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06_ジーコジャパン(74)・・強いアメリカに完敗した日本代表・・でも「代表新人」に関しては大きなプラスもあった・・(アメリカvs日本、3-2)・・(2006年2月11日、土曜日)

さてアメリカ戦。ディフェンスの内容、また作り出したシュートチャンスの量と質という視点でも、日本がアメリカに完敗したという表現がふさわしいゲームだったよね。たしかに残り20分というところから日本が盛り返し、中沢のゴールで一点差に詰め寄ったけれど、全体的な内容で日本代表がアメリカに完璧に凌駕されちゃったという事実は変わらない。個人的な能力でそんなに差がある訳じゃないアメリカに、あれ程こっぴどくやられたことを、選手たちは真摯に、そして深刻に反省しなければなりません。攻守にわたる組織プレーのコンテンツ(イメージ描写力と実行力など)で凌駕されたのだからね。

 要は、アメリカの方が、攻守にわたり、少なくとも日本の二倍は能動アクションを仕掛けつづけていたということです。それは、攻守にわたるリスクチャレンジ勝負プレーとも言える主体的なプレー姿勢のこと。その基盤は、もちろん、ボール絡みとポールなしのプレーに関するイメージ描写の量と質です。だからこそ、アメリカ選手たちの方が、より多く、そしてより深く「考えつづけて」いたとも表現できるというわけです。

 サッカーの根源的な性質は、限りなく自由なインテリジェンス・ボールゲーム。その意味でも、自分主体で考えつづけ、そこで描写されるプレーイメージを、責任感あふれるリスクチャレンジとして実際にグラウンド上に表現しつづけるアメリカ選手たちの方が、よりサッカーを「楽しめて」いたと言えるよね。もちろん日本選手たちよりは「疲れた」だろうけれどサ・・その疲労感を補って余りある「哲学的な満足」を得たに違いないっちゅうことです。もっと言えば、アメリカ選手たちのプレー姿勢からは、その「深い満足を得ること」がもっとも大きなモティベーションになっていることも体感できるのですよ。アメリカ代表を既に8年以上も率いているブルース・アリーナ監督の「確かなウデ」を感じるというものじゃありませんか。

 この試合に関する「戦術的なコンテンツ」を、ランダムに(箇条書きで)短くまとめたら、こんな具合になるかな・・。

 ・・立ち上がりの数分間は、前からディフェンスを仕掛けるという積極サッカーでアメリカを押し込んだかのように「見えた」日本代表だったけれど、すぐにプッシュバックされはじめる・・そんなゲームの流れの逆転プロセスで機能したアメリカの「ドミナンス・パワーの源泉」は、何といっても、絶対的な走りの量と質・・そしてそれをベースにした中盤ディフェンスのクレバーな機能性・・フォーバックベースのアメリカが展開する、中盤での素晴らしい「組織ディフェンス」には、まさに、有機的なプレー連鎖の集合体という表現がふさわしい「あうん」のコンビネーションがある・・

 ・・日本のボールホルダー(次のパスレシーバー)に対するプレッシャーの量と質は、その周りで展開される「高質なボールなしのディフェンス」と相まって、素晴らしい実効レベルを魅せる・・だからこそ、機を見計らった協力プレスも素晴らしく機能する・・アメリカ選手たちの「走り」には、テレビ解説の浅野哲也さんも的確に指摘していたように、高質なバランス感覚(考えるチカラ)というバックボーンがある・・要は、互いのポジショニング&人数バランスに対する鋭い調整能力(積極的な仕掛けとカバーリングに対する明確な判断力と実行力)を備えているということ・・もちろん「それ」を突き詰めたら、ハイレベルな守備意識という、サッカーにおける最重要ファクターに行き着くことは言うまでもない・・

 ・・相手にボールを奪い返された瞬間からはじまる有機的なディフェンスコンビネーション・・ボールホルダー(次のパスレシーバー)に対するプレッシャープレー(守備の起点プレー)だけではなく、次、その次のボール奪取勝負をイメージした、ボールがないところでの守備プレーも素晴らしい・・そして、効果的にスペースをカバーし合う・・そんな素晴らしいディフェンス感覚をベースにしているからこそ、次の攻撃にも鋭さを与えることができる・・素晴らしい組織プレー・・ボール絡みシーンの周りで繰り広げられるボールがないところでの仕掛けプレー・・アメリカ得意の「シャドー・アタック」が冴えわたる・・まったく抑えが効かない日本の守備ブロックは、「すべてに中途半端」になって、振り回されつづける・・前半は、いったい何点ブチ込まれちゃうんだろう・・なんていう不安がよぎったモノです・・

 ・・アメリカのコメントばかりしたけれど、その「まさに裏返し」が日本チームのプレーコンテンツなんですよ・・守備の起点プレーが「甘い」から、アメリカ選手たちに、楽にボールをキープされ、シンプルにパスを展開されてしまう・・また起点プレーが忠実でも(最初の頃の小野は、まさに忠実にダイナミックに、相手ボールを追いかけ回していた!)、その周りで展開される味方の「狙うディフェンス」が甘いから、起点プレーが(アンフェアに)無駄になってしまうシーンが続出する・・これでは、ボール奪取勝負が後手後手に回ってしまうのも道理・・だからこそ、ボール奪取勝負へのエネルギーが「空回り」し、ディフェンダーが置き去りになってしまうというシーンが繰り返される(とはいっても、アレックスの、安易なアタックから置き去りにされたプレーは、その議論のレベル以下!)・・こうなったら、もちろん足が止まり気味になってしまい、心理的な悪魔のサイクルに落ち込んでしまうのも道理・・

 ・・また、高い位置でボールを奪い返しても、前述したように、アメリカの守備プレッシャーがレベルを超えていることもあって、うまく前線へパスを送れない・・イメージとしては、久保のポストプレーを最大限に活用する「シャドープレー」なんだろうけれど(久保のポストから、二人目、三人目が後方から飛び出して決定的スペースを活用する)、それがまったくといっていいほど機能しない・・それは、日本の二列目コンビの押し上げ(要は、上下動アクションの量と質)が不十分だからに他ならない・・まあ、中盤での落ち着いた「つなぎ」を演出できないわけだから、この二人ばかりに、効果的な仕掛けを繰り出せないことの非を負わせるわけにはいかないけれどネ・・

 ・・後半、小野に良いカタチでボールが入り始めたことで少しは持ち直したけれど、アメリカが全体的なゲームの流れを掌握するという傾向を逆流させられるほどじゃない・・でも、長谷部が入ってきたことで、中盤のエネルギーレベルが着実にアップしたことは確かな事実・・長谷部は、何度ミスしてもめげず、積極的で効果的なディフェンスを基盤に、ドリブルにチャレンジしたり、素晴らしいロングスルーパスを通したりと、これまでの「代表新人」とはちょっと異質の(レベルを超えた)存在感を発揮した・・うれしい限り・・とにかく彼には、2010年ワールドカップを背負って立ってもらわなければならないのだから・・

 ・・また「巻誠一郎」も、例によってのスピリチュアル・パワーで存在感を発揮した・・彼のヘディングゴールは素晴らしかったけれど、それ以外での、ボールがないところでの「猛禽類マインド」は頼もしい限りだった・・他の、先発から出場していた「才能ある選手たち」が、巻誠一郎が魅せたような主体的で攻撃的なプレー姿勢でゲームに臨んでいたら・・まあ「タラレバ」は止めよう・・

 それにしても、アメリカはどんどん強くなるね。世界一でなければ気が済まないアメリカ人気質というマイナス要素(もちろん状況によってはプラス要素に転じる!)を差し引いても、着実に社会文化的なベースが整いつつある現状には、様々な視点の「アメリカの底力」を感じざるを得ません。

 ところで「おまけ」として、以前サッカーマガジンの連載で発表した、アメリカの(部分的な)サッカー事情というテーマのコラムも載せておきます。興味があったらご一読アレ・・。

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 (2002年5月にサッカーマガジンで発表したコラム)

 「知っているかい? アメリカじゃ、サッカーがティーンエイジャーの女の子たちのしつけに効果があるって話題になっているんだぜ」。久しぶりに再会した、アメリカの友人が、そんなことを言っていた。

 女性のアメリカ代表は、現役のワールドチャンピオンだ。数年前、アメリカ代表チームがドイツで合宿を張ったのだが、ドイツのコーチ仲間がコーディネーターを務めていたことで、その練習やトレーニングマッチを何度か見学した。高い技術や戦術理解に舌を巻いたものだ。その彼女たちが、1999年に自国で開催されたウィメンズW杯で、PK合戦の末に中国を振り切って優勝したのだ。その試合は、タイミング良くロサンジェルスにいたから、実際にスタジアム観戦した。素晴らしくハイレベルな勝負マッチだったし、男性に比べて体力的に限界がある女性のサッカーということで、戦術的な視点でも様々な発見があったわけだが、そんな興味と同時に、アメリカ人の熱狂ぶりにも驚かされたものだ。

 彼女たちは2000年シドニーオリンピックでも、ハイレベルなサッカーを展開して決勝まで進出した。惜しくもゴールデンゴールで伏兵のノルウェーにうっちゃられたとはいえ、そんな国際的なアピアランスの高揚に、世界一でなければ気がすまない本国でのサッカー熱がヒートアップするのも自然の成り行きだった。でもサッカーが、「しつけ」にも効果があるということが話題になっている?!

 「そうなんだよ。特に(アメリカの?!)ティーンの女の子たちって、自分勝手になる傾向が強いじゃないか。それが、相手の立場を思いやれるとか、品行が大きく改善するとか、そんな教育的な効果が注目されているんだよ」と、友人。「本当かい?」。そのとき、昔の学園もののテレビドラマだな・・なんて思いながらも、ボクなりにその現象の背景を探っていた。

 イレギュラーするボールを足で扱うサッカー。そんな不確実な要素が満載されているから、何が起こるか分からないし瞬間的に状況が変化してしまう。言い換えれば、ミスの連続であり、それをチームメイト同士が補完しあわなければならないということだ。選手たちが自分勝手なプレーに奔れば、確実にチームは空中分解してしまう。ここが大事なポイントなのだが、だからこそ、常に「自分主体の判断」で助け合わなければならないということだ。サッカーが提供する限りない自由は、そんな「義務」を、自ら積極的に果たそうとする姿勢がなければ決して得ることができない。互いに使い、使われるというメカニズムを理解し、汗かきプレーも含め、自分自身で仕事を探しつづけなければ、心底サッカーを楽めるはずがないということだ。

 そうか・・。快楽を追求することにかけては世界一ともいえる彼女たちだからこそ、サッカーを通して、協調性や責任感が高まったということか。

 サッカーが内包する普遍的な「価値」に思いを馳せながら、ナルホド、ナルホドと頷くことしきりの筆者だった。(了)

 



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