The 対談


対談シリーズ(最終回)・・記念すべきファーストゲストの浅野哲也さんと、アルセーヌ・ベンゲルのチームマネージメントを探る(その四)・・(2003年12月2日、火曜日)

前回のコラムで書き忘れたのですが、浅野さんは、ベンゲルのマネージメントにおける特筆ポイントとして、こんなことにも触れていました。

 「とにかくベンゲルは、本当にしっかりと選手たちを見ていましたよ。その観察力に対する信頼があったからこそ、一度先発から外されても、しっかりとプレーしていれば、また先発メンバーに戻れるという確信を持てたというわけです・・」

 なるほど、そこなんだな、優れた仕事のキーポイントは。もちろん「すべて」を正確に把握するなんてことは不可能だけれど、それでも大事なところはしっかりと観察して評価し、確実に記憶する・・そしてケイスバイケースで、選手たちに「オレは分かっているよ・・」と体感させる・・。それもまた、選手たちの信頼を勝ち取るための決定的なファクターになるということです。

 ドイツサッカー史に残る伝説のスーパーコーチ、故ヘネス・ヴァイスヴァイラー。彼がケルンを離れることになったとき、主力選手たちが、異口同音にこんなことを言って彼との離別を惜しんだものです。「ヘネス(ヴァイスヴァイラー)の後に誰が来るにせよ、あれほど細かいところまで気が付き、正しい判断と効果的な対処ができる監督はいるはずがないよ・・」。

 様々な事象を深く突き詰める作業(=哲学をすること!)を積み重ねることによって培われる観察眼と理解&応用キャパシティー・・。私は「それ」を、監督の優れたパーソナリティーという言葉に集約させて使っているわけですが、もっとふさわしい表現を見出したらまたディスカッションを展開することにします。

 とにかく当時のグランパス選手たちが、「あのオッサンは、オレたちのことをしっかりと観察している・・」と明確に感じていたのは確かなことのようで、それも、グランパス成功のベースになっていたということです。

 「最初の頃ベンゲルは、自分の発言内容に非常に気を遣っていたと感じていました。決して怒鳴ったりせずに・・まあケースバイケースだから、必要なときは・・とはいっても日常のトレーニングでは、あくまでも冷静に対処していましたよ」。浅野さんがそこまでしゃべったところで、こんな質問をぶつけてみました。「日常のトレーニングで、ベンゲルが選手たちに何らかの不満を抱いているということを体感したことはありますか?」。それに対し浅野さんは、間髪を入れずに、こう答えたものです。「もちろんありましたよ・・でもそれは後になってからで、最初の段階では、あくまでも冷静に我々のことを観察することに徹していたと思います。でも最初の頃は、彼が戸惑っていたのは感じましたね。なんだ、こんなことも出来ないのか・・ってネ。でも、すぐに練習レベルを落として対処しましたよ。あくまでも冷静にネ(笑)。逆に、彼が要求することが出来るようになってきてからは、要求

レベルをどんどん引き上げつづけるんです。もちろん段階的にですが、そこで我々は、ベンゲルが決して安易に妥協するタイプじゃないって実感させられたというわけです。だからこそ頼り甲斐があったし、やり甲斐もあった・・」。

 「ベンゲルは、そんなプロセスを通して、しっかりと選手たちを観察しつづけた?」

 「そうです、選手たちの能力やタイプだけではなく、性格までもネ。彼は、日本人の性質が欧米の選手たちとかなり違うということも着実に把握していったようです。後になって、日本人は答えを求めてくるけれど、ヨーロッパの選手たちは自ら探すのが普通なんだぞ・・なんて言ったことがありましたよ。なるほど、この人は冷静に日本人を観察している・・だからオレたちをうまくコントロールできるんだな・・なんて思ったものです」

 「もちろん観察眼は、選手たちの態度にも向けられていたんでしょう? たとえばトレーニングでの気が抜けプレーとか・・」。この質問は、ベンゲルが就任した当初ではなく、チーム作りがかなり進んだ段階を前提にしたものです。

 「もちろん・・もちろんです。緊張感をアップさせなければならないときは、それまでとはガラッと違う、厳しい態度になりました。気の抜けたプレーに対しては、あくまでも冷静に、ゴー・トゥー・シャワー!!なんてこともありましたしネ。また試合中に、集中を欠いたミスをしたときなんかは、アイル・キルユー!!なんて叫ぶこともありましたよ。でも、そんな彼の反応には、選手たちが納得できる明確な背景があったし、日常の彼の姿勢に対する我々の信頼もありましたから、良い意味で、緊張感が高まったものです。また選手が日常生活のルールを破ったときでも、チームが納得する罰を与えましたしね。とにかく、彼の冷静な観察力とメリハリが効いた言動にはシャッポを脱いでいました。あっと・・、観察眼といえば、選手たちの能力を的確に把握して、それぞれに合ったポジションや役割を与えるのも的確だったな〜〜。まあその一番成功した例が岡山だったというわけですが・・」

 「ところで、いま浅野さんが言った日常生活でのルール破りって、例えば合宿中での門限破りとか、禁止されているアルコールを飲んだとか・・そんなことでしょう? 一体どんな選手がルールを破ったんですか? まあ多分チームの主力級のヤツらでしょう? 例えば・・・・とか。そんなキープレイヤーに対して、分かりやすい罰を与えることでチームの緊張感を高めていったということでしょう? まあベンゲルのことだから、チームの心理マネージメントにヤツらの素行の悪さをうまく活用したっちゅうことでしょうけれどね・・」。そんな私の質問に対しても、浅野さんはあくまでも冷静。「いや、具体的な名前までは・・。まあ、たしかに主力級のヤツらもいましたよネ。だからこそ、明確な罰を与えることでチームのモラルがアップしたと思っています」。

 ベンゲルのチームマネージメントを語るときの浅野さんの言葉の端はしに、懐かしさとベンゲルに対する敬意を感じたモノです。やはり浅野さんにとってベンゲルと過ごした日々は、様々な意味で彼自身のアイデンティティーになっているんだな・・。

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 ちょいと導入部が長くなってしまいました。さてここからは、この対談シリーズ最後のテーマである、フラットライン守備システムの導入プロセスを、より詳しく探っていくことにしましょう。フラットライン「ボックス」守備システムこそが、アルセーヌ・ベンゲルが為した最大の功績でした。

 「・・ということで浅野さん、ここからは、ベンゲルが、どのようなプロセスでフラットライン守備システムを導入していったのかというテーマに入ることにしましょう。ところでベンゲルは、ミーティングなどで、例えばホワイトボードを使ってフラットライン守備のやり方を説明したことはありますか?」

 「いや、それはほとんどありませんでした。彼は、とにかく現場主義でしたからネ。トレーニングの場で理解を深めていくというのが彼のやり方だったんですよ。もちろん最初は、互いのポジショニングバランスや間合いの取り方、ボールを中心に勝負所(ボール奪取の狙い所)をさぐりつづけるという基本的なやり方を説明しますよね。そして、8人がボックス陣形を組んだ状態で、ボールの動きに合わせてユニットとして移動するなんていう練習からはじめて、徐々に実戦の状況に近づけていったというわけです。特にボックスを維持するというトレーニングは繰り返し何度もやりました。そのプロセスで、互いの間合いの維持の仕方、一人がボールのチェックへ行ったときにどのように動くのか等々、コンビネーションアクションについての理解が深まっていったと思います」

 ボックス守備における基本的な発想は、ポジショニングバランス・オリエンテッド守備と同じです。まあ、もう何度も書いたとおりですが、相手の「ボール状態」に合わせ・・つまり、相手のボールキープ状況と味方のチェック状況に応じて、次のボール奪取を狙いつづけるというわけです(次のボールの動きを読んだ集中=インターセプトや協力プレス、はたまた相手トラップの瞬間を狙ったアタック等々!)。そこで、各選手たちの守備でのイメージ描写能力が問われるのは言うまでもありません。

 浅野さんによれば、ベンゲルは、基本的な説明から先の実戦的な部分については、選手たち同士の調整にまかせる傾向が強かったと言っていました。まあ、そういうことなんでしょう。大仰に「フラットラインシステムの導入プロセスを探る・・」なんていうタイトルにしましたが、そのもっとも重要なシークレットポイントは、何といっても、選手たち自身に「考えさせること・・」なのですよ。

 何せフラットライン守備システム自体は、マンマーク主体のディフェンスと違い、守備側のアクションの方が主体になるディフェンスのやり方ですからネ。基本的には受け身にならざるを得ない守備を、限りなく「能動的なもの」にしたという意味で、フラットライン守備システム(ポジショニングバランス・オリエンテッド守備システム)という発想は、まさに画期的・革新的なものなのです。

 「さて選手たちは、互いのポジショニングバランスと相手ボールホルダーへのチェックをベースに次のパスコースを狙い、最後の瞬間にラインをブレイクして協力プレスを仕掛けていくという基本的なディフェンスプレーの流れはある程度マスターしたわけですが、それ以上の細かな部分は、自分たち自身で調整していたということなのですね・・?」

 「そうです。まあそんなプロセスも、ヴェルサイユ合宿のときに確立したということですかね。とにかく合宿はハードでしたよ。最初は、コーディネーションやアジリティーなどだけではなく、特に、細かなポジショニングに対する要求が厳しかったんです。選手たちも、サントリーシリーズ前期はまったく結果が出ていなかったから、ボールホルダーへのチェックの入り方や、相手パスレシーバーの泳がせ方、またアタック直前の間合いの空け方など、とにかくボックスディフェンスを機能させようと必死でしたから、そんな厳しさも気になりませんでしたよね。何せ、良くなっているという実感がありましたから・・。そんなプロセスのなかで、徐々に仲間同士で声を掛け合うようにもなっていったんです。そんなポジティブな変化がものすごく大きかったということです」

 なるほど・・。要は、ベンゲルからの細かな実戦的要求をこなしているうちに、自分たち自身で「工夫」できるようになっていったということでしょう。何せ「ボックス」の場合は、ポジショニングバランスという「武器」をもって、能動的なディフェンス(ボックスの網を張りめぐらせる攻撃的ディフェンス!)を仕掛けていくわけですからね。そこで、もし一人でも集中していなかったら、すぐにでも「有機連鎖ディフェンス」が破綻してしまう。まさに、全員の「集中力=考えつづけるチカラ」が要求されつづける守備システムだということです。そして、考えつづけるからこそ、互いの指示(声の掛け合い=責任感の高揚!)もより活発になっていく。まさに、自分たち主体のクリエイティブ守備というわけです。だからこそグランパスのボックス守備は、魅力的で美しく、かつ実効レベルも高かった。フムフム・・。

 そこでは、やっている選手たち自身が、そのシステムをもっとも深く楽しんでいたに違いありません。自分たちのアイデアや工夫によって機能性を格段にアップさせ、結果も残せるのですからね。やはり、自分たち主体で楽しむことができてはじめてチームが発展するためのベースが出来上がってくるということです。

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 「ところで・・やはり守備ボックスのリーダーはトーレスだったんですか? 彼は、ベンゲル自身がブラジルまで行って連れてきたんでしたよネ??」

 「そうです。最初ベンゲルは、(確か・・)リカルド・ゴメスとか、トーレスとは別の選手を見に行ったんだそうです。でもベンゲルが気に入ったのはトーレスだった。まあ、ベンゲルの観察眼が優れていることは、その後のトーレスのパフォーマンスを見れば明らかですよね。もちろん最初の頃は、言葉の壁があってコミュニケーションで苦労しました。まあそれも、サントリー前期で結果が出なかったことの一つの要因だったのかもしれませんが、徐々にトーレスも慣れてきてチカラを発揮できるようになっていきました。大岩とのセンターバックコンビネーションも良くなってきましたしね。そこでも、ヴェルサイユ合宿が大きな役割を果たしましたよ。そしてトーレスのリーダーシップが機能するようになっていったというわけです」

 「なるほど、でもやっぱり最後は、ボールがないところで走り込む相手のマーキングが一番難しいテーマになったでしょう? 特に二列目から爆発ダッシュで走り上がるヤツを、誰がどのようにマークするのかというテーマが・・」

 「おっしゃるとおりです。相手のボールホルダーへうまくプレッシャーをかけることが出来たら、ほとんどのケースで、次のパスレシーバーのところで潰せていました。でも、素早くパスをまわされて起点(ある程度フリーでボールを持つ相手)を作られたら対応は難しくなりますよね。特に、そんな状況で後方からタテへ抜け出してくる相手への対応は、本当に難しいテーマですよね」

 「そんなとき、二列目からタテへダッシュする選手は、浅野さんなど、中盤ラインの誰かが最後までマークしつづけなければいけませんよネ。タテに全力で走り抜ける相手のマークを最終ラインに任せるのは難しいから。とにかくタテのマークの受けわたしほど難しいプレーはありませんからネ・・」。これはフラットライン守備システムを語るうえで骨格になるテーマの一つだから、もう一度質問をくり返していた湯浅だったのです。

 「そうですね・・。でもネ、トーレスが、オレに任せろ!っていうケースが多かったんですよ。彼は、最終ラインの前にスペースができることを極端にいやがっていましたから。だから、タテに走り上がる相手は、オレがケアーするから行かせていい・・オマエは守備的ハーフのポジションを埋めていろ・・っていうんですよ。実際、ほとんどのケースでうまく対応できていましたからね」

 「それでも、ケースバスケースでは、トーレスへマークを受けたわたすのが不可能だっていうケースも出てくるでしょう・・」。ここはしつこく聞き返すことで、浅野さんに当時のことを正確に思い出してもらわなければいけません。何せ、このポイント(ボールがないところでタテに走り抜ける相手のマークというテーマ!)こそが、もっとも大事なディスカッションオブジェクト(議論の対象)ですからネ。

 「そうですネ・・。たしかにケースバイケースで、最後まで私がマークしつづける場合もありましたよネ。そんなときは、もちろんトーレスたちの最終ラインを追い越していくわけですが・・。そうか・・そこですよ。とにかく、誰かの指示じゃなく、互いにコミュニケーションを取りながらも、最後は自分たち自身の判断で、責任をもって行動できるようになったということがポイントなんだ。だから、難しいボックス守備をしっかりと機能させられるようになった。そしてそれが、サントリー後期の大躍進につながったということなんですよ。自分たちのイメージ通りのディフェンスができていたから、サントリー後期は、本当に心からサッカーを楽しむことができましたしね・・」

 チームの基本的な決まり事(攻守のチーム戦術)を遵守しながら、勝負所では、自分たち主体で積極的に勝負を仕掛けていく・・そしてそれがうまく機能しつづけ、結果にもつながっていく・・楽しいはずだ。

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 「ところで・・これはテレビ中継で見たシーンなんだけれど、右サイドバックの飯島寿久がね、その大外を回って決定的スペースへ飛び出していく相手についてゆかず(マークを放し、その相手をタテのスペースへ抜け出される!)、自分は最終ラインに合わせてピタッと止まったその瞬間、ギュッと目をつぶったですよ。まあ、エイヤッていう心境だったんだろうけれど、とにかくそれは、ものすごく興味深いシーンだったんですよ。なるほど、最終勝負のラインコントロールは、難しいし勇気が要るんだよな・・ってネ。浅野さんたちは、オフサイドトラップなんてやっていなかったんだよネ??」。ここでいう最終勝負のラインコントロールの意味については、(しつこいですが)以前、フラットライン守備システムについて発表した長〜いコラムを参照してください。

 そんな私の質問に対し、浅野さんは一言、「おっしゃるとおりです。私たちはオフサイドトラップは、まったくやっていませんでした」。そして飯島について、こんな言葉をつづけました。「飯島のプレーで、そんなシーンがあったんですか? なるほどね・・たしかにあのシステムを徹底的に実践するのには、アタマだけじゃなく、勇気も要りましたよネ・・」。

 グランパスは、オフサイドトラップを仕掛けるのではなく、最終勝負のラインコントロールで相手の仕掛けを制御していたということです。一般的には、あの当時のグランパスが取ったオフサイドの数が、二位チームのそれを大きく引き離していたから、彼らがオフサイドのワナを仕掛けていたと考えられていたようですがネ・・。もちろん最終勝負のラインコントロールをうまく機能させるためには、飯島の「エイヤッのストップ」に代表されるような、最高の集中プレーが要求されます。まあそれも、選手たちにとっては大いなるモティベーションだったということです。それにしても、飯島のストッププレーは印象的だった。それこそが、私にとって、「グランパスボックス」を象徴するシーンだったというわけです。

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 基本的には受け身にならざるを得ないディフェンスを、限りなく能動的で攻撃的なものへと発展させるフラットライン守備システム。それを、強烈なインパクトとともに最初に日本に紹介したアルセーヌ・ベンゲル。彼の功績は計り知れません。

 その功績のコンテンツを、できる限り詳しく分析し、再現しようとした今回のチャレンジですが、やはり、文章だけで表現するのは難しい。まあ、詳しい図版や動画なども駆使すれば、戦術的な分析までは何とか・・とは思うのですが、でも、心理マネージメントとしてのベンゲルの正確な言動や表情などを再現することはまず不可能ですしネ。そこは、浅野さんとの会話を深めていくことで、想像力を発揮するしかない。まあ私も、友人を通じてヨーロッパのプロ現場を何度も体感しているから、想像力だけには自信あるのですがネ。とにかく機会があれば、表情も含むベンゲルの心理マネージメントにも迫ってみたいと思っている湯浅なのです。

 最後に、「対談シリーズ」の記念すべきファーストゲストとして時間を割いていただいた浅野哲也さんに心からの謝意を述べて、今回のシリーズを完結することにします。さて次のシリーズは誰との対談にしましょうか。じっくりと構想を練り、相手方とも交渉をしたうえで公表しますので・・。

(了)




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