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- 2008_日本代表・・リスクチャレンジについて思うところをまとめてみました・・キッカケは、拙著「日本人はなぜシュートを打たないのか?」・・(2008年2月11日、月曜日)
- まず、今年の1月21日(月曜日)北海道新聞の夕刊で発表したコラムから・・。
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「サッカーに自由がなかったら、それは無に等しいよな。その自由を獲得するためにも、リスクを冒してプレーすることは義務なんだぜ」
私は、1970年代、サッカーを学ぶためにドイツへ留学した。
社会は「個」の集合体という個人主義的な発想がベースのドイツ。彼らの自己主張は強烈であり、毎日がカルチャーショックの連続だった。そんなある日、リスキーなプレーを逡巡して安全策に逃げた私に、ドイツ人コーチから冒頭の言葉が投げつけられた。自由が欲しければ責任を果たせ・・。
岡田武史監督が、病に倒れたイビツァ・オシムから日本代表チームを引き継いだ。フランスワールドカップから9年を経ての代表監督復帰。
基本的には、オシムさんの路線を継承していく・・。そう言う岡田武史監督は、メンバーを大幅に変えることなく臨んだ最初のトレーニングマッチで、まさにオシム流といえる、人とボールがよく動く組織(パス)サッカーを展開したチームに対して満足感と期待感を表したものだ。
これから岡田武史監督は、組織プレーを発展させるだけではなく、個人の勝負プレーもバランス良く組み込んでいくという難しいプロセスにも取り組んでいかなければならない。そしてもう一つ。日本人にとっては鬼門とも言える、リスクへチャレンジしていく姿勢(意志)の発展と深化という重要なテーマがある。
イレギュラーするボールを足で扱うサッカーだから、瞬間的に状況が変わってしまうのも道理。そのなかで選手は、主体的に判断し決断しながら、勇気をもってリスキーなプレーにもチャレンジしていかなければならない。後ろ向きの安全策ばかりでは、究極の騙し合いともいえるサッカーで相手を打ち負かしていけるはずがないのだ。
それこそが、イビツァ・オシムが言いつづけた、考えて走る(行動する)サッカーという表現の意味するところだった。
パスを駆使して相手守備の穴(スペース)を突き、そこからクロスポールやラストパスで仕掛けていく組織的な崩し。また、ドリブルや「タメ」といった個人プレーによる仕掛け。どちらにしても、そこにリスクを冒していく姿勢がなければ、相手はまったく怖くない。また、人々に感動も与えられないし、世界トップとの「最後の僅差」を縮めていくためのスタートラインにさえ着けない。
ただ日本人は、あのときの私のように、リスキーなタテパスやドリブルを仕掛けていかなければならない最終勝負シーンでも、安全な横パスに逃げたりすることが多い。まあ、チーム全員の汗かきプレーを積み重ねた結晶ともいえるチャンスを、責任を一身に引きうけて完結させていくことに二の足を踏むというのも分からないではないが・・。
日本の協調性や誠実さは世界に誇れる特性だ。それが優れた組織プレーを支えているわけだが、それだけでは、肉を切らせて骨を断つというギリギリの闘いになるワールドカップ予選を勝ち抜いてはいけない。
そこでは、日本の良さを失わず、必要に応じて、自己主張ほとばしる(エゴイズムとも見まがうような)リスキープレーも繰り出していけなければならないのだ。どこまで主体的に闘争心をかき立て、リスクにチャレンジしていけるのか・・。そんな自己主張に対する意志の強化こそが、岡田武史監督のメインテーマだと思うのである。
考えてみれば、岡田武史監督は、リスクを前にしても逡巡することのない決断の人でもある。
1997年11月18日、マレーシア南端の町ジョホールバルで行われたイランとのプレーオフ。2-1と逆転された後半18分、岡田武史監督は、三浦知良と中山雅史のツートップを同時に交代させることで結果を出した。またワールドカップ直前のフランス合宿でも、自らのコンセプトに合わないと、三浦知良と北沢豪を登録メンバーから外した。その判断が正しかったのかどうかは別にして、それは、予想される社会的な反発をもいとわない、プロの監督としての強烈な自己主張だった。
オレが最終決定者であり、全責任を負う・・だから最後はオレ一人で決断する・・。そこには、岡田武史監督が内に秘める優れた決断力と実行力が如実に表現されていた。
選手のプレーは監督を映す鏡だとよく言われる。岡田武史のリスクチャレンジに対する積極的な「意志」がチームに浸透していくことを願って止まない。これもよく言われることだが、意志さえあれば、おのずと道が見えてくる・・のである。(了)
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意志さえあれば、おのずと道が見えてくる・・フムフム。突き詰めれば、リスクチャレンジへの意志を(リスクヘッジ要素も含めて)どのように高揚させていくのかというのが、コーチにとっての最も重要なテーマということです。
さて、拙著「日本人はなぜシュートを打たないのか?」。一部で、タイトルと内容が一致しないというブーイングが起きているとか。でも私は、いまでも、コンテンツには、その答え(ヒント)が散りばめられていると思っているのですが・・。
とはいっても、究極のリスクチャレンジであるシュートを「なぜ打たない?」に対する答えを探すための重要なヒントは、やはり文化的なファクターに集約されるだろうから、「そこまで」ディスカッションを深めたのかと言われれば、たしかに・・ということになってしまう。でもまあ、この本の基本的なテーマは、サッカーのメカニズムを、私自身が開発したキーワードを駆使して掘り下げながら、根源的なテーマである「リスクチャレンジ」をディスカッションするところにありと思っているのです。
ということで、「なぜシュートを・・?」のヒントを探すためのバックボーンの一つとして、まず(社会&生活)文化的なポイントを簡単に取り上げようと思います。ここで用いる表現(言葉)については、例によって深く吟味しませんから、またまたブーイングが沸き起こるかもかもしれません。でも、仕方ない。悪しからず。
ということで、日本と欧米の文化的バックボーンの違いから・・。基本的に農耕民族である日本人の場合、やることは決まっているから、そのルーチンワークを、遅滞なく、またミスなく着実に(真面目に)実行していくことが求められる・・という生活の仕方に対するベーシックな態度があると思います。だから、社会性や協調性が問われる集団主義的な発想が根付いていく!?
それに対して、サッカー発祥の地は、基本的に狩猟民族の文化。狩猟プロセスでは、失敗は当たり前だからね。何度も、何度も、トライ(リスクチャレンジ)&エラーを繰り返すしかないというわけです。それも、自分自身の判断と決断をベースにして。だから、個人主義的な発想が根付いていく!?
ここでは、基本的にサッカーが狩猟民族のスポーツだということが言いたかった。狩猟と、イレギュラーするボールを足で扱うサッカーは、不確実性など多くの点で共通項があるからね。要は、瞬間的に状況が変化してしまうから、最後は自由に(主体的に)プレーせざるを得ないというのがサッカーというわけです。私は、その要素を、北海道新聞コラムの書き出しの言葉に込めたつもりでした。
前述した文化的なバックボーンも含めて、リスクにチャレンジすることに消極的な日本人については、その原因として、こんな背景ファクターや現象を想定できるかもしれない。
失敗した後に再びチャンスを得にくい(そう思いこまれている!?)という社会体質(仕事の内容が決まっている農業では大きな失敗は起きにくい≒失敗を犯した場合、その当事者の人格まで問われたりする!?)・・だから失敗することを極端に怖がる・・また日本では、子供のコーチが、失敗という現象を、その背景にある原因の構図をしっかりと把握せずに表面的に叱るケースが多い・・などなど(例示がちょっと舌っ足らず・・ゴメン!)。
ということで、こんな仮説が成りたつかもしれない。日本では、「人は、失敗からしか学ぶことはできない」という普遍的なテーマを(その深い意味を)しっかり理解しようとしていない!? もっと言えば、学ばなくても(進歩しなくても)ルーチンワークさえこなしていれば安泰という社会体質も背景にある!?
そして最後に、今回のコラムの主たるポイントである「リスクチャレンジ」というテーマと岡田ジャパンを結びつけて考えてみようというわけです。
まず最初に、基本的な前提(日本サッカーの現状に対する基本的な認識)から。
それは、日本人が、フィジカルでも、ボールコントロール(トラップが重要!)でも、世界と比べたら(またアジアの中でも!?)見劣りするという事実。だからこそ全員が協力し、豊富な運動量と高い守備意識をベースに人とボールを動かしながら組織的に闘わなければならない。攻守にわたって、より多く走り、数的に優位な状況を作りつづけなければならないというわけです。
常に数的に優位な状況を作りつづけようとするわけだから、もちろん逆に、守備が薄くなる(人数が足りなくなる)ゾーンが出てくるのも道理。
それが、「リスクを負って攻める」と表現されるリスク現象の代表格でしょう。でも日本は、劣っている部分を補うために、そのリスクを背負いつづけなければならないのですよ。もちろん、運動量を相手の2倍にすれば、リスク要因も二倍うまく抑制することができるでしょうがね・・。
理想型は、相手との身体接触なしでシュートまで至る攻め・・。良い表現です。分かりやすい。でもそのためには、相手よりも相当たくさん(そして実効あるカタチで)走りつづけなければならない。いまの日本サッカーでは、それが最も効果的な、劣る部分の補償(compensation)なのですよ。
逆に、もし監督が、勝負を意識するあまり、リスクマネージメントのニュアンスを少しでも強調し過ぎたら、監督がイメージしていた以上に選手たちのチャレンジマインドがシュリンク(shrink)し、結果として後ろ向きの停滞サッカーに(心理的な悪魔のサイクルまで!)落ち込んでしまうのは目に見えている。
ただし(ここが大事なポイントだけれど)リスクチャレンジが過ぎてもダメなのですよ。それは、リスクを抑制する対策と、上手くバランスしていなければならないのです。ここで言いたかったことは、日本の場合、バランス抑制ニュアンスが、少しでも、本当にほんの少しでも強すぎた場合、(前述した日本の文化的バックボーンによって!?)誰もが「バランス対策」というアリバイ行動に「逃げ込んで」しまうに違いないということ。日本では、リスクチャレンジの意識付けに対して、(リスクマネージメントとの心理バランスも含め)究極のバランス感覚が求められるのです。
とにかく、岡田武史監督が、常に、リスキーな方向へ軸足を一歩踏み出すような心理マネージメントを心がけなければならないのは確かなことです。
それは、アグレッシブなチームマネージメント姿勢とも表現できるわけだけれど、そのニュアンスがチームに浸透していけば、「リスクを負う」ことが当たり前という心理環境も浸透していくだろうし、選手は、常に危機意識と緊張感をもってプレーしていくようにもなるでしょう。もっと言えば、だからこそ考え、高い守備意識(間髪を入れない攻守の切り替え!)と、より多く走るという意識も高揚していくとも言える。それこそが、イビツァ・オシムさんの言う、考えて走るサッカーの本質的な意味だと思いますよ。
とにかく、岡田武史監督の、心理マネージャーとしての手腕に期待しましょう。次のレポートは「重慶」から。さて、どうなることやら。
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ということで・・しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。
基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(レディー)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。
いま「五刷り」まできているのですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。
蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞(書評を書いてくれた二宮清純さんが昨年のベスト3に選んでくれました)、東京新聞や様々な雑誌の書評で取り上げられました。NHKラジオの「著者に聞く」という番組で紹介されたり、スポナビ宇都宮徹壱さんのインタビュー記事もありました。また最近「こんな」元気が出る書評が出たり、音声を聞くことができる「ブックナビ」でも紹介されたりしました。
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