湯浅健二の「J」ワンポイント


2006年Jリーグの各ラウンドレビュー


 

第22節(2006年9月10日、日曜日)

 

フロンターレ(中村憲剛)、ガンバとセレッソ、そしてレッズをまとめて

 

レビュー
 
 いま、試合開始前の埼玉スタジアムで書きはじめました。昨日(9日の土曜日)は、所用が重なったことでスタジアムへ出向くことは叶わず、帰宅してからのビデオ観戦で我慢せざるを得ませんでした。ホントは横浜と千葉をハシゴするつもりだったのですが・・。ということで、ビデオ観戦したのは、マリノス対フロンターレとガンバ対セレッソ。まず、その試合のインプレッションから簡単に振り返っておくことにします。

 まず何といってもフロンターレ。実が詰め込まれた強さは本物です。まさに堂々たる優勝候補じゃありませんか。監督が交代して雰囲気がポジティブに高揚し、結果も伴っているホームのマリノスを相手に、全体的なサッカー内容で明らかに優っていたのですからね。

 「1-0」とリードを奪ってからは、まさにフロンターレのツボという(カウンター気味の)素早いタテへの突破で「2-0」と突き放すフロンターレ。そこで魅せた、我那覇とジュニーニョのイメージシンクロ・コンビネーションは見事の一言でした。後半39分には、セットプレーから一点差に詰め寄られますが(マリノス河合のヘッド)、その後のタイムアップまでの落ち着いた試合運びに、彼らの本物の進化を実感していた湯浅でした。

 以前の「前後が分断気味のカウンターサッカー」ではなく、縦横無尽のポジションチェンジをベースに、人とボールがよく動く創造的な攻撃を展開するフロンターレ。それでも、次の守備でバランスの崩れることがない。その中心は、言わずと知れた中村憲剛。

 ミッドフィールド前方の汗かきはマギヌン。後方の汗かきは谷口博之。両人ともに、攻守にわたる実効レベル(クリエイティブな無駄走りの積み重ね!)は本当に素晴らしかった。特に若い谷口の進化を頼もしく思っていた湯浅です。そして中村憲剛がその二人のダイナミックなアクションを効果的にカバーしたり、彼らの動きによって発生する守備の「穴」を埋めたりするというわけです。

 それだけではなく、まさに「後方からのゲームメイカー」としての役割も十二分にこなしながら(スルーパスや決定的なロングパスも効果的)、ココゾ!の勝負所では、自ら押し上げてシュートまでいく。チームメイトたちのプレー姿勢からも、彼を捜してボールを集めようとする意志が明確に見えてくるのだから、チーム内での信頼レベルも抜群だと感じます。

 でも、ちょっとここで視点を変える湯浅なのです。このことについては、中村憲剛に対する期待が大きいからこその「経験ベースの心配」と捉えてください。その骨子は、攻守にわたる「実働アクションの全体量」が、ここのところ減少気味だということ。

 それについて、たぶん中村憲剛は、攻守のバランシングに気を遣っているからと言うに違いありません。たしかに、以前とは違い、いまのフロンターレは、ポジショニングバランス・オリエンテッドな守備を展開しています。要は、最終的なマンマーク(ボール奪取勝負)へ移行するまでは、互いのポジショニング(ゾーン)をバランスさせるように、マークを(前後左右に)受けわたしながら、相手の攻撃をコントロールしようとしているということです。

 その守備のやり方では、個々の「守備意識」が、全体パフォーマンスの絶対的ベースになるのは道理。積極的に守備の仕事を探せない、汗かきが出来ないというのでは、全体的なディフェンスの機能性が崩壊してしまうのです。フロンターレの中盤選手は、そんなハイレベルな守備意識を有していると感じます。そしてそのなかで中村憲剛が、攻撃と守備の全体的なバランス(前後の人数的なバランスやポジショニング的なバランスなど)を司っているというわけです。さて・・

 カバーリング、ボール奪取勝負やゲームメイク(ボールコントロール&キープ&パスなど)などの局面プレーは、前述したようにハイレベル。でも、味方が彼にボールを集めようとしていることも含め、どうもボールがないところでのアクションの量が減退気味だと感じるのです。

 守備では・・ポジショニングバランスに気を遣い「過ぎ」ていると感じる・・だから、チェイス&チェックのアクションが物足りないし、ボール奪取勝負を仕掛けていく頻度も低い・・また、ポジショニングバランスを崩してマンマークへ移行することに対する決断も遅い(何度も、彼しかいない状況でタテへ抜け出す相手を行かせてしまうというシーンを目撃)・・等々。

 また攻撃では・・パス&ムーブが少ない・・ボールがないところで前方スペースへ突っ掛けていく姿勢が減退気味・・行ったら素晴らしい実効があることは前述したとおりだし、そんなプレーに対する優れたセンスは誰もが認めるところなのに、足を止めて(後方で)パスを待つ姿勢が目立ち過ぎる・・等々。

 要は、彼が攻守の中心であるからこそ、攻守にわたる、基本的なボールがないところでのアクション・イメージが矮小化しはじめているのかもしれないと「心配」しているわけです。

 谷口博之とマギヌンと話し合うことで、役割のイメージとコンテンツを、もっと「動的にバランス」させることが必要なのではないですかネ。基本的に中村憲剛は、攻守にわたる様々な役割を上手くこなせるタイプの選手なのだからね。その方が、彼ももっともっと発展するでしょう。もちろん、彼本来の十分な運動量をベースにしてね。

 とにかく、そんなふうに、チーム状況的にやらざるを得ない(!?)攻守のバランサーという意識が強くなり過ぎている(!?)中村憲剛のプレーコンテンツを心配しはじめている湯浅なのでした。

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 ちょっと中村憲剛について書きすぎたでしょうか。まあ、彼に対する大きな(大きすぎる!?・・ホントの評価はこれから!)期待の現れだと捉えてください。ということで次はガンバ対セレッソ。この試合では、とにかくセレッソ守備の受け身で消極的な姿勢ばかりが目立っていました。ガンバの攻撃がハイレベルであるにしてもですよ!

 ヨーロッパのコーチは、「足が半歩出なくなっている」なんて表現することがあります。要は、守備が受け身で消極的になっている(確信レベルの減退によるアリバイ守備プレー=心理的な悪魔のサイクル!)ということ。全体的に足が止まり気味になっていたり、ポジショニングやチェイス&チェック、はたまた次のパスに対するインターセプト狙いが甘かったり、ボールばかり見てしまったり、次の相手の仕掛けプレーが見えているのに全力で詰めていかなかったり等、ボール奪取勝負でのパワーの注入度とか粘り度に明らかに問題(心理的な逃げの姿勢!)が見え隠れしていたり・・。

 セレッソは、立ち上がりの時間帯では攻守にわたって活発なサッカーが展開できていました。それなのに、継続できずにプレー姿勢が受け身で消極的になってしまう。もちろんその背景には、ガンバ攻撃の勢いがアップしてきたということもあります。セレッソ選手は、ガンバが仕掛けてくる攻撃の「レベルを超えた危険な雰囲気」を体感したことで、それに対抗するための「勇気」を絞り出すことが出来なくなってしまったということなのかもしれない。まあ、これじゃ強いガンバの相手になりっこありません。

 要は、「半歩」足を出すために、「意志」の部分で大きな課題を抱えていたということです。それは、ギリギリの心理マネージメントなど、プロコーチの本質的なウデが問われるところ。それは、人間の弱さとの対峙ですからね。そこで、様々な刺激を駆使しながら選手たちの意志を高揚させるという作業こそがコーチの醍醐味であり、チームマネージメントにおける本当の意味での「勝負」だということです。

 さて、ガンバ。いまの彼らは本当に充実している。その背景に、質実な補強があったことは言うまでもありません。もちろんマグノ・アウベスがその筆頭だけれど、皆さんも、加地と明神が加入したことによる高い実効に注目しているに違いない。攻守のバランスが、よりダイナミックに取れてきているガンバというわけです。

 実際、中盤から前線へかけての縦横のポジションチェンジも上手く機能するようになっているし、それでも次の守備でバランスの崩れることがない。そう、フロンターレのようにね。やっと優勝争いが本格的なドラマの様相を呈してきた。面白くなってきたじゃありませんか。

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 さて最後は、その優勝争いの一角を担う浦和レッズ。この試合(アルディージャ対レッズ、0-2)で触れたいテーマは二つです。

 一つは、山田暢久、酒井友之、長谷部誠で組んだ中盤センターのトリオ。まあ、基本的には酒井が守備的ハーフというわけだけれど、結局はその酒井の押し上げから先制ゴールが生まれたのだから、彼らのイメージのなかには、攻守にわたる縦横無尽のポジションチェンジイメージがあったに違いありません。明確な「二列目」を設定せず、誰でもチャンスがある者が飛び出していく。それに両サイドもどんどん絡んでいく(中盤とサイドとのタテのポジションチェンジも活発だった!)なかなかのものでした。

 そこでの高い機能性こそが、ギド・ブッフヴァルト監督が推進する、高い守備意識をベースにしたプレッシングサッカーの真骨頂(それについては前回のコラムを参照してください)。この三人のなかでのプレーイメージは、見事に「解放されていた」と感じていた湯浅です。

 この試合では明確な二列目が設定されていなかったという背景ファクター。二列目のフタ(素早いコンビネーションリズムにブレーキをかける選手)がいないことで、レッズ本来のプレッシングサッカーがうまく機能していたと思うのですよ。

 そんな流れのなかで、後半20分に山田と交代してポンテが二列目に入ってくる。久しぶりの仕掛け(リスクチャレンジ)リーダーの登場。それも、いいよね。もちろんトップフォームとはほど遠いポンテだけれど、例によっての積極的な仕掛け姿勢を前面に押し出「そう」としていたからね。逃げの横パスを出すのではなく、ドリブルで突っ掛けていったり、そこを起点に最終勝負のコンビネーションを仕掛けていったり。そんなリスクチャレンジ姿勢こそが、前述したダイナミズムを活性化させるのですよ。もちろん彼は、タテのポジションチェンジの演出家として、長谷部に代表される三列目の飛び出しもしっかりとイメージし、その後のディフェンスもカバーできる「はず」だしね。

 まあこの試合での彼は、そんな本調子のポンテとは別人だったけれどネ。とにかく、早く元のフォームに戻って欲しいと願わずにはいられません。

 二つめのテーマが、残り15分間での「アタフタ」。これは、ちょっと度を越していた。それも、ワシントンに代わって、フレッシュな内舘が守備的ハーフとして入ったにもかかわらずだからね(とにかく彼が、アルディージャの前への勢いを寸断すべく、守備の起点になるべきだった!)。それは、まさに心理的な悪魔のサイクルとしか言いようがありませんでした。

 安易に当たりにいってかわされ、そこに置き去りにされてしまったり、ボールウォッチャーになってしまったり、チェイス&チェックや次のパスレシーバーへのマーキングを効果的に機能させられなかったり、決定的なパスやクロスを送り込まれそうな状況でも十分に間合いを詰めていかなかったり・・。この間、アルディージャは、少なくとも3本の決定的チャンスを作り出しました。

 そんな悪い流れを断ち切るための方策は唯一。全員が参加する「前からのマンマーク守備」です。でも、その時間帯のレッズ選手たちは、自分たちが置かれた状況を、まさに「劣勢誤認」し、足を止めて(冷や汗をかきながら)状況を傍観するという体たらくでした。これは反省しなければならない。もちろん、ココゾの最終勝負シーンでは勇敢に闘っていた選手もいたけれど、全体としては、闘う意志の減退状況は度を越していたとフラストレーションをためていた湯浅だったのですよ。

 それにしても、この時間帯のアルディージャは、攻守わたって素晴らしい組織パフォーマンスを披露しましたよね。こんな地力があるのに、その時間帯までは、それをうまく表現できていなかった。サッカーは「意志のスポーツ」だからね。そこにアルディージャの課題があるということです。試合後の三浦監督が、「アグレッシブにいかなければレッズ相手にはノーチャンスだ」と選手に意識付けしたということだけれど、グラウンド上で闘うのは選手だから・・。

 この時間帯のサッカー内容については、レッズもアルディージャも、ビデオで見返すことで、次のステップの糧にしなければいけません。アルディージャの場合は、自らが秘める組織パフォーマンスの高さを「再」体感するため。そして、三浦監督が言う「アグレッシブ」の意味をもう一度見つめるのです。

 逆にレッズの場合は、自分たちが陥った「心理的な悪魔のサイクル」をしっかりと脳裏に焼き付けなければいけません。もちろんそのときに、頭のなかで「タラレバ」の対抗策を強くイメージしつづけるのです。

 あそこで粘り強くマーキングをつづけてさえいれば・・あんなタイミングで飛び込んでさえいなければ・・あそこで、頑張って、もっと間合いを詰めてさえいれば・・等々。それこそが、次の発展につながる、クレバーにプログラムされたイメージトレーニングであり、脅威を機会として活用するための効果的な学習機会なのです。

 



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