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05_雑誌「サッカー批評」で、日本代表の最終ラインをディスカッションしました・・(2005年12月21日、水曜日)

2005年12月初旬に発売された雑誌「サッカー批評において、日本代表のW杯でのミッション、守備意識、そして日本の実力という背景ファクターをベースに、「フォーバック」を議論しました。

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 (雑誌「サッカー批評」のために、2005年11月18日に仕上げた原稿です)

 さて、ワールドカップ本大会で日本代表はどのように戦うべきかというテーマ。このディスカッションでは、どのような守備のチーム戦術で本大会に臨むべきかというポイントに絞り込む。守備こそがスタートライン。それによってサッカー内容のすべてが決まってしまうといっても過言ではないのだ。そしてそのバックボーンとなるのが、「守備意識」と呼ばれる選手たち個々の意志ファクターなのである。

 ジーコは、地域予選と本大会でのサッカーを明確に分けて考えていた。地域予選でのミッションは唯一、確実に勝ち抜くこと。どんなことをしてでも。そこでは、見てくれにこだわっている余裕などない。だから、より堅実なスリーバックで臨んだ。ゴールへの最短ルートであるグラウンドの中央ゾーン。また、回り道をしたとしても最後は相手が仕掛けてくるゴール前。そこに最初から「三人」を配置するというのがスリーバックの基本的な発想だ。タッチライン沿いのゾーンはサイドバックが担当するから、スリーバックとはいっても、実際には「ファイブバック」と捉えるのが自然。人数が多いのだから、より安定した最終ラインであることは自明である。

 ただ逆に、スリーバックの場合、堅実であるからこその「マイナス面」もある。代表的なのが、後方ディフェンダーの人数が「余り気味になる」というアンバランス現象。相手がツートップだったら、まあバランスは取れるけれど、ワントップの場合は、どうしても人数が余り気味になってしまうのが常だ。また守備的ハーフがポジショニングを下げ過ぎた場合も「人余り現象」が起きてしまう。それは、とりもなおさず、攻撃での人数不足だけではなく、高い位置での相手攻撃の抑制やボール奪取勝負が機能不全に陥ってしまうというネガティブな現象につながる。もちろん、ディフェンダー過多というアンバランスを調整するために、状況に応じて最終ラインの選手が中盤へ押し上げたり、守備的ハーフがより高い位置でプレーするなど臨機応変に対応ができれば問題ないが、それには強い意志や高度な戦術能力が求められるから簡単ではない。

 スリーバックの場合、たしかに堅実だけれど、はじめから人数を多く配置している分、前後左右のポジショニングバランスを効果的にコーディネイトするのは難しいものなのだ。それに対してフォーバックは、ジーコが、最終ラインのセンターゾーンから一人を中盤に「上げる」と表現するとおり、最終ライン中央ゾーンは、「ツーバック」ともいえる構成になる。それが、やり方によってはより攻撃的なサッカーができるといわれる所以だ。もちろん、それなりにリスク要素も拡大する。

 日本にとって、世界へのアピール「も」重要なミッションとなるドイツワールドカップ本大会。勝利と同じくらい「サッカー内容」にもウエイトが置かれるのは当然である。だからこそ私は、より攻撃的なフォーバックで臨むことを期待する。何といってもジーコジャパンは、既に「フォー」で成功体感を積み重ねているではないか。言うまでもなく、コンフェデレーションズカップでのギリシャ戦やブラジル戦だ。

 とはいっても、いくら攻撃的で魅力的なサッカーを展開したところで、相手に4-5点ぶち込まれて惨敗したら、決して良いイメージが人々の記憶に残ることはないだろう。だからこそ、本大会に臨むジーコジャパンにとっては、美しさと勝負強さの「状況に応じた最良のバランス」を、守備のチーム戦術をベースに突き詰めるという作業がもっとも重要なテーマになるのである。

 ちょっと概念的になってしまった。要は、日本代表選手たちのクオリティーが、世界の一流どころと比べて、まだまだ足りないことの方が多いということだ。そこには、世界一流との「最後の僅差」が厳然と立ちはだかっている。だからこそ日本代表は、美しさと勝負強さという、ある意味背反するファクターの「最良のバランス」を見出すために、個々の意志エネルギーを充填し、様々な戦術的術策(妥協策)を講じなければならないのである。

 ここからは、「守備意識」に関するディスカッションに入っていこう。さまざまな捉え方がされる守備意識だが、私はこう定義する。ボールがないところのディフェンスに対するイメージの量と質。それこそが、チームの守備パフォーマンスを左右する決定的ファクターだと思っているのである。

 相手にボールを奪われたら、瞬間的にイメージが攻撃から守備へと切り替わり、オートマティックに守備アクションに入っていく・・危険があると察知したら、何十メートルも全力ダッシュで戻ってスペースをケアーする・・味方の薄いゾーンへオーバーラップする相手を、最終ラインを追い越してまでも最後の最後までしっかりとマークしつづける・・ドリブルで抜かれても、足を止めることなく、すぐに次のカバーリングポジションへ全力で急行する・・味方ディフェンダーがオーバーラップしたら、そのスペースをバックアップすることでタテのポジションチェンジ(味方の後ろ髪を引かれない味方のやオーバーラップ)を演出できる・・等々。

 それらは、守備意識がグラウンド上に現出した実効プレーだ。そのバックボーンは、どんなに厳しい状況でも、必要なディフェンスワークを積極的に探しつづけ、確実に実行していけるだけのインテリジェンスや意志の力。それこそが、守備を支える「イメージ描写力」の本質的な基盤なのである。そう、中田英寿がグラウンド上で余すところなく体現しているように。

 そんなハイレベルな守備意識がチーム全体に備わっていれば、もちろんスリーバックでも高質な機能性をベースに、美しさと勝負強さも高みで均衡させられるだろう。例えば、こんな具合だ。どんどん押し上げる攻撃的なラインコントロールで中盤ゾーンをコンパクトに保ち、高い位置での効果的なボール奪取勝負をサポートする最終スリーバックライン・・後方の人数が余ったら、積極的にそこから抜け出して中盤守備や攻撃にも参加していくリベロ・・それでも、中盤プレイヤーとの効果的なコンビネーションを基盤に、次の守備における人数バランスが崩れることはない・・また、まさにウイングバックとしてタッチライン際から仕掛けていく両サイド・・等々。

 とはいっても、やはり選手クオリティーには限界があるし、いまの日本代表のスリーバックでは、前述のようなムダが先行してしまう可能性の方が大きい。だからこそフォーバックを選択すべきだと思うのだ。そして、リスクを効果的にマネージするために、選手たちの意識を高揚させるだけではなく、緻密なチーム戦術も練る。ゴール前ゾーンでの人数的、相互ポジショニング的なバランスをいかにうまく演出し維持するのか・・相手の二列目や三列目からの飛び出しにどのように対応するのか・・相手がツートップで臨んできた場合の対抗策は・・等々。

 そんな考察ポイントも含め、いまの日本代表がフォーバックにする場合、攻守両面で流動的にアクトする守備的ハーフではなく、最終ラインから数メートル前のゾーンを基本ポジションにして中盤ディフェンスの穴埋め(汗かき)に徹する「前気味リベロ」を置くというオーソドックスな発想が現実的だろう。コンフェデレーションズカップでは、その任を担った福西が素晴らしいパフォーマンスを魅せた。もちろんその前方の中盤選手たちには、攻守にわたって仕事を探しつづけるという積極プレー姿勢が求められる。それらがうまく噛み合えば、フォーバックの機能性レベルを測る大事な基準の一つである「両サイドバック攻撃参加の量と質」もおのずと向上するはずだし、タテのポジションチェンジも活性化していくはずだ。

 私は、現状での「前気味リベロ」第一候補は、復調著しい稲本潤一だと思っている。東欧遠征のラトビア戦で久しぶりに復帰した稲本。彼は、その基本タスクに徹することで、最終ラインと前方グループを攻守にわたってうまくリンクしていた。また、そのポジションには、福西だけではなく、中田浩二、遠藤保仁、はたまた阿部勇樹といったライバルがひしめているから、発展するための緊張感にも事欠かない。

 また攻撃にしても、例えばワントップにすることで前気味リベロも含むハーフを5人に増やすなど、中盤選手たちのチーム戦術的なバリエーションアイデアにも限りない広がりを与えることができるだろう。

 さて最後に、美しさと勝負強さのバランスに関するディスカッションをまとめよう。日本代表は、そのバランスを、できる限り美しさへ向かうベクトル上で高揚させていかなればならない。ガチガチの守備サッカーを基盤に、カウンターで挙げた虎の子の一点を守り切ったとしても誰も評価してくれないし人々の記憶にも残らない。だからこそ、フォーバックを基調に、攻守にわたるリスクへ積極的にチャレンジしていけるような「環境」を整備しなければならないのである。

 その環境整備の絶対的なベース。それが、実効ある自分主体の守備意識にあることはもう言うまでもないだろう。高い守備意識は、チームワークを発展させるポジティブで強い自己主張と同義である。ボールを奪い返すという守備の目的やシュートを打つという攻撃の目的を達成するために、具体的なプレーイメージを瞬間的に描写しつづける選手たち。そして、そのイメージを互いにぶつけ合いながら調整するという「刺激」を通し、攻守のチームワークが、チーム戦術という机上のプランを超越し、有機的なプレー連鎖の集合体と表現できるレベルにまで高揚していく。

 主体的な守備意識の深化こそが、チーム戦術的な「制限」から選手たちを解放し、彼らが本当の意味で自由を謳歌できる環境を整備するのである。(了)




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