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2008_北京オリンピック_その4・・結局このゲームは「世界との距離を測るうえでの本物の学習機会」にはならなかった・・(オランダvs日本、1-0)・・(2008年8月13日、水曜日)

このゲームからピックアップするテーマは、大きなところでは、世界との「最後の僅差」・・そして、日本A代表へつながる「個の意志」・・ってなところだろうか。

 この試合では、決勝トーナメントへ駒を進めるために絶対に勝たなければならないオランダと意地の日本代表が、エキサイティングなガチンコ勝負を展開するハズでした。だから、世界との最後の僅差の内容(≒世界との本当の距離)を分析するための格好の勝負マッチになると思っていた。こんな試合はめったにない・・とね。

 でも実際には、グラウンド状態と自然条件が悪すぎたことで、期待したほど明確に「最後の僅差のコンテンツ」が見えてきたワケじゃなかった。高温多湿の気候と、デコボコのグラウンド。確かにこれじゃ「差」が明確に見えてくるはずがない。

 ボールコントロールがままならないから「下向きのサッカー」になってしまうし(普段よりも頻繁にボールを見てコントロールしなければならない!)、そんなだから、ボールがないところでのアクション(味方のパスレシーブの動き)を加速できるはずもない。だから(ボールがないところでの三人目や四人目のフリーランニングがうまくリンクするような)ハイレベルな組織プレーが演出されるはずもない。

 また個のドリブル勝負にしても、スムーズにスピードアップしたり、効果的なフェイントを繰り出したりすることがままならない。これじゃ、ドリブルで相手守備ブロックを置き去りにしてしまうエキサイティングな個の勝負ブレーなんて期待できるはずがない。

 もちろんそれらのことは、逆から見れば、ディフェンスにとっては非常に有利な条件だったということを意味するわけです。まあ、その視点じゃ、日本にとって有利なゲームだったとも言えるわけです。

 オランダは、普通だったら、世界屈指の「組織プレーと個人プレーのバランスが取れた」チームとして世界からレスペクトされる存在です。人とボールが夢のように動きつづけるなかで、コンビネーションや勝負ドリブルを駆使して相手ディフェンスブロックのウラに広がる決定的スペースを突いていく・・。

 そのオランダが、決勝トーナメントへ向けて窮地に陥った状況で、日本との勝負マッチに臨んだのだからね、我々サッカー人が、この試合について「様々な現実をより明確に把握できる学習機会」として期待しない方がおかしいのですよ。でも結局は・・

 そんな「現実」はあったけれど、そのなかでも日本チームが最後まで頑張ったことは確かな事実でした。

 たしかに全体的な流れではペースを握られていたとはいえ、そのオランダをほぼ完璧に抑え込んだ堅牢な(忠実でクリエイティブ、インテリジェンスにあふれ、そして勇気ある!)守備ブロックを基盤に、攻め上がるべきところは、勇気をもってしっかりと人数を掛けられていた。特に、後半の10分と15分に豊田陽平と森重真人が爆発的な「意志」を込めて放った惜しいロングシュート場面は、組織的に(人数を掛けて)攻め上がれていたからこそ演出できた。

 とはいっても、やはり厳しいクリティカルな視点で批評することは大事なことだと思うわけです。ということで日本A代表へつながる「個の意志」というテーマ。

 まず最初に、このオリンピック代表チームから「A」への確実なパスポートを手にしている選手。それは、安田理大、長友佑都、内田篤人のサイドバックトリオくらいじゃないでしょうかネ。彼らは、フィジカル・技術・戦術的な能力だけではなく、「闘う意志」という心理・精神的な側面でも大いなる可能性を秘めている。

 また、細貝萌や香川真司(既にA候補!?)、豊田陽平や岡崎慎司、李忠成や谷口博之といった面々も、「A代表合宿へ招待されるに相応しい意志のバックボーン」を証明したと言えるでしょうね。

 それに対し、本田圭佑や梶山陽平に代表される「才能系」の選手。

 わたしは、彼らの闘う意志には、まったく納得していません。要は、攻守にわたる、ボールがないところでの実効プレーの量と質のことです。たしかにボール絡みのプレーでは、優れた才能を魅せることもある。ただ、「その場面」に至るまでがカッタる過ぎるのですよ。要は、ボールがないところでしっかり走っていないということです。彼らほどの才能の持ち主だからこそ、攻守にわたってもっと走り回ることで、より多くボールに絡むべきなのです。

 確実にボール奪取勝負シーンに絡める・・とか、確実にスペースパスをもらえる(=パスが出てこなかったら味方に文句を言える!?)ような状況で走るのは当たり前じゃありませんか。そうではなく、確信が持てなくても、小さな可能性に懸け、自らの「意志」を爆発させて『走る』ようなプレーこそが、世界との最後の僅差を縮めていくためのキーポイントであり、本当の意味でチーム力をアップさせるのですよ。そう、優れたサッカーは『クリエイティブなムダ走り』の積み重ねなのです。

 要は、『上手いからこそもっと走れ!』という、現代サッカーにおける普遍的なテーマのことです。

 そう思いませんか? もし本田圭佑が、岡崎慎司が魅せつづけたくらいに全力で、攻守にわたって走りつづけたならば(また勇気をもってドリブル突破にチャレンジしつづけたならば)誰もが驚く「インターナショナルレベル」のパフォーマンスを披露できるに違いない!? 彼らは、それほどの才能を秘めている・・

 最後に、ちょっと誤解をクリアしておきたいと思います。よく「才能系の選手」が言うじゃありませんか、「オレの欲しいタイミングでパスが出てこない・・」「コンビネーションイメージが合わない・・」などなど。それって、そのほとんどが「次元の低い言い訳」にしか過ぎないのですよ。

 サッカーの基本はパスゲーム(組織プレー)であり、そのベースは、互いに使い・使われるというメカニズムなのです。個人の勝負プレーは、組織プレーがうまく機能するからこそ「効果的に」繰り出していけるモノなのです。だからこそ選手は、常に主体的に、組織的な仕事を探しつづけなければならないというわけです。

 自分の欲しいタイミングでパスが出てこないのならば、そのタイミングでパスが出てくるように(主体的に)工夫しなければならないし、コンビネーションイメージについても同様なのですよ。あっと・・まあ、チームメイト全員が「彼のプレーイメージに合わせなければならない」というディエゴ・マラドーナだけは例外だけれどネ。あははっ・・

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 ということで・・しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。

 基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(レディー)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。

 いま「六刷り」まできているのですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。

 蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞(書評を書いてくれた二宮清純さんが昨年のベスト3に選んでくれました)、東京新聞や様々な雑誌の書評で取り上げられました。NHKラジオの「著者に聞く」という番組で紹介されたり、スポナビ宇都宮徹壱さんのインタビュー記事もありました。また最近「こんな」元気が出る書評が出たり、音声を聞くことができる「ブックナビ」でも紹介されたりしました。

 




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