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ご無沙汰してしまって・・ドイツ近況報告です・・(2000年7月13日、木曜日)


いま、明日ドイツを離れる・・ということで、フランクフルト空港にほど近いホテルに宿泊しています。夜中に近い時間なのですが、風呂にでも入り、少しリラックスしてから、ドイツでの近況報告を書きはじめようかな・・なんて思っています。あっ・・と、風呂にお湯がたまったみたいで・・

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 さて・・・

 ドイツに渡ってから、ビジネスミーティング、雑誌ナンバーのゲラの確認、サッカーマガジン、ヤフー2002クラブ、雑誌「日本代表Spirits」などの原稿書き、また、約束していたサッカー関係の人々に会うために800キロ近くも移動と、本当に、ドイツに来てからの数日間は、時差ボケなんて気にしていられないという毎日を送ってしまいました。

 まず、(恒例ですが・・)ドイツのアウトバーンについて・・。ハンブルクより北部の「シュレスビッヒ・ホルシュタイン州(ドイツの地図を確認してください)」ではほとんど速度規制がなく、快適なドライブを楽しめるのですが、それ以外のほとんどのアウトバーンにはスピードリミットが設定されています。もうドイツでは「速いクルマ」を借りる意味がなくなった・・なんて嘆くことしきりの湯浅だったのですが、それも当然の措置ではあります。私のような「(環境汚染を考えずに)制限速度なしでブッ飛ばしたい」と考えるドライバーの方が不届き者ということになってしまうんでしょうネ。

 最初の多忙な数日の後、友人に会うためにベルリンへ寄り、翌日には、「2000年の国際コーチ会議」に参加するために、ドイツ中東部に位置するエアフルトという町(市)へ移動しました。

 この国際会議は、(私も会員の)ドイツサッカーコーチ連盟の主催で、毎年異なる町で開催されます。集合日の日曜日から水曜日まで、ミッチリとスケジュールが組まれた国際会議。そこでディスカッションされた内容の骨子については、今週号(2000年7月14日アップ)の「ヤフースポーツ・2002クラブ」、また来週発売のサッカーマガジン「1/4コラム」に書きましたので参照してください。

 話が前後しますが、北ドイツからベルリンへ移動していた湯浅は、ドイツでは珍しい大渋滞に巻き込まれてしまいました。というのも、移動日が、ベルリンで開催された世界最大のロッカーの祭典「ラブ・パレード(新しい音楽のジャンルには詳しくないので、ロックとしてしまったのですが、まったくの思い違いだったりして・・)」の日とバッティングしてしまったからです。渋滞で止まっている前後左右のクルマに乗るのは、ほとんどが、ラブパレードに参加する若者たち。もちろん国籍も様々です。

 ビールを飲みながら、(車載ステレオから流れる)大音響のロックミュージックに合わせて(渋滞する路上で)踊りまくる者。なかには、クルマのボンネットや屋根の上で派手なパフォーマンスを繰り広げる若者たちもいます。そのエネルギーは際限しらず・・。表現力が足りないように感じるのですが、とにかく、ヨーロッパの若い大男や大女たちが繰り広げるエネルギッシュなアクションに、圧倒されまくった数時間ではありました。

 ということで、普段ならば3時間もあればベルリンに到着するところを、この日に限っては6時間近くもかかってしまって・・

 また次の日に、統一ドイツの象徴として大きく様変わりしたベルリンから、国際会議が開催されるエアフルトへ向かうアウトバーンも大渋滞。それも、ラブパレードから帰途についた人たちです。ここでもまたまた「路上パーティー」・・

 これはいかん! これから国際会議のためにエネルギーを蓄えておかなければならないのに、このままでは彼らにエネルギーを吸い取られてしまう・・。何といっても、数台ごとに「オイ! 一緒にビールを飲んで騒ごうぜ!」と、アプローチされまくってしまうんですからネ。まあ、私も騒ぐのは嫌いではないのですが、そのときは、いろいろなことに考えを巡らせなければならず、とてもそんな気分には・・

 ということで、大渋滞のアウトバーンからワインディングロードに下りて、一般道をひた走ることにした湯浅だったのです。それでも、そこは「旧東ドイツ」。アウトバーンの整備は進んでいるものの、まだまだ一般道の補修までは手が回らないようで、路面の凹凸が・・。そして途中で休憩しようにも、通過した「ハレ」や「イエナ」という中規模の町並みもまだ「旧東ドイツ」ですから、しゃれたレストランやキャフェが見つかるはずもなし・・。そんなこんなで、7時間近くもクルマに揺られてエアフルトに着いた頃には、もう腰は痛むわ、ノドは渇くわ、腹は減るわ、はたまた国際会議の会場は見つからないわで、散々な思いをしてしまいました。

 それでも、サスガにチュービンゲン地方の中心で、マルチン・ルター縁(ゆかり)の地であることなど、歴史的に意義深いエアフルト。「旧市街」の中心に建てられたホテルは超モダン。そして旧市街も(観光産業のために)かなり整備され、心地よいことこの上ありません。

 会議が終わった後の夜(ドイツは緯度的にかなり高いので夜は10時ころまで明るい!)、散歩をしたり、キャフェで「マン・ウォッチング」をするなかで知り合いになった地元の人たちと話をしてみました。

 「あなた方は、旧東ドイツ時代からここに住んでいるんですか? ドイツが統一されて、かれこれ10年近く経ったわけですが、そのあいだに何かカルチャーショック的な経験なんてありましたか・・」と、湯浅。

 「それは、ものすごい変化でしたよ。なんといっても、それまでは、独裁政権を中心に生活の全てが回っていたのに、急に、自分たち主体で生活を考えなければならなくなったんですからネ・・」。私に声を掛けられたビジネスマン風の中年男性が、金髪の髪を手でかき上げながら話を続けます。

 「資本主義は、たしかにフェアな社会システムではあるけれど、馴れる・・というか、それに考え方を合わせられるまでには相当な時間が必要だったな。それでも、今でも西側のヤツらからすれば、私たちはまだ二級市民だろうしね・・」

 たしかに「カベ」は消えたけれど、「見えない(互いの感性を隔てる)カベ」は、以前の物理的なものよりも高いのかもしれません。私は、当時の東側に生活していた友人が多数いるのですが、彼らも異口同音に、新しい社会システムに適合するのに四苦八苦した(今でもしている)と言います。それはそうです。彼らにとっては、(いくら同じドイツ語圏だとはいっても・・)実際には、完璧な「異文化」ですからネ。

 このことについては、いろいろな面白い逸話があります。私の親友は、1974年に、西側の人が運転する車のトランクに隠れて「亡命」してきた男ですし、私がドイツ留学していた当時の友人の多くが、そんな「亡命者」たちでしたからネ。でも、このことについてはまたの機会に(特に彼らのギリギリの逃避行は、聞く価値あり!)・・

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 最後に、エアフルトでの国際会議についてちょっとだけ触れます。

 そこでのテーマは「ユースサッカー」。後進が育っていないことで、国際大会で惨敗を続けるドイツ代表。また、国際舞台でまったく活躍できていないオリンピック代表やユース代表。今回のテーマについては、「さもありなん・・」と納得しきりの湯浅でした。私も、ドイツサッカーが、カタチにこだわり過ぎる「オーバーコーチング」など、ユース年代の育成に問題をかかえていると思っていたのです。

 でも、今年の5月にイスラエルで行われた「アンダー16ヨーロッパ選手権」のビデオを見せられて(準々決勝の、優勝したポルトガルとの対戦)、見方が多少変わりました。たしかに最後は「PK戦」で負けはしましたが、内容的には、優勝チームであるポルトガルを圧倒していたのです。

 また会議では、「ストリートサッカーのエッセンス」を何とか補わなければ・・ということも討論されました。そうです。技術レベルを引き上げる努力と平行して、自分主体のクリエイティブプレーの能力を伸ばす努力のことです(これについては、来週のサッカーマガジンを参照してください)。

 アンダー16ドイツ代表のビデオや、それらのディスカッション内容から、少し安心した湯浅でした。ただ、やはり・・というか、優れた能力を持つ若手選手たちが、トップレベルのサッカーで経験を積むことができる「場」の可能性についてだけは、目の前が暗くなったものです。

 プロリーグの「ブランドネーション(イングランド、ドイツ、スペイン、そしてイタリア)」が抱える共通の問題。それは、「経済主導」になり過ぎていることで、自国の若者よりも、「世界スター」たちを買いあさることの方が優先されることです。それに対して、自国リーグがマイナーでカネが流れ込んでこないことで、若手を育てるスペースが十二分に確保されている、オランダやフランスなどの選手輸出国(このことについては、今週金曜日にアップされる「2002クラブ」で、友人との会話という形式で一つのコラムにまとめましたので参照してください)。

 ストリートサッカーのエッセンスに欠け、まだオーバーコーチングの傾向が残っている「育成段階」での問題点。そして、ユースから大人(プロ)へ移行する段階での「構造的」な問題点。そして、育成の組織システムにおける様々な課題。

 これらの問題、課題を乗り越えて、ドイツサッカーが、これからどのように「再生」していくのか・・。これからも目を凝らして見守りたいと思います。

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 ここのところフルパワーで仕事に精を出した(・・と自分では思っている)湯浅ですが、ちょっとここらで一休み。

 明日から10日間くらい「オフ」をとろうと思います。次のレポートは、7月22日の「J」から・・?! とはいっても、様々な、「考えを巡らさなければならないテーマ」を抱えていますから、オフの間にも、何か書きたくなってしまったりして・・

 ではまた・・




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