湯浅健二の「J」ワンポイント


1999年J-リーグ・セカンドステージの各ラウンドレビュー


第十一節(1999年10月30日)

ヴェルディーvsジュビロ(1−0)

レビュー

 両チームともに、優勝戦線、降格戦線に関係なし・・。「勝負」に対するモティベーションを極限まで高めにくい状況の両チームというわけです。

 それでも彼らはプロフェッショナル。彼らには常に、「日本のサッカー文化を発展、深化させる・・」、「サッカーをプロモートする・・」ことに強い責任感をもって試合に臨まなければならない立場にあります。もし彼らが、やる気のないプレーに終始するならば、「プロの資格なし」と断罪されても仕方ありません。

 私の、この試合を観戦する第一の興味は、そこにあります。両チームの監督が、(試合の意味からすれば)「消化ゲーム」に対し、選手たちの「意識」をどのくらい高めることができるかっていうことに対してネ・・

 ただ結局は、私の希望が叶えられることはありませんでした。足が止まった、締まりのない「フレンドリーマッチ(ちょっと言い過ぎ?!)」になってしまったのです。最後の10分間を除いて・・

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 私は、友人のアメリカ人スポーツジャーナリストと一緒にこの試合を見ているのですが、彼が面白いコメントをしました。それは、「何で、パスレシーバー(アメリカンフットボール的表現?!)が走らないんだい?? スペースはあるのに・・。足でボールを扱うから、うまく周りが見られないのかナ・・。だから、パスのターゲットスペースを確認できないのかナ・・・??」

 「いやいや、違うんだよ、それは意識の問題なんだ。彼らはサッカーのプロだから、ボールを持っていても、かなりのレベルで周りを見ることができるんだ。周りが走らないのは、意識が低い・・、もっといえば、次のプレーに対するイメージを持っていない・・考えていない・・っていうことなんだヨ・・」

 彼の鋭い指摘に、こちらもリキを入れてコメントしちゃったりして・・。とにかく、彼のコメント通りの、足がとまり、「仕掛け(リスク・チャレンジ)」がほとんど出てこない試合展開です。

 とっ・・・そんなことを話していた17分、ヴェルディーが、ジュビロ守備陣の一瞬のスキを突いて先制ゴールを決めてしまいます。

 ボール周辺の動きがほとんど出てこないカッタルい展開ですが、局面的にはエキサイティングシーンはあります。そんな数少ないシーンがゴールに結びついてしまったのです。

 右サイドで、足が速いエンリケがパスを受け(パスが出てから走ったから、とても意図的フリーランニングなんて言えませんけれどネ)、中央へ鋭いセンタリングを送り込みます。

 そのセンタリングは、完全に「アバウト」。ジュビロゴール前の決定的スペース狙いを意図したものではなかったのですが、それでも、中央にいた桜井が「絶妙の走り込み」を魅せ、最後はジュビロ守備選手の「鼻先」でダイレクトシュートを放ったのです。それは、桜井の、「ボールがないところでの個人技」が生んだゴールでした。

 その後、(追い付かなければならない)ジュビロの攻めに活気が出てきます。それでも全体的な雰囲気は、まだまだ「消化ゲーム」。中山と高原の「ボールがないところでのアクティブな意図」だけが「まだ少しは」目立っている(結果にはつながりませんが、彼らの意図のあるフリーランニングを見ているだけで楽しくなる?!)・・といった具合です。

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 後半11分、エンリケとアジウソンが、暴力行為で退場させられます。それが、両チームにとっての「目覚まし時計」になるか・・。カッタルい試合。そんな沈滞した雰囲気をぶち破るためには、何らかの「刺激」が必要ですからネ・・

 両チームの選手たちは、完全に「周り(敵、味方の選手たち)」の雰囲気に「合わせた(呑み込まれた?!)」プレーに終始してしまっています。誰も「仕掛け」にいかず、攻撃では、安全な横パス、ショートパスを回すだけ、守備でも、アグレッシブな「読みベース」のインターセプトにトライする者もほとんど出てこない・・。

 こんな雰囲気だからこそ、何らかの「強烈な刺激」が必要・・そう思っていた矢先に出てきた退場劇だったというわけです。そして私は、チョット期待したんですが・・

 守備の重鎮、アジウソンを失ったジュビロの方は、チーム戦術的な変更が必要になります。対するヴェルディーは、退場したエンリケのポジションをそのままにしておけばいい・・

 案の定ジュビロは、期待されながら、結局は中盤でのダイナミズムを演出できていなかった奥に代え、センターバックの前田を投入しました。そして、高原を少し下げて、中山のワントップに・・

 その後何度か、ジュビロの三浦文丈、福西が、後方から爆発的なオーバーラップを魅せて、高原や中山までも「追い越して」いったシーンがありました。膠着した展開の場合、そんな「相手守備の虚を突くような」押し上げが大きな効果を発揮するもの・・。ただジュビロは、そんなチャンスをまったく活用することが出来ません。ボールホルダーが、三浦の爆発フリーランニングをまったく見ていないのです。これでは、「イメージがない(チーム戦術がない)・・」と誹られても仕方ない?! 何度「ア〜〜〜ッ!!」なんていう落胆の声が出たことか・・。

 ただ徐々に試合ペースはジュビロ側に流れていきます。時折見せるヴェルディーのカウンターにも実効性が感じられない・・

 それでも、藤田を後方に下げ、福西を上げたジュビロの攻めは、数日前に行われたレイソル戦同様に、相手の「ウラスペース」を突くことができない・・、ウラスペースを突けるような雰囲気さえ出てこない・・

 高原、中山の「決定的スペースへのフリーランニングスタート」もどんどんと低調になっていきます。また最前線でボールをもった高原、中山、福西は、単独でドリブル突破したり、(タメなど)起点になって「次のチャンスにつなげる」プレーもできません。そして最後は、「アバウトな放り込み」だけ・・これでは・・

 ただ、試合最後の10分間だけは別物サッカーでした。ジュビロに勝負へのこだわりが出てきたことで、やっと彼らの、「何かからフッ切れた」怒濤の攻撃が始まったのです(当然ヴェルディーは必死に、必死に守ります)。やっとゲームが「サッカーらしく」なってきた・・

 本当にやっと「チーム全体に、前へ・・」という姿勢が見えはじめたジュビロ。それまで、まったく「単発」だった攻撃に、後方から多くの選手が参加してくることで「本物の厚み」が出てきたのです。でも・・でも・・時既に遅し・・

 何故、もっと早い段階からこのようなサッカーが出来なかった(積極的な姿勢が出てこなかった)のだろうか・・。ヴェルディーの「試合内容」も含め、両チームの、「戦術的・心理的・精神的」な要素の「統一レベル(選手たちのモティベーションレベルも含む)」に大いなる疑問を持った湯浅でした。




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