その背景には、素晴らしくクレバーで「忠実」なプレーを展開したヴェルディのディフェンスもありました。私は、石崎監督による「これだけは外せないディフェンスのポイント修正」に対して拍手を送っていましたよ。えっ? どんなポイント修正だったかって? それは、勝負所ではマークを受けわたさず、その時点で決まった相手を最後までマークしつづける・・また後方からの飛び出しに対しても、前後でマークを受けわたすのではなく、中盤選手が極力マークしつづける・・等々といった「確実性」の向上です。
今年のゼロックス・スーパーカップの記者会見で、オジーに対してこんな質問をしました。「相手の二列目からの飛び出しに対して、縦方向にマークを受けわたそうとするのでは守備ブロックが不安定になるけれど・・」。その質問意図を完全に否定したオジー・アルディレスとの丁々発止のやりとりについては「当時のコラム」を参照してください。
それにしてもレアル選手たちのプレー姿勢(モティベーションレベル!?)はヒドかったよね。最後の僅差が縮まっていることについては選手たちも体感しているハズなのに・・。最低でもしっかりとした運動量をキープしなければ、自分たちがイメージするような流れで相手守備ブロックのウラを突けるはずがない。要は、攻守にわたるボールなしのプレーの量と質を高めなければ、「実際の実力の差」をグラウンド上に現出させられないところまで日本サッカーのレベルが上がったとも言えるわけだけれど・・。
また、試合を観ながらこんなコンセプトも反芻していました。「一度減退したプレーリズムを回復させる(個々のプレーイメージを活性化させ、そのシンクロレベルを向上させる)のは、あのレアルでも難しいということか・・」。ボールなしのプレーを活性化するためには、自らの精神力がベースになります。でもそれだけではダメ。その意志のチカラは、味方が描くプレーイメージの連鎖状況によって支えられるのですよ。いくらパスレシーブの動きをつづけても、素早いタイミングでボールが送られてこなかったら、すぐにでも足が止まり気味になってしまうということです。
ディフェンスの確実な機能性が向上したヴェルディにとっては、レアルが繰り出してくる仕掛けフローのほとんどが「自分たちの眼前で繰り広げられる」のだから守りやすかったに違いありません。もちろん「個の勝負」は怖いけれど、そこでのオプションが限定されるから(パスではなく、自ら抜け出してシュートというイメージしかない!)対処も楽だったということです。もし、何度か、自分たちのイメージを超越したウラ取りのコンビネーションを決められたら、ヴェルディ守備ブロックも、もうちょっとアタフタしたはずですがネ・・。
それにしても、こんなレアルを観るのは久しぶりだったから、このゲームは私にとって大いなる刺激になりましたよ。そう、大変貴重な学習機会。レアルの個の才能は、やはり組織プレーが機能してはじめて輝く・・それでも一度タガが外れたら、レアル中盤でのリーダーシップの欠如が、如実に感じられるようになった・・素晴らしいグラヴェセンしか、リーダーシップを取れる選手はいない・・レアル選手たちも、汗かき仕事をあれだけ高効率にこなしてくれるグラヴェセンに敬意を持っているのだから・・対するヴェルディ選手たちの攻守にわたるセンスは、やはり一流・・斜に構えたプレー姿勢(クラブやチームの体質的な問題点!?)さえ改善できれば、これからでも大いなる発展を期待できる・・。まあ、そんなところですかね。
まだ体調が回復していないから、このゲームもまた自宅でテレビ観戦ということになりました。ただ次のジュビロ戦は絶対にスタジアム観戦するつもり。何せ、調子が上向きのジュビロが、このゲームで地に落ちた「イメージ価値」を取り戻そうと必死のプレーを魅せるに違いないレアルとガチンコ勝負を展開するはずだからネ。今から楽しみです。