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2006_ワールドカップ日記・・さまざまな課題・・「仮説」ディスカッション・・闘う意志の本質的なバックボーン・・(日本対マルタ、1-0)(2006年6月4日、日曜日)

いまホテルに到着しました。まだ1915時。こんな楽ちんなスケジュールは久しぶりです。本番もこのくらい余裕があるといいんだけれどね。また、監督会見の後に、スタジアム内の広くきれいなレストランで、サービスされたサンドウィッチをいくつかほおばって帰途についたから、夕食に時間を取られることもない。さて、落ち着いて原稿を書くことにします。

 写真ですが、美しいデュッセルドルフのアリーナ型スタジアムを記者席から撮影したものです。結局ワールドカップには選ばれなかったし、デュッセルドルフを代表するプロクラブ「フォルツナ・デュッセルドルフ」も三部と低迷しているけれど、サッカー文化が確立しているドイツのことだから運営は何とかやっていくに違いありません。

 ところで、下の、グラウンド場に広げられているバカでかいユニフォームの写真。それは、アディダス・ジャパンが推進している「共に戦うプロジェクト」の一環で、数日前には、デュッセルドルフの日本人学校とインターナショナルスクールでも応援メッセージが書き込まれたそうな。そこには、誇りとしての「アイデンティティー」に対する期待が込められているに違いありません。またそこには、日本の方々の、「世界のなかの日本」というテーマに対する当事者意識と参加意識の微妙な変化も詰まっている?

 さて、まず監督会見でのジーコの総括から入りましょう。彼は、こんなニュアンスのコメントでゲームを分析していました。「最後の調整試合だから良い内容のサッカーをイメージしていた・・ただ実際にはそんなに上手くコトは運ばなかった・・立ち上がりすぐにゴールを決め、その後は一方的な展開になったこともあったのだろう、徐々に「気の緩み」が出はじめ、局面でのミスが目立つようになった・・そして相手にそのスキを突かれるようになった・・前半は同点にされてもおかしくない展開だった・・後半になって少しは持ち直したけれど、結局その流れを持続することはできなかった・・こんな内容のゲームが今日で(テストマッチで)よかった・・チームは、心理・精神的にもっと強くならなければならない・・本番では、闘う意志がもっとも重要なファクターになる・・」。

 ジーコは、この、力の劣るチーム(マルタ)とのテストマッチに、総仕上げという性格を持たせたいと思っていたはずです。それは常道。要は、自分たちがやりたいサッカーをより楽に体現できるはずだから、この試合に、攻守にわたるプレーイメージのシンクロ内容を高めるというミッションを持たせようとしたということです。でも結局は、その意図を十分に果たせなかった。

 ジーコもそのネガティブな事実をしっかりと把握していたわけだけれど、彼の発言ニュアンスを考え直してみると、ベストな内容を得ることはできなかったけれど、それは「それ」で別な視点の成果(有意義な課題)も持ち帰れた、という意味にも取れそうです。

 要は、自分たちの方が明らかにチカラが上であり、立ち上がり2分で先制ゴールまで決め、その後もテンポを緩めずにチャンスを作り出せていたにもかかわらず、結局は、全体的なチームのダイナミズムを高みで維持できなかったということに対する反省です。また後半も、選手交代によって少しはサッカー内容が持ち直したにもかかわらず、結局は、前半と同じように積極的でダイナミックなサッカーを維持できずに徐々にペースがダウンしていってしまいましたからね。

 ジーコにとっては、「結局サッカーは主体的な闘い・・大会がはじまれば、そこでもっとも重要になってくるのは個々の闘う意志・・その主体的な闘う意志を高いレベルで維持できなかったことを選手たちは反省しなければならない・・まだ一週間あるこのタイミングで、そのような学習機会を得られたことは大変に深い意義があった・・」ということだったのでしょう。

 ところで、ジーコ総括の後に、読売新聞の助川さんが、こんな素晴らしい質問をしてくれました。そのニュアンスは、こんな感じ。「この試合での中田英寿は、最後の最後まで全力で闘いつづけた(闘う意志を最初から最後まで高い次元で維持しつづけていた)と思う・・(そのプレー姿勢において)他の選手たちと差があると感じたのだが、その差はどこからくるのだろうか?・・それは経験なのだろうか?」。(質問は、言葉通りに正確という訳じゃありません・・ご容赦)

 私もまさに同感でした。たしかにミスも多かったけれど、逆な見方をすれば、それは彼がチャレンジしていることの証でもあります。彼は、「本物のボランチ」として、動きの量と質でも、攻撃でも守備でも、ボール絡みでも、ボールのないところでも、とにかくチームのなかで最高の実効レベルを誇示していたと思うのですよ。

 守備に入ったときでも、ボールを奪い返したときでも、例外なく、まず最初に(流れを読めれば、コトが起こる直前にでも!)何らかのアクションを起こす中田英寿。それも、チェイス&チェックや長い距離を走る守備カバーリング、また攻撃では、忠実なパスレシーブの動きやシンプルなパス、また長い距離のフリーランニングなど、汗かき仕事もまったくいとわない。そりゃ、目だちゃしないけれどね。

 あっと、読者の方々から「本物のボランチ」という表現について質問がありました。ブラジルに敬意を表している湯浅だから、簡単には「ボランチ」という表現は使わず、普通は「守備的ハーフ」という表現にとどめる・・と書いたことの背景を聞かれたのですよ。ということで、以前にも何度か書いたはずだけれど、もう一度、簡単に、ボランチという表現に対する敬意の意味を、私なりに定義しておこうと思います。

 皆さんもご存じのように、ボランチとは、ポルトガル語で「ハンドル」という意味。守備でも、攻撃でも、中盤のコアとしてチームを操る存在という意味合いでしょうね。まあ、攻撃が好きなブラジルだからこその、中盤の深い位置をメインポジションにする「中盤での攻守のバランスを統制するリーダー」というニュアンスも含まれているんだろうけれどね。だから中盤守備のリーダーという役割だけではなく(もちろん中盤ディフェンス専属ではなく!)、攻撃では、本当の意味でのゲームメイカーというタスクまで担ったりする。とにかく「そこ」が機能しなければ、確実にチーム全体の機能性が損なわれるっちゅうわけです。だからこそ、その呼称は簡単には使えない。

 2002年では、大会直前に「本物のボランチ」エメルソンが故障してしまったことで、大会序盤のブラジルは苦難を抱えることになりました。まあ、大会を通じてジウベルト・シウバ(現アーセナル)が発展したことで助かったわけだけれど、そこにはもう一つの重要なポイントがありました。それは、クレベウソンという、ジウベルト・シウバのベストパートナーとしての守備的ハーフタイプ選手を見い出したことです。このコンビが確立したことで、ジウベルト・シウバのボランチ機能が、本当の意味で発展しはじめたのです。

 重要なタスクを担う「ボランチ」。もちろんブラジルだけじゃなく、欧米でも、呼び方は様々だけれど、同じような役割イメージの選手たちがいます。

 本物のボランチと呼べる強者たち。以前のブラジルだったらドゥンガ、そして今はエメルソン・・フランスでは、以前のデシャンや今のビエラ・・ドイツでは、言わずと知れたミヒャエル・バラック(私は、あくまでも彼のことをボランチだと考えています!)・・イングランドでは、昨日書いたようにランパードとジェラード(だから彼らはダブルボランチ!)・・オランダのコクー・・イタリアのピルロ・・チェコのガラセク・・等々。その範疇に、今の日本チームの中田英寿も確実に含まれるといったら過言でしょうか。

 さて、助川さんの質問に対するジーコのコメント。それは、こんなニュアンスでしたかね。「サッカーでは闘う意志が大事・・経験や性格(パーソナリティー)などの要素が、選手たちのパフォーマンスに差をつけるのかもしれない・・とにかく、常に全力を注ぎ込むことができるのが中田・・どんな状況でも、主体的に最高のプレーをしようとする・・その気持ちの持ち方が彼のプレーを支えている・・」など。そして最後に、こんなニュアンスのことを言っていましたよ。「中田は、常に自分自身でテーマを作り出す(探し出す)ことができる」。素晴らしい表現じゃありませんか。

 イレギュラーするボールを足で扱うサッカー。だから、何が起こるか分からないし、瞬間的に状況が変化する。だからこそ選手たちは、責任感をもって、主体的に判断し、決断して(リスクへのチャレンジも含む)行動を起こしていかなければならない。それって、日本人が一番苦手なことかもしれません。だからこそサッカーは、世界的な大競争時代に巻き込まれた日本社会にとっても、先進的なイメージリーダーになれる社会的な存在だと確信している湯浅なのです。あっと・・ちょっと蛇足。

 とにかく、そんな不確実な要素が満載されたサッカーだからこそ、主体的にテーマを探し、常にリスクへもチャレンジしていく気概をもってプレーすることこそが、発展のための唯一の原動力なのです。そう、中田英寿のように。

 さてここで、日本代表チーム内で起きているの「かもしれない」守備についてのディスカッションに突っ込んでいこうと思います。もちろん私は部外者だから、あくまでも「仮説」に過ぎないけれどね。

 私は、要は、最終ラインと中盤ラインの「距離感」についてのディスカッションだと思っています。その「距離感」を、常に、自分たちのコントロール範囲に調整するのが重要なテーマであることは言うまでもありません。要は、最終ラインと中盤ライン、そして最前線で構成される「スリーライン」を、いかにコンパクトに保持するのかというテーマ。それをコンパクトに維持できるからこそ、後ろのラインでボールを奪い返しても、すぐに前へボールをつなげるし(効果的なパスでの組み立てと仕掛けをスムーズに流すことができるし)、守備に入っても、協力プレスや中盤のカバーリング等がうまく機能するというわけです。

 さてそれでは、この最終ラインと中盤ラインとの「距離」をどのようにコンパクトに保つのか。最終ラインが押し上げるのか、中盤ラインを下がるのか。もちろんケースバイケースだけれど、基本は、もちろん最終ラインが積極的に押し上げていかなければなりません。

 たしかに守備ブロック全体を下げて、守備を強化すれば、ある程度は「安全&確実性」がアップするでしょう。しかしそれでは、発展は望めないし、世界に対するアピールも叶わない。

 もう何度も書いたように、ジーコジャパンのミッションは、美しさ(サッカー内容)と勝負強さ(ゲーム戦術的な規制)という、ある意味で背反する要素を、いまの選手たちの「能力と個性」をベースに、いかに最高の「組み合わせバランス」にまで引き上げるのかということです。それは、「蛮勇」ではなく、あくまでもロジックな範囲の積極的(ある意味では攻撃的)なサッカーという表現ができるかもしれません。

 ただし、それを達成するための心理・精神的バックボーンが何である「べき」かとうテーマの答えは明白です。それは、もちろん「リスク・チャレンジ」マインド。ラインを下げた受け身の強化守備をベースにカウンターのワンチャンスを狙うというサッカーでは、世界はまったく評価してくれないし、チーム自体も発展の糸口さえ掴むことはできません。だからこそ、最終ラインを押し上げることを基本に「距離感覚」を磨いていかなければならないのですよ。

 もちろん、必要であれば、何10メートルでも全力で戻って守備に就くという高質な守備意識がその大前提にあることは言うまでもありません。それこそが、前述したジーコの「闘う意志」という言葉の本質的なバックボーンなのです。

 何か、こちらも気合いが入り、3時間も書きつづけてしまいました。ということで、もう推敲する気力なし。例によって、乱筆、乱文・・とても失礼!
 



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