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W杯レビュー(3)・・ドイツ・・その1・・(2002年7月10日、水曜日)

さて、プリントメディアで発表した文章を中心にまとめる「レビュー」。今回は、いくつかに分けて、ドイツ代表のことをまとめることにしましょう。

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 クロアチアに負け、準々決勝で敗退してしまった1998年フランスワールドカップ。また2000年ヨーロッパ選手権では、「内容的」にも惨敗し、ドイツの名声は完全に失墜してしまいました。そして、他国を恐れさせていた「ドイツ的な勝負強さ」という伝統も忘却の彼方へ・・。

 その時点でのドイツサッカーは、これまで経験したことのないくらいの「どん底」に落ち込んでしまったのです。もう過去の栄光に思いを馳せているヒマなどありません。彼らは、なりふり構わず再生の道を突き進んでいかなければならないところまで追い込まれたのです。

 そして2000年8月、ドイツの伝説的ストライカー、ルディー・フェラーが代表監督に就任します(彼はコーチライセンスをもっていないため、ベッケンバウアーと同じく「チーム・シェフ」という肩書き)。本当は、当時レーバークーゼン監督だったクリストフ・ダウムが、レーバークーゼンとの契約を完了した時点で、ルディーの代わりに代表監督に就く予定だったのですが、彼自身の「薬物スキャンダル」が発覚したため、ルディーが、そのまま代表監督をつづけることになります。

 ルディー・フェラーの代表監督デビューゲームは、2000年8月16日、ハノーファーでおこなわれたスペイン代表とのフレンドリーマッチ。そこでドイツ代表は、久しぶりに、強さを感じさせるサッカーでスペインを「4-1」と撃破しました。点差ではなく、「サッカーの内容」がエキスパートたちを納得させたのです。

 「ルディーは、ドイツサッカーを生き返らせたネ・・」。試合後、スペインのラウールが語ったものでした。

 代表メンバーが大幅に刷新されたわけではありません。ただ、ルディーの「心理マネージメント」によって、選手たちの心理・精神的フォームが、格段に改善されたことだけは確かな事実でした。

 そして臨んだ2002年ワールドカップ地域予選。

 そこでのドイツ代表は、アウェーのウェンブレーでイングランドを下すなど、順調に勝ち進んでいきました。昨年の9月2日、ホームで、イングランドに「1-5」という大敗を喫するまでは・・(これに関するコラムは、私のHP、過去のコラム倉庫に入っていますので・・)。そして、予選リーグ最終戦のフィンランド(ホームゲーム!)にも「0-0」で引き分け、ウクライナとのプレーオフに臨まなければならなくなってしまったのです。

 まずは、その時点でサッカーマガジンに寄稿した文章をご紹介します。

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 崖っぷちのドイツ代表・・(2001年11月3日)

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 ドイツが大変な苦境に陥ってしまった。イングランド戦での「歴史的な大敗」。そしてグループ最終戦では、ホームにもかかわらず、ギリシャ相手に息も絶え絶えに引き分けまでこぎ着けたイングランドに対し、これまたホームで、まったく覇気が感じられないサッカーでフィンランドと引き分け、グループ一位通過という千載一遇の大逆転チャンスを「自ら」潰してしまう。

 批判の嵐は、強烈そのもの。ドイツ大衆紙のビルド新聞などは、一面に、「オマエたちは、ワールドカップへ行くには愚かすぎる!」という大見出しを踊らせる。その見出しがドイツ人の心情に同期したようで、この日のビルド新聞はバカ売れだったとか。たしかにフィンランド戦でのドイツ代表のサッカー内容は、見出しにふさわしい無様なものだった。

 いまのドイツ代表からは、チームの重心たる選手が見えてこない。たしかに大柄で屈強なプレーヤーは揃っている。ただ「クリエイティブ(創造性)パフォーマンス」では、ベッケンバウアー、ネッツァー、シュスター、へスラー、エッフェンベルク、ザマーなど、ドイツサッカー史を彩ってきた「本物のスター」たちとは比べようもないのだ。ダイナミックな組織プレーを特徴とするドイツサッカーを光り輝かせる「スパイス」。攻めの「変化」を演出する、創造性あふれるクリエイターが育っていない。

 若手のダイスラーやバラックにしても、前記した「歴史に刻み込まれるスター」たちと比べれば大きく見劣りする。これはもう体質的な(構造的な)問題と言わざるを得ない。どん底で喘ぐドイツ。それは、70年代後半から80年代にかけて経験した「低迷期」とはワケが違う。少なくとも当時は、期待できる若手だけは順調に育っていたのだ。問題の根は深い。ネッツァーが言うように、ドイツサッカーは、忍耐を要する「クリエイターの育成」ではなく、パワープレーヤーばかりを養成してきたツケを払わなければならないところまできてしまっているのかもしれない。

 フィンランド戦では、特に、最終ラインのヴェルンス、サイドのベーメ、中盤のラメロー、また最前線のビアホフとノイヴィルに対して批判が集中した。たぶん「決戦」では、ハマン、マルコ・ボーデ、フィンク、ヤンカー、ツィックラー等が名乗りを上げてくるだろう。とはいっても、不動のチャンスメーカー、ショルは間に合わず、また「クリエイター」としての地位を築きつつあったダイスラーも、ハンブルク戦(ブンデスリーガ)でのケガが癒えずに欠場する。ウクライナとの決戦を前にしたドイツ代表に吹く逆風は、厳しさを増すばかり。

 「このチームには、創造的なサッカーなんか期待できっこない。とにかく激しく、忠実に守ってカウンターを狙うという戦い方しかないな・・」。友人のドイツ人プロコーチ、フランツ・ドュルシュミットが、電話口で吐き捨てるように言う。「とにかく、才能のある若手たちが、ユース選抜チームのトレーニングで、パワープレーヤーたちに潰されてしまうことが多すぎるんだよ。クリエイティブな選手を育てるには、コーチの我慢が大事だっていうのに・・」。フランツの言葉には、ドイツサッカーの体質的、構造的な問題に対する焦燥感がありあり。

 とはいっても、まだボクは希望を捨てていない。ドイツ代表は、「残されたゲーム戦術はこれしかない・・」というところまで追い詰められた。逆にそれは、ゲームの「やり方」について「統一された意志」を深く浸透させ、一人の例外もない「極限の集中」を最後まで持続させるための理想的な「心理環境」だと考えることもできる。いまの彼らに美しいサッカーなど望むべくもないが、少なくとも彼らは、最後の瞬間まで、闘う姿勢を失わない・・はずだ・・。

 とにかくまず、「2002」への参加条件だけは死にものぐるいで確保して欲しい。そして本大会が終わった時点で、何らかの「新しい風(異質)」を導入するなど、ドラスティックに、新たな体制づくりに取り組んで欲しい。そう、「2006」への希望をつなぎ止めるために・・。「反面教師」としてもボクを育ててくれたドイツサッカーに対してだけは、どうしても「ナイーブ」になってしまう筆者なのである。

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 ここで、ウクライナとのプレーオフを追った二つのコラムをご紹介します。これは「スポナビ」で発表した文章です(私にとっては、スポナビもプリントメディアですから・・)。

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(2001年11月12日)

 これほど「当事者意識」が高揚する(要は、アタマに血が上る!?)観戦も久しぶりだ・・。ウクライナ対ドイツの「プレーオフ」を見ながら、そんなことを思っていた。ボクは、ドイツサッカー連盟公認コーチだし、第二の故郷ともいえるそのドイツが、ゲーム立ち上がりからウクライナに押し込まれつづけ、何度かの決定的ピンチの後に、先制ゴールまで奪われてしまったのだから。

 ワールドカップ予選におけるウクライナの調子は、決して良くはなかった。開幕ゲームとなったポーランド戦では、ホームであるにもかかわらず、「1-3」と大敗を喫してしまう。そしてその後は、当初の予想とは裏腹に、4勝5引き分けという低調な戦績でグループ二位に甘んじ、プレーオフに回ることになってしまう。ただ決戦の相手は、フットボールネーションを代表するドイツ。世界中が注目するなかで、ウクライナ代表のモティベーションが高揚しないはずがない。

 ウクライナ代表は、ソ連による共産主義支配が瓦解してから、まだ存在感をアピールできていない。たしかに、一クラブであるディナモ・キエフは、チャンピオンズリーグなどで目立っているし、シェフチェンコやレブロフなど、世界に通じるスターも生み出した。ただ代表チームは、ルーマニア、ブルガリア、チェコ、そして旧ユーゴのクロアチア、新ユーゴスラビア、スロベニアなど、東欧の国々が、ワールドカップやヨーロッパ選手権などで活躍するのを尻目に、まだ世界デビューも果たせていないのである。

 だからこそウクライナは、この試合に賭けていた。そう「世界への扉」を開くことで、ウクライナという新生独立国家を、世界にアピールするために。

 監督は、「生きた伝説」とも言われる、名将、ロバノフスキー。ウクライナ代表監督を務めるだけではなく、ディナモ・キエフも率いる。そんなことは、世界でも例を見ない。「彼の発言は、本当に重いんだよ。もちろん深く正しいことを言っているということもあるんだけれど、彼が為した功績は、世界のサッカー史に残るレベルだからナ・・」。今年の7月にベルリンで開催されたサッカーコーチ国際会議で、ウクライナから招待されたプロコーチが言っていた。1980年代に世界中の注目を浴びた旧ソビエト代表チーム。そこからロバノフスキーの伝説がはじまったのである。

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 決戦がはじまった。そして、ピクリとも表情を変えないレジェンド(伝説)、ロバノフスキーに率いられたウクライナが、立ち上がりから、大パワーでドイツを押し込んでいく。

 ドイツチームは、一発勝負のゲームだし、相手のホームだから、ウクライナが最初から攻め込んでくることは戦術イメージ的に織り込み済みのはずだ。相手の勢いを「受け止め」ながら、ゲームを落ち着かせようとするドイツ代表。ただ、6万を超える観衆をのみ込んだスタンドが後押しするウクライナ代表のサッカーには、想像を絶する勢いがあった。押し込むだけではなく、立ち上がりの3分、6分と、ドイツ最終ラインの「ウラスペース」を突いた決定的チャンスまで作り出してしまう。

 そして、勢いが衰えないウクライナの攻勢がつづいていた前半18分、シェフチェンコの「クレバー」なフリーキックからこぼれたボールを、ズボフが、まったくフリーでドイツゴールへたたき込んでしまうのだ。ドイツを席巻する「内容」。そして先制ゴール。それは、ウクライナ代表の心理エネルギーが最高潮に達した瞬間だった。

 しかし、やはりドイツは粘り強かった。その後のウクライナが、「一点を守ろう」としたわけではない。ただ、そのゴールが、ドイツ魂に火を付けたのである。「もう失うモノは何もない・・ここで闘わなかったら、オレたちは、ドイツサッカー史に、負け犬として刻み込まれてしまう・・」。そして徐々に、ゲームの流れがドイツへと傾いていった。

 美しくはない。ただドイツ代表は、攻守にわたるダイナミックなリスクチャレンジをベースに、確実にウクライナを追い込んでいく。その基盤は、中盤でのアクティブな守備。誰一人として集中を切らすことなく、次々と、ウクライナ攻撃の芽を摘み、そこから、シンプルに、そしてダイナミックに攻め上がっていく。特筆だったのは、両サイドのツィーゲ、シュナイダーだけではなく、最後方のストッパー、レーマーまでもが、中盤でのボール奪取から最終勝負まで絡んでいくような「タテのポジションチェンジ」を頻繁に披露したことだ。もちろんそれには、攻守にわたる中盤リーダーのハマンと、予選リーグ最終戦、対フィンランドでのパフォーマンスを酷評されたことで「特に」モティベーションが乗ったラメローによる、バランスの取れたカバーリング能力があることは言うまでもない。

 そしてドイツが、セットプレーから同点ゴールをたたき込んでしまう。前半31分。右サイドからのシュナイダーのフリーキックを、まずツィックラーが、ダイビングヘッドでコースを変え、それを、ファーサイドのスペースで待ち構えていたバラックが押し込んだのだ。

 このゴールには伏線があった。押し返してはいるものの、流れのなかでは、うまくチャンスを作り出すことができなかったドイツが、数十秒の間に、二度も決定的なチャンスを迎える。同点ゴールが決まる数分前、前半27分前後のこと。起点はセットプレーだった。

 シュナイダーが送り込む正確なコーナーキックから、最初はリンケ(バーを直撃!)、そして次がレーマー(ゴールライン上でウクライナのディフェンダーがクリア!)と、続けざまに決定的なヘディングシュートを見舞ったのだ。この二つのピンチによって、ウクライナ守備陣が心理的な不安を抱えることになる。「シュナイダーのキックは正確だし、それに合わせるドイツ選手の動きも、もの凄く鋭い・・これは危ないな・・」。もちろん逆にドイツの確信レベルが高揚したことは言うまでもない。そんな微妙な「心理ファクターの揺動」も、同点ゴールの背景にあったと思うのである。

 そしてそこからのゲームの構図が、ダイナミックにゲームを支配するドイツに対し、カウンターを狙うウクライナという展開になっていく。もちろんウクライナ選手たちのイメージは、「オレたちには、シェフチェンコ、レブロフ、ボロベイ、そしてズボフという足の速い才能たちがいる・・、堅く守って、ヤツらへの一発カウンターが狙い目だ・・」という意図で統一されている。

 実際にウクライナは、前半と後半に一度ずつ、ワンチャンスのカウンターを成就させる一歩手前までいった。フィニッシャーは、もちろんシェフチェンコ。ただこの二本ともに、ドイツが誇るスーパーGK、オリバー・カーンの捨て身のセービングによって防がれてしまう。対するドイツも、、ディフェンダーが早めのタイミングで下がるなど、ウクライナのカウンターに対処する微調整を施すことで守備ブロックを安定させ、彼らの特徴である、素早く直線的な攻めから、何度か決定的チャンスを作り出していた。

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 ホームの利を活かし、ドイツを押し込むことで先制ゴールを挙げ、その後は、守備固めからのカウンター狙いに徹したウクライナ。逆に、守備ブロックの不安定さを突かれた失点の後、吹っ切れた心境になり、彼ら本来のダイナミズムが蘇っていくなかで同点ゴールを挙げ、その後も、注意深く前後左右のバランスを取りながら押し上げつづけたドイツ。

 大きな「動き」があった前半に比べ、後半は、互いの思惑が明確に見える「タクティカルな展開」になった。その意味でも興味深いゲームだったのである。

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 さて、第二戦。

 ウクライナが、ホームゲームを「1-1」で引き分けてしまった。理論的な状況は、ドイツ有利ということになるだろう。数日後のリターンマッチでは、「0-0」でもドイツが本大会へ駒を進めることができるのだ。ただそれは、あくまでも「ロジカル」な分析。心理的に、また戦術的な観点でも、ウクライナが不利だということは決してない。守り切れば予選を突破できる・・。そんな心理は、サッカーではマイナス要素以外の何ものでもない。また逆に、ドイツが「勝ちにいけば」、ウクライナの必殺カウンターのワナが待ち受ける。

 状況的には、まったくイーブンの第二戦。それこそ「肉を切らせて骨を断つ」というギリギリの闘いになるだろう。こんな「極限の勝負」は、そうそう見られるものではない。

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(2001年11月15日)

 「あの発言が、選手たちの発憤を狙ったものだってことは、彼らだってよく分かっていたさ。だから、そんなに強烈な刺激になったわけじゃないんだ。とにかくヤツらは、負け犬として歴史に刻み込まれることだけはイヤだったということだよ。何といったって、プライベートも含めて、周りの雰囲気は、本当に厳しいものがあったからナ・・」。ドイツが本大会出場を決めた後、友人のドイツ人プロコーチが電話口で語っていた。

 「あの発言」とは、ウクライナとの決戦がはじまる直前、フランツ・ベッケンバウアーがメディアに対して語った、「いまのドイツ代表は、凡チームにしか過ぎない・・」のことだ。

 予選グループリーグ、ドイツホームでのイングランド戦における「歴史的な大敗」。そして最終戦では、まったく覇気が感じられないサッカーで、明らかに格下のフィンランドと引き分けてしまう。たぶん彼らは、「イングランドが、ギリシャに引き分けたり負けたりするはずがない。何といったってヤツらのホームゲームだしな・・」という心理だったのだろう。ただあろうことか、ホームのイングランドが、ギリシャ相手に息も絶え絶えのサッカーで引き分けてしまったのだ。ドイツは、グループ一位通過という千載一遇の大逆転チャンスを「自ら」潰してしまったことになる。

 もちろんそれは「結果論」。でも世間は、そんな「事実」などお構いなしに、容赦なく痛烈な批判を浴びせかける。ドイツ大衆紙のビルド新聞などは、「オマエたちは、ワールドカップへ行くには愚かすぎる!」という見出しを、デカデカと一面に踊らせる。それがドイツ人の心情に同期したようで、この日のビルド新聞はバカ売れだったとか。たしかにフィンランド戦でのドイツ代表のサッカー内容は、見出しにふさわしい無様なものだった。

 いまの彼らに「美しいサッカー」など望むべくもない。そのことは、ドイツの生活者も十分に分かっているはずだ。それでも、気合い抜けしたプレーだけは許せなかったということだろう。もちろんそのことは、選手たち自身が、もっとも痛切に感じていていることでもあった。

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 アウェーでの第一戦。何度かのピンチの後、先制ゴールまで奪われてしまう。そのとき彼らは吹っ切れた。もうやるしかない・・。そして、中盤での、抜群に忠実な、そしてダイナミックな組織ディフェンスをベースにウクライナを席巻し、セットプレーから同点ゴールを奪ってしまう。その後も押し込みつづけるドイツだったが、いかんせん、最後の仕掛けをリードする「才能」が見えてこない。メーメット・ショルがいない。セバスチャン・ダイスラーがいない。だが、だからこそ彼らの攻撃イメージが、「これしかない」というものに統一された・・という見方もできるのだ。

 そして第二戦。先発メンバーは、ツートップが代わっただけ。ツィックラーとアザモアに代わり、ヤンカーとノイヴィルが先発メンバーに名を連ねることになる。つまり、中盤から下の「ブロック」には、まったく変更がないということだ。彼らは体感していた。ウクライナのカウンターの怖さを・・。だからこそ「ブロック」の維持を最優先したのだ。ウイニングチーム(コンセプト)・ネバーチェンジ。

 「戦術イメージ」のキーポイントは、バランス良く攻めることで、ウクライナを押し込むだけではなく、彼らのカウンターの芽も封じてしまう・・というものだったに違いない。

 バランス・・。もちろんそれは、選手たちのポジショニングバランスのことだ。攻め上がりすぎて、後方にスペースを空けてしまったら、一発のタテパスやロングパスで、シェフチェンコ、ボロベイ、グシン等のスピードにやられてしまう。逆に、注意深くなりすぎても、前への勢いが殺がれてしまう。そこに、微妙な「バランシングポイント」があるのだ。一つだけたしかなことは、ドイツが、「引き分け狙い」で試合に臨んでいなかったということだ。彼らは、最初から「勝ち」にいった。だからこそ、攻守にわたって、最大限のリスクにチャレンジしつづけたのである。

 もっともインプレッシブだったのは、中盤選手たちの、バランスのとれた効果的なポジショニングだった。そのリーダーは、もちろんハマンである。中盤での「クレバーなバランサー」。彼は、イングランドの強豪クラブ、リバプールでも、攻守にわたる「隠れたリーダー」なのだ。彼の優れたバランス感覚があればこそ、ジェラード、オーウェンといった「天賦の才」が最大限に活かされるのである。

 彼を中心に、ラメロー、バラック等も、攻守にわたって効果的に機能する。もちろん、攻撃の途中で(つまり前へ重心がかかった状態で)ボールを奪い返されるといった危機状況では、全員が、まさに一人の例外もなく、ボールのないところも含めて、全力ダッシュで戻りながら、迫力ある実効ディフェンスを展開してしまう。そんなレベルを超えた守備意識が、ドイツ代表の「攻撃のダイナミズム」を支えていた。

 いや、逆をかえせば、ディフェンスの方が「攻撃に対する確信」に支えられていたとすることもできる。彼らは、この「カタチ」になれば必ずゴールチャンスを演出できるという、統一された「最終勝負イメージ」をもっていた。だからこそ、高い守備意識を維持できたとも考えられるのである。高い位置でのボール奪取。それをベースにした、シンプルで素早いサイド(ピンポイントセンタリング)攻撃・・、そしてセットプレーからの一発勝負・・それである。もちろん、勝負パスの送り手と、フィニッシャーの「ハイレベルなイメージシンクロ」をベースにして・・。

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 ドイツ代表は、試合の立ち上がりから、フルパワーでウクライナを押し込んでいく。ダイナミックに有機連鎖する、グラウンド全面におよぶ積極ディフェンス。そして、引き分けに終わった第一戦で確信レベルを深めた「これしかない攻撃」が、最高のカタチで実を結ぶ。前半3分のことだ。

 ノイヴィルがドリブル突破を仕掛けるが、ミスからボールを失ってしまう。それが「連鎖」のスタートサインだった。間髪を入れずにノイヴィルがアタックを仕掛け、そこにツートップパートナーであるヤンカーも参加してくる。プレッシャーをかけられたウクライナの最終ラインは、横パスを入れて蹴り出そうとする。ただ、ノルウェー戦でのパフォーマンスを酷評されていたノイヴィルの気合いは次元を超えていた。最後まで諦めず、クリアしようとするウクライナ選手へ向けて、全力ダッシュでのアタックを仕掛けたのである。それが功を奏した。クリアボールが、ノイヴィルの身体に当たり跳ね返ってきたのだ。それも、右サイドで「次の連鎖ディフェンス」に備えていたシュナイダーの眼前スペースへ向けて・・。

 余裕があるシュナイダーは、ウクライナのゴール前へ視線をはしらせていた。そこでは、ヤンカーとノイヴィルに対し、四人のウクライナディフェンダーが引き寄せられている。そのとき、後方から、ススッと押し上げてくる選手がいた。ドイツ二列目のバラック。最前線でのボール奪取ドラマを冷静に観察していた彼は、右サイドでシュナイダーがボールを持った瞬間、確信した。「シュナイダーは、オレが狙うスポットを意識している・・」。そしてそこへ走り込むバラックへ向けて、まさにピンポイントのセンタリングが送り込まれたのである。

 「これしかない」という最終勝負のカタチ。ただ、全員のイメージが「統一」されたとき、「これしかない・・」が、「これさえあれば・・!」という確信に変わる。ドイツの選手たちは、その「確信」を基盤に、最後の最後まで、攻守にわたる組織プレーに徹し切ったのだ。こうなったときのドイツは、たしかに強い。

 ドイツ代表は、その後も、10分、14分と立て続けにコーナーキックから加点し、勝負を決めた。それは、全員の「攻守にわたるプレーイメージ」が、これ以上ないというほどの力強いハーモニーを奏でた時間帯だった。

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 「2002」へのチケットを手にしたドイツ代表。ただ、本大会では苦労することになるかもしれない。何せ、そこは高温多湿の東アジア気候。今回のウクライナ戦での気温は、摂氏4度と伝えられている。だからこそ、激しいアップテンポのダイナミックサッカーを展開できた。ただ・・。

 テンポがゆっくりとしたサッカーでは、攻守にわたって、必ずクリエイティビティー(創造性)の占める割合が高くなる。ただ、そこで必要になってくるクリエイティブリーダーを欠くドイツ代表。もちろんショルやダイスラー、はたまたシェレミース等が戻ってくれば・・、またバラックやシュナイダーがより一層の進歩を遂げれば・・という期待はある。ただそれにしても限界が見え隠れする。

 とにかくドイツは、「2002」を一つのステップ(通過点)として、何らかの「新しい風(異質)」を導入するなど、ドラスティックな体制改革に取り組まなければならないと思う。そして、ポテンシャルの高い若手プレーヤーに「ハイレベルな勝負の場」を確保するなど、実効あるカタチで彼らを育てて欲しい。そう、「2006年への希望」をつなぎ止めるためにも・・。

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 さて次回は、2002年ワールドカップ本大会へ臨む「その後のドイツ代表」を、現ドイツ代表コーチとの対談などもミックスして追うことにします。




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