全体的にはゲームを支配されているパープルですが、守備ブロックが最後まで崩されることがありません。相手ボールホルダー(次のパスレシーバー)に対する、素早く忠実なチェックを基盤に、(そのポイントで)決して安易なアタックを仕掛けることなく、効果的な「ウェイティング」でマリノス選手たちが描こうとする次の「仕掛けイメージの芽」を摘んでいくのです。要は、イージーにアタックを仕掛けて、ディフェンダーが「置き去り」にされるシーンを極力なくし(相手に仕掛けのキッカケを与えない!)、個人が、どんな揺さぶりにも対応できるような「体勢」で忠実にマークしつづけることで、他のチームメイトたちが、「次のインターセプト」の可能性を高めたり、マリノスが描く「最終勝負スペース」に対する先回りイメージを持てる時間的余裕を演出するということです。
そんな堅実な守備プレーで、京都のディフェンスが、何度インターセプト(パスカット)を成功させたことか・・、何度彼らが、マリノス選手たちよりも「先」に決定的スペースのカバーに入ったことか(それこそクリエイティブなスペースを埋めるプレー!)。
バランスのとれたポジショニングから、守備にはいった全員が、最高の「集中レベル」を維持しつづける。もちろん、相手からボールを奪い返すという守備の目的を強烈に意識しながら・・。
だから、アタフタと、マリノスのボールの動きに「振り回される」というシーンがほとんどなく、全員が落ち着いて対処できているのです。それこそ「考えつづけるクリエイティブ守備」。ちょっと褒めすぎのようにも感じますが、いまの京都がアピールする「ソリッドな強さ」の基盤となっている堅牢な守備は、本当に称賛に値します。
また攻撃にも「明確な流れ」を感じます。
もちろんカウンター状況では、ボール奪取からのすべてのプレーが「仕掛け」になるわけですから、ここでは、組み立てベースの攻撃について・・。組み立て段階のパープルは、個人の「エスプリボールコントロール」をミックスしながらしっかりとボールを動かします。そして「仕掛けの流れ」がスタートしたら、何人もの選手たちが「有機的に連鎖」する動きをみせるのです。
難しいコトをやろうとするのではありません。スペースへのフリーランニングをベースに出されるタテパス等をキッカケに、そのポイントへのサポートの動き、「次の勝負パス」を狙う周りの選手たちの動きといったシンプルな「ボールなしのアクション」が、美しいハーモニーを奏でるのです。要は、彼らの攻撃では、組み立て状態から仕掛け状態への「移行」が本当にスムーズだということです。言葉で表現するのはちょっと難しいのですが、何らかのキッカケで仕掛けがスタートしたら、その流れに乗った選手たちが展開する、スペースへのパスレシーブの動きやサポートの動きが連動するということです。仕掛けイメージの、ハイレベルなシンクロ状態を感じるではありませんか。
ここでもまた、選手たちは、シュートをするという攻撃の目的を強烈に意識しています。だからこそ、マリノスに押されていながらも、危険なシュートシーンの演出では、彼らを凌駕していたのです。
それらが、わたしの考える「パープル的な(もちろん普遍的な)ソリッドサッカー」のコンテンツ(内容)だというわけです。分かりにくいですかネ・・。錯綜した「サッカー・メカニズム」を、誰にでも理解できるような言葉をつかって表現する・・。難しい作業ですが、そんな「表現の開発」を使命と考えている湯浅でした。
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さてマリノス。
彼らの場合は、「中継(組み立て)イメージ」と「仕掛けイメージ」のアンバランスが課題かな・・なんて思います。
守備ブロックを固め、効果的なクリエイティブディフェンスを展開するパープルサンガに対し、ボールの保持(ボールポゼッション)を標榜するマリノスが、どのようなイメージでチャンスを作り出そうとしているのか・・。それがはっきりと見えてこないのです。
たしかにボールがよく動き、簡単には相手に奪われません。それでも、「足許パス」が目立つことで、仕掛けのキッカケを演出できないことも確かなこと。彼らの仕掛けがスタートするのは、両サイドの波戸とドゥトラが上がったときだけ・・なんていうのは言い過ぎですかネ。もちろんウィルがボールに絡めば、周りの動きも活発にはなりますがネ。
ボールを保持することを意識しすぎのマリノス・・だからボールがないところでの「仕掛けの動き」が活性化しない(決定的フリーランニングも含めたサポートの動きが連動しない単発アクションに終始!)・・といったところでしょうか。ボールを保持し、動かすことの「目的意識」が明確ではないと感じるのです。最終目的はシュートを打つこと・・そのために、相手守備の「薄い部分」から仕掛けていくためにボールを走らせる・・。ところが、今のマリノスでは、ボールを動かす(保持する)こと自体が「目的」になってしまっているような・・。
とにかく彼らは、誰もが「中継ステーション」になってしまっているという現状を見つめ直し、ボールポゼッションとボールの動きの「目的・目標」を、もう一度、しっかりとイメージし直さなければなりません。