湯浅健二の「J」ワンポイント


1999年J-リーグ・ファーストステージの各ラウンドレビュー


第十三節(1999年5月15日)

レッズvsアントラーズ(1-0)

レビュー

 スタジアムは「真っ赤っか」。試合開始前から、両チームサポーターの応援合戦は、熱を帯びる・・なんて生やさしい表現では追い付かないほど激烈にヒートアップ。満員の観客が詰めかけたのですが(とはいっても超満員ではありませんでしたけれど・・)、この雰囲気だけを体感できるだけでも入場料にオツリがくるというものです。

 真っ赤な国立競技場は、まさに超高性能の「集客装置」といった具合です。

 レッズでは、ザッペッラを除き(出場停止)、西野、ペトロヴィッチ、福田、福永、大柴が、すべてケガで出場できません。対するアントラーズでは、名良橋、マジーニョを除いて(この試合での)ベストメンバー。できれば最初から本山、平瀬などの若手選手を見たかったのですが、そんなチーム内のポジション争いがあることも強いチームの条件ということで、他のチームにとっては羨ましい限り・・?!

 今シーズンのレッズは、本当にケガ人に泣かされています。もちろん、チカラが劣る選手を使わなければならない・・ということを言っているのではありません(チカラが劣る・・なんてことは、ホンモノのチームゲームであるサッカーでは簡単に定義できませんからネ・・)。

 私が言いたいのは、チームを「ユニット」として固めることができない(つまり、その時点での『ベストメンバーの組み合わせ』を維持することができない)ということです。

 サッカーはある意味では、選手たちのアタマの中にある「(攻守に関する)プレー・イメージ」を、いかにうまく「シンクロ(同期・同調)」させるかで、その時点での「チーム力」が決まってしまうボールゲームです(だから選手たちが、アタマの中に確固たるイメージをいだけるチーム戦術が重要!!)。いくら「個人的な能力」が高くても、それがチームにとって常に「プラス」になるというわけではないのです。もちろん、マラドーナだったら別ですけれどネ・・

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 試合がはじまった最初の印象は、「アッ、レッズの選手たちは、自分たち自身が、このメンバーじゃ・・と思っているのかもしれない」というものです。それほど彼らのプレーから、心理状態が不安定だと感じたのです。サッカーは心理ゲーム。はじめから自信・確信なくゲームに入っていくのでは何も生み出すことはできません。

 典型的なのは、攻撃で単独勝負できる状況であるにもかかわらずパスをしてしまうような消極的プレー。また守備でも、「ここにパスがくるに違いない・・」という確信をもって(つまり読みベースで)ポジショニングすることがほとんどないだけではなく、ボールがないところでマークも甘くなっています。特に、最終守備ラインの不安定さが目立って仕方ありません(かなり堅実なコンビだった、西野、ザッペッラの両センターバックを欠くのですから仕方ないのかも・・)。とにかくレッズの守備では、GK、田北の素晴らしいプレーばかりが目立っている・・

 ・・と、そんなことを思っていた序盤の戦いでしたが、それでも、スーパー・サポーターにバックアップされるレッズが、数万人の「スピリチュアル・エネルギー」に後押しされるように、必死に押し返そうとはします。ただ、レッズの両センターフォワード(宮沢と盛田)の出来があまりにも悪く、どうしても攻撃に「思い切りの良さ」が出てきません(27分の、小野から逆サイドのベギリスタインへ回った決定的センタリングは秀逸でしたが・・)。

 対するアントラーズ。やっと本来の調子を取り戻しつつあると感じます。特に攻めでは、面白いようにレッズ守備陣の「ウラ」を取り、決定的なスペースを使ってしまいます。特に35分の、ビスマルクから、タテへ走り込んだ柳沢へ出された「ラスト・スルーパス」は秀逸。ビスマルクの、「糸を引くようなスルーパス」と、柳沢の、素晴らしいタイミングとスピードの「ラスト・フリーランニング」。もう、鳥肌が立ってしまいましたヨ。

 それでもゴールを割ることができないアントラーズ。これはもしかしたら、「サッカーの神様が演出するドラマが・・」なんてことを期待しはじめてしまうようなゲーム展開になってきたじゃありませんか・・。

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 後半も、前半と同じような展開。決定的チャンスは何度も作り出すけれど、GK、田北の好守にゴールを奪えないアントラーズ。対するレッズの攻撃は、まだまだカッタルイ。ハッ、とさせられるような、アントラーズ守備陣のウラを突くプレーがまったく出てきません。

 それでも、盛田と交代した桜井が入ってからは、運動量と積極性にあふれた彼を中心に、ちょっとは攻撃にダイナミズムが出てきます。

 ところで、そんな「ドライビング・フォース(チームを引っ張る選手)」は、本来は小野がやるべき役割ではなかったのでしょうか。年齢なんて関係ありません。小野には、選手としての抜群の能力がありますし、チームメートも信頼しているではありませんか。

 その小野ですが、基本的な運動量が足りないことで、相手が「危険だ!」と感じるダイナミズムが、まったく見えてきません。攻撃では、もっと動いて、もっともっとボールに触るように心がけるべきです。「だって、パスが来ないんだから・・」なんていうのは、次元の低い言い訳。ツボにはまった動き方さえすれば(クリエイティブな『無駄走り』さえしっかりとやっていれば)自然とボールが集まってくるものです。

 観客や、テレビを観ている人々には分かっています。「あまり走らないし、何か彼のプレーには物足りない・・どこかケガでもしているんだろうか・・」ってネ(右足が痛いことは分かっていますが、それでも運動量が少ないのは、それとは関係のない基本的な問題なのだ!!)。

 彼の才能は、ボールに触らなければ発揮されないんだし、(彼の持っている天賦の才からすれば)とにかく「オレを中心にゲームを回してやる・・」くらいの姿勢がアタリマエです。また守備でも、あまりにも「アリバイ・プレー」が目立ち過ぎます。ホント、彼のことが心配になってきました・・

 小野については、次の「2002」のコラムで取りあげることにします。

 「小野伸二へのメッセージ・・その3」というタイトルで・・。このままだったら、本当に「才能の墓場へ」ってなことになりかねない。とにかく、希有な才能に恵まれた彼は、着実に「世界」へ近づくステップを踏み続けていなければならないし、それが日本サッカーの今後にとっても非常に重要なことなんですから・・。もうこれ以上、「才能をつぶす」ようなことがあってはなりません。

 ただ18分、その小野が、スーパー・フリーキックを決めてしまいます。サッカーってそんなもんですよね。それまで、(チーム全体にとって)まったく目立った活躍ができていなかった小野が、一発でヒーローになってしまったりするような・・ネ。

 この一発(また何度かのスーパーフリーキックやドリブルなど)があったことで、彼のプレーに対する「正統なネガティブ評価」が為されないようでは、もう日本のサッカーのお先は・・。

 サッカーネーションでは、「数字的な結果」とは関係なく、純粋に「プレー内容」が評価されます。ジャーナリストも、それに対する強い責任感と勇気をもっています。それは「歴史に支えられた姿勢」といえるのかもしれません。

 ただ「ゲームの勝敗」については、前半最後のコメントでも書きましたが、このような試合展開はよくあることですから・・。それを「神様の悪戯」とか、必然と偶然が交錯する、歓喜と悲劇のドラマ・・なんていったりするんですよ。

 劣勢をはねかえすガンバリで、久しぶりに勝利をおさめたレッズ。

 「やったネ。オメデトウ。これをキッカケに、細かなことに悩まず、以前のダイナミックなレッズにもどってくれよ・・。積極的にプレーしてさえいれば、自然と活路が開けてくるもの・・。それに諸君には、あの素晴らしいサポーターがついているんだから・・」



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