トピックス
- 2007__わたしの異文化接点(cross culturall interface)トレーニング・・(2007年6月6日、水曜日)
- 数日前、所用で神奈川県の藤沢市まで出かけてきました。わたしの母校(神奈川県立湘南高校)があるところです。用事は、あるサッカー関係者とのディスカッションだったけれど、それも含めて本当に気持ち良いツーリングになりました。
心地よいツーリングになった背景には、そのディスカッションだけではなく、旧友との楽しい一時もありました。藤沢から東京へ戻るのに、江ノ島から鎌倉を経由したのですが、その途中で、わたしにとって恩人とも言えるドイツ人の兄弟が経営するドイツレストランにも立ち寄ったのですよ。本当に彼らは、いつも素晴らしい「刺激」を与えてくれる。その日も例外ではありませんでした。
そのレストランは「シー・キャッスル(Sea Castle)」といいます。鎌倉、由比ヶ浜に面していることで(ロケーションマップを参照してください)、レストラン内のテーブルから太平洋が一望できます。海を見ながら、焼いたり煮たりしたソーセージやアイスバイン、ザウアークラウトやブラートカルトッフェルなどなどの典型的なドイツ料理に舌鼓を打つのもおつなものじゃありませんか。
そのシー・キャッスルだけれど、今年で50周年を迎えたということを聞き、感慨深い思いで一杯になりました。
彼らと知り合ったのは学生時代のこと。もうかれこれ30年以上も前のことになります。わたしがドイツ留学へ出発した1976年の1月か2月あたりだったと思います(実際にドイツへ出発したのは、その年の6月ころ)。当時大学4年生だったわたしは、就職活動ではなく、ドイツ留学の準備に四苦八苦していました。何せ、ケルン総合大学への入学願書を送付するにしても、全てをドイツ語でやらなければなりませんでしたからね。
ドイツで安定した生活を送るためには、まず何といっても学生の身分を手に入れなければなりません。そうでなければ、滞在ビザがおりない。もちろん労働ビザなんて夢のまた夢だったから、とにかく就学ビザの取得に全力を傾けたというわけです。学生だったら、ドイツ社会でのステータスが高く、保険なども含めて、国(ドイツ)から様々なサポートを受けられるのです。でもそのためには、全ての書類をドイツ語で完成させなければならない。頭を抱えました。
そこで、シー・キャッスルへ出向いたというわけです。友人から、「あそこのオーナーの女性は、ストレートにものを言うし厳しいけれど、実はものすごく温かい人だよ・・」と聞いていた。それでも、最初にレストランに入ったときは、かなりビビりました。彼女は、大柄で、声も大きい。とにかく日本女性と迫力が違うのです。
でもボクは、意を決するしかなかった。そして、こう話し掛けました。もちろん日本語です。彼らは、ドイツ語、日本語、英語のトライリンガルなんですよ。
「スミマセン、ちょっとお話しを聞いていただけませんか。実は今年、ドイツへ留学するのですが、書類がすべてドイツ語で、よく分からないところも多いのです。もしよかったら助けていただけませんか・・」。黙って聞いていた彼女が、やっと口を開いたのですが、そのときの第一声が、「アンタ・・ドイツ語もできないで留学してどうすんの? 書類をそろえるにしても、自分で何とかしようと努力したの?・・」ってな具合。
鳥肌が立って、冷や汗が吹き出してくる。彼女が言うように、まず自分でできる限りのことをやったのか・・と聞かれたら、まだまだやれることはあったはずだという自戒の念が先に立ったのですよ。そのことを正直に彼女に言いました。
「おっしゃる通りです・・まだまだ自分自身でできることが山ほどあったかもしれません・・とにかくできる限りのことをやり、それからまたお伺いしてもいいですか?・・それでも難しくて分からないところだけ具体的に教えていただくことなんてこと出来ますか?・・お金がないから、翻訳会社に頼むわけにもいかないんです・・お願いします・・等々」。
「どうして、そうすぐにシリアスになっちゃうんだろうね・・まあ、アンタが真面目だっていうことは分かったけれどね・・わたしが言いたかったのは、しっかりと主張しなきゃ、ドイツではちゃんとした生活ができないということなんだよ・・留学するにしても、消極的だったら、何も得るモノなんてないよ・・日本人は、黙って待っていれば誰かが寄ってきて助けてくれるっていう甘えがあるからね・・とにかく主張しなけりゃ、何も得られないよ・・そして単にドイツで生活したというだけで戻ってくることになっちゃう・・アンタの留学費用はお父さんが出してくれるんだろ・・」。
「いや違います・・すべて自分で稼ぎました・・大型免許を取得してトラックの運転手で稼いだんです・・それに、ドイツでは、積極的に生活することで絶対に何かを得るという自信があります・・好きなサッカーをやるために留学するんですから・・これまでも、目的を持ってしっかりと生活してきたつもりだし、ドイツでも、しっかりと積極的に生活していける自信はあります・・」
「へ〜、そうなんだ・・自分で稼いだお金でドイツへ留学するのかい・・それじゃ真剣の度合いが違うんだろうね・・それにしても、ドイツ語が出来ないのは困りもんだね〜・・まあいいさ、アンタは真面目そうだし、やる気も伝わってきたよ・・それじゃ、そこに座りなさい・・一緒に、留学の書類を作ろう・・」。
そこから3時間。彼女は、本当に親身になってドイツ留学の書類の作成を手伝ってくれました。もちろん、「何だ、こんなことも知らないのか・・」ってな強烈な刺激をぶちかましながらね。本当に、温かい人です。カーラ・ライフさん。それが彼女の名前です。レストランの看板レディー。そして、厨房で働いているのが、彼女の弟にあたる、ローラントとクラウス。三人とも、お父さんが日本のドイツ大使館に勤務していた関係で、日本のなかのドイツ文化で育ったというわけです。
ということで、彼らは、日本文化の光と影を知り尽くしています。まあ光と影といっても、誰がどの視点からどのように見るのかなどによって、まったく内容が異なってくるから簡単には定義できないけれど、彼らの場合は、あくまでも人間の本音に迫るという視点での光と影といったところですかね。また、日本社会の本音と建て前のメカニズムを知り尽くしているからこその本音トークとも言えそうです。
彼らとは、建前など入り込むスキのない本音トークしかしません。飾りのないディスカッション。まあ彼らも、それだけ人を見る目が鋭いということなんだけれど、だからこそ、本当の意味での人間的なつきあいができるし、本当の信頼関係も作り上げられる。だから、本音トークを深く循環させられるというわけです。また、だからこそわたしは、彼らから、コーチングのウデの根源的なヒントをもらったとも言えるのですよ。
ドイツへ旅立ってから3年後に一時帰国したとき、いの一番でシーキャッスルを訪ねました。カネがなかったから、5年間の留学生活で一度しか帰国しませんでした。だから彼らと会うのも、3年ぶりということになります。
カーラは、私のドイツ語が上手くなっているのに驚き、「よく頑張ったね〜、私が見込んだとおりだ・・」と、そのときはドイツ語で喜んでくれたものです。もちろん、「でも、ちょっとドイツ語が上手くなったからって得意になったらオシマイだよ。人間は、謙虚であることが一番大事なんだからね」と釘を刺すことを忘れない。本当に私は、素晴らしい友人に恵まれました。
いまでも、鎌倉へ行くたびに、ドイツ語、英語、日本語チャンポンの本音トークを楽しんでいます。私にとってそこは、いままでも、またこれからも、素晴らしく効果的な「異文化接点トレーニング」の場なのですよ。今回も、そんな本音トークが心地よかったから、思わずHPにアップしてしまった次第でした。
もし皆さんがシーキャッスルに立ち寄るようなことがあれば、是非カーラに話し掛けてみてくださいね。また厨房へ行って、サンタクロースのようなローラントと、噂によるとオシム似のクラウスにも声をかけてください。温かくもてなしてくれるはずです。-
[ トップページ ] [
Jワンポイント ] [湯浅健二です。
]
[ Jデータベース ]
[トピックス(New)] [
海外情報 ]