湯浅健二の「J」ワンポイント


1999年J-リーグ・ファーストステージの各ラウンドレビュー


第七節(1999年4月17日)

レッズvsパープルサンガ(0-1)

レビュー

 いつもは、ワープロ2〜3ページは、試合メモがたまり、コラムにまとめるのに苦労するのですが、この試合では、一ページにも満たない程度のメモしか残っていません。それほど見所の少ないゲームだったのかな・・。

 試合開始5分の、CKからのサンガの先制ゴールは仕方がありません。そこからしっかりと立て直さなければならなかったのに・・。この試合のレッズの攻撃からは、ゴールシーンを演出できるような迫力をまるで感じません。前半の10分を見たところで、「これは、後半のパワープレーで『偶然性の高いゴール』が決まるかどうかっていうところなんじゃないかな・・」と感じたモノです。

 レッズには、中盤の核、ペトロヴィッチと小野がいません。もちろん、そのこともあったのでしょうが、それでも、攻めに「決定的なウラのスペースを狙う・・」という発想(リスクチャレンジ・トライ)がまったく感じられないのはどうしたことでしょうか。それは「攻撃の基本的なイメージ」ですからね。それは、トライしたけれども結局成功しなかった・・というのとはまったく違う次元のハナシです。

 サンガの攻めからも、「決定的なウラ狙いの姿勢」を感じることはなかったのですが、そのこともあって、この試合は、私にとって本当に退屈なものになってしまいました。

 「ウラ狙い」の典型的なカタチは、中盤の高い位置でフリーでボールをもつ選手が出てきた瞬間です(フリーで、ダイレクトパスを出せるタイミングも含む)。その選手のことを「決定的な攻撃の起点」と呼んだりするのですが、そこでまず狙わなければならないのは、相手ゴール前の決定的スペースへのスルーパス(決定的なラストパス)。少なくとも、トライする姿勢の見えることが重要です(それがあってはじめて相手の警戒心を誘い、相手守備組織のバランスを崩すキッカケを得ることができるのです)。もちろんタイミングが合わなければ、そこから勝負ドリブルを仕掛けたり、再び展開したりと選択肢は無限です。

 でも、この両チームの攻撃からは、「ウラ狙いチャンスの状況」が何度も訪れたにもかかわらず、結局「勝負トライの姿勢」がほとんど見えてきませんでした。トライする姿勢さえも見えてこない・・これは問題です。

 決定的なウラ狙い・・それは、パスの出し手と受け手との「イメージ・シンクロ(イメージ同期)」がベースになったコンビネーションプレーです。パスを出す選手に、決定的パスの発想がないのは問題ですが、同様に、受け手が(ウラスペース狙いの発想がないことで)スタートしないことも問題です。このコンビネーションを成功させるための要素には、「パスを呼び込む動き」も含まれているのですからね。

 この決定的なウラ狙いですが、中盤の高い位置での「起点」からだけではなく、しっかりとしたトレーニングさえ積めば、最終守備ラインから決定的な「ロング・ラストパス」を狙うことだって可能です。

 要は、パスの出し手と、最前線の選手(二列目からの飛び出しも含む)に、ウラ狙いの発想があるかどうか、彼らのイメージが(タイミング的に)シンクロしているかどうかで全てが決まってしまうということです。そして私には、この両チームの選手たちの「次のプレー」に対するイメージがシンクロしているとはとても感じられなかったというわけです・・。

 確かにレッズの福田は、最初のころはタテへの走り抜けを狙ってはいましたが、それも数回止まり。パスが出る雰囲気がまったくないものですから、それ以降は、もっぱら戻り気味にフリーランニングし、「足元」でパスを受けて再び展開する・・というプレーに終始していました。こんなに手数をかけていては・・

 この「イメージ・シンクロ・レベル」は、トレーニングで意識しなければ決して高まることはありません。コーチが、何らかの強烈な「心理・精神的な刺激」を与えながら、選手たちのイメージを統一させるよう努力するのです。ということで、「トライする雰囲気」もまったくないとなれば、やはりコーチの責任が問われる・・?!

 ジュビロ、アントラーズ、エスパルス、そして最近のヴェルディーなどのトップクラスチームは、必ず一試合に何本かは(安定して)「イメージ・シンクロ・プレー」を成功させるものです。たとえ、ゴールチャンスが生まれなかったとしても、それが、サッカーにおいて最も魅力的なプレーの一つであることは確かなことですし、そんな「トライ」のみが、観ている方に、「次のトライ」に対する期待を抱かせることができるのです。

 本来のレッズならば、そんなチャレンジ姿勢を、一試合に何度も見せてくれるモノなのですが・・。この試合は調子が悪く、心理的な悪魔のサイクルに陥ってしまったということなのでしょう。ほんのチョットしたことで、「共有イメージ」の歯車が大きく狂ってしまう・・。それもサッカーが「ホンモノの心理ゲーム」であることの証明といったところです。まあこんなこともあります。次に期待しましょう。



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