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トルシエについて・・(2000年5月11日、木曜日)


本当に多くの方々から「湯浅さんは、トルシエ問題をどう思っているのか・・」と質問されています。様々なメディアで発表した私の文章をすべてフォローできるはずがないですから仕方ないのですが、私はこれまでに自分の意見は言ったと思っています。感情的なモノではなく、私自身のトルシエに対する「内容評価」、そして彼の(協会が絡む)去就問題など・・

 ということで、今回は、代表的な二つのコラムをここに載せることにしました。

 一つは、今週号のサッカーマガジンに載ったコラム。もう一つは、今年二月に発表した「Yahoo Sports 2002 Club」のコラムです。ちょっと重複する部分はありますがご容赦アレ。ではまずサッカーマガジンから・・

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『サッカーマガジン、2000年5月24日号』のコラム・・・

優れた「心理マネージャー」・・フィリップ・トルシエ

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 「正直いって、日本があれほど良いサッカーをやるとは夢にまで思わなかったな。それでも・・、まあオマエだってよく分かっているだろうけれど、個人の勝負トライがあまりにも少な過ぎる・・」

 フランスワールドカップの後、友人のドイツ人プロコーチが、日本チームの印象を語っていた。成功裏に世界デビューを果たしたとはいえ、彼には、次のステップへ向けての問題点が見えていた。そう、「組織プレーと個人プレー」のバランスという課題が・・

 「組織プレーに逃げ込む選手たち・・」。たとえば守備では、「あそこのスペースを突こうとしている・・」など、相手の次の意図が見えていながら、その時点でマークしている相手を放り出しでもアタックを仕掛けていこうとしない・・。また攻撃では、眼前にスペースがあるにもかかわらず、「次の守備」に後ろ髪を引かれて走り込もうとしなかったり、一人抜けば決定的シーンを演出できるのに、ドリブル突破にトライしない・・、そんなプレーだ。それでも(日本では?!)個人的なミスとして目立つことはない。

 戦術的な計画に忠実すぎる(責任回避の?!)組織プレーだけでは、強く、美しいサッカーなど望むべくもない。理不尽なサッカーだからこそ、個人の判断、決断に基づく「戦術的な決まりごとを超越したリスクチャレンジ」がなければ、決して成功することはないし、「世界」への着実なステップを踏むこともできない・・そのことが言いたかった。

 完全に平坦ではないグラウンド上を球形のボールが転がる・・。比較的ニブい足をつかってボールを扱う・・。そんな、不確実性要素テンコ盛りのボールゲームだからこそ、監督は、瞬間的な判断と決断の基盤になる、自分主体で「考える」という姿勢を発展させるだけではなく、どんな状況でもリスクにチャレンジしていけるだけの勇気を与えることができなければならないのだ。

 サッカーの要素は、身体能力、技術、戦術能力などの「ロジックな基盤」にかかわるものがほとんどのように考えられがちだ。ただ実際には、不確実であるが故に、他のボールゲームとは比べものにならないくらいの「心理ゲーム」でもある。これほど、メンタルな部分がグラウンド上のプレーに色濃く影響を与えるボールゲームは他にはない。だから監督は、「ロジックベースの仕事」だけではなく、「心理マネージャー」としてのウデも問われるのである。

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 いま、トルシエ監督の去就が注目を集めている。

 私は、彼の仕事を全体としてみた場合、高く評価するに値する根拠(内容)が十分に内包されていると思っている。豊富な知識と経験、目標に向かって前進を続けるため情熱と勇気、そして強烈なパーソナリティーなど、彼が、自国開催のワールドカップに臨む日本代表を託すことができるだけの優れたサッカーコーチだと思っているのである。

 私がトルシエを高く評価する一番の根拠は、硬直化した日本の社会体質を超越させられるだけの、「心理マネージャー」としての優れた資質だ。

 連続的、有機的、そして自由なプレー連鎖の集合体であるサッカー。そんなスポーツは他にはない。その高い「自由度」が、世界中の人々を熱狂させる。

 ただ、社会システム(慣習)に対する「組織調和マインド」をプライオリティーに、「個」を抑えるように教育されてきた日本人は、個人責任を強く意識し、自分主体で決断、実行するというプロセスに慣れていない。組織パーツとしての「定型の仕事」は効率的にこなすが、「個」を前面に押し出す自由な能動アクションは苦手なことが多いのだ。

 サッカーという本物の闘いの場では、あなた任せ、稀薄な当事者意識、個人責任を極力回避しようとする姿勢などの日本的な体質は、マイナス因子以外の何ものでもない。そのことを一番良く知っているのは、世界との勝負に負け続けてきた日本代表の選手たち自身だと思う。いまの日本代表にとっては、(例えば試合中に、チームメート同士で怒鳴り合うような?!)自己主張し合う、アグレッシブな雰囲気を「常態」にすることの方が重要なのだ。「仲良しチーム」では何も生まれない。そんな雰囲気が醸成されてくれば、互いのパーソナリティーを尊重し合いながら、本物の「ディベート」ができる心理環境も整ってくる。

 トルシエが代表監督に就任してからの、特に若い世代の日本代表のプレーからは、攻守にわたり、「非定型」のリスキープレーに「自分主体」でチャレンジし続けるアグレッシブな姿勢が明確に感じられる。彼らは、その「経験」を通して、何ものにも代えがたい「世界につながる自信」という財産を手にしつつある。そのことは確かな事実だ。

 トルシエは、そこに至るまでのプロセスで、落ち着いたロジックなアプローチだけではなく、日本的な発想や常識を否定したり、選手たちをわざと挑発したりするなど、「人間心理のダークサイド(瞬間的な怒りや憎しみなど?!)」までも活性化する「刺激」を巧みに与え続けた。

 それこそ、ハイレベルな「心理マネージメント」の証明なのである。

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『今年二月に発表した「Yahoo Sports 2002 Club」のコラムです』・・・

トルシエの去就・・

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 多くの方々から、トルシエの去就についてメールをいただいた。

 「これまでのトルシエの功績を考えれば、このまま日韓ワールドカップまで『やってもらう』方がいい・・」。「たしかに、カールスバーグカップやアジアカップ予選の出来はイマイチだったが、それも各世代を融合するためのプロセスと考えれば納得がいく・・」。「何故メディアに、サッカー協会発のネガティブな記事が載るのですか? 彼らが選んだ代表監督ではありませんか・・」等など。ほとんどの声はトルシエ支持であり、ネガティブな意見は、本当に数えるほどしかない。

 素晴らしくアクティブなサッカーで勝利をおさめた、一昨年11月のアンダー21日本代表(オリンピック代表のベース)対アルゼンチン代表のフレンドリーマッチにはじまり、ナイジェリア世界ユース選手権での準優勝、見事な攻撃サッカーを展開したシドニーオリンピック予選。また、某テレビ局が制作した、トルシエの現場での仕事ぶりをまとめたドキュメンタリー番組もあった。そこでは、ギリギリの状況において「心理的な刺激」を与えられる資質など、彼の優れた「心理マネージメント能力」がイキイキと表現されていた。

 逆に、南米選手権や最近のカールスバーグカップ、アジアカップ予選での試合内容、特に選手のリスクチャレンジに対する「消極的なプレー姿勢」には落胆させられた。それはまさしく、監督の心理マネージメント能力にかかわることだから、批判の対象になってしかるべき結果ではある。

ただトルシエの仕事を全体としてみた場合、たしかに、多くの人々が高く評価する根拠(内容)が十分に内包されていると思う。そんな人々にとっては、試合内容について、揚げ足とりとも取られかねない安易なコメントを出したり、監督交代の可能性を示唆したりする協会関係者の態度は、納得できるものではないに違いない。

 ボクの意見は、「トルシエ・・是」である。

 豊富な知識、目標に向かって前進を続けるため情熱と勇気、そして強烈なパーソナリティーなど、彼は、自国開催のワールドカップに臨む日本代表を託すことができるだけの優れたサッカーコーチだと思っている。たしかに戦術的な柔軟性(チーム・ゲーム戦術的なオプション)や、特に外部との(古い体質との?!)コミュニケーション能力などには不安も残るが、同業者として、彼のコーチングの可能性や発展性をもっと観察していたい・・という興味がつのるのである。

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 ここで、今回のホンコン、マカオでのテーマの一つだった、若手と中堅、ベテランの「融合」について一言。

 ボクは、中堅、ベテランのなかに、心理的に「守り」の傾向が強い選手がいたと思っている。「失うモノ」があるから、とにかくリスクをおかさず堅実に、確実に・・というマインドが見え隠れしていたのである。

 サッカーは「有機的なプレー連鎖の集合体」だからこそ、そのなかにほんの少しでも「受け身・消極的」というネガティブ要素が混入した場合、チーム全体の「ダイナミズム」が地に落ちてしまうことは世界の常識だ。いくら選手のプロ意識が向上しているとはいっても、そこは動きのニブい日本社会、「年齢差(名声・キャリアの差?!)」も、深層心理ではまだかなり大きな影響力をもっているということか。ボクは、若手が彼らに「遠慮」し、そのことで「消極ビールス」がチーム内に蔓延してしまったと感じていたのである。

 若い世代は、情熱的で、多様な「刺激」に富んだトルシエの「心理ドライブ」によって、後ろ髪を引かれることなくリスクにチャレンジしていこうという積極マインドあふれるプレーを展開するようになっている。

 「自信」を深めるためには、リスクにチャレンジしていくしかない。そこでの「前向きな失敗」こそが自信を深めていくための唯一のステップなのである。若い世代は、そんな積極マインドを十二分にもっているのだが・・

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 さて、意志決定機関である協会とトルシエとの不協和音について・・。

 もちろん、協会内部でどのようなやりとりが為されているかについて知る由もないが、代表監督を全面サポートすべき立場の協会関係者から漏れてくるネガティブ発言は、彼らのコミュニケーションがうまくいっていないことを明確に示唆している。

 代表監督であるトルシエの「目的・目標」は、日本代表チームで最大限の成果をあげ、プロコーチとしての市場価値を高めることだろう。その「目的達成」の確率をできる限り高めるために様々な提案や要求を出すことは、プロとして当然の行為であり、義務でもあると思う。それについては、アーセン・ベンゲルも例外ではないに違いない。

 それに対して、協会(Jリーグ)の「目的・目標」は、(ボクの理解では)代表チームを強くし、国内リーグを隆盛させることで、サッカー・スポーツ文化を振興する(ひいては社会的、国際的にも貢献する)ということだ。

 ということで、双方の「目的・目標」が全て一致するわけではないから(もちろん広義では合致するのだろうが・・)、互いの話し合いによる調整が必要になる。ただ、それを話し合う場での双方のアプローチの仕方によって、必要もない「感情的」な問題が併発している・・と感じるのだ。

 どちらかの目的や目標が「歪んで」いる・・どちらかの話し方や姿勢が原因だ・・などということに言及しようとしているのではもちろんない。単に、互いのコミュニケーションの仕方が十分に噛み合っていないのではないか・・ということを言っている。だから感情的なわだかまりが残る。

 互いの「目的」をベースに(最初にその目的自体を互いにクリアにし、すり合わせる必要があったりして?!)、優秀なコーディネーターを介して、冷静に、そしてロジカルに話し合えば、互いの理解が深まるだろうし、「選手起用について方向性が見えない・・」とか、「トルシエに、十分な戦術的発想のバリエーションがあるかどうかの判断がつかない・・」などといった協会側の発言は出てこなくなるだろう。またそうなれば、続投するにしても、袂を分かつことになるとしても、生活者のマジョリティーが理解できる「監督の去就に関する評価基準(根拠)」も、ある程度は明確にすることができるに違いない。

 一番心配なのは、人格的な部分のふれ合いも含め、しっかりとした深いコミュニケーションがとれず、感情的な面が先行した雰囲気のなかで(つまり周囲が薄々感づいてしまうような雰囲気のなかで)、「内容」とは関係なく「結果だけ」を基準に去就が決まってしまうことだ。

 そして世界での日本サッカー界のレピュテーション(名声・評判)が地に落ちてしまう。それだけは避けなければならない。次の時代を担う若い世代のために・・

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 最後に・・

 トルシエについて、友人の、南アフリカ共和国サッカー協会関係者と話したことがあります。彼が言っていました。「彼は、トレーニングでのモティベーション能力や、内容がありタイミングが良い刺激など、優れたコーチだし、心理マネージャーとしてもレベルが高い・・」。それでも、彼が仕事をした全てのサッカー協会と問題を起こしていた。彼の自己主張の強さは本当にレベルを超えているからな・・」

 だからこそ、彼には「優秀なコーディネーター」が必要だと思うのです。これについては、トルシエが監督に就任した直後の1998年10月、「Yahoo Sports 2002 Club」に発表したコラム、「トルシエ監督に優秀な日本人パートナーを・・」を参照してください。

 それでも、こんな騒動があったのだから、トルシエも「今後の態度(私は彼が続投することを望んでいるし、そのことを確信してもいるのです!!)」を、「自分が仕事がやりやすいように」少しは改善するかもしれません。とはいっても、日本的に(体育会体質的に )従順になるはずがありませんし、もしそうなったら彼の「価値」は地に落ちます。

 とにかくまず、「大人のディベート」ができる雰囲気だけは、トルシエも努力して、作り上げて欲しいモノです。では・・




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