湯浅健二の「J」ワンポイント


2005年Jリーグの各ラウンドレビュー


 

第18節(2005年7月24日、日曜日)

 

前節では空回りしたグランパスのゲーム運びプランが、この試合では見事に噛み合った・・(グランパス対ジュビロ、2-0)

 

レビュー
 
 やっぱりテレビ観戦では、ボールがないところでの駆け引きを明確に体感するのは難いな〜〜。まだ風邪から解放されていない湯浅は、今日もまた、フラフラしながらのテレビ観戦なのです。昨日のエスパルス対レッズ戦では、「テレビの中継テクノロジーレベルも上がったよな・・」なんて思っていたのだけれど、この試合では、うまく観戦イメージが膨らんでこない。観戦イメージの拡大とは、もちろん次のボールの動きに対する予測のこと。要は、パスを呼び込む動きの量と質をうまく把握できないことで、フラストレーションがたまっていたというわけなのです。

 そんなことを考えながら、ハッと気がついた。「そうか・・レッズのサッカーについては、観戦頻度が高いから、うまくアンティシペーション(予測感覚)を機能させられるということか・・」なんてネ。たしかに昨日のテレビ観戦では、レッズの、画面に映っていないゾーンへの展開でも程度はイメージできたものです。逆に、だからこそフラストレーションがたまる(レッズの拙攻に不満がたまる)なんてこともありました。でもこの試合は、普段見慣れていないグランパスとジュビロの対戦だから、攻守にわたるボール絡みプレーとボールなしプレーを「まず」しっかりと観察しなければならないのに、それに対して、テレビカメラのアングルが「狭すぎる」と思っていたわけです。昨日のゲームの方が、カメラが「より引いていた」ように感じたのですがネ・・。

 まあテレビ中継についてはこれくらいにして、ここからは、グランパスが、暑い気候を前提にしたクレバーなゲーム運びで勝利をもぎ取ったゲームについて簡単にレポートすることにします。まず「グランパスが魅せたクレバーなサッカー」という表現のコノテーション(言外に含蓄される意味)について・・。

 前節の新潟戦では、まさに完敗を喫したグランパス。私はそのゲームを、FC東京対マリノス戦が行われた味の素スタジアムのプレスルームで(これまた)テレビ観戦していました。そして感じたものです。「何だ・・グランパスの仕掛けには、相手を驚かし不安に陥れるようなボールなしの動きがまったくない・・パスを呼び込む決定的な動きが少なすぎる・・足許への安全パスばかりが目立つ・・それに対してアルビレックスが展開するサッカーの活きがいいこと・・仕掛けの数では互角でも、そのコンテンツやチャンスの質では、完全にアルビレックスが凌駕している・・」。そしてそんなインプレッション通りの結果(3-0でホームの新潟が勝利!)に落ち着いたというわけです。

 そのゲームのイメージがアタマから離れなかったこともあって、立ち上がりのグランパスのサッカーに、「何だ・・前節からなにも改善されていないぞ・・たしかに中盤でリーダーシップを執る藤田はシンプルにボールを動かそうとしているけれど、周りは笛ふけど踊らずじゃネ〜か・・対するジュビロは、最盛期とは比べられないけれど、チームに浸透した人とボールを活発に動かすイメージでは、グランパスを凌駕しているし、それに見合ったシュートチャンスも演出できている・・これはジュビロが主導するゲーム展開ということになるな・・」なんて思ったものです。ところが、それまでシュートがなかったグランパスが、藤田の一発ロングパスと、中村の「エイヤッ!」のドリブルシュートで先制してしまうのですよ。これだからサッカーは分からない。そして徐々にグランパスのサッカーに、彼らがプランする「明確な意図」が見えはじめるのですよ。とにかく守備ブロックのバランスを崩さずにスペースをコントロールし、相手のパスを効率よくインターセプトして(カウンター気味の)危険な仕掛けを繰り出していく・・。本田からの見事なラストロング縦パスと、それを受けた中村の見事なシュートが結実した彼らの二点目も、まさに「それ」でした。

 その後は、もう完全にグランパスのモノ。それには、ジュビロ福西の負傷退場も大きな要因でした。福西の攻守にわたる実効プレーは、今のジュビロには欠かせない戦術ファクターですからネ。

 それにしても藤田。クライトンと、素晴らしく息のあった縦のポジションチェンジを魅せつづけていました。その絶対的なベースは、何といっても、運動量の高さと限界まで高められた守備意識。彼が魅せる守備参加の実効レベルは、もう尋常ではありません。それがあるからこそ(また彼のシンプルなプレーリズムに対する信頼もあって!)周りも彼を信頼しボールを集めるというわけです。

 そんなお手本がいるにもかかわらず、グランパスの本田圭佑(19歳)という特別な才能に恵まれた若者は、相変わらずノホホンと怠惰なプレー姿勢でした。どういう神経をしているのだろうか・・。前半にはこんなシーンもありました。彼のサイドから攻め上がるジュビロの太田がスペースに入り込んでいるにもかかわらず、チンタラとしたジョギングペースで「アリバイ守備」に入る本田。ズバッという全力ダッシュでの「詰め」さえあれば、太田の次のプレーの精度を落とすことができるのに・・。

 本田は、グランパスの中村の二点目を演出しました。目の覚めるようなラストパス。その他でも、素晴らしいキープ力やドリブル力、目を見張るパスセンスだけではなく、(頻度は少ないにしても)全力パワーで守備に入ったときの素晴らしいボール奪取テクニックなど、まさに磨けば目映いほどの輝きを放つに違いない原石であることは確かな事実です。でも逆に、そんな才能プレーを見せつけられたからこそ、その他の多くの時間で目立つ「無為なチンタラプレー姿勢」に対し、ものすごく腹が立ったというわけです。

 その傾向については、FC東京の梶山陽平(これまた19歳!)も同じ。先日のマリノス戦の後の記者会見では、原監督に対して、「勝ったから質問するけれど、原さんは、梶山の運動量が少なすぎると思っていないのですか?」と、ちょっと怒りを込めて質問しちゃいましたよ。原さんは、「梶山は、ちょっとヒザを痛めていることもある・・」と言葉を濁していたけれど、彼にしても、確実に「そのポイントでの梶山の改善」をイメージしていると思いますよ。

 グランパス監督ネルシーニョも、本田圭佑に対して大いなる期待を抱いているに違いありません。実況のNHK内山俊哉アナウンサーが、事前の緻密な取材で得た情報として、ネルシーニョが本田に対して「もっと存在感を上げろ・・」とハッパをかけていることを披露してくれましたからネ。この存在感を上げるという表現のコノテーション(言外に含蓄される意味)は、もちろん、もっと運動量を上げてボールタッチ回数を増やす・・もっと攻守での勝負所へ絡んでいく頻度を上げる・・もっと頻繁に個の勝負というリスクにチャレンジしていく・・等々のことですよ。

 このことは、もう何度も、何度も繰り返しているけれど、日本ほど、才能が潰れてしまう(才能ある選手が期待されたほど伸びないという)割合が高い国はないと思っているのですよ。要は、まだまだサッカー文化が深化してないということです。だから才能を甘やかしてしまう。サッカー文化が浸透しているフットボールネーションだったら、コーチングスタッフやクラブ関係者、メディアだけではなく、家族や取り巻き、また恋人やパートナーまでもが、ある程度共通した「モティベーション・ニュアンス」を持つようになりますからネ。そんな文化的な環境があるからこそ、才能が道を誤る頻度が低くなるというわけです。

 とにかく、一生懸命に走ったり、必死に闘ったりすることをカッコ悪いなんて考える「斜に構えた才能」ほど不健康な社会的存在はいないと思っている湯浅なのです。もちろん私にとっても、それほど精神衛生上ネガティブな存在はありません。

 ちょっと熱くなり過ぎました。とにかく、あれほどの「才能たち」だからこそ、順調に伸びつづけて欲しいと願って止まない湯浅なのですよ。最後に、世界の一流コーチたちが共通して理解する「コンセプト」をもう一度。才能がチームに入ってきたら、コーチにとってそれは大いなる挑戦である・・。

 今日はまだ風邪でフラフラなんだから、テニオハの間違いや誤字や脱字なんかに目くじら立てないでくださいよネ。

 



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