試合全体(結果)を通じて思ったことは、「とにかくレッズがJ−1に復帰できたことに対してオメデトウと言わなければ・・大分も内容のある戦いを披露していたし、二年連続で勝ち点1に泣くなんて、何て運がないんだろう・・それでも、やっぱりリーグには、昇格リーグ、降格リーグがなければ・・そんな、変化の振幅が巨大な悲喜こもごものドラマが、自分主体のチャレンジ満載(?!)のサッカーの社会的ポジションを上げていくんだ・・人生だって社会だって、とにかく変化だけが真実なんだから・・だから誰でも、いつかはリスクにチャレンジしなければ(ギリギリの意志決定をしなければ)ならないし、それしか自信(人生に対する確信)を深められる手段はないんだ・・その意味でも、Jリーグは、21世紀の日本の(社会的・人生的な?!)イメージリーダーにだってなれる社会的存在かのかもしれない・・あっ! と・・いやいや、今のサッカー界の体質じゃ、イメージリーダーなんておこがましいか・・」なんていうものでした。
レッズの、今シーズンの「サッカー内容」は、とても誉められたモノではありません。それはレッズを支持する人々全員が感じていることです。彼らの、「個人能力の総体」としてのチーム力は、あんなモノではないのです(・・べきではないのです)。
このことはもう何度も、何度も書いたことですから、ここでくり返そうとは思いません。ただ一言だけ・・。彼らは、サッカーという「理不尽なボールゲーム」に足を染めた「個人事業主」たち。そこでは、様々な意味を包含する「高い意識」をベースに、自らの「チカラ」を、常に120%発揮しようとするギリギリの「リスク・チャレンジ姿勢」がなければ、「個人事業主」として提供できる価値(価値交換という市場メカニズムの原則!)が地に落ちてしまうことを肝に銘ずるべきです。
読売新聞の記事に、アントラーズから移籍してきた室井選手の、「アントラーズの方が、練習量もメニューも豊富。こんな目に遭わないためには、やっぱり練習が一番必要だと思う・・」という発言が載っていました。突き詰めれば、自らの「意識」として、自分自身の「社会的アイデンティティー(コミットメント)」をどこに求めるのかという命題に入っていく・・。要は、「自己実現(それに対するイメージがあればのハナシですがネ・・)」の「プロセス」における、自らの「生き様コンセプト」が重要になってくる・・ということですかネ。