「フラット守備システムについて語り合いましょう!」と同様、私自身にとってのデータベースとしても、常に「見える」ところに置いておくことにしようかな・・ということです。
またまた、かなり長くなってしまいましたが、まあ、我慢してお読みになっていただければ・・と期待いたします。
では・・
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世界との「最後の僅差」を縮めていくために・・(こんなタイトルではいかが?)
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「五点とれらてもいいから、思い切ってプレーしてこい!」
1998年、11月23日。シドニーオリンピック代表の原型となるアンダー20日本代表が、同アルゼンチン代表と対戦したときのことだ。就任間もないフィリップ・トルシエは、そう言って、ヤング代表たちに極限の積極プレーを要求したという。そしてその言葉通り、日本の若武者たちは、臆することのない立派な戦いを展開し、「1-0」で世界の強豪に競り勝つ。
まさにこの試合が、フィリップ・トルシエのチーム作りにおいて一貫してつらぬかれたコンセプトの原点となったのである。そう、常に攻撃的にリスクにチャレンジしていくというコンセプトの・・
フランスワールドカップ後に就任したフィリップトルシエは、20歳以下のユース代表から日本フル代表まで、複数の「代表チーム」を受け持つことになる。そして決断した。「能力の高い若手の方が、限りなく世界へ近づける可能性を秘めている。必要なのは経験だけだ。よし、彼らをベースにしよう・・」。フィリップは、若手を中心に鍛えることで、「2002」に臨む日本フル代表を作り上げることを決心したのである。
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その後、ナイジェリアで行われた世界ユース選手権での準優勝、オリンピック予選の突破など、若手代表がメキメキと力をつけていく。それに対しフル代表は、国際Aマッチで存在感を示すことができないだけではなく、特別枠で招待されたコパ・アメリカでも、一次リーグで1分け2敗という成績しか残せないなど、低迷をつづける。そして日本サッカーのイメージリーダーというポジションは、完全に若手代表へと傾いていった。
本物の世界との対戦となったオリンピック。まず南アフリカ戦で彼らは、レベルを超えた「個人」の戦術的アイデアと対峙することになる。南アは、チームプレー的な発想では、決して日本を上回っていたわけではない。ただ一人ひとりの能力では、確実に日本より上手だった。
ベネディクト・マッカーシーが、ノムベテが、フォーチュンが、はたまたバックリーが、アイデアあふれる個人勝負を仕掛けてくる。大雑把ではあるが、最前線のスペースでボールをもった才能たちが、抜群のインディビデュアル能力で危険なチャレンジを仕掛けてきたのだ。たしかに組織プレーのベースともいえる「ボールの動き」では日本に軍配があがる。ただ勝負所における「仕掛けの危険度」では南アの方が上回っていた。この試合で日本の選手たちは、世界一流の「個人戦術アイデア」を体感したのである。
そして、スロバキア戦に完勝した日本代表の若武者たちは、組織と個人が高次元でバランスする「本物の世界」、ブラジルと対峙することになる。たしかにブラジルは最高の調子ではなかった。それでも、彼らのクリエイティブな発想にあふれるサッカーは、個人的な戦術能力だけではなく、グループ、チーム戦術的にも、日本を凌駕していた。
日本チームが作り出したチャンスは、中村俊輔のフリーキックくらい。対するブラジルは、一ゴールしか奪うことができなかったとはいえ、何度も、日本の最終ラインを崩し切ったチャンスを作り出した。彼らは、決勝トーナメントに駒を進めるために勝つしかないという状況にあった。日本の若者たちは、崖っぷちの勝負に臨んだ「世界」が全力で繰り出す、攻守にわたる戦術的アイデアを、冷や汗とともに体感させられた。そう、本物の世界との「最後の僅差」を・・
結局日本の若武者たちは、アメリカ戦で惜しい敗北を喫してしまった。しかし、ある程度の成績を残せたことで、彼らの優れたサッカーも高く評価された。そして、積極的にリスクチャレンジをつづけたからこその「深い自信」を勝ち取った。そんな成果が、日本にいる中堅選手たちを刺激しないはずがない。「よし! オレたちも負けてられない・・」。
その筆頭が、名波であり、森島、西澤であり、服部、川口たちだった。そして、「融合」日本代表は、イラン、サウジアラビアなど、世代交代に苦しむアジアのライバルたちを後目に、素晴らしい「内容」で(もちろんツキに恵まれた面もあったわけだが・・)アジアの頂点に立つことになる。
比較的スムーズに進んだ日本代表の世代交代。その最も大きな要因は、若い世代のサッカー内容に、有無をいわせぬパワーがあったことだ。また、小さな紆余曲折はあったものの、中堅、ベテラン選手たちにもフェアにチャンスを与えながら「雑音」を最低限に抑えるなど、フィリップの巧みな「プロセス操作」も見逃せない。融合プロセスにおける「明確なプラン」と「忍耐」。そして「攻撃的な刺激」の数々。
アジアカップで優勝した後の記者会見。そこでフィリップは、「このチームで、2002まで残るのは6割にも満たないんじゃないか・・」と言い放つ。
アメとムチを、強烈な「振幅」で使い分ける優れた心理マネージメント・・。それがあったからこそ、選手たちは、どんな相手に対しても限界のリスクチャレンジを続け、そして世界につながる「地に着いた自信」を手に入れたのである。
リスクチャレンジのないところに「自信の深化」もない。優れた心理マネージャー、フィリップ・トルシエに惜しみない拍手をおくる。
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サッカーは、本物の心理ゲームである。ボールがイレギュラーするのは当たり前。そして身体のなかでも比較的ニブい足でボールを扱う。そんな「不確実性要素」が集約したボールゲームだからこそ、心理的な要素が色濃くグラウンド上のプレーに反映してくる。もし自信レベルが揺らげば、必ずプレーが中途半端になって足が止まり、「心理的な悪魔のサイクル」のワナにはまってしまう。そして実力の半分も出せないうちに相手のペースにはまり込んでしまう。
しかし今の日本代表は、どんな相手に立ち向かおうと、(結果は別にして・・)奇異に思えるほど安定した「自信レベル」を基盤に、持てるチカラを十二分に発揮できるまでに成長をつづけている。だからこそ、「世界との最後の僅差」が明確に見えてくる。素晴らしいことだ。
そして迎えた2001年、アジアチャンピオンにまで上りつめた「融合」日本代表が、世界の強豪とのトレーニングマッチを組んだ。
まず2001年3月24日、ワールド&ヨーロッパの現役ダブルチャンピオンであるフランス代表との対戦。世界トップレベルの「個人的な才能」たちが、攻守にわたる組織プレーにも全力で取り組む。現段階では世界最高ともいえるチームである。そこで彼らは、「世界との僅差」を、これ以上ないというくらいに思い知らされる。「5-0」の完敗。
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「日本チームは、フランスに敬意をはらいすぎていたネ・・」
フランス代表とのゲームが行われたパリ郊外、サンドニ競技場のプレスルーム。そこで、フランス・フットボール誌の著名ジャーナリスト、ヴァンサン・マシュノー氏から、そんな声をかけられた。なるほど・・。まあ「現象的」には、そういう内容になってしまったな・・。その言葉に、そんなことを思ったものだ。
そのときのフランス代表は、その四週間前にサンドニで行われたドイツ代表とのフレンドリーマッチの内容が悪かったことを批判されていた(結果は、1-0でフランスの勝利)。また、限界の肉を切らせて骨を断つ戦いになる「地域予選」を免除されているから、ワールドカップ本大会までに残された「勝負マッチ」は限られている。そして何といっても、昨年のモロッコでのハッサン二世杯で日本代表に苦しめられたという苦い思いがある。
そんな「心理背景」もあって、この試合でのフランス代表は、満杯にふくれあがった観衆の前で、高揚した「やる気ポテンシャル」をベースに、これ以上ないというほどのパフォーマンスを披露した。そのことは、彼らの「守備に対する姿勢」を見れば一目瞭然だった。とにかく中盤での守備が、クリエイティブで忠実。ボールへチェックにいく者、次のパスをカットしたり協力プレスをかけられるポジショニングに入る者、ボールのないところでフリーランニングする日本選手を「最後まで」マークしつづける者。全員が、わき目もふらずに守備参加する。そして日本チームからボールを奪い返しては、組織プレーと個人勝負プレーが絶妙にバランスした魅惑的な攻撃を仕掛けてくる。
この試合は、世界トップのチームが全力で向かってきたという意味で、日本代表にとって願ってもない「学習機会」になったのである。
冒頭に紹介したヴァンサンのコメントだが、日本代表の選手たちは、最初からフランスに敬意を払いすぎていたのではなく、彼らのレベルを超えたボールの動きに振り回され、徐々に守備での「先読みリスクチャレンジ姿勢」が殺がれていき、攻撃での押し上げも中途半端になった結果だと思う。相手の強さは、グラウンド上の選手たちが、もっとも強烈に体感する。「とにかく、ヤツらがミスしない限りボールを奪うことはできない・・」。試合後、ある選手がそう言っていた。
レベルを超えたボールの動き・・。フランスが魅せた、美しく、強いサッカーの本質は、そのワンポイントに尽きる。
稲本が、「次のダイレクトパス」をカットできるポジションに入ろうとする。その瞬間、パスを受ける体勢にはいっていたジダンが、稲本の「意図」を見透かしたように、ダイレクトパスではなく、スパッとトラップしてしまう。予測がはずれた稲本は、ガクッと体勢を崩す。そして次の瞬間ジダンは、稲本のインターセプト意図をあざ笑うかのように、その足許を通して、稲本が予測していた「次のパスレシーバー」へボールを回していた。そんな、日本選手たちの「読み」の上をいくボールの動き。プレスを外され、置き去りにされてしまうシーンが続出した。決してそれは、日本のフラットスリーの押し上げが緩慢で、中盤スペースが間延びし過ぎてしまったからではなかった。
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また最終勝負のシーンでも、何度か、日本のフラットスリーが崩されてしまう(フラットスリーが崩された・・という現象については、先にアップした「フラット守備システムについて」のコラムを参照してください!)。
後半の日本は、カウンターから失点を重ねたわけだが、それは、(カウンター状況だから)はじめからラインはブレイク状態だったわけで、フラットスリーが破られた・・というシーンではなかった。それは、日本の守備ブロック全体が、アンバランスに攻め上がり過ぎて崩壊したといった方がふさわしい出来事だったのである。ただ前半に失った二点目のシーンや、その他のピンチでは・・
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日本のフラットスリーが破られたシーンだが、例えば前半7分に作り出された決定的ピンチ。センターサークル付近で「ある程度フリー」でボールをもったラムーシから、50メートルはあろうかという超ロング「ラストパス」が、決定的スペースへ抜け出したアンリにピタリと合った。マークしていた森岡は「オフサイドだ!」と確信していたことだろう。「自分がオフサイドラインだと確信できること・・」。それも、フラット守備ラインのコンセプトの一つ。たしかにアンリは、森岡よりもほんの僅かに「前」にポジションしていた。ただその背後には、明神が残っていたのである。
このシーンでは、アンリのシュートミスで助かった。ただ、松田の稚拙なファールから、ジダンに先制ゴール(PK)を決められた数分後。今度は、本当に見事にラインを破られて追加ゴールを奪われてしまう。演出家はピレス。
右サイドのタッチライン際をドリブルするピレスには、中村、稲本、そして服部の三人が対応していた。ただ誰もプレスにはいけず、逆に単純なキックフェイントに体勢を崩されてしまう。そして次の瞬間、一瞬のルックアップから、ピンッ! という音がしてきそうなコンパクトなモーションで、ラストスルーパスが放たれた。
中央でアンリをマークしていたのは森岡。彼は、ピレスの「ラストパス動作」が、あまりにもコンパクトで唐突だったために、ラストパスをインターセプトしたり、最初に追いつくための「先読みスタート」の準備さえままならなかったに違いない。結局森岡は、アンリの爆発ダッシュに完全に置き去りにされてしまう。素晴らしいコース、タイミングの、スルーパスとフリーランニングだった。
その後も、最終ラインの「読み」のウラを突くラストパスを出されるシーンがあった。とにかく、日本代表のフラットスリーにとってフランス戦は、世界トップと対戦する際の「問題点や課題」を整理できたという意味で、願ってもない「実効ある学習機会」になったのである。
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フランス戦でもっとも目立った「差」は、何といっても「戦術的な発想」にあった。
攻撃では、高質なテクニックをベースに、組織パスプレーに徹した素早く広い組み立てから、勝負所では、個人的な才能を駆使して最終勝負を仕掛けてくる。そのバランスは、まさにドリーム。また守備でも、誰一人として気を抜かず、日本代表のボールの動きを正確に予測したプレスによって効率的にボールを奪い返してしまう。もちろん、最前線でフリーになる日本選手が出てくるシーンなどは皆無。
秀逸だったのは、変幻自在な「ボールの動き」。見る者を魅了せずにはおかないファンタジーがほとばしる。ジダンが、ワンタッチで完璧にボールをコントロールする。そして数人の日本選手を引きつけながら、信じられないタイミングでパスを出し、すぐさま次のスペースへ走り抜ける。そして、何度かのシンプルなパス交換の後、再び彼へボールが戻されてくる。はたまた、「ワン・ツー・スリー」という素早いボールの動きから、最後は、まったくフリーで後方から走り込んできた「三人目・四人目」へ、ダイレクトのラストパスが通される。フ〜〜。
そんな美しいボールの動きの基盤が、互いの信頼をベースにした「ボールがないところ」での忠実なフリーランニングであることは言うまでもない。
重要なことは、日本代表が、自らの「イメージレベル」を超越したフランスのボールの動きに翻弄されつづけていたという事実である。彼らは、ボールウォッチャーになってしまい、次のボールの動きを予測しよういう姿勢さえ失いかけていた。何度、日本ゴール前で、フリーのフランス選手が出現したことか。そしてそこへ、日本代表のイメージを凌駕するタイミングの、鋭く正確なラストパスが送り込まれてくる。それこそ、戦術的な「発想レベルの差」を象徴する現象であり、フットボールネーションとの間に厳然と横たわる「僅差」の本質なのである。
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そしてスペイン戦。日本代表は、両サイドと中盤ディフェンスをより安定させただけではなく、安易な「オフサイドトラップ」は避けるような「ゲーム戦術」で試合に臨んだ。そしてその「戦術意図」が功を奏す。フランス戦からの教訓を生かした「調整」がうまく機能した日本代表のフラットスリーは、たしかに何度かピンチを迎えたとはいえ、ラインを崩されて決定的スペースを突かれるような場面は、ほとんどといっていいほどなかった。後半ロスタイムに奪われた唯一のゴールシーンを除いて・・。
その瞬間は唐突に訪れた。素晴らしい動きで相手のバックパスをインターセプトした中田浩二のタテパスに合わせ、条件反射のように最終ラインを押し上げる森岡と服部。ただ、その直前に、ケガの上村と交代して出場した中澤だけが、その上がりに乗り切れず残ってしまった。次の瞬間、ムニティスからのスルーパスと、バラハの決定的フリーランニングがピタリとシンクロする。日本のフラットスリーが見事に破られてしまったのである。悔やまれるが、それも現実だ。
この試合での日本代表は、守備を強化して(守備クオリティーの高い選手を多く起用して)戦った。それでも彼らのプレー姿勢は、決して受け身で消極的なものではなかった。中盤や最終ラインで忠実なディフェンスを展開していた日本選手たちは、常に「次の攻撃」をイメージしながらアクションしていたのだ。ここが大事なポイントである。
その証拠に、フランス戦では、中田英寿の個人勝負だけでしかチャンスメイクできなかったのに対し(偶発的な中田の中距離シュートもあったが・・)、この試合での日本チームは、回数は限られていたにせよ、名波のフリーキックからのチャンス、波戸のドリブルシュートだけではなく、組織的な攻撃もできていたのである。「守備要員」として先発に入った波戸や、その他の二列目、三列目プレイヤーたちの、チャンスを見計らった押し上げも含めて・・
再び世界との差を「体感」させられたこの試合も、彼らにとっては「通過点」としての価値ある学習機会になった。
日本代表は、「世界の壁」にはね返されることで、逆に自信を深めていった。一つひとつのプレーでは「やられて」しまう場面も多々あった。ただ、「やり方」さえ冷静に首尾一貫させることができれば「組織」で対抗できる・・、いくら相手が世界のトップといえども、最高の集中力(=考えつづける姿勢)を最後まで持続させることで、いくらチカラの差があるとはいっても、「現実的なゲーム戦術」を、かなりのレベルで機能させられる・・。彼らは、そのことも「体感」したのである。
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ここにきてフィリップ・トルシエは、ワールドカップでの戦いを具体的にイメージする、安定志向の「現実的ゲーム戦術」にもトライしはじめた。当然の展開だと思う。攻守にわたる限界のリスクチャレンジを志向するなど、理想を追い求める「チーム戦術」で戦うことは意義あることだが、相手に応じた「現実的な対処」も、もちろん必要なのだ。
フラットスリーについては、ポジティブ要素とネガティブ要素を「相殺」すれば、確実に「プラス方向」へ振れるだろうから、基本的にアグリーである。またスペイン戦のように、無闇にオフサイドトラップをかけなくなったことは、「現実」をふまえた上での前進だし、両サイド、中盤守備を固めることで、フラット守備システムを「より」安定させるというゲーム戦術もうまく機能した。もちろんまだ、より確実な「ライン・ブレイク」という課題は残るが・・
日本代表にとって、フランス戦、スペイン戦は、相手が高い「やる気ポテンシャル」をもって勝ちにきたからこそ「真の学習機会」になった。「世界」を基準にした問題点、課題が見えてきたのである。何といっても、選手たちがそれを明確に「体感」できたことが大きい。世界トップ20との「最後の僅差」は厳然と存在する。だからこそ、その僅差の本質的な「意味」を理解することから全てがはじまるのだ。
『理想』 − 『(本気の世界トップチームを基準とした)現状』 = 『ワールドカップへ向けた課題』・・なのである。
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そして迎えたコンフェデレーションズカップ。日本代表は、見事なサッカーで、カナダにつづき、世界の強豪の一つであるアフリカチャンピオン、カメルーンにも見事な勝利をおさめてしまう。
特にカメルーン戦。アフリカ大陸のチャンピオンである。メンバーも、エムボマ、エトー、オレンベ、ジェレミ、ウォメなど、ほぼベストの陣容。彼らは、第一戦においてブラジルに敗れたことで「手負いのライオン」と化している。日本代表にとってこの試合は、「本気の世界」との、本物の勝負になった。願ってもないことだ。
ボクは、カメルーンも含めたアフリカ諸国の問題点を、個人が強調されすぎていることだと書きつづけてきた。自らの「高い能力」に溺れるアフリカンサッカー・・その構図である。そして試合展開も、まさにそれを象徴するものになる。一対一の勝負ではカメルーンの方が上であることを意識し、クレバーな組織プレーを展開する日本代表。それに対して、個人勝負に持ち込もうと躍起になるカメルーン。
自らの高い能力に対するおごり・・!? アフリカチャンピオンのボールの動きは、予想されたとおり緩慢そのものだった。彼らはパスを受ける前に、次のプレーをイメージしていないことの方が多いと感じる。とにかくパスを受けたら、まず例外なくボールをこねくり回すことでドリブル突破のチャンスをうかがい、それが叶わない場合に限って展開パスを回す。それも詰まった状態で・・。これでは、ボールのないところでの動きが止まり気味になってしまうのも道理。日本の守備ブロックには、彼らの「次のプレー意図」が明確に見えていたに違いない。
そんなカメルーンに対して日本代表のプレーは、まさに「コレクティブ」。攻守にわたるハイレベルな組織プレーが冴えわたる。
立ち上がり1分。カメルーンの緩慢なボールの動きを読んだ稲本が、爆発ダッシュから素晴らしいインターセプトを決める。そしてボールをもった鈴木が、まったくフリーで左サイドを駆け上がり、ここしかないというタイミングでニアポストスペースへ詰めた西沢へ向けて、ピタリのラストパスを送り込んだ。西沢の右足アウトサイドでのダイレクトシュートは僅かにバーを越えてしまったが、日本代表にとっては、まさに自分たちが描くイメージそのままの決定的チャンスだったに違いない。ボールに対する組織的な「読みディフェンス」から、高い位置でボールを奪い返し、素早く相手ゴールへ迫る・・、それである。
前半7分、日本代表が先制ゴールを決める。左サイドの深い位置でボールをもった中田浩二から、逆の右サイドでフリーになっていた鈴木へ、見事な「ラスト」サイドチェンジパスが出されたのだ。正確にトラップし、右足一閃! 蹴られたボールが、カメルーンゴールの左隅へ飛び込んでいった。
このゴールによって、カメルーンの攻めが、より「個人」が強調されたものになっていった。「この試合は勝たなければならない・・よしっ、オレが・・」。そんな意気込みが空回りする。それこそ、日本代表の思うツボだった。
日本の守備ブロックは、ボールへチェックにいく者、協力プレスのチャンスを狙う者、次のパスを狙う者、カバーリングを意図する者など、素晴らしいバランスをみせていた。特筆だったのは、前半25分から28分にかけての決定的ピンチの後、逆にそのバランスがよりソリッドなものへと発展したことだ。そんなところにも、フランス戦、スペイン戦を通じて深められた確固たる自信を感じるのである。
どのようにボールを奪い返すのかという守備イメージには、カメルーンの「プレーリズム」が明確に刻み込まれていたのだろう。無理なアタックを仕掛ける者など一人としていない。そして(ボールをもつカメルーン選手の)周りのアクションが落ち着いてしまったことで「仕方なく」回すパスを読み、インターセプトや、パスレシーバーへの集中プレスで、ボールをことごとく奪い返してしまう。心地よい限りである。
そして、カメルーン守備ブロックの「読み」を許さない見事な組織プレーの攻撃。日本代表のボールの動きは、「フランス」をも彷彿させた。パスレシーバーに対する相手マーカーの「間合い」が少しでも開いていたら、躊躇なくパスを出し、すぐさま次のスペースへ移動することで効果的にボールを動かしてしまう。ボールの動きがあまりにも小気味よいものだから、カメルーン守備ブロックは、ターゲットを絞り込むことさえできずに足が止まってしまう。そして、カメルーン守備の薄くなった部分へ素早くボールを運び、最終勝負を仕掛けていく。まさにスマートなロジカルサッカーである。
「有機的なプレー連鎖の集合体」という、サッカーにおける普遍的なコンセプトを体現しようとする日本代表。その時点で彼らが見ていたのは、決勝におけるフランスとの「再戦」だけだったに違いない。
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そしてコンフェデレーションズカップでのフランスとの決勝。
たしかに、再びチカラの差を見せつけられてしまった。しかしその試合を通じて、彼らの「現実的なゲーム戦術」に、より柔軟な肉がつきはじめたことも確かな事実だった。
現実的なゲーム戦術。それは、自分たちが目指す「チーム戦術」とは一線を画するもの。チカラのある相手と対戦するうえでの、現実を見据えた「戦い方」のことだ。
両サイドに、どちらかというと「サイドバック」的な意識をもたせる・・、守備的ハーフを三人にする・・、その堅牢な守備ブロックをベースに、カウンターやセットプレーから蜂の一刺しを見舞う・・。そんな「現実的なゲーム戦術」だが、彼らの場合、決してそれが「受け身で消極的」なプレー姿勢につながることはない。
現実的なゲーム戦術とはいっても、やはり実践者はグラウンド上の選手たち。彼らは、「ゲーム戦術のコンセプト」に基づいた組織的な守備を展開しながらも、常に、次の攻めを強く意識しながらプレーしていたと感じる。
互いのポジショニングバランスを維持しながら、確実にボールホルダーをチェックすることでまずスピードをダウンさせる・・、(特に中盤で!)自分勝手で安易な勝負は仕掛けない・・、相手パスレシーバーが確実に読めたり、ボールホルダーのプレーが停滞したら、すぐさま協力プレス守備を仕掛けていく・・、そしてチャンスを見逃さず、(ボールを奪い返す前の段階から既に!?)別の選手が「次の攻撃」を意識したアクションに入る・・。
ただ、やはりフランスのチカラは別格だった。ボールホルダーへのチェックにしても、「間合い」が必要以上に開いてしまうケースがあった。だから、最終ラインが展開する「最終勝負のラインコントロール」もタイミングを絞りきれないというシーンを目にした。また、次の展開を読んだプレスを仕掛けたとき、ポンポ〜ンと素早くボールを動かされたり、ドリブル突破で置き去りにされてしまうような場面もあった。
また攻撃にしても、フランス守備があまりにも強いものだから、サポートの押し上げアクションに「半信半疑」という姿勢がアリアリと見えてしまうシーンがあった。もちろんそんな場面では、ボールの動きが単調になり、「自信が乗らない」パスを簡単にインターセプトされてしまう。
とはいっても、攻守にわたる日本代表のプレー姿勢が、グラウンド上で「明確に体感する実力の差」によって萎縮したり、心理的な悪魔のサイクルに陥ってしまうようなことはなかった。チャレンジマインドだけは、最後まで維持しつづけたのである。
カメルーン戦では、個人的なチカラではフランスと遜色ない彼らに対し、日本代表の選手たちは、別物といえるほどのベストゲームを展開した。組織プレーで問題を抱えるカメルーンに対し、中盤での「先読みプレス」を効果的に機能させたのだ。また、次の攻撃でのボールの動きにも、フランス戦とはまったく違った「確信の正確性」があった。そんな「素早く広い」ボールの動きをベースに、美しく、効果的な攻めを仕掛けつづけたのである。
彼らはグラウンド上で「体感」していた。「カメルーンのボールの動きは緩慢だから、プレスのターゲットを絞り込みやすい・・、また上がっていってボールを奪い返されても、そこからの反撃が遅いから、十分に戻る時間がある・・」。
相手のチカラがどんなに勝っていたとしても、常に前向きの「グラウンド上での判断」をすることができる・・。そんなところにも、それまでの世界との対戦で培った「深い自信」が大きく貢献していると思うのである。
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フィリップは、チーム作りにおいて、積極的なリスクチャレンジをつづけさせることで、世界との「本当の意味での距離」を体感させた。だからこそ選手たちは、「オレたちだって十分にやれるゾ!」という、世界に通じる自信を深めることができた。
それをベースに、名前負けなどせずに、相手に対する「レスペクト(敬意)」を相応のレベルに収め、グラウンド上で「実際のチカラの差」を冷静に把握することができるようになった。だからこそ、「現実的なゲーム戦術」も、実効あるカタチで機能させることができるようになった。ボクはそう思う。
これからもフィリップは「挑戦」をつづけていくことだろう。「全方位」へ向けた強烈な刺激を放散しながら・・
でも、その刺激が強烈すぎたら逆効果になってしまう!? いやいや。フィリップは、とことんやるべきだ。それがなければ、「常に懐に辞表を携えて仕事をするピュアなプロフェッショナル」ではなくなってしまう。彼には、日本サッカー史に残る「創造的な破壊者」になって欲しい・・、心からそう願っている今日この頃である。
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いかがでしたか。本当に長くなってしまって・・。また「繰り返しの部分」もあったりで、読みにくかったに違いありません。最後まで読んでいただき感謝いたします。