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ジーコジャパン(16)・・「バランス感覚」をベースに、これまでのジーコジャパンを簡単にまとめてみました・・(2003年7月16日、水曜日)

「内容があっても(良いゲームをやっても)、勝たなければ仕方ない・・」

 コンフェデレーションズカップでコロンビアに負けた後、坪井がそう「胸を張って」コメントしたそうな。彼は、相当「内容」に自信があったということです。そりゃ、そうです。内容的に「どうだ、見たか・・」という自信がなければ、そんな余裕の(冷静な反省も含む)コメントなどできるはずがない。私は、そんな坪井のコメントにシンパシーを感じていましたよ。内容が最悪で勝負にも敗れたらもう黙るしかありませんし、悪いゲーム内容のなかでワンチャンスのラッキーゴールを決めて辛勝したとしても、勢いのあるコメントなど出てくるはずがありませんからね。

 決してわたしは「内容さえよければ負けてもいい・・」なんてことを言っているわけではありません。逆の視点からすれば(坪井の言葉を換えて!)、「内容は最低だったが、勝ったから全てオーケーだ(文句ないだろ!)・・」なんていうコメントは、非常に後味が悪いし不愉快・・ということが言いたいわけです。

 要は、「内容」も大事、「勝負」も大事・・、でもやっぱり、内容(優れたサッカーをやろうとする意志!)の方が先行し、結果は後から付いてくるという考え方にシンパシーを感じている湯浅なのです。とすると・・(相手が格段に強いことで)勝利至上のゲーム戦術(=守備を強化するゲーム戦術)で全力の闘いを挑み、相手にボールをキープされる時間が多いなかでも(自分主体の積極チャレンジプレーを展開することで)ワンチャンスをモノにしてゲームに勝利をおさめるといった試合は「立派な内容」ではない?! いやいや、それもまた、状況に応じて意図と意志を込めたサッカーを展開できたということで「内容のあるゲーム」だったということです。もちろん私だったら、最低限の戦術的セキュリティー(安全策)を講じたうえで、攻守にわたってギリギリのチャレンジをつづけさせるでしょうけれど・・。

 ちょいと「ややこしく」なってきましたが、結局このハナシは、美しく、そして強いサッカーという(内容で感銘を与え、かつゲームにも勝利!)、バランスのとれた理想型へ向けた「正しい発展ベクトル」というディスカッションと同義だとすることができそうです。まあ、私はここでも、結果よりもプロセスの方を重視するでしょうがネ。とにかく、そのベクトル上に乗っていることこそが(それを実感できることこそが)人々に希望を与え、アイデンティティー構築の一助になるというわけです。

 でも、この二つの「要素」は、多くのケースで「背反」してしまうというのも事実。美しさを追求し過ぎたら勝負には脆くなってしまうものだし、勝負ばかりに偏れば、観ている方に感動を与えという視点では「難しい戦術サッカー」になってしまう・・。だからこそ、優れた「バランス感覚」が重要な意味をもってくるというわけです。

 理想と現実のギャップを「どのようなプロセス」で埋めていくのか・・と考えを巡らせることこそが、「バランス感覚にあふれた課題の解決プロセス」だと言えるかもしれません。

 とはいっても、選手たちを前にした現場の監督は、そんな「錯綜したロジック背景」などとは関係なく、内容や結果に対して、常に前向きの姿勢(=もっと、もっとという姿勢)を貫き通さねなければなりません。要は、決して安易な妥協をしてはいけない(慢心してはいけない)ということです。

 例によって、「二律背反」が前面に押し出されてくるテーマ。とにかく監督は、選手たちに対し、理不尽なほどに「内容」を求めていかなければならないし、理不尽なほどに「結果」も追求していかなければならないということです。まあとにかく、このテーマに関しては、すべてが「理不尽」ということになってしまう。だからこそ「優れたバランス感覚」が大事になってくるというわけです。もちろん選手たちに対してだけではなく、メディアやチームマネージメントに対してもネ・・。まあ、この「二律背反というテーマ」については、これからも機会をみて追求していきますので・・。あっと、今回のコーチ国際会議でも、このテーマでディベートすることにしましょう。

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 さてジーコジャパン。

 ジーコ就任からこれまでの軌跡について、i−modeサイト「サッカー三昧」でこんな文章を発表しました。

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 へ〜、本当にジーコが日本代表の監督になるのかい・・。その一報を聞いたとき、期待よりも不安の方が先に立った。それは、彼に監督経験がないからだけではなかった。

 選手時代のジーコは、常に「カッコいい」世界のスーパースターだった。1986年メキシコワールドカップでのPK失敗にしても(対フランス戦)、結局は「悲劇のヒーロー」として歴史に刻まれたし、「J」でも引退するまでカッコ良かった。ただそれは、あくまでも選手でのハナシだ。監督が置かれる立場は、それとはまったく違う。もっといえば、選手時代の並はずれた名声は、監督としてのジーコの立場を微妙なものにするネガティブ要素にもなる得るということだ。そして彼には、その監督経験がない。

 たしかにジーコは、1998年フランスワールドカップでは、テクニカルコーディネーターとしてブラジル代表チームに参加した(結局準優勝)。ただそこでの彼の役割は、気落ちしたスター選手の相談役など、あくまでも「カッコいい」ものだった。しかし、最終意志決定者としての監督は、決してカッコいい存在ではない。むしろ、チームがうまくいかないときの不満を一手に引き受けなければならないなど、カッコ悪いことの方が多い。また現場では、選手たちとの「闘い」もある。多かれ少なかれ、選手たちは不満を抱えている。その不満を、ネガティブに蓄積させるのではなく、次の発展のためのエネルギーに変換してやらなけばならない。また、緊張感を高めるために、選手たちの挑発が必要になるケースだってある。監督は、最後は彼らも分かるはずだ・・という信念に基づき、選手たちに瞬間的に恨まれたり憎まれたりすることにも耐えなければならない。

 もちろん、最後に何かを成就したときの(たとえ失敗に終わったとしても!)達成感や感慨はひとしおなのだが、そこに至るプロセスでのキーワードは、まさに「忍耐」なのである。

 私は、「まあ、ジーコが持っているサッカー的な感覚エッセンスの質はもちろん高いだろうし、あの知名度だから、日本サッカーの顔としての活用価値は計り知れない・・とはいっても、いずれカッコ悪い状況に陥るだろうから、そのときに、監督としてのジーコの真価が問われるし、裸の姿が見えてくる・・それにしても、そんなカッコ悪い状況をあまり経験したことのないジーコだろうから、たしかに不安だな・・」などと思ったものだ。

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 日本代表の監督に就任してからも、あくまでも「カッコいい言動」をつづけるジーコ。テクニックに優れ、欧州でチャレンジしている(活躍しているとは限らない!)中盤カルテットをレギュラーに指名し、「クリエイティブな能力に長けた彼らには、限りなく自由にプレーしてもらいたい」と、前任者の対極マネージメントを強調する。そして代表メンバー発表の記者会見の席上で、「もし明日ゲームがあるとしたら・・」と先発メンバーまで発表してしまう。ちょいと、やり過ぎ・・。そんなことを感じていた。

 ジーコの「やり方」に関するディスカッションは、まず何といっても、日本代表はまだまだ世界の一流といえるレベルに到達しているわけではないという厳然たる事実を見つめるところからスタートしなければならない。だからこそ、特にミッドフィールダーには、多くの運動量と「高い守備意識」が求められる。いまの日本代表の中盤をうまく機能させるためには、それが決定的に重要なファクターになるのだ。もちろん、意識だけではなく、実際にボールを奪い返せるだけのハイレベルな守備能力も備えていなければならない。その視点で、特に中村俊輔と小野伸二には、まだ足りないところが見え隠れしている。

 また、傍目にも明らかに「ヨーロッパ組」を優先するジーコの姿勢に、国内組の不満が充満しないはずがない。「何だ、オレたちは単なる人数合わせか・・」。

 「気がかりな船出」をしたジーコジャパン。そんな心理的な不安定さは、初戦のジャマイカ戦のゲーム内容に如実に現れてくる。相手の攻撃を抑えられない不安定な中盤ディフェンス・・だから最終ラインも安定せず、タイミングよく人数をかけた攻撃も仕掛けていけない・・。戦術的な発想レベルで、明らかに格下のジャマイカだったからこそ、そんなゲーム内容に焦燥感ばかりがつのった。

 次のアルゼンチン戦では、ジーコ監督の親族の不幸があったことで、山本昌邦が急遽指揮を執ることになった。また欧州組は中村俊輔しか参加できず、チームの重心ともいえる守備的ハーフには、福西と中田浩二が就いた。しかし全体的なゲーム内容は好転する。たしかに一瞬のスキを突かれて二失点してしまったが、内容的には、明らかにジャマイカ戦よりも安定していたのである。

 そして三戦目のウルグアイ戦。それは、中盤における選手タイプのバランス(組み合わせ)の大事さを再認識するうえで重要なゲームになった。再び欧州カルテットが揃ったゲーム。ただ前半の出来は、お世辞にも良かったとは言い難かった。たしかに中盤ディフェンスは安定したが、ジャマイカ戦での失敗が心理的に尾を引いていたのだろう、後方からの押し上げが足りないことで、どうしても攻撃にダイナミズムを乗せていけない。しかし、小野伸二と中村俊輔が中田浩二とアレックスに入れ替わった後半からは、内容が高揚していく。相変わらず安定した中盤ディフェンスを基盤に、攻撃のダイナミズムも格段にアップしていったのだ。私は、その現象を、交代によって中盤の選手タイプがうまくバランスしたからに他ならないと分析する。

 その後も、韓国戦で存在感をアピールしつづけた「国内組」。彼らには、明確なモティベーションがあった。「冗談じゃない・・オレたちは欧州組に劣っているわけじゃないぞ!」。そして、選手たちのプレーを詳細に観察することで、徐々にジーコの「言動」にも変化が見られるようになっていった。それまで、彼のチーム構想イメージのなかでは完全に「特別扱い」だったヨーロッパ組と国内組とのギャップが目に見えて縮まっていったと思うのだ。「良いサッカーをやった・・これで(選手の)選択肢の幅が大きく広がった・・」。アウェー勝利をおさめた韓国戦の後に、ジーコがコメントしていた。

 そして、そんな「変化」の兆候が決定的な段階に入ることになる。そのキッカケになったのは、中止になった東アジア選手権の代わりに行われた韓国戦と、キリンカップサッカーのアルゼンチン戦だった。一週間をはさんで連続した二つの国際マッチ。内容、結果ともに完敗だった。そしてジーコが、本格的に「動き」はじめる。欧州組だけではなく、自分が育てたといっても過言ではないアントラーズの選手たち、また、ともにグラウンド上で戦ったベテラン選手たちに対しても、ある一定の距離をおくようになったと感じられるようになったのである。

 そしてジーコは、コンフェデレーションズカップ準備の総仕上げとなるパラグアイ戦で、我々を大いに驚かせ、楽しませてくれることになる。大久保と遠藤をチームに組み込んだだけではなく、最終ラインのメンバーを完全に入れ替えてしまったのだ。

 最前線で動きまわりながらパスターゲットになる大久保。彼が入ったことで、ボールの動きが縦横に活性化し、個人のリスクチャレンジプレーも目立つようになった。素早く、広い組織パスプレーと単独ドリブル勝負がうまくミックスしバランスすることで、最終の仕掛けにも「変化」を演出できるようになったのだ。また中盤の守備ブロックも、遠藤が入ったことで抜群の安定感を魅せるようになった。彼の、ボールがないところでの読みディフェンスや、食らいついたら最後まで離さない忠実マーキングは秀逸だ。

 ただ、ジーコがみせた「マネージメント変化」のなかで、もっとも大胆だったのは、何といっても最終ラインの「全とっかえ」だった。新しい「セット」のメンバーは、山田、坪井、宮本、そしてハーフからコンバートされたアレックス。やはり最初は不安感の方が強かった。ただ、この「セット」の初陣となったパラグアイ戦、そしてコンフェデレーションズカップ初戦のニュージーランド戦と、無難にゲームをこなすなかで徐々に自信を深め、コンフェデが終わってみれば、ダイナミックで安定した最終ラインへと成長を遂げてしまうことになる。

 それは、ジーコのクレバーな戦略だったとも言えそうだ。「不安定な最終ラインを変更したい・・よし、格下のパラグアイとニュージーランドとの試合がつづくこのタイミングで、新しいセットへ移行しよう・・」。そしてその決断がツボにはまった。

 以前の「セット」の場合、相手が攻め上がってくるのを後方で待つという、どちらかといえば受け身のマーキング姿勢が目立っていた。それに対し、宮本を中心とする「新セット」は、よりアクティブなラインコントロールを基盤に、「読みベース」で、前方でのインターセプトも狙うなど、より積極的にボール奪取バトルを仕掛けていくプレー姿勢が前面に押し出されている。積極的に最終ラインを押し上げることで中盤ゾーンをコンパクトに保てるから、そこでのディフェンスもうまく機能し、より高い位置でボールを奪い返せるようになった。だから、攻撃により多くの人数をかけることで(バックアップを厚くすることで)、変化のある最終勝負を仕掛けていけるようにもなった。

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 惜敗に終わったとはいえ、フランス戦、コロンビア戦での彼らは、内容的には本当に素晴らしいサッカーを展開した。フットボールネーションのエキスパートたちも、そのハイレベルなサッカーに対する称賛を惜しまない。友人のドイツ人プロコーチも、「日本代表は、発展をつづけている。たしかにグループリーグで負けたのは残念だったけれど、世界との距離は確実に縮まっている。とにかく、ヨーロッパの連中に、そのアピールができたことは大きいよな」。

 日本代表が、ジーコ監督のマネージメント姿勢も含め、コンフェデレーションズカップの直前から、ポジティブな方向へ大きく「変容」しはじめたのは確かなことだ。ディフェンス(実効ある守備意識!)を視点の中心に置いた、より現実的な選手タイプの組み合わせとチーム戦術?! まあ、そうとも言える。それがあるからこそ、ジーコが標榜する「自由度の高いサッカー」の実現性が高まったことも事実なのだ。この一年で、ジーコも学習したということか。

 もちろんそれは、世界との「最後の僅差」を縮めていくためのより現実的なプロセスという意味での変容だ。だからこそ期待が持てる。だからこそ興味がわく。(了)

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 ちょっと長くなってしまいました。

 同じようなテーマとして、「リスクを減らす」というジーコの発言もありましたよね。それが意味する本当のところは・・決して消極的な「逃げパス」のことではなく、次のリスキーな仕掛けのための確実な準備パスのことだとか、やはり分析にも「バランス感覚」が必要になってきます。

 もちろん、これからのジーコジャパンの動向(グラウンド内外の現象プロセス)によっては、私の分析のニュアンスもまた大きく動くことになりますが、いまのところは、ジーコジャパンのプロセスを肯定的に見ている湯浅なのです。

 さて、明日からヨーロッパ出張。様々な発見に期待が高まります。時間が許せば、本日のナビスコカップも観戦しようと(簡単なレポートをアップしようと)思っている湯浅でした。




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