対談第二回目のレポートの最後で触れた、グランパスの「爆発的な攻め」。今回は、そこから入ることにしましょう。
「そうですね・・爆発・・。まあこんなふうに表現するのが適当ですかネ。ボックスで、カチッと組織ができているじゃないですか、そして最後の瞬間にその組織を崩して(ブレイクして)最終勝負を仕掛けていく。特に、相手のパスを読んで、複数の味方がプレスをかけていくなんていうケースじゃ、そこでボールを奪い返せる可能性が高いから、そのとき前にスペースがあるヤツ等は、ガンガン飛び出していくんですよ。もちろんアタックを仕掛けてボールを奪い返したヤツは、味方の動きがイメージできているから、そこから素早いタイミングで正確なタテパスが出る可能性は高くなりますよネ。だから効果的な攻めが展開できるというわけです(それこそ実効あるイメージシンクロ!)。もちろんアタックがファールになるケースも多いわけですが、その場合は、飛び出したヤツらも戻る時間は十分にありますよね・・」。そこまで聞いていて、浅野さんの言葉の勢いがちょっと殺がれ、ニュートラルな感じになっていることに気付いていた湯浅です。
「とにかくベルサイユ合宿を打ち上げた後のサントリー後期では、ボックスをブレイクするディフェンス勝負とそこからの爆発攻撃が、本当にスムーズに連動しはじめたと感じました。それも、攻守にわたる運動量が確実に増えたからですよね。だから全員が、素早く、正確に、効果的なプレーができるポジショニングに就くことができるようになったということです。まあ・・互いの信頼感が高まったからとも言えるんでしょう。次のディフェンスへの参加について互いに信頼しているから、誰でも、チャンスのあるヤツは攻めに参加していける。みんな、次の爆発チャンスを楽しみにしていましたね。だから必死にディフェンスに戻ってくるんですよ。何といっても、誰もが、それがなければ次の攻撃をはじめられないって明確に意識できるようになっていましたからね」。
互いに使い・使われるというメカニズムに対する相互理解(相互信頼)が深まったということでょう。興味深いハナシです。それがあってはじめて、積極的に仕事(リスクチャレンジチャンス?!)を探せるようにもなるということです。ベルサイユ合宿では、その大前提となる、運動量に対する自信を深められたということです。
「ところで、バクハツ攻撃のパターンというか、どういう風に攻め上がるのかということに関する決まり事とか、大枠イメージってどんなものでしたか・・?」
「まあ、まずピクシーを探すのは当たり前として、デュリックスは必ず攻め上がるから、彼を探してパスをまわすっていうイメージもありましたね。もちろんチャンスがあれば、誰でもサポート要員としてタテのスペースへ突っかけていきますから、ケースバイケースで彼らにもタテパスをまわしたりしますよ。とにかく基本は、ボールを奪い返した次の瞬間には、常にタテパスの可能性を探すというものだったのです。もちろんそれ以降は、即興プレーに入っていくわけですけれどネ」。
「チャンスがあれば誰でも上がっていけるというやり方を実現したのは素晴らしいことなんだけれど、そのためのバックアップの約束事はどうだったのですか?」
「中盤の誰かが飛び出していった場合ですよね。例えばデュリックスとか岡山とか・・。そのときは、その中盤のスペースは、サイドバックが埋めるという決まり事かあったんですよ。スッと上がって空いたスペースを埋める。そして戻ってきたら、またスッと下がって自分のポジションへ戻る。そんなバックアップの動きをつづけなければいけないこともしょっちゅうだったから、(当時のサイドバック)飯島と小川は、ちょっとキツかったもしれません。でもヤツらも、チャンスがあれば上がっていいわけで、そのときは岡山とかデュリックス、はたまた平野なんかが残っているというわけです。そんな、互いのバックアップアクションがうまく回りはじめてからは、あうんの呼吸で守備と攻撃がバランスよく機能するようになりしまた」。
「また、相手の攻撃をサイド方向へ追い込んだときには、L字型の陣形を組みましたよ。それによって、より爆発がやりやすくなるというわけです」。
この「L字型の陣形」について、補足説明しておきましょう。浅野さんが言うように、相手の攻撃を(ボールを)どちらかのサイドに追い込んだとしましょう。そのとき、そのボールを中心に、中盤のラインと最終ラインは、斜めにカバーリング陣形を組みます。それは、そのサイドにいるハーフがボールにチェックに行った場合、その横に位置する(中央よりの)味方ハーフは、少し下がり気味の位置でカバーリングに備え、そのまた横の味方も、同様に、少し下がり気味になるということです。そこまでは当たり前のポジショニングなのですが、当時のグランパスの場合、逆サイドのハーフとサイドバックだけは、ちょっと違っていました。彼らは、下がり気味になるのではなく、逆に、突出するように「前方」にポジショニングしたのです。だから、それを上から見れば「L字型陣形」ということになります。要は、逆サイドの選手は、守備の段階から「次のタテへの仕掛け」に備えているというわけです。当時のグランパスでは、それほど、相手をサイドに追い込んだときの、組織的なボール奪取アタックに自信があったということです。そして実際に、何度も、そのカタチから危険なカウンターを決めました。フムフム・・なるほど。
このようにグランパスは、ボール奪取から次のバクハツ攻撃への移行を(切り換えプロセスを)一つの「アクション・ユニット」として明確にイメージしていたのです。具体的な攻め上がりイメージをもってボックス陣形を組んでいたからこそ(そしてサイドに追い込んだ際の「L字型陣形」を組んでいたからこそ!)、守備から攻撃への切り換えがスムーズにいったというわけです。
相手にボールを奪われた瞬間にディフェンスに入り、ボックス組織ディフェンスを展開しながら次の飛び出しを狙いつづける選手たち・・。まさに、攻守にわたって自ら仕事を探しつづける積極姿勢じゃありませんか。そんな攻撃的な意識付けにも、ベンゲルのコーチとしてのウデを感じます。もちろん、互いに使い・使われるメカニズムに対する相互理解の深化という視点も含めてネ・・。
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・・と、ここまずハナシが進んだところで、ちょっと質問の目先を変えてみることにしました。前述した、浅野さんの語りの勢いがニュートラルな方向へ微妙に変化したことを感じていましたからネ。
「ところで、ベンゲルが、浅野さんにだけは決して上がるなと指示していたというようなことを聞いたことがあるのですが、真偽のほどは?」。私は、守備から攻撃への切り換えを語っていたときの浅野さんの雰囲気がニュートラルになったのは(ちょっと第三者的なニュアンスの話し方になったのは)、彼がバクハツ攻撃に参加できなかったからなのかもしれないと感じていたというわけです。
「たしかにベンゲルは、私には上がらないで欲しいと言っていましたよ。まあそれは納得していたんです。上がってもいい仕事ができるわけではありませんでしたから。そのことは自分でもよく分かっていたんです。それよりも、中盤での穴埋め作業の方が性に合っていました。もちろん、ここしかないというチャンスが巡ってきたら私も攻め上がりましたけれど、それは本当に希だったですよ」
「まあそれは納得したとして、何かそれ以外のことで、ベンゲルとサシで話し合ったり直談判したようなことはありませんでしたか? どんなことでもいいのですが、とにかくサシでの話し合いほど深い意味を含むシチュエーションはありませんからネ・・」
「そうですね、一度こんなことがありました。何試合か先発から外されたことがあったんですが、そのことで、ベンゲルと直接話し合うことになったんですよ。まあこちらはかなり緊張していたわけですが、そこでベンゲルは、落ち着いた声で、別な選手を試してみたかったと言ったんです」
「それで浅野さんは納得したのですか?」
「いや・・微妙でしたが、ベンゲルが別な選手を試してみたかったのはよく理解できたことを覚えています。それも彼の仕事のうちですからネ。また、その話し合いのなかでまったく不安を抱くことがなかったのも覚えています。とにかくしっかりとトレーニングし、良いプレーをしていれば必ずまたレギュラーに戻れるという確信が持てたんですよ。その面では、ベンゲルという監督は本当に信頼できましたよ。まあ、フェアだということですが、その象徴が岡山哲也でした。彼のことは様々なメディアで報道されていたから、サブだった彼がベンゲルによってレギュラーに引き上げられたハナシは有名になりましたよね。我々選手にとっても、ほとんどクビになりかけていた岡山がベンゲルに見出されてレギュラーに定着したという事実はものすごく大きかったんですよ。このオッサンは、プレー姿勢や実質的なパフォーマンスしか見ていない・・良いプレーをしていれば、必ず使ってくれる・・って確信できる雰囲気があったということです。そんな雰囲気作りも上手かったな・・」
「なるほど、ベンゲルは雰囲気作りが上手かった・・。そこで彼は、スターをうまく利用していませんでしたか?」
「そうです、そうです・・。それは、何といってもピクシーですよネ。ベンゲルがやってくるまでのピクシーは、荒れてましたからネ。自分勝手というか、とにかくわがままなスターだったんですよ。それがベンゲルが来た途端に態度がガラッと変わった。もちろんベンゲルも、ピクシーを特別扱いすることはありませんでした。サボッたら、必ず罰を与えますし・・。それも、他の選手たちがしっかりと認識できるようにやるんですよ。まあ、我々に対するデモンストレーションという意味合いもあったということです。ピクシーが注意された途端に、チーム全体の雰囲気がビシッと締まりましたから・・」
「それって、たぶんベンゲルとピクシーの間で、何らかの取り決めがあったに違いないよネ。オレも、読売サッカークラブ時代には、チームの雰囲気を締めるためにカリオカ(ラモス)をうまく利用したものね。彼が頑張れば、周りはもっと頑張るし、彼が注意されれば、周りの雰囲気はビシッと締まったからネ。もちろんそのことについては、カリオカと話し合ったこともあったというわけだけれど・・」
「ベンゲルとピクシーが示し合わせていた・・ですか? そうですね、いま考えたら、そんなことがあったのかもしれないなんて思えてきますけれど・・。本当のところは誰にも分かりませんヨ。とにかく選手たち全員が、ピクシーの扱い方が上手いなって思っていたことは事実です。要は、あっ・・あのピクシーでも、ベンゲルの言うことだったら素直に聞くんだ・・ってな具合です。とにかくベンゲルは、ピクシーを乗せるのが上手いというか、それまで日本のことを甘く見ていたピクシーのパフォーマンスが、ベンゲルによって何倍にも高まったなんていう幹事ですかネ」
「ベンゲルがはじめてチームに合流したときの印象はどんなものでしたか・・」
「最初は、静かな人だな・・なんていう印象しかありませんでした。ミーティングでも、最初の頃はあまり喋りませんでしたしネ。偉大な監督だとは聞いていたんですが、何せ日本ではフランスサッカーの存在感がなかったから、我々も構えていたのかもしれません。この人は、一体どんな監督なんだろう・・とにかくしっかりと観察していよう・・ってネ。そして徐々に彼の凄さが実感できるようになっていったんです。あっ・・それについても、ベルサイユ合宿がものすごく印象的でした(ベルサイユ合宿については、前回の第二回目コラムを参照してください)。合宿中に、あのジョージ・ウェアが、ホテルまでベンゲルを尋ねてきたんですよ。そこでのウェアの態度に、いかに深く彼がベンゲルを尊敬しているかがビンビン伝わってきたものです。あの当時、ジョージ・ウェアは、バロンドール(ヨーロッパ最優秀選手)に選ばれたばかりでしたからね。そんな世界のスーパースターがベンゲルに挨拶にきたんですよ。それは、ものすごく印象的な出来事でした。またベンゲルと一緒にサッカー観戦にもいったんですが、そこでもベンゲルは目立ちに目立っていましたよ。観客から大拍手を受けちゃったりして。あ〜、この人は凄い監督さんなんだなんて実感させられていました。あっ、それから、彼がフランスから連れてきたデュリックスやパシも、凄い人気選手だったんだって実感させられましたよ。とにかくベルサイユ合宿は、色々な意味でものすごく大きな転機になったというわけです・・」
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スミマセン・・今回も中途半端ですが、ここまでということでお許しください。ビジネスや他メディアの依頼原稿、またチャンピオンズリーグ観戦等々、ちょいと色々なコトが重なり過ぎてしまって・・。次回(第四回目・・連載がどんどん延長したいったりして・・)の完結編で、ベンゲルのトレーニングから、チーム内での微調整プロセス、はたまたその他の様々なテーマについての対談内容などをご紹介しますので・・。
(次回へつづく・・)