The 対談


対談シリーズ(第五回目)・・今回は、ドイツ著名ジャーナリスト、グレゴール・デリックス氏との対談です・・(2005年1月16日、日曜日)

どうも皆さん、ご無沙汰してしまいました。プライベートも含め、アメリカ経由でヨーロッパに到着したのが一昨日。すでに何人かのサッカー関係者と情報&意見交換に励んだわけですが、そのなかで、昨年12月にドイツ代表とともに来日し、そこで知り合った著名フリーランスジャーナリスト、グレゴール・デリックス氏との話が面白かったので、「The対談」の一つとして紹介しておくことにしました(=湯浅データベースへの収録)。

 グレゴール・デリックス氏(以下グレゴール)は、1984年に、私の母校でもあるケルン体育大学を卒業しました。専門課程はサッカーでしたが、ケルン総合大学でジャーナリズムも専攻していたことで、卒論ではスポーツジャーナリスト育成の課題という視点で論文を発表したとのこと。

 「ドイツには、特にスポーツ関連のジャーナリストを育てるための体系的なシステムはないに等しいんだよ・・」。そう言うグレゴールに対し、「でもさ、ジャーナリストの質って、突き詰めたら、個人のインテリジェンスやパーソナリティーとか定量的に測りにくい要素で決まってくるじゃないか。また最後は、その個人の人間性が決め手になるしね。そんな要素を後天的に教え込むなんていうことは本当に可能なのかな・・」と突っ込みを入れてみる私。

 「もちろん、それはそうだよ。ただ、記事を書くときのベースになる情報の獲得の仕方や選別の仕方とか、基盤になるモラルや社会メカニズムに関する知識とか、体系的に学ばなければならないことは多いよな。もちろん最後は、事実情報を、自分なりの知識とインテリジェンスをもって、いかに正確に、深くプロセス処理できるかという能力にかかってくるわけだけれどね・・」。

 そんな感じで会話がスタートしたわけですが、どうも取っかかりのテーマが重すぎたかもしれない・・。その後も、スポーツと、それを支えるスポーツジャーナリズムの社会的ミッションや価値とか、原稿については、文章的な手練手管を駆使しても最後は「内容」だけが評価の対象になるとか、なかなか深いディスカッションに入り込んでしまったことでかなり消耗してしまった二人だったのです。もちろん結論めいたコトなんて二人とも求めていなかったけれど、ジャーナリズムの質は、最後は個人の資質と人間性が決定的なファクターだよネ・・とか、その資質に欠ける者が大きなメディアでコンテンツを操作している場合は問題だ・・とか、現象を「俯瞰して観察する能力」も非常に大事になる・・とか、かなりの部分で意見が一致したものでした。フ〜〜ッ・・。

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 そんなディベートのなかでもっとも面白かったのが、ドイツサッカーの光と影というテーマでした。これについては、以前にアップした、ドイツサッカーについての「長〜いコラム」や、以前、ドイツのプロコーチ養成コースの総責任者エーリッヒ・ルーテメラーと対談した「ストリートサッカーに関するコラム」を参照してください。要は、ドイツサッカーから才能が消えて久しい・・ドイツサッカー界が個人の才能を開花させ難い流れに乗ってしまっている・・等などといったテーマです。

 「そうだよな、たしかに1990年代は才能にあふれた選手が出てこなくなったと思うよ。何かポッカリと穴があいてしまったみたいにネ。それは1980年代のユース育成方針によるところが大きかったと思う。その結果が出てくるのは5-10年先だからな。当時は・・、まあ大まかな傾向だけれど、全員守備、全員攻撃という基本的な戦術コンセプトをベースにして選手たちを育成していたんだ。要は、攻守にわたって、より組織プレーが重視されたということさ。コーチたちは、攻守にわたって何でも出来るユニバーサルな選手たちの育成を目指していたということかな。でも1990年代の初めになって、ドイツサッカーのリーダーたちは気付いたんだよ。このベクトルじゃダメだってね。だから、それからは、ボールコントロールとかドリブルとか、個人的な能力を発展させるトレーニングにも重点が置かれるようになったんだ。それが、ここ数年の若い才能の台頭につなながっているということだと思う・・」と、グレゴール。

 ナルホド・・。「でもサ、今度は個人の能力ばかりが前面に押し出され過ぎていると思わないかい? 毎年のサッカーコーチ国際会議じゃ、才能の発掘と発展というテーマばかりだしな。ちょっとバランス感覚に欠けている。オレはさ・・、ドイツサッカーの本質的な問題点は、権威主義のオーバーコーチングにありだと思っているんだよ。ボールコントロールとかドリブルやフェイントがテーマになったら、コーチたちは、選手たちを型にはめて練習させようとするからな。そんなことは、選手たちの個人の工夫に任せるべきだと思うんだよ。選手たちが主体的に考えるようになることこそがトレーニングの目的なんだと思う。まあ・・とにかくストリートサッカーが消えてしまったことは本当に大きいよな。そのことについては、エーリッヒと深くディスカッションしたこともあるよ(グレゴールは、もちろんエーリッヒ・ルーテメラーのこともよく知っています)」と、私。

 「たしかにストリートサッカーが消えてしまったことは本当に大きいよな。昔は、街のいたるところで子供たちが路上でボールを蹴っていたんだよ。それが、自動車が増えたことでほとんど不可能になってしまった。もちろんコンピューターゲームやその他の遊びが増えたという点もあるけれどネ。子供たちにとっては、空き地まで出掛けるんじゃなく、家の目の前にある空間でボールを蹴ることが出来るのは大きな価値だったのに・・」と言いながら、先ほどの言葉をくり返すグレゴール。「とにかく、全員守備・全員攻撃というフィロソフィーが一方通行でトレーニングを牛耳り過ぎたことが個の成長を阻害したことは確かな事実だと思うね」。

 「それでも、90年代になって個の能力の発見と発展に注力されるようになったことは、まだドイツサッカーに自己修正能力があることを示しているわけだから、逆に言えば90年代の穴は、なかなか深い学習機会になったということかもしれないね。そんなポジティブな流れのなかでユルゲン・クリンズマンが代表監督に就任したことはどうだろうか・・?」と私。

 「そうそう、それが素晴らしい相乗効果を発揮していると思うよ。何せユルゲン(クリンズマン)は、どんどんと若手にチャンスを与えているし、そのことで、若手のやる気もバリバリに上がってきているからな。このままいけば、素晴らしく効果的な世代の融合が進むに違いない。それに、レーヴェという優秀なパートナーもいるから、しっかりとした方向性をもったトレーニングで、選手たちのプレーイメージも格段に重なり合うようになっていることも大きい。以前のような、創造的で勝負強いドイツサッカーが蘇るという期待がふくらむよ」。

 美しさと勝負強さが高質にバランスした優れたサッカー・・。そのためには、まず何といっても「リスクへのチャレンジ姿勢」こそが前面に押し出されなければなりません。石橋を叩いてわたるようなマインドでは、絶対に選手たちの能力は発展しないのですよ。攻守にわたるリスクチャレンジが「主体」になった「ギリギリの剣が峰バランス」。いまのドイツ代表では、そんなプレー姿勢こそが求められている・・だからこそ選手個々の伸びをベースにチームも発展しつづける・・そんなダイナミックなプレー姿勢が国民の期待感を高めつづける・・。いまのドイツ代表では、そんなポジティブなサイクルが回りつづけているというわけです。

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 グレゴールとは、その他にも、高いポテンシャルを備えたユース選手を発掘する現行システムのポジティブな面と欠けている部分・・ブンデスリーガのこと(優れた集客装置として機能できていることの背景、フットボールネーションのリーグでは平均ゴール数がトップにあることの背景などなど)・・また再びジャーナリズムについて議論したり高原ハンブルクを率いるトーマス・ドル監督について意見交換をしたり(トーマス・ドルとは、1月18日の火曜日に対談します)、結局2時間以上の楽しい時間を過ごしました。ここで触れることができなかったテーマについては、例によって「機会をみて・・」ということでご容赦アレ。

 さてこれから、古くからの友人であるプロ3部リーグの監督と夕食です。それではまた・・。




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