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帰国しました・・その「2」・・(2001年7月17日、火曜日)


昨日は、アウトバーンでの「チキンゲーム」のことばかり、ちょっと低次元のハナシを書きつづってしまい、またキーボードに向かっているうちに、ものすごい眠気におそわれてしまって・・(指を動かすことって眠気を誘う!?)

 ・・ってなことで、いま「イサイズ2002クラブ」の原稿を送ったところ。本日の夜までにはアップされるハズです。

 そこでのテーマは「2006ドイツワールドカップ」へ向けての若手の育成。「システム環境的」なことにポイントを置いて書いたのですが、私のHPでは、より現場に近いハナシをしようと思います。要は、「ストリートフットボール」の再現・・というテーマです。

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 「ドイツ便り(3)」で登場したフランスサッカー界の重鎮、「アーネスト・ジャッキー氏」ですが、彼とも、現場における若手育成をテーマにして突っ込んだディスカッションをしました。

 でもまず、(今回の国際会議での講演においても、優れたモデルとして何度も取り上げられた)フランスの若手育成システムについてのジャッキー氏の語りから・・(彼は、アーセン・ベンゲル同様、ストラスプールの出身ですからドイツ語が堪能!)。要は、(ジャッキー氏も含む)フランスサッカー協会が、フランス政府に対し「スポーツ振興の中心施設が必要だ・・」と精力的に働きかけたが、政府の動きが鈍かったことで、結局フランスサッカー協会として、1972年、「ビシー」というところにスポーツセンターを開設した・・、そこでは政府と、教育施設としても機能させるから、政府もある程度の資金援助をするということで合意した・・、その後、その施設の有効性を認識したフランス国内の各クラブが出資して同様の施設を次々と開設した・・、それが現在の、フランス全土に「11」ある、若者の(選ばれた優秀な若者たちの)スポーツ養成センターの原型となった・・、もちろんそこでは、コーチ養成コースも開設されている(フィリップ・トルシエやアーセン・ベンゲル、はたまた現在のフランス代表監督、ルメールなどもそこに学んだ)・・、それらの施設では、定期的に「入学テスト」が行われ、優秀な選手を常にピックアップしているが、そのテストでは、運動能力だけではなく、学業についてもテストされる・・、いくら優秀なサッカー選手でも、学業が追いつかなかったら入学できない・・、今それらの施設は、プロ選手になるためのもっとも近道になっている(プロのスカウト連中も、的を絞って選手を捜すことができる!)・・等々、というわけです。

 さて、コーチング内容ですが、ジャッキー氏に言わせれば、ヨーロッパ先進国では、どこも状況は同じで、子供たちの間でストリートフットボールが激減しているということです。まあ、その流れは仕方のないことです。ただフランスでは、異文化、異民族の融合が進行していることで、サッカーに対する考え方が、より柔軟にならざるを得ない・・というアドバンテージがあります。要は、コーチたちも「柔軟な発想」でトレーニングを構成しなければならないということです。それが、フランスの、イマジネーション豊富なサッカーの源流にある・・? まあそのことについてジャッキー氏は明言を避けていましたがネ。

 そこで話題になったのが、トレーニングに「自由な要素」をどのようにうまく取り入れていくのか・・ということ。ここから私が持論を展開してしまって。ストリートフットボールの「要素」を、いかにうまくトレーニングに取り入れていくのか・・

 戦術的なトレーニングも大事ですけれど、何といってもサッカーは「最終的には自由にプレーせざるを得ないボールゲーム」ですからネ。そのことについてジャッキー氏も、「まさに、そういうことだな・・」とアグリーでした。

 要は、選手たちを「主体」にトレーニングを構成する時間があってもいい・・いや、その時間をもっと増やすべきだ(オーバーコーチングの弊害を減らすべき!)・・ということです。ストリートフットボールとは、自らが楽しむミニゲームそのもの。そこで彼らは、自らの創意工夫で、極限までサッカーゲームを楽しもうとするわけです。コーチは、トーナメントの形式や特別なルールをつくったり、レフェリーをするだけで、決して彼らに指示を出すようなことはしません。

 たとえば「5対5」や「6対6」のミニゲーム。戦術は、選手たち自身が「協議」しながら考えます。「ボールの持ちすぎ」などが頻発したら、全員が楽しめるようなプレーができないだけではなく、勝つことだってままならないのが常。だから、紆余曲折を経ながら、例外なく最後には、「自らが主体」になって、パスをメインにした「組織的サッカー」をするようになるんですよ。それも、個人の「インプロビゼーション(即興プレー)」を殺ぐことなくネ。また、その「発展プロセス」を観察することによって、選手一人ひとりのパーソナリティーが明確に見えてきたりなど、本当に興味深いですよ。

 もちろんマラドーナのような大天才がいたらハナシは別。「戦術」を自分たちなりに考えるにしても、結局は、その天才にボールをわたして勝負させようとするに違いありません。でもそんな「天才」は希有な存在だから、最後は、どうしても攻守にわたる組織プレーを「全員」でやらざるを得なくなる。そこでは、「オレは天才だ!」というのが、単なる勘違いだったと思い知らされる選手だって出てきたりして・・アハハッ!

 大事なことは、イーブンな立場にある仲間との「自主サッカー」だからこそ、そんな様々なファクターを、自分主体で、強烈な刺激とともに「体感」できる・・ということなんですヨ。

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 このことについては、他のドイツ人コーチ連中とも議論しました。ちょっと驚かされたのは、彼らにしても、自分たちなりに「選手の自主性」を前面に押し出すトレーニングアイデアをたくさん持っているということでした。だったら、何故ドイツの選手たちの「個人テクニック」があまり発展しないのだろう・・

 それについて、あるドイツ人コーチが言っていました。「コーチングに関する全体的な方向性の指針はあるよ。でも結局は、それぞれの末端コーチの、形式にこだわり過ぎる傾向を抑制することが難しくてサ。もちろん「形式」にこだわってもいいんだけれど、その中で選手たちが表現するインプロビゼーション・プレーまでも規制してしまう傾向があるんだナ(だから天才肌プレーヤーの、効果的な即興プレーも抑えられ、忘却の彼方へ・・!?)。これが問題でサ。勇気をもって、中盤からドリブル勝負を仕掛ける選手に対して・・、そんなプレーは、サーカスでやれ! オマエは、パスをして走りゃいいんだヨ! なんてネ・・」。たぶんその心理的な背景には、ドイツ特有の「権威主義」があったりして。このことについては、「かの国」も同じ・・!?

 もちろん、基本的にはパスゲームのサッカーだから、攻守にわたる組織プレーがベースであることは事実だけれど、個人プレー(勝負ドリブルや、次を強烈に意識したクリエイティブなタメ&キープ、はたまた守備における自分主体のラインブレイク等々)もなければ「美しく強いサッカー」の実現なんて・・。そのことは、サッカーの歴史が如実に証明しているハズなんですがネ。

 やはりサッカーにおける、もっとも重要なキーワードは『バランス(感覚)』なんですヨ。「組織目的の達成」に対する明確な意識をベースにした組織プレーと個人勝負プレーのバランス、戦術プランと「個人的アイデア」のバランス、はたまた互いのポジショニングバランスや、個性的な能力のバランス・・等々。その「バランス」を、物理的にだけではなく「心理的」にも発展・維持させる『演出家』がコーチだというわけです。いや、「深淵」な仕事ではありませんか。

 そこでのキーワードは、何といっても「選手たちの意識の高揚」。選手たち自身に、「それがもっとも大事なことだ!」と、心底意識させることが(そのバランス感覚に対する彼らの自己主張の姿勢を活性化させることが!)、コーチのターゲットだというわけです。そのために、彼らの「参加意識(自主性=自己主張=に対する意識)」を高揚させなければならない・・。その一つの「アイデア」が、ストリートフットボール「要素」の、レギュラートレーニングへの応用だというわけです。

 まあこのテーマに関しては、基本的な考え方の発展性も含め、機会を改めてレポートすることにしましょう。まだまだ時差ボケが取れない湯浅でした・・




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