私はその試合を観ているわけではありませんから、体感として書くことはできません。それでも状況を聞いて、ナルホド・・と、大分の小林監督が出した「相手にゴールさせろ!という指示」をすぐに支持しました。もちろん、その後の川淵キャプテンの態度もね。
「ルール」という成文化されたものだけでは、人々に感動を与えるプロサッカーは成り立たない・・それをバックアップするものとしての「グッドウィル(誠意=フェアプレー精神)」の浸透こそがテーマ・・。
言い換えれば、「レフェリーのミスジャッジもドラマのうち」という、サッカーでは不可避の要素(現象)を、意図的に、そして積極的に活用しようとする態度は、厳しくコントロールすべき・・とも表現できます。
プロスポーツのあるべき姿・・というところにスポットを当てれば、京都vs大分戦で起きた現象をどのように解釈し、歴史に残すべきかというテーマについて、簡単に解答が得られるということです。もっとも多くの生活者が共感し納得すること・・。言い換えれば、最大多数の、最大幸福・・。
要は、「あの現象」は、もっとも多くのサッカーファンの方々が、もっともスッキリし、納得するカタチだったということです。
もちろん、ロドリゴが犯してしまった、「グッドウィル」に反するプレーは責められるべきです(故意だったかどうかについては分かりませんが、もしそうだとしたら、プロ選手としてあまりにも恥ずかしい・・)。
それとは別に、試合後に、お返しゴールを小林監督から指示された大分のある選手がインタビューで語ったとされる言葉は、もしそれが本当だとしたら、まさに許し難いものとして憤ります。もう一度断っておきますが、私はその言葉を実際に聞いたわけではありませんが・・。
その選手曰く、「(あの指示は)よくないと思った。うちは一人退場になって10人だったし、GKも故障していたから・・」。もしこのような発言が本当にあったのだとしたら、そこに「意志」が入っていますから、その「態度」は厳しく責められるべきでしょう。そんな「態度」は、確実にプロサッカーを殺してしまうということ(自分自身の生活の糧を失ってしまうということ)を、心底納得させなければなりません。それがなければ、本当にサッカーが、「何でもあり」の世界になり、人々からソッポを向かれてしまうでしょう。
私が言いたいことは、レフェリーは常に「全て」が見えているわけではないし、必ずミスジャッジを犯してしまうモノ・・だから選手たち自身が、「ギリギリのところ」では、できる限り自己コントロールする(自らの意志としてのフェアネス)という姿勢でプレーしなければならない・・それがなければ、必ずファンは、サッカーから遠のいていく・・ということです。
この「ギリギリのところ」と「できる限り・・する姿勢で・・」という部分に、微妙な、プロ的なニュアンスが込められています。要は、バランス感覚・・。これについて突っ込みはじめると終わりがありませんから・・。悪しからず。
ナイーブかもしれませんが、少なくとも私は、ヨーロッパのプロ現場における「マインドのマジョリティー」だけは知っているつもりですからね。例えば、マラドーナの「神の手ゴール」。それについて、「アイツらは、トレーニング中に、そんな汚いプレーを練習しているんだゼ・・」などと、友人のプロコーチ連中(ドイツ人ばかりではなく、スペイン人やフランス人、はたまたイングランドやイタリアのコーチ等も)と、侮蔑を込めて話し合ったものです。
もちろん「勝負至上(≒経済要素)」が前面に押し出され過ぎているプロサッカーの現状では、そんな「グッドウィル・マインド」を浸透させる作業が非常に難しいことは分かります。にもかからわらず統括組織は、もっともっと、「フェアプレー精神」を浸透させる努力をつづけなければならないし、その評価基準でのコントロールを強化しなければならないのです。もちろんメディアも、積極的に「グッドウィル」という視点での「最大多数生活者にとっての正しい評価」を前面に押し出さなければなりません。
また別の表現を借りるならば、プロ現場に、マズローの言う「自己実現欲求」を認知させる努力をしなければならない・・なんて表現できるかもしれません。とはいってもその「究極の欲求」が、それ以前の「生理的欲求」、「安全欲求」、「愛情欲求」、「(カネや地位などの)社会的欲求」などが満足されてはじめて出てくることも事実ですからネ。難しいのは分かっているけれど・・。
ちょいと、京都vs大分戦での「現象」から議論が発展しすぎてしまったようにも思いますが(そんなことはないかな・・?!)、とにかく湯浅が言いたかったことは、プロサッカーは、最大多数の人々に評価され、信頼と共感を得られる「もの」を見すえて日々努力しなければならないということでした。
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さて、チャンピオンズリーグ第5節。レアル・マドリー対ACミラン。
もちろん私は、レアルの発展プロセスを常に追いかけていますよ。チャンプリーグだけではなく、リーガエスパニョーラでもね。そして思っていました。「最前線のフタが開きはじめている・・」。
要は、周りの味方が、ワントップのロナウドの使い方を、感覚として、より深く理解しはじめている・・またロナウド自身も、徐々に意識が変化しはじめただけではなく、レアルサッカーの「リズム」にも慣れはじめた・・ということでしょう。
以前だったら、組み立て段階では、決してロナウドにボールを預けなかった「二列目ブロック(フィーゴ、ジダン、そしてラウール)」が、最終的な仕掛けの前段階でもロナウドへパスをするようになったのです。またロナウド自身も、最終勝負を仕掛けていく状況と、シンプルにバスをする状況に対する見極めができるようになってきている(それに対する、忍耐強い意識付け作業が功を奏しはじめている?!)。それだけではなく、最終勝負の局面でも、「自分が裏方になる」という意識まで出てきてしまって・・。
それを象徴していたのが、先制ゴールのシーンでした。前半12分のことです。
左サイド、ペナルティーエリア手前10メートルくらいのゾーンから仕掛けていくロベカル。中央ゾーンでは、ラウールとロナウドが重なっているだけではなく、ピタリとマークもされている。そんな状況にもかかわらず、ロベカルが、ズバッという「足許パス」を、ロナウドへ送り込んだのです。それが勝負の瞬間でした。
ラウールは、ロベカルがどんなパスを出すのかを明確にイメージしていた!! だから、ロベカルがパスを出す直前のタイミングで、ロナウドの眼前を「回り込む」ような動きをスタートしていました。自分がパスを受けてもいいし、次の最終勝負ゾーンへ走り込んでもいい・・。そんな、ラウールの「最終勝負のフリーランニング」に対する鋭い感覚こそ、彼が世界のストライカーの一人として絶対的な評価を受けている背景にあるのです。
とにかく、この0.5秒の最終勝負シーンは、鳥肌が立つような見所が凝縮されていましたよ。
ロベカルから、弾丸のようなグラウンダーパスが、正確にロナウドの足許へ・・ラウールは、次の最終勝負ゾーンへ向けて、ロナウドを回り込むようにダッシュをつづける・・この瞬間ロナウドは決断した・・そして、ピンッ!という軽快な音が聞こえてきそうなダイレクト・サイドキックで、ラウールがイメージする決定的スペースへ浮き球のラストパスを通してしまう・・。フ〜〜。
ラウールのダイレクトシュートも素晴らしかったのですが、それよりも、ロナウドのダイレクトでのラストパスに驚いた。もちろん相手にピタリとマークされているということもあったのでしょうが、そこでロナウドが「最終勝負プレーの選択肢」持っていたことに驚いたというわけです。
とはいっても、後半20分にロナウドとグティーが交代してからのレアルが、攻撃の変化という意味で、より高度なサッカーを展開したことも確かな事実です。グティーが登場し、攻撃ブロックに「ポジションなしのサッカー」という雰囲気が出はじめたのです。そして、全方位から相手守備ブロックを振り回して崩していけるという、我々がイメージする本来のレアルサッカーが戻ってきた・・。本当に、ワクワクさせられたものです。
ボールの動きが、ロナウドがいるときは、どうしても「横へ・・横へ」というシーンが多くなっていたのが、タテへも活発に動くようになったのです。そして「あの」ミラン守備陣でさえ、対応が後手、後手にまわるようになってしまう・・。
グティーが入った後のレアルのサッカーは、まさに別物へと発展した・・。とはいっても、組織プレーにも目覚めはじめている(フタが開きはじめている)ロナウドの「個の勝負能力」も捨てがたい・・。とにかく、レアル・マドリーの「コンテンツ」は、本当に様々な見所を備えていると思います。
最前線のフタが開きはじめたレアル・マドリー。この試合での出来は、二種類のタイプのサッカーを魅せてくれたという意味も含め、素晴らしいの一言でした(3-1でレアルの勝利!)。二点目のラウールのゴール、三点目のグティーのゴール(これは、ジダンが0.9点でしたネ)も美しかったですしね。
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さて来週の二次リーグ最終日は、大変なことになりそうです。すべてのグループで、ギリギリの勝負がありますからネ。
まあ情緒的にはドルトムントをサポートしていますから、私はCグループに注目しますけれどネ。二位の座を争うレアル・マドリーとドルトムントは、両者とも「勝負が決まっている」相手のホーム。ドルトムントは、一位通過が決まっているミランのホーム。レアルは、脱落が決まっているロコモティブのホーム。さて・・。本当に来週が楽しみで仕方ありません。