条件になっているのである。

世界の名将イビツァ・オシム。

彼によって、ジェフの「走るサッカー」が光を放ち、走ることの大切さがシンプルに発信された。そしてだからこそ、日本サッカー界に、「正しい考え方」を思い出させた。

そう、サッカーは、本質的に、「走るスポーツ」なのだ。

■イビツァ・オシムが残したもの・・

サッカーの美しさを演出するバックボーン・・。

イビツァ・オシムは、個の才能が光るテクニカルなプレーだけではなく、組織サッカーもまた、とても魅力的であり、感動を呼び起こすという「事実」を再認識させた。

イビツァ・オシムが為したもっとも意義深い功績は、懸命に走りつづける組織サッカーが秘める美しさ、楽しさというテーマを「表舞台」に乗せたことなのである。

そしてもう一つ。

イビツァは、「リスクチャレンジのないところに進歩もない・・」という普遍的ディスカッションを、日本サッカーに投げかけつづけたという重要なポイントもある。

彼は、攻守のバランスを、決して「アンバランス」に取ろうとはしなかった。

例えば、チームの全体ミーティングでは、「攻めに参加するときは、味方の人数を数えながら慎重にオーバーラップしていこう・・」などといった「安全・安定 志向」の指示を、あからさまに出すことはないと思うのだ(もちろん信頼する個人には個別に「依頼」するだろうけれど・・)。

彼は、そんな表現を使った次の瞬間には、選手たちが、人数を数えすぎるといった後ろ向きのプレー姿勢になってしまうという心理メカニズムを熟知している。

だからこそ、積極的に攻め上がること、そして、ボールを奪われたら、素早い切り替えから、強い意志をもって(!)しっかりと守備にも戻ってくるという、「攻守バランシングの王道」を希求しつづけるのである。

そう、それこそが、バランス感覚にあふれた、攻守のバランスの取り方なのだ。

そこでは、選手たちのこんな主張と対峙することもあったはずだ。

「でも監督・・いまオーバーラップして、変なカタチでボールを奪い返されたら、私がマークしていた相手は全くフリーになってしまいますよ・・」

そんなとき、イビツァは、こんな風に切り返したに違いない。

「そうだな・・それは危険なシチュエーションだ・・だから、そのときは、全力で戻ってくりゃいいんだよ・・」

イビツァは、選手にとって、とても理不尽に聞こえることを百も承知で、平然と、そんな(ニュアンスの!?)要求を投げかけたと思うのである。

もちろん、そのバックホーンには、経験に裏打ちされた確信がある。

そう、不確実なサッカーだからこそ、意志のスポーツである・・という確信。

前にも書いたけれど、ドイツ伝説のスーパーコーチ、故ヘネス・ヴァイスヴァイラーが残した、こんな意味深コメントもあった。曰く・・

・・いかに相手を勘違いさせるのか・・それが積極的に追い求めるべきテーマなんだよ・・

サッカーは、数字的なロジック「だけ」で推し量れるモノじゃないんだ。

私は、サッカーの根底メカニズムを深く理解したうえでトータルフットボールを志向したイビツァが、自らの姿勢を、こんな「ニュアンスの表現」に託したことを覚えている。

・・8人で攻め、10人で守る・・リスクチャレンジのないところに、決して進歩もない・・

彼は、日本サッカーにとって、とてつもなく重要な「資産」を残したのである。

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「The Core Column」の全リストは、「こちら」です。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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