私にとっては、四十代後半になってもオートバイ(前傾姿勢のレーサータイプ)を駆り、スーツではなく、革ジャンパーでビジネスに出かけたりする「気持ちとカラダの若さ(・・というか単純に元気?! 選手に『元気』を与えるのも監督の大きな仕事の一つですから・・)」がトレードマークだったはずなんですが、それが、帰国一週間たっても時差ボケに悩まされてしまうんですから・・
落ち込み気味だったのですが、それでも昨日、1月30日、日曜日の「スポーツ三昧」で、参加意識ギンギンに観戦するなど、またまた「アクティブ・マインド」が復活してきたことでチョット安心した湯浅でした。
さて昨日の「三昧」のトップは、何といっても大阪女子マラソン。弘山晴美が、「これぞ勝負師のマラソンランナー」という立派な走りを魅せて二位に入りました。私は、ずっとランナーたちの表情・態度を追い続けていたのですが、集団内でのクールな表情など、彼女の「(自分主体の)勝負師」といった顔つき、態度にゾッコンといったところ。サスガに、日本トラック界の女王といった雰囲気でした。
特に、35キロ過ぎからの「記録を意識した」飛び出し、そしてリディア・シモンに追い抜かれた後の競り合い。「これはトラック勝負になる・・その時そう思った・・」、そんなことをスポーツ番組で語っていましたが、それも「トラックでの絶対的な自信」があったからこその「イメージ」でした。普通だったら、追い掛ける方の勢いに完全に「心理・精神的」に席巻されてしまうモノなのに・・
最後は「物理的」、また「勝負カン」などといった、素人には分かりにくい部分でシモンを抜き返すことはできませんでしたが、コース全体を通した彼女の走りには、世界レベルの「ホンモノ感」が溢れていました。
「オリンピックで金メダルをとるためにマラソンにした・・」。昨年11月に、日本陸連から、1万メートルだったら代表の内定を出してもいい・・そんな打診を受けたということですが、それを断っての「自分主体の決断」。勝負師じゃありませんか。「勝負」では、記録などという「物理的な評価基準」以上のものが左右することは確か。とにかく、世界のトップランナーと「互角」に駆け引きし、競り合えたことは、彼女の「勝負」に対する鋭い感性の確たる証拠です。
優勝して(昨年11月の東京マラソンで歴代二位の記録を作った)山口の記録を上回る・・でしたっけ?! そんな代表選考基準などとは関係なく、ここは一つ、彼女の「勝負師マインド」に賭けてみることをお勧めしますよ、陸連の方々・・
さて「三昧」の次は、ボクシング。越本が、アメリカのノーウッドに「完敗」したファイトです。
大阪マラソンの興奮冷めやらず・・といった雰囲気で中継が始まりました。そこでの第一印象が、「アッ、越本はビビッている・・」というものでした。その瞬間、シモンと、心理・精神的にも「互角」に渡り合った弘山のことがアタマのイメージをかすめました。
もちろんボクシングですから、ほんの一瞬の「不用意な仕掛け」が命取りになってしまうことは分かります。それでも、KOされるまで、素人が見ても受け身という、ノーウッドにまったく「恐怖心」を抱かせないファイトには納得いきませんでした。とはいっても、ポイントで置いていかれ、ここは一つ攻めるしかない・・という第9ラウンドで「仕掛け」ていき、そして一発を食らってKO。これはもう「完全な実力差」というしかありません。
「勝負師マインド」は、実力が同程度の場合で、はじめて発揮されるということなのでしょう・・
さて、テニス、オーストラリアオープン決勝。「底」を体感し、レベルを超えたチャレンジ精神にバックアップされるアガシが、カフェルニコフを圧倒しました。
一時は、世界ランキング141位にまで落ち込んだアガシ。「底」を体感し、失うモノはもう何もないという心境で、よしもう一度できるところまでやってやる・・というモティベーションを得(どんな『刺激』があったのか知りたいですネ・・)、極限まで「意識」を高めることができた「実力者」は、逆に「ノイズ」に左右されることなく、「実の詰まった本来の(純粋スポーツ的)パフォーマンス」を魅せるもの・・というセオリーを如実に証明したアガシ。彼の「圧勝」には、確かに「実」が詰まっていると感じます。
このトーナメントでは、以前、「天才」としてアメリカの期待を一身に集め、そして「どん底」まで落ち込んでしまった女子のカプリアティーにも注目していました。
準々決勝で杉山を圧倒したカプリアティー。彼女のプレーからも「実力に見合った(純粋スポーツ的)パフオーマンス」を感じ、心躍ったモノです。
どうして「復活した実力者」に注目していたのか・・。それは、ベルマーレに移籍した前園が気になっていたからなのかもしれません。
以前書いた様々なコラムで、「このままでは、前園は才能の墓場へ直行してしまう・・」と何度も危惧し、そして実際に「どん底」まで落ち込んでしまった前園。
もし彼が、「J−2」なんてチョロいよ・・などと(深層心理で)思っているのならば、もう何も言うことはありません。ただ一つだけ、意を決したアガシが、自身の「復活プロセス」で、ランキング上位プレーヤーによるトーナメントに出場するための「チャレンジャー・ラウンド」において、本来の実力がワンランクもツーランクも下のプレーヤーを相手に、必死に、本当に必死に、まったく手を抜かずに圧勝を続けたという「事実」だけを前園に投げかけたいと思います。
「ハングリー・・???」
そんな簡単な言葉では表現できないようにも思いますが、アガシ、カプリアティーは、「自分自身のアイデンティティー」に対し、極端にハングリーになったことだけは確かです。彼らは、「どん底」を経験することで、その「アイデンティティー」に飢餓し、それがテニスコートの上だけでしか得られないことを知ったのです。
私はそのことを前園に問いかけたいと思います。「実力(もう才能という言葉は使わないようにしましょう・・)」は十分。後は「サッカーに取り組む姿勢」というか「高い意識」というか、そんな心理・精神的な部分のみが問われます。
ここからチョット、前園に対するメッセージ・・・。
もう「自分自身に対する言い訳(プレーがうまくいかなかったときに、そのことを周りのせいにする等・・)」はやめにして、純粋に「サッカーを楽しむマインド」を取り戻そう。いつもチームメイトの二倍は走り回り、二倍はボールに触る、そして積極的に相手からボールを奪い返す・・そんな「オレがチームの中心になってやる・・」という「意気込み」でプレーしよう。そうすれば、「サッカーを楽しむ」という意味の本質を「再び体感」できるようになるハズ・・
ガンバレ、前園・・
最後に、バリャドリードでの城について簡単に・・
バリャドリード対、首位ラコルーニャの試合での(城が退場するまでの)三点すべてに、直接的、間接的に絡んだ城。「ワントップ」という役割ですから、どうしても「使われる」的なアピアランスになってしまうのは仕方ないのですが、それでも、「自分」をもっと強烈に「主張」することだけは忘れてはいけません。
確かに、決定的チャンスまでの「ワンポイント(使われるプレーヤー)」としては良いプレーをしました。それでも彼はストライカーです。「エゴイスト」に徹するところでは、もっともっと自己主張をしなければ生き残れません。なんといっても彼は「外国人」なのですから・・
ストライカーは、常に「最後は自分がフィニッシャーになる!」というイメージを持って味方に「使われる・・」というのが原則なのです。
シンプルにプレーしなければならないところはオーケーです。それでも「その後」がカッタルい。もっと、「シンプル&爆発ゴー」という「意志」を見せなければ・・。もっと味方に「文句を言える」ような「自分主体の仕掛け」をしなければ・・。
このラコルーニャ戦では、完全に、ビクトールが活躍するための「オトリ」になってしまっていました。彼には「チームプレーと個人勝負プレーの優れたバランス」をもっと意識してもらいたいものです。
彼については、今週の「2002 Club」でも取りあげるつもりです。では今日はここらへんで・・