湯浅健二の「J」ワンポイント


2003年J-リーグ・セカンドステージの各ラウンドレビュー


第4節(2003年9月6日、土曜日)

両ゲームともに、考えさせられるコンテンツ満載でした・・ジュビロ対セレッソ(2-2)、ガンバ対レッズ(2-1)

レビュー

 ジュビロが、苦しみながら奪った二度のリードを、セレッソの大久保が、一瞬のスキを突いたカウンターから同点に持ち込んでいく・・。最後の時間帯、押し込んでチャンスを作り出すジュビロに対し、セレッソもまた、ここ一発のカウンターからチャンスを作り出す。そんな、どちらに勝利の女神が微笑んでもおかしくない緊迫した展開になったジュビロ対セレッソ戦。最後まで目が離せないエキサイティングなゲームになりました(タイムアップ数十秒前には、名波のCKから、ジュビロ西野のポストシュートまで飛び出した!)。

 たしかに勝負はどちらに転んでもおかしくないものでしたが、全体的なサッカー内容では、伝統というところまで深められた高質な戦術イメージのダイナミックサッカーを展開するジュビロに一日の長があったことは明白な事実でした。とはいっても、ここまでメンバーが入れ替わったら、昨シーズンのような高いレベルの「有機的イメージ連鎖」サッカーを展開するのが難しいことも事実ですがね。この日のジュビロは、外国へ移籍した高原と藤田、ケガの中山、出場停止の福西とジヴコヴィッチ(藤田の後釜として発展傾向にある!)が不在だったのです。

 私がイメージするジュビロのダイナミック組織サッカー。その象徴は、何といっても、素早く、広いだけではなく、タテ方向にも鋭くフィードされるボールの動き(組織パスプレー)と、それを基盤にした、相手守備ブロックの「ウラ取り」プレー。昨シーズン、彼らが展開した素晴らしいコンビネーションサッカーを観ながら、これこそ日本が目指すべき理想のベクトルだ・・なんてことまで思ったものです。

 ジュビロが展開するボールの動き。それは、横方向ばかりではなく、縦方向にも活発に動きつづけます。いくら横方向にボールを動かしても、相手守備ブロックは「前を向いた状態」で対処できるから怖くない。それに対し、タイミングのよいタテパスがミックスされたら、相手は混乱に陥ります。それはそうです。自分の背後スペースにもボールをうごかされるのですからネ。それによって相手の守備ブロックが不安定になり、よりスペースを作り出しやすくなるというわけです。そして、タイミングのよい追い越しフリーランニングをベースに、「後方の選手たち」もスペースへ走り込んでいく・・。ボールがないところでの勝負プレー(決定的フリーランニング)と、タイミングの良い勝負パスのコンビネーション。それこそが、ジュビロサッカーの真骨頂なのです。

 ジュビロサッカーの基盤は、ボールの動き(パス)とフリーランニングの高質なコンビネーションイメージというわけです。とはいっても、やはり「人」が変われば、チーム全体のイメージの流れが少しずつ停滞しはじめてしまうもの。何といってもそれは、ものすごく微妙なバランスの(イメージフロー・バランスの)うえに立つチームワークですからね。それが、このところの「調子を落としているジュビロ」という現象の背景にあることは衆目の一致するところでしょう。

 それでも、後半の残り20分でジュビロが魅せたハイレベルな積極サッカーは、彼ら本来のダイナミズムを十分に感じさせてくれましたよ。それこそ伝統。若手も含めて、「これがオレたちのサッカーだ・・」という気概を感じます。シンプルな組織プレーと、ここぞ!の個人勝負プレーの高質なバランス・・。

 もちろんボールと人が動きつづけ、仕掛けつづければ、次のディフェンスで、人が足りなくなる場面も出てくるでしょう。彼らは、そんなリスクを承知で攻め上がる。それも後ろ髪を引かれることなく。それは、互いの「高い守備意識」に対する深い信頼があるからに他なりません。オレが行けば、ヤツが後方をケアーしてくれる・・オレが戻れなかったら、ヤツが全力で守備に参加してくれる・・。そんな相互信頼もまた、ジュビロの高質なサッカーを支える「プレーイメージ基盤」の一つだということです。まあ、「人」が大きく変わったわけですから、その信頼関係にも微妙なズレが生じていることは否めませんが・・。

 これでセカンドステージのジュビロは、1勝2敗1引き分けで「勝ち点4」ということになりました。ファーストステージでは最後の最後で優勝を逃したジュビロですが、セカンドステージでは、ここから巻き返すどころか、既に瀬戸際まで追い込まれた?!

 いや、私は悲観していません。藤田が抜けたことや、まだまだ本調子ではない(逆に調子を崩している?!)名波が刺激になっているのか、前述したジヴコヴィッチだけではなく、西や、この試合で先発した河村もまた、自分主体に発展している(覚醒しはじめている)と感じるのです。この試合でも、後半の「チームの勢い」を増幅させたのは、疑いなく西が魅せつづけた仕掛けプレーによる「刺激」でした。

 チームとはそういうものです。何かを失ったとき、それを補おうというポジティブな自然発生(自主)エネルギーが増幅されるものなのです。ということで、ここでも「脅威と機会は表裏一体」という普遍的概念(普遍的コンセプト)の正しさが証明されている?! まあ、そんな現象が起きてくることも、ジュビロ磐田というクラブがポジティブな伝統を備えているということの証明なんでしょうがネ。

 またレギュラー以外でも、成岡、菊地、西野といったヤングスター連中も、チームの変化時期だからこその大きなチャンスを体感しながら、チカラと意志を増幅させていることでしょう。とにかく、ここからのジュビロの「巻き返し」に大いに注目している湯浅なのです。

 最後に、セレッソの大久保。前節での粘りゴールもそうですが、この試合での2ゴールもまた、とにかく活きがいい。彼のストライカーとしての(物理的・論理的な)能力の高さは折り紙つきですが、彼の場合は、生まれつきの「心理ベース」も備わっている?! エゴイストマインド・・強心臓・・自分主体の吹っ切れたチャレンジ精神・・強烈な自己主張・・等々(それらの表現はほとんど同根?!)。まあ、本当にこれからが楽しみな存在です。

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 さて、ガンバ対レッズ。短くレポートすることにします。

 ガンバでは、攻守の主力であるマグロンと木場だけではなく、西野監督も(前節での退席処分で)不在。さて・・。

 でも、はじまってすぐに、ソリッドな(ゲーム戦術がうまく機能している)ガンバのゲーム内容が際立っていると感じましたよ。例によって「前後分断サッカー」のレッズが相手ですからね。とにかくまずエメルソンと田中のツートップと、山田と平川の両サイドバックのオーバーラップを確実に抑える・・そして、攻め上がりすぎず、中盤のディフェンスブロックの人数&ポジショニングバランスをうまく保ち、高い位置でレッズ攻撃を寸断して、素早い「蜂の一刺し攻撃」を仕掛けていく・・中盤選手たちは、とにかく、活発に「前後」に動き回ることで、安定した中盤ディフェンスブロックを維持する・・。そんなガンバの意図が、本当にうまく機能していたということです。そして実際に、先制ゴール(前半18分)、追加ゴール(前半28分)と、立てつづけにレッズのお株を奪う素早いゴールを奪ってしまうのですよ。まさに理想的なゲーム展開。

 レッズ得意のパターンは、前へ重心が掛かった相手の攻撃を、例によっての確実&忠実マンマークで抑え、ボールを奪い返した地点からの素早い前線フィードで、薄くなった相手守備ブロックを突いていくというもの。ここまでは、ガンバのゲーム戦術イメージと大差ありませんが、そこでの仕掛け方が大きく違う。ガンバの場合は、中盤選手たちの押し上げや活発なパスなど、個人のドリブル勝負に至るまでに組織的な組み立てプレーも見られます。それに対しレッズの仕掛けは、まさに「個のドリブル勝負」だけといっても過言ではない。エメルソンが、田中が、はたまた両サイドの山田や平川が、ボールを持ったら、しゃにむにドリブル突破へチャレンジしていくのですよ。もちろんそれも一つの手段ではありますが、「それしかない・・」となれば、まさに非効率・低効果。相手も、十分余裕をもって対処できるというわけです。もちろんエメルソンのドリブル突破チャレンジだけはレベルを超えているから、特別な注意を要しますがネ・・。

 とにかくレッズの攻めでは、選手たちが前後にポジションをチェンジしない・・後方から、前を追い越していくようなアクションが皆無・・後方が押し上げるのは、相手ブロックが全体的に下がった状況だけ(それでも前後のタテのポジションチェンジはほとんど出てこない)・・。また組み立てるにしても、タテにボールが動かないし、後方からタテパスを出した者が、そのままパス&ムーブで押し上げる(ワンツーのチャレンジ)というシーンも希だから、相手守備ブロックをタテに振り回すことも叶わない。彼らは、そんなコンビネーションイメージを持っていない?! だから相手は、常に前を向いて対処できる。これでは、相手守備にとってはまったく怖くない(もちろんエメルソンがドリブルで突っかけてきたときにゃ鳥肌が立つのだろうけれど・・)。

 ビックリしたのは、「2-0」とリードされた後半のレッズのゲーム内容に大きな変化が見られなかったことです。要は、選手たちのプレーイメージに、何らかの新しい意識付けが為されたと感じられなかったということですが、それって、ハーフタイムにおける効果的な監督指示がなかったということか?! 2点リードされているのだから、何か「変化」を起こさなければ、相手を心理・精神的に不安に陥れることさえ叶わないのに・・。そして、例によって前後分断の(選手たちのタテのポジションチェンジが見られない)個の仕掛けをくり返すだけなのです。

 もちろんベンチは・・後半も我慢していれば、これまでのように、何回かはエメルソンや田中、山田の個の勝負で決定的チャンスが訪れるはずだから、それを確実にモノにしていけば必ず追いつける・・などと考えていたんでしょうがネ。

 とにかく、選手たちを型にはめる規制サッカー(=選手の可能性を狭め、発展を妨げる規制サッカー)ここに極まれり!・・なんていう表現まで脳裏に浮かんできましたよ。「山瀬効果」の兆しがほとんど感じられなくなったのも道理か・・ともネ・・。レッズのベンチが「中盤の押し上げやコンビネーションをもっと出さなければ・・」なんていう指示を出したとかいうのですが、まあ、そんなことを言ったって、あの規制ガチガチのサッカーをやらせているのだから、そうそう簡単に選手たちが「解放」される(自分たちを呪縛から解放できる)はずがない。

 もうこれまでに何度も書いてきた、「規制と解放」に対するバランス感覚が、監督にとって決定的に重要な意味を持つという普遍的なテーマ・・。

 規制ファクター(一般に戦術と呼ばれるモノ)の理解と実践力が鈍ければ、勝負に対して弱くなってしまう・・。逆に解放ファクター(一般に創造性と呼ばれるモノ)の促進に消極的で、勝負ばかりに固執したら、選手たちの可能性の芽を摘み取ってしまうことになる・・。

 リスキーな仕掛けにチャレンジしていっても、チーム内の「ホンモノの守備意識」さえ整備されていれば、次の守備が大きく乱れることはない・・逆に、そのチャレンジ精神こそが、選手たちの守備意識を高揚させる・・だからこそ、最初に監督が選手たちに植え付けなけばならない心理ベースが、このチャレンジ精神なのだ・・もちろんそれは危険因子だが、その危険因子を「ゼロ」にしようと石橋を叩いても渡らないような者は、サッカーをする資格がない・・等々。このテーマには、深い、深い含蓄があるのです。まあ、それについては機会を改めて・・。

 さてレッズ。この敗戦は、選手たちにとって、ものすごく後味が悪いモノでしょう。何せ彼らは、全力を出しきったチャレンジをすることなく敗れ去ったのですから。とにかく、この敗戦のことは忘れましょう。そして、次の、自分たち主体の解放チャレンジ(山瀬効果よ、もう一度!)に対する期待に胸ふくらませましょう。目標をもち、それを成就させようとする主体的な希望や期待は、人の発展にとって必要不可欠なのです。



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