要は、いまのレアルでのデイヴィッド・ベッカムの存在がものすごく大きくなっているということです。守備においても、攻撃においても・・。
この試合でのベッカムの代役は、例によってグティー。そしてエルゲラと中盤の底コンビを組みます。まあ基本的にはエルゲラが中盤のスイーパーというイメージですから、グティーが入ったことで守備ブロックが大きく破綻することはない?! いやいや、ホントに大きく破綻してしまったのですよ。
グティーが、ボールなしのディフェンスができない、やらないことは衆目の一致するところでしょう。それをエルゲラが一手に引き受ける・・。でも、今のレアル・マドリーの最終ラインセンターバックコンビのチカラでは、エルゲラだけの「スペースコーディネーション」では、守備ブロック全体がうまく機能しない(相手のラストパスやフリーランニングをうまく抑制できない!)のですよ。だからこそ、物理的だけではなく「イメージ的」にも守備範囲が抜群に広いベッカムの不在が目立ちに目立っていたというわけです。もちろんシーズン前にはまったく予想できなかったことですがね・・。
最終ラインのセンターコンビ(パヴォンとラウール・ブラボー)は、前半に何度かあった「相手二列目のフリーでの走り上がり」によって心理的に不安定になってしまったということです。誰が相手をフリーで行かせてしまったかって?? グティーに決まっているじゃないですか。例えば前半25分ころの、右サイドからカルピン(W杯で日本とも戦ったロシア代表)がワンツーで抜け出したシーン。最初にカルピンをマークしていたグティーでしたが、彼のパス&ムーブの動きにまったく反応せず、無為にフリーで行かせてしまったのです。アレは「サボリ」と非難されても仕方ない怠慢ディフェンスでしたよ。またこの試合唯一のゴールシーン(レアル・ソシエダの決勝ゴールシーン!)でも、後方から上がってゴールを決めたカルピンを最後までケアーしていなければならなかったのはグティーだったのに・・。
中盤の底がそんなだから、最終ラインのセンターが、物理的・心理的に不安定になるのも道理。何度も、コバチェビッチやニハトに「決定的フリーランニング」で行かれてしまったシーンを目撃しました。たしかにこの二人のマーキング(最終勝負の駆け引き)は、まだまだです。とはいっても、ベッカムが出場し、最終ラインと中盤守備のコンビネーションがうまく機能している状況では、自分が最後までマークしなければならない相手が「比較的クリアに」決まってくることもあって、この二人のマーキングアクションもより忠実で確実になるというわけです。でもグティーが「前」にいたら・・。
とはいっても、守備以上にベッカム不在の悪影響を受けたのは攻撃でした。何せ、素早タイミングの正確なタテパスがまったくといっていいほど出てこないのですからね。グティーは、一発の「ウラパスやスルーパス」を狙いすぎて、結局は詰まった「逃げパス」に終始していましたよ(まあ2-3発は、彼の才能を感じさせてくれる正確なロングパスは飛びましたが・・)。これでは、縦方向のダイナミズムが活性化されるはずがない。
ビデオを持っていらっしゃる方は、ベッカムがいるときのレアルの攻めプロセスを観察してみてください。とにかく、本当によく縦方向にボールが動いていることに気付かれるはずです。そこには、攻撃陣全員がシェアする「イメージシンクロ」がある。だから、ロナウド、ラウール、ジダンにフィーゴも、その動きをベースに次の仕掛けイメージを作り上げることができる。やはり仕掛けの変化は「縦方向のボールの動き」によって、より効果的に演出できるものだということです。
ベッカムが中盤の底でボールを持った次の瞬間、最前線のロナウドが、ズバッという戻りフリーランニングをスタートする・・そしてベッカムから、彼の利き足も考慮した親切で正確なタテパスが送り込まれる・・そのタテパスを合図に、ラウール、ジダン、フィーゴたちが次の最終勝負イメージを描きながら、ボールがないところでのアクションに入っていく・・そこには素晴らしいハーモニーがある・・ボールホルダーのアクション、ボールの動き、そして選手のボールなしの動きが絡み合う美しいハーモニーが・・ってか〜〜!
いまでは、中盤の全員がベッカムを探してボールをわたしていると感じます。もちろんそれは、全員がベッカムのことを「後方からのゲームメイカー」として認めている(レスペクトし頼りにしている!)からに他なりません。まあ、その隠されたベースに、彼の献身的で実効ある中盤ディフェンスもあるわけですがネ。ホンモノのボランチ・・。だからこそ、ベッカムがボールを持つ頻度は抜群に高くなる・・だからこそ、前線の選手たちも、明確なタイミングでタテの揺動アクションをスタートできる・・ってな具合なのですよ。
でもこの試合(レアル・ソシエダード戦)では、そのゲームメイカーが不在・・。ジダンやフィーゴにしても、それまで後方からのゲームメイキングをベッカムに任せきりだったから、そう簡単にプレーコンテンツを変えられないし、変えようにも、三列目ゾーンは、「足許パスばかりを待つ」グティーが埋めてしまっていますからネ・・。まあ仕方ない。
ということで、皆さんもご存じのように、今年のレアル・マドリーは、トップメンバーが揃ったときはものすごく強いけれど、一人でも欠けたら、そこでの「バランスの減退状況」はレベルを超えたモノになってしまうというわけです。さて・・。
ところで、(仕掛け)タテパスですが、これは、ユース年代からどんどんチャレンジさせていかなければなりません。とはいってもネ・・、たぶん、勝つことだけを目的にした戦術&規制サッカーという発想しかない(自分のマスターベーションが目的の)大人たちが、「まだヤツらは未熟だから、そんなことはできっこない」なんて、子供たちの可能性を摘み取ってしまうんだろうな・・。ユース年代の目的は、自分主体のプレー姿勢を基盤にしたホンモノの発展ベースを築くことなのにネ・・。
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ホンモノのボランチとして最高の存在感を発揮するようになったレアル・マドリーのベッカム。実効ある守備意識を基盤に、後方からゲームを司ってしまうリーダーシップも併せもつ・・なんていう表現では追いつかない、攻守にわたる高質なプレーコンテンツなのです。そして私は、そんなベッカムを見ながら、ボローニャへレンタル移籍した中田英寿に思いを馳せていたというわけです。
この試合(レッチェ対ボローニャ、1-2でボローニャの勝利!)での中田は、コルッチと守備的ハーフコンビを組みました。そして、攻守にわたる多くのシーンで、まさにホンモノのボランチという活躍を魅せてくれました。決勝ゴールのアシスト(ドリブルからのラストクロス!)は、まさに、そんな彼の高質パフォーマンスに対する正当な報酬でした。
中田ボランチについては、昨年の11月3日にアップした「ヨーロッパの日本人コラム」を参照してください。中田自身は二列目センター(チャンスメイカー)を志向しているのでしょうが、とにかく今の彼に必要なのは「中盤での自由」ですからね。ボローニャで、(監督からの信頼をバックに!)完璧な自由を与えられていることが大事だと思っている湯浅なのですよ。そしてその高い自由度を、攻守わたって、まさに活き活きと楽しんでしまう中田英寿。久しぶりに堪能させてもらいました。
そんな中田の中盤でのリーダーシップがあったからこそ(もちろんゲームメイカーとして!)、ボローニャの、中盤での人とボールの動きにもダイナミズムが注入された・・。やはり中田英寿は「シンプルプレーの天才」だ・・そんな彼の効果的なプレーリズムがあるからこそ周りも感化され、人とボールの動きが活性化された・・そしてチームメイトたちが中田英寿を捜しはじめるようになっていくプロセスが明確に見えるようになってくる・・見ていて心地よいことこの上ない・・これこそ、まさに私が期待したゲーム内容・・ってな具合なのですよ。
まあ、とはいっても、攻守にわたるすべてのプレー要素について、全体的に底上げしなければなりませんけれどネ・・。特に守備。インターセプトや相手トラップを狙ったアタックなどは上手いのですが、相手ボールホルダーへのボール奪取アタックでは、もうちょっと工夫=イメージトレーニング=が必要・・とかネ・・。
とにかくこの試合でのボローニャは優れたゲームを展開しました。そのことは、プレーしている選手たちも体感していたに違いありません(まあ後半には、押し込まれてピンチを迎えた時間帯もありましたが・・)。もちろん相手がそんなに強いチームではないということもあったのですが、それでも相手のホームゲームですからね、評価しなければいけません。
その良いサッカーの「イメージ演出コア」が中田英寿だったというわけです。パルマのプランデッリは、改めて中田英寿の「価値」を見直したことでしょう。だからこそ私は、(たしかに中盤ディフェンスが第一のタスクとはいえ・・)中盤の底で最高の自由度を謳歌できる守備的ハーフが、中田英寿の究極の適合ポジションだと言いつづけていたというわけです(このことについても、リンクしたコラムを参照してください)。
もちろん「完全なる自由」が保証されている日本代表では「前」でオーケー。そこでは、彼の実効ある守備意識が、常に、存分に(自分主体の自由意志をベースに!)発揮されますからネ。そして周りのチームメイトたちに、その守備意識イメージが波及していく・・。まあその意味では、チーム戦術で決められる基本的なポジションなんていうものじゃなく、「守備意識&イメージ」こそが、プレーイメージを決めるということなのかもしれません。ちょいと議論が複雑になってしまいますがネ・・。
サッカーでの創造性(クリエイティビティー)を発揮するための絶対的ベースは、とにかく「例外のない実効ある守備意識」なのですよ。それがあってはじめて、すべてのプレーが、(様々な視点で!)高い次元で「バランス」するようになるというわけです。もちろんマラドーナのように、一人で決定的チャンスを作り出してしまうような世紀の天才がいる場合は、また発想を変えなければなりませんが・・。まあ、逆に言えば、マラドーナのような大天才が「希有な存在」で本当によかった・・なんて思っている湯浅なのです・・あははっ・・。