The 対談
- 2006_ワールドカップ日記(The 対談)・・哲学者、小林敏明さんとの対話・・(2006年7月7日、金曜日)
- どうも皆さん。昨日は、ミュンヘンからハノーファーへ飛び、そこからクルマで300キロ走ってベルリンへというフルの移動日でした。そして今はベルリンの友人宅にお世話になっているわけです。
予選リーグ中の前々回と、準々決勝の前回は、まったくといっていいほど時間がなかったので(朝方の2時ころに彼らの自宅に到着し、次の朝の7時には既に出発というスケジュール)、今回はしっかりと旧交を温めました。
その彼らとは、小林敏明さんとノラ・ビーリッヒさんのご夫婦。小林さんは哲学を専攻し、奥さんのノラさんは、大江健三郎も翻訳するアカデミックな方たちです(この形容は、彼らにとっては好ましいモノじゃないかも・・まあ、私にとって彼らは十分にアカデミックだから・・)。かれこれ20年来の知己ということになりますかね。小林さんからは、これまでに何度も、様々な「哲学的な刺激」を受けたものです。
彼(小林敏明さん)は、私よりも4つくらい年上。哲学をライフワークにしている方です。そして、エキサイティングな紆余曲折を経て、奥さんのノラさんと結婚し、今はベルリンに在住しているという次第。現在は、ライプツィヒ大学教授(プロフェッサー)で、その東アジア研究所において、日本文学と日本思想の講座を受け持っていますからね、ちょっと権威のレベルが違います(この表現も、小林さんは嫌いかもしれないけれど、これは私のHPだから我慢してもらいます!)。
当然、多くの著書もありますが、そのなかでの主なものは、「〈ことなり〉の現象学(弘文堂)」、「精神病理からみる現代思想(講談社新書)」、「西田幾多郎の憂鬱(岩波書店)」、「Melancholie und Zeit (Storemfeld)」、「Denken des Fremden (Stroemfeld)」等です。ポータルサイトで「小林敏明」と引けば、1000件くらいはヒットするはず。詳しくは、そちらを参照してください。
ということで、彼らと話しが弾んだわけだけれど、やはりどうしても話題はワールドカップへと向かってしまう。ということで、本格的にサッカーがテーマになったところで、ノラさんはご自分の仕事に戻られたというわけです。
「ところで小林さん、今回のワールドカップで、もっとも印象に残ったチームはどこだった?」との私の問いに、すぐに目を輝かせ、待ってましたとばかりの勢いで喋りはじめる小林さん。彼は、サッカーが大好きなのです。
「まず何といってもコートジボワールだよ。彼らのゴール前への詰めというか、そこでの迫力や執念は圧倒的だと思ったんだよ。また、彼らの躍動感も素晴らしかった。普通だったら届かないところまで、身体全体でリーチしちゃうとかさ。身体を投げ出して足を高く上げる・・あれはなんて言ったっけな・・」。「あ〜、オーバーヘッドシュートね」と、湯浅。「そう、それそれ。とにかく、そのダイナミズムは、他のどのチームにもないものだって感じたんだよ。あれをアフリカンパワーというならば、たしかに特異な存在感があったと思っているんだ」。
「その他のチームは?」。「決勝ラウンドに入って成長したフランスかな。ジダンを立てようとする仲間の姿勢に、彼自身も触発されたと思う。バス出しも強く意識していたからね。だから、互いのコンピネーションが素晴らしく上手く機能しはじめたと思うんだ。いまの彼らは本当に魅力的なサッカーをやっていると思うよ」。一息入れた小林さんがつづけます。
「そして何といってもドイツだよな。僕がドイツに住んでいるからというわけじゃないんだ。とにかく、大会を通した彼らの成長が素晴らしいと思っているんだ。何といっても、やっているサッカーが面白いからネ。彼らのサッカーは、観ていて、本当に見入ってしまうほど魅力的だと思うんだ」。小林さん、話しはじめたら止まらないし、目の輝きも、どんどんと光度を増していると感じられる。やはりこれもサッカーが内包するパワーの証明っちゅうことなんだろうね。ちなみに彼は、サッカーを本格的にプレーした経験は皆無です。
小林さんは、私のHPの読者で、毎日欠かさず開いてくれているとのこと。だから、湯浅が創作したサッカーのコンセプト表現にも精通しているのです。互いに使い、使われるメカニズムとか、主体的に仕事を探すプレー姿勢、また良いサッカーはクリエイティブな無駄走りの積み重ねとか、有機的なプレー連鎖の集合体とか・・ね。そのなかで、小林さんが特に気に入っているのが、「勝負はボールがないところで決まる」という表現らしい。
「まさに、その通りなんだと思うよ。サッカーは基本的にパスゲームだということだよね。そこで、ちょっとその意味を考えてみたんだ。そこで脳裏に浮かんできたのが、空間の間と、時間の間、そして人間の間という発想・・」。
ここからは、ちょっと難しい表現がつづいたので、私が要約することにチャレンジします。要は、パスを成功させるためには、出す方と受ける方との間にある空間としての(物理的な)間だけが見えているだけでは十分ではない・・彼らは常に動いているわけだから、未来ファクターとしての時間の間という概念も大事になってくる・・要は、動きがつづいているなかで、次のスペースもイメージできていなければならない・・そして最後が、プレーヤー同士のイメージのつながりという意味での、人間の間・・。
「空間と時間、そして人間ということで、そのすべてに間という言葉が入ってくるよね。だから、間の三拍子なんて呼べたりもする。それが揃ったときに、ゲームが非常にきれいなモノになってくると思うんだよ」と、小林さん。
もちろん、この「間の三拍子」は、それぞれが独立しているわけじゃなく、互いに深く関係しています。一人がパスを受けるために走る。そこで出来たスペースを後方から上がってきた味方が使ったり、走った選手に相手が引きつけられたスキを突いて、逆方向へパスを出すことでチャンスを広げたり。
一人が走ることで、両チーム選手の位置関係がどんどん変化する・・そのことで、空間の「間」もどんどん変容していく・・そして未来ファクターとしての時間の「間」も、その変化に応じて変わってくる・・その時間の「間」は、予知能力とも言い換えられるかもしれない・・もちろんそれらの変化は、(お互いの好き嫌いも含めた)選手たちの気の合い方(人間の間)にも大きく影響を与える・・ってなことです。そして小林さんがつづけます。「そうそう、例えばブラジルのロナウドとロナウジーニョだけれど、彼らのコンビネーションのなかに、ここでいう人間の間があまり感じられなかったよね」。
私は、その関係性のことを、「サッカーは、有機的なプレー連鎖の集合体だ」なんて表現したりするわけです。
「日本チームでは、その間をしっかりと感じながらプレーしていたのが中田英寿ということなんだろうね。ただ、彼のスルーパスが通らないことがあるじゃない。それって、周りの選手が空間的な間しか見ていないということだと思うんだよ。未来ファクターとしての時間の間が感じられていないというか・・。そのチグハグが、彼の不幸だったかもしれないね」。
小林さんがつづけます。「どうも日本人は、過去ばかりに目を向ける傾向が強いと言えるかもしれない。先を見たり、先を読んで行動することには、勇気と決断力が必要になるからね。日本人は、それは、ちょっと苦手かもしれない。ボールは、飛んでしまったら、もう遅いから。その前に、未来を予測するっていうことなんだと思う。もちろんボールを持つ選手は、未来に対してパスを出すという感覚を持たなければならないし、パスを受ける方も、未来に向かって走るという感覚を持たなければならないということだね。要は、サッカーでは、創造性と想像性の両方が必要ということかな」。
フムフム、なるほど。小林さんとの対話では、本当に深い示唆に富んだ表現が続出してきます。「間の三拍子」や「未来に対してパスを出す」ね、面白いじゃありませんか。
今日は疲れたから、ここまでにしますが、明日はその続きとして、日本人にとってのサッカーとか、ワールドカップでのナショナリズムなどをテーマに話し合った内容を文章に起こしますので・・。
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