結局上村は、一人、二人とかわし、ゴールライン付近までポールを持ち込んでラストパスを返します。それをダイレクトでシュートする茂木。惜しくもGKに弾かれてしまいましたが、この試合に賭けるサンフレッチェの強烈な意志が如実に現れた決定的シーンでした。
このシーンでのテーマは、言わずとしたれ「見慣れないヤツの押し上げ」。虚を突かれたコンサドーレ守備ブロックには、上村を追いかけるディフェンダーがいない、積極的に上村に仕掛けていくディフェンダーもいない。やはり攻撃での最大のテーマは、相手の予想を超える「変化」なのです。
よし、サンフレッチェは来るぞ!・・なんて思っていた湯浅だったのですが、先制ゴールはコンサドーレが奪ってしまいます。シンプルなボールの動きからのシンプルなクロスボール。それを、ファーサイドにいた相川がアタマで落としたところに小倉が走り込んでいた・・。さてサンフレッチェは、これ以上ないというところまで追い込まれた。でもサッカーはここからです。例によってこのレポートは、試合を追いながら書いています。
この試合の立ち上がりでは、守備を固め、ボールを奪い返したら、とにかく素早く最前線へ送り込むというコンサドーレのゲーム戦術がピタリとはまっています。中盤で組み立てることでボールを奪われるよりも、守備ブロックを厚くし、少ないボールタッチで勝負を仕掛けていく・・、それです。
堅牢なコンサドーレ守備に対し、最終勝負のキッカケさえ掴めないサンフレッチェ。そんな流れのなかで、他会場の経過が入ってくる・・。ガンガンと押し込んでチャンスを作りつづけていた柏が先制ゴールを決める・・、これまたゲームを支配している神戸も、先制ゴール、そして追加ゴールを奪う・・。やはり、不確実性要素が満載されたサッカーは、本物の心理ゲームだということです。この意味については説明する必要などありませんよね。降格リーグの当事者・・そして、モティベーションを高めるための明確な心理背景を持たない対戦相手・・。
この時点で私は、今回は神様のドラマはないのかもしれないな・・なんてことを思ったものです。最後まで何が起こるか分からないというサッカーのリアリティーを、何度も、何度も、冷や汗とともに体感しつづけた湯浅でも、どうもこの状況は、はじめから「自力」のないサンフレッチェにとっては厳しすぎるかも・・なんて感じていたというわけです。
それでもその後、サンフレッチェの森崎浩司が同点ゴールを叩き込み(前半のタイムアップ寸前)、後半立ち上がり2分には、茂木に対するビジュのファールで得たPKを久保がキッチリと決めただけではなく、その数分後の後半7分には、一発タテパスに抜け出した茂木がループシュートを決めてしまうのです。これで、後半の立ち上がりで、サンフレッチェが「3-1」と逆転リード!
サンフレッチェ選手たちは、他会場の試合経過を知らされていなかったとのこと。まあ、正しい判断でしょう。何といっても、もう彼らには「自力」は残されていないのですからね。とにかく、2点リードならば、ヴィッセル神戸だけではなく、もし柏レイソルが負けたときでも得失点差で上にいける・・。サンフレッチェは、この時点で、他力とはいえ、彼らが主体になって達成できる最高の「条件」をクリアしていたというわけです。
とはいっても現実は厳しい。この時点で、どのような結果に終わるにしても、「降格リーグ」の当事者たちは、3チームともに、残留のための(自分たち主体で達成できる!)条件をクリアしていたのです。長いシーズンでは、常に最高レベルの集中サッカーを展開できなければ、結局そのプロセスは(長い期間の末に明らかになる)最終リザルトに明確に反映されてくる・・彼らは、今この場で、その現実を骨身にしみて体感している・・なんてことを思っていました。
そしてその後、サンフレッチェが、上村の不運なスリップと(コンサドーレの曽田が決めた二点目のシーン)、これまた上村のミスによって同点にされてしまいます。まあ、ミスといっても、気の抜けたものではなく、意図が空回りしてしまったということですが・・。ロングボールを、GKの下田に任せた「つもり」の上村。それでも、最後の瞬間、諦めずに飛び込んでいったコンサドーレの相川が、ゴールから飛び出してくる下田よりも一瞬早くボールに追いつき、ヘッドで突ついて同点ゴールを決めたのです。これで「3-3」。
その後は、上村のゴールによって再びサンフレッチェが「4-3」とリードし、コンサドーレが、曽田のゴールで追いついて延長へ突入ということになってしまいます。そして選手たちは、延長に入るまでのブレイクタイムに、この試合の結果に関わらず既に降格が決定したことを知らされたというわけです。
それでもサンフレッチェ選手たちは、結局Vゴール負けを喫してしまったとはいえ、最後までしっかりとした積極サッカーを展開していました。私は、「知らされた後」のプレー姿勢に注目していたのです。そして、ホッと胸をなで下ろしていました。彼らには、引きつづき来年も、プロサッカー選手としてのアイデンティティーを追求する作業に全力を傾注しつづけて欲しいと願って止まない湯浅です。
最後に、昨シーズン最終節レポートの最後に書いた文章をもう一度・・。
私は、フットボールネーションにおける、深〜〜い歓喜と奈落の落胆(それは決して悲劇ではない!)のドラマを数限りなく体感しています。そして、サッカーが生活文化として深く浸透しているアチラでは、様々なドラマがどんな結末に終わろうとも、結局は人々の意識をどんどんと活性化し、何らかの前進エネルギーに収斂されていくという事実も、深く理解しているつもりです。どんな結末になろうと、(ポジティブな社会的存在である)サッカーは続く・・ということが言いたかった湯浅でした。