天皇杯決勝の詳細レポートや、レアル・マドリーの発展プロセス、中田や小野、はたまたワールドカップ関連の課題等々、書きたいテーマは山ほどなんですがネ。それでも、現在進行形のビジネスプロジェクトのマネージメント、サッカーマガジンや最近はじまった週刊プレーボーイ等の連載記事の執筆、その他のプリントメディアで依頼された原稿の執筆、そして何といっても、2月に出版される新刊のプロローグやエピローグ執筆など、とにかく時間が・・。
「新刊」ですが、出版が近くなったらまた公表することにします。要は、日本代表(オリンピックと2001年の軌跡)、そして2000年ヨーロッパ選手権(欧州ネーションズカップ)で実際にあったシーンについて、サッカーにおける唯一のエッセンスである「ボールのないところでの勝負」にスポットを当て、それを「五秒間のドラマ」としてまとめたものです。出版社は、ミズノスポーツライター賞を受けた「サッカー監督という仕事」と同じ、新潮社。ご期待アレ・・
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さて高校サッカー。そこでの私のテーマは、「良いサッカーと勝つためのサッカーの相克」、または「理想と現実との相克」等ということになるでしょうか。
ある雑誌編集者から、「湯浅さん、それにしても変わりばえのしない・・、いや、注目点のない、面白くないサッカーだと思うんですが・・」なんて、優勝した国見高校について聞かれました。
小嶺総監督は優秀なサッカーコーチです。それは疑いのない事実。彼は、高校サッカーという「特殊なシステム環境」を知り尽くし、そこで勝つための術を熟知しているということです。もちろん熟知はしていても、実際に勝つのは難しいもの。そんな難しいステージで、今回の二連覇だけではなく、何度も頂点に立っていますからね。
それでも、確かに、やっているサッカーは未来を感じさせるものではありません。ソリッドな守備ブロックから、ロングボールで最前線に起点を作りだし、そこへ素早く中盤が上がっていくことで厚い攻めを展開する。相手にボールを奪われたら、まず守備ブロックを整えるという意識が先行する。たしかにそこでは、攻守にわたる創造的なリスクチャレンジという発想が前面に押し出されることなく、セキュア(安全)に、セキュアに・・という意識ばかりが目立ってしまいます。
選手たち個々を見れば、素晴らしい才能を有していることは一目瞭然。ステレオタイプの「攻撃の第一段階」にしても、中盤が押し上げて人数が揃えば、個人の才能が光り輝く場面もどんどんと出てきます。素早いショート&ショートの「タテヨコパス」をつなぐことで、左サイドの芝崎がフリーでたたき込んだ一点目などは、本当に目を奪われるような素晴らしいゴールでした。
それでも全体としては、まさにステレオタイプサッカー。フム・・
「いや、湯浅さん、国見は、トレーニング中には、中盤で素早いショートパスをつないだりと、しっかりとボールを動かすサッカーを練習しているし、個人のドリブル勝負を中心的にトレーニングする時間だって十分に取っているんですよ。でも実際の勝負の試合となったら・・」
それは、高校サッカーに詳しい私の教え子が話してくれたことです。フムフム・・
そんなハナシを聞きながら、小嶺さんは、選手たちの将来を考えた「世界へつながるサッカー」と、高校サッカーにおいて勝つプレーとを、明確に分けている・・ということなのかもしれない・・などと思っていました。
要は、ボールを失ったら、まず戻って組織を作ることを最優先する等、リスクを犯すことなく、確実に相手からボールを奪い返すような守備のチーム戦術を実践させ、ボールを奪い返したら、「相手に高い位置で奪い返されるリスクを最小限にするため」、まず最前線へロングボールを送り込む・・、そしてグループとしての押し上げだけは素早くすることで、相手ゴールになるべく近いゾーンでの勝負シチュエーションを作り出す・・。このように、サポート選手たちがグループとして(組織的に)押し上げることで、不測の事態でボールを奪い返されたとしても、ある程度は(最初から)組織的に対処することができる・・、そこで相手の前へのスピードを遅らせ、その間に後方での守備ブロックを万全にしてしまう・・なんていう基本的なアイデアなんでしょう。
それでも、ステレオタイプの(つまり型にはまった)攻撃初期段階をうまく展開させることが出来れば、彼ら本来のクリエイティビティーが光り輝く場面が続出します。ショートパスで、素早く、広くボールを動かすだけではなく、勝負所では、どんどんとドリブル突破チャレンジも出てくる・・。
確かに、高校サッカーの「サドン・デス」トーナメントでは、最良のゲーム戦術かもしれません。それでも、選手キャリアのなかで一番大切かもしれないユース世代のサッカーとしては、到底同意できるモノではないのも確かなこと。まあ、その「バックアップ(補償)」として、トレーニングにおいて、クリエイティビティー(創造的な戦術発想)を発展させる機会を作っているのでしょうがネ・・
でもやっぱり、ホンモノの勝負だからこそ(ホンモノを体感ができる場だからこそ)、持てる創造性が、本当の意味で発展する・・というのは、サッカーの歴史が証明している真実だと思うんですよ。
要は、こんな一発勝負トーナメントが、高校生にとって最も重要な大会になっているというシステム自体を早く見直すべきだということです。それについては、これまで本当に多くの方々がディスカッションを展開していますよね。
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スーパーリーグなど(詳しいことは、情報が足りないので知りません・・スミマセン)、高校でも、年間を通じた「リーグ戦」をやろうとする動きはあるそうですが、それでも「本当の勝負(公式大会)」ではない・・!?
とにかく、年間を通じて、少なくとも一週間に一度は「勝負のゲーム」が必要なんです。それを可能にする「システム」が出来れば、国見にしても、確実に、直接的に世界に通じる発想(ゲーム戦術!)を志向するに違いない・・。そう思うのは私だけではないに違いありません。
それにしても、見事に、国見高校のツボにはまった勝利ではありました。
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とはいっても、私が見たなかでは、何といっても大分高校のサッカー内容が、最高にハイクオリティーでした。そのことだけは書いておかなければ・・。
準々決勝、対前橋育英高校戦。前半、不安定だった大分でしたが、後半は、攻守にわたって本当にハイレベルなサッカーを展開し、「タレント集団」を内容で圧倒します。
「読み」を主体に、それぞれが有機的に連鎖する組織ディフェンス、日本代表ばりのフラットライン(最終勝負のラインコントロールも見事!・・とはいっても最後の最後でミスが出てしまいましたがネ・・残念!)、ボールを奪い返してからの落ち着いたボール展開、そして組織と個人がうまくバランスしたオフェンス等々。いや、それはそれは素晴らしいサッカーを展開しましたよ。たしかに、個人的な能力をベースにした総合力では、確実に前橋育英の方が上。それでも逆に、攻守にわたる「戦術的な発想」のレベルでは大分の方が上だったことは誰しもが認めるに違いない・・!?
もしこの大会が、決勝大会に進出したチームによる「年間リーグ戦」だったら、確実に大分はトップグループの一角を占めたに違いない・・なんて思っていた次第。その高質なサッカーからは、監督さんの「ウデ」を明確に感じたモノです。
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最後にもう一度・・。高校サッカーが、「上(=世界)」へつながる魅力的で実効あるステージでありつづけるためにも、何とかうまく『グルーピング』した、公式大会としての年間リーグシステムを『開発』してくださいよ・・ホント、お願いしますよ・・高体連さん・・。
乱文、失礼しました。