湯浅健二の「J」ワンポイント


2004年J-リーグ・セカンドステージの各ラウンドレビュー


 

第4節(2004年9月12日、日曜日)

 

この試合でも、様々なテーマに思いを馳せていました・・(トリニータ対レッズ、1-4)

 

レビュー

 

 いつのことだったか、試合後の記者会見で、「いまのレッズは、エメルソンも含め、すべてのポジションにライバル・メカニズムを導入できている・・オリンピックが終わり選手が全員揃ったら、誰を先発に据えるのか難しい判断になると思うが・・」と質問したことがあります。それに対し、少し考えたギド・ブッフヴァルト監督は、「そう・・そこで私の仕事内容が問われるということだ・・」と答えていました。たくさんの高い能力を抱えることは、それだけ多くの「不満」を抱えることになるわけですからね。監督には、その不満が不信へとふくれ上がらないような(不信へと変容してしまわないような)微妙な指先のフィーリングを駆使した心理・精神的なマネージメント能力が求められれるというわけです。

 私は、監督のお仕事の本質的な部分は、不満(怒りや憎しみ)など、選手たちの瞬間的なネガティブ感情に対し余裕をもって(!)耐えることなんていう表現をよく使います。別な見方をすれば、不満(怒りや憎しみ)などのネガティブ情緒エネルギーこそがチームマネージメントの唯一の「ツール」だとも言える・・。満足した状態とかハッピーな感情などは、サッカーにおいて自分主体の闘う意志を高揚させるツールとしては、それほど効果的なものじゃないし、多くのケースで逆効果になったりしてしまうものなのです。だからこそ、何らかの人間的なネガティブ情緒エネルギーを、注意深く、積極的にマネージしていかなければならないし、それをどのように取り扱うかによって、出てくるチーム全体のモティベーションレベルに雲泥の差が出てきてしまうということです。

 選手として世界最高の舞台で活躍しつづけたギド・ブッフヴァルト監督は、そのメカニズムを深く理解していることでしょう。もちろん、理解していることと、自身のパーソナリティーを活用してうまくマネージできるかどうかというテーマは、まったくの別物です。たぶん彼は、そこの微妙な意味合いを、冒頭の「そこで私の仕事内容が問われる・・」という発言に集約したのだと思っています。

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 またまたちょっと寄り道が過ぎました。どうして「この話題」からレポートに入ったかって?、もちろんそれは、ギドが、GK山岸を入れ、ネネと田中を先発に据えたからですよ。特にゴールキーパーの山岸については、「トレーニングでの調子がいい」という評価基準を公言したそうな。もちろん「評価は主体的なもの」だから千差万別。そこに不満の火種があるというわけですが、だからこそ監督は、誰もが納得できるようなモノなど決して有り得ない評価の結果(監督の結論・決断)を、限りなくフェアなものにしなければならないし、できる限り多くの「納得」が得られるように仕向けていかなければならないというわけです。もちろんそこでは、監督のパーソナリティーに対する「日常の評価」も大きく作用してくる。だからこそ湯浅は、監督の資質としてもっとも大事なモノがパーソナリティーだと言いつづけているのですよ。

 えっ? ここで言うパーソナリティーの定義は何かって? それについては、レッズのことも含めて大幅に加筆した拙著「サッカー監督という仕事(新潮文庫)」を参照していただきたいのですが、まあここでは、その部分だけピックアップしましょうか・・

 『パーソナリティーは、一般的に個性・人格と訳されているが、プロチームのサッカー監督の場合、プロ選手達をチーム共通の目的・目標達成へ向けて最大限の力を発揮させることができる特異な能力や人間的魅力とでも定義できそうだ。それは、革新的な企業でつかわれるマネージメント能力と同義のばあいが多い。英語で、監督のことをチームマネージャーというのもうなづける。このことについては、拙著、闘うサッカー理論(三交社)でも詳しく述べた・・』

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 あっと・・またまた脱線・・スミマセン。さて試合。

 たしかに数字だけを見た場合、「4-1」というスコアだし、シュート数も、レッズの「15本」に対してホームのトリニータが「11本」だから、プレーの内容にも大きな差があったと見えるでしょう。でも実際には、レッズが大きく優位に立っていたわけじゃありません。

 たしかにレッズは、解放された組織プレーという基盤を得たことで個の才能が存分にチカラを発揮できているなど、好調を維持しています。その絶対的ベースは、言わずと知れた「主体的な守備意識」。守備が全ての基盤だから、それは、攻守にわたって自分主体で積極的に仕事を探しつづけられるプレー姿勢なんていうふうにも表現できます。でもこの試合でのトリニータも、そんな仕事を探しつづけるプレー姿勢だけは優るとも劣らないモノを魅せてくれたのですよ。たしかに最終勝負シーンでの危険度には差があったけれど、プレーの意志や意図のコンテンツも含め、試合を通した「全体的な内容」では、トリニータも互角のプレーを魅せつづけてくれたのです。

 私は、監督のハン・ベルガーを高く評価しています。その背景には、ヨーロッパの友人たちからの情報もあるし、実際に見たトリニータのサッカー内容もあります。攻守わたる積極的な主体的サッカー。見ていて気持ちいいことこの上ありません。だからこそ私は、トリニータに対してシンパシーを感じているのですよ。たしかに「個の能力の単純総計力」で見劣りすることもあって上位に顔を見せてくることは「まだ」ありませんが、それでも、結果が付いてこなくても、そのサッカー内容が劣化することがない(着実に進歩している)という事実を高く評価する湯浅だというわけです。要は、選手たちが、自分たちのサッカー内容に手応えを感じ、高いモティベーションをもってチャレンジしつづけているということです。だからこそ評価に値する・・。

 この日のレッズのサッカーからは、いつものタテのポジションチェンジが見られませんでした。どちらかといえば前後分断気味のサッカー・・。たしかに前線の選手にチカラがあるから、個の力業(ちからわざ)でチャンスを作り出したり、カウンターもうまく機能してはいたけれど、組み立てでは、十分な変化を演出することに四苦八苦していたのです。

 私は、それはトリニータのサッカーが高質だからだと理解していました。トリニータが意図する組織的なディフェンスがうまく機能し(守備プレーが有機的に連鎖しつづける!)、それをベースに仕掛けてくる、人数をかけた攻撃にも勢いがあるから、どうしても中盤の鈴木&長谷部コンビが押し上げるチャンスとタイミングを失い気味になっているということです。またこの試合では、タテのポジションチェンジの演出家である山瀬が、どうも前へ張り出し過ぎ(?!)だとも感じましたしネ。とにかくレッズ選手たちは、トリニータの高質な「プレー意図」によって、彼らがイメージするサッカーが十二分に機能しなかったということです。

 最後にアレックスについて一言。先日のテレビ埼玉「レッズナビ」で、彼について厳しいコメントをブチ上げました。「守備では、ボールホルダーに対して不用意な間合いを空けすぎる・・あれでは簡単にパスを出されたりクロスを上げられるのも道理・・またボールのないところでのマークも、まさにお座なり・・そこには、どうせパスなんて来ないサというイージーなマインドがミエミエ・・また攻撃でも、ドリブル勝負に対して自信をなくしているから、どうもビビり気味の中途半端勝負マインドが目立ちすぎる・・それこそ、プロにはあるまじきアリバイマインド・・等々」。

 彼については、有力なサッカー関係者からも、そのパフォーマンスに対する不満や不信感が「やっと」出てくるようになったと聞きます。それは、「能力的には出来るのに、全力でやろうとしない」プレーマインドに対する批判に違いない。プロ選手として、それは恥ずべきことなのです。観ている人々がもっとも共感し、感動させられるのは、何といっても全力を尽くしたプレーなのですからネ。

 でもこの試合では、その視点で、怠慢プレー姿勢が改善されるかもしれないという傾向を感じ取っていました。そこには、ブラジルから新加入してきたネネ選手のポジティブインフルエンス(好影響)もあるのかも・・。まあ、とにかくアレックスは、周りを甘く見ることなく、常に全力でプレーすることを肝に銘じなければなりません。彼は、結局そのことが自分自身にとって最高の価値を生み出すという歴史が証明している事実を、心して見つめなければならないのです。

 それにしても、高揚しつづける守備意識だけではなく、「組織」がうまく機能しない場合は「個」で打開しちゃうなど、柔軟で実効ある攻めを繰り出していけるレッズは本当に強くなったと思いますよ。監督は「世界チャンピオン」だし、昨シーズンは初タイトルももぎ取ったことで、勝者のメンタリティーも高揚しているに違いないですしね。リーグ優勝?! まあ、視野には入りはじめましたかネ。

 



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