トピックス


 

ヨーロッパ便り(1)・・ヨーロッパ行きの飛行機のなかで・・(2001年10月3日、水曜日)

どうも皆さん。いま、フランクフルト行きの飛行機のなかでこの原稿を書いています。ちょっと面白いことがあったもので・・ご紹介しようかと思って・・。

 もちろん最終的には(同日に)パリまで行くのですが、その途中にフランクフルトで乗り継ぎ、サッカー協会やドイツコーチ連盟の人たちに軽く挨拶でもしていこう・・というわけです。

 ドイツサッカー協会、ドイツサッカーコーチ連盟が入っている施設は、フランクフルトの「ヴァルトシュタディオン(森の競技場=アントラハト・フランクフルトのホームスタジアムですヨ!)」のすぐ近くにあります。「ヴァルト」っちゅうくらいですから、森の中にあるわけですが、とにかくドイツは、どんなに大規模な都市でも、周囲は「グリーン(ドイツでは、市の森と呼びます)」に囲まれているというわけです。ちなみに、フランクフルト国際空港は、その「市の森」のはずれに位置します。

 ですから、タクシーでも、ほんの10分くらい。今回は、とにかく「日本代表の観察」がメインですから、このパターン(トランジットで軽く挨拶)にしたというわけです。

------------

 ちょっと「前置き」が長くなってしまいました。皆さんは、「一体、飛行機のなかで何があったんだ・・??」と、興味津々で読み進んでいるに違いない・・!? そうです、「面白いこと」があったのです。まあ、「異文化との対峙」というテーマにかかわる出来事ということですかネ。さて・・

 「何かお飲物は・・?」。ルフトハンザのフライトアテンダント(女性)が聞いてきます。私は、最初に「2リッター」のミネラルウォーター・ボトルをもらっていますから、「いえ、まだボトルに一杯水が残っているから結構です・・」とドイツ語で返事し、再びラップトップに目をやって情報収集です。私は「アイル(通路側)席」だったので、そのアテンダントの女性は、身体を伸ばして、窓際に座っているイングランド人女性に同じことを聞きます(私も含めて、基本的には英語での会話)。

 「ティーはありますか?」と、そのイングランド人女性。「グリーンティーか、ブラックティーなら・・」とアテンダント。ここで、同じような「内容」の会話が何度かくり返されたと記憶しています。イングランド人女性は、ハーブティーとかの特別なティーがあるかどうかと聞いていたようなのですが、アテンダントの女性にはうまく通じていないような・・。

 「私がオファーできるのは、グリーンティーか、ブラックティーだけですよ! どちらにしますか・・?」とアテンダントの女性。それに対し、「何か他のものは・・?」とイングランド女性。「エッ!? 聞こえません・・」。ドイツ人のアテンダント女性の口調が、どんどんと不作法なものになっていきます。傍目にも、イラついているのが感じられてしまって・・。隣に座っているこちらにしても、「嫌な思い」をしちゃうっちゅうわけです。

 私も(もちろん皆さんも!?)、何度か、アテンダントの横柄な態度に腹を立てた経験があります。アテンダントの仕事の大部分は、乗客が「気持ちよいフライト」ができること・・ではないですかネ。もちろん安全保持などの技術的ルーティンワークや緊急時の対応などの重要な任務はあるのでしょうが、とにかく、彼らのもっとも重要な役割は、乗客の心理マネージメントにあるということです。彼らは、基本的にはサービス業なんですから・・。

 「20種類以上の飲み物がありますよ・・」と、アテンダント。「そうね・・」なんて、イングランド女性。その瞬間、アテンダント嬢が、きびすを返して別の乗客の対応に向かってしまったんです。これでイングランド女性は、ビックリした表情を浮かべて黙ってしまいます。

 ところが、アテンダント嬢が後方へ去ってから2-3分くらい経ったでしょうか、突然、そのイングランドレディーが、「冗談じゃないワ。なんて失礼な態度なの。これまで私は、こんな扱いを受けたことなんて一度もないワ。何て”スチュワーデス”でしょう・・(いまはフライトアテンダントという呼び方をするんですヨ)」と、憤懣やるかたない様子。何度も、私に向かって文句をいいつづけるのです。それも、ウッスラと目に涙まで浮かべてしまって・・。よっぽど悔しかったんでしょう。

 「お怒りはよく分かりますよ。わたしもアテンダントの態度には納得していません。ルフトハンザのサービスは、普通だったらレベルが高いのに・・」なんて、肩をさすりながら慰めた次第(たまにいる態度の悪いアテンダントの比率は、ルフトハンザの場合は低いハズなんですがネ)。ちなみに、このイングランド女性は、教師(音楽と国語)で、以前イングランドで英語を教えたことがある日本人留学生の家庭を訪問した帰りだそうな。

 そんな私の慰めにも彼女の怒りは収まるところを知らず、何度も同じことをくり返しながら、逆に怒りが増幅していったりして・・。私はといえば、仕方ないから、アテンダントのリーダーの女性を呼んで事情を説明した次第。イングランド・レディーは、コトの顛末を、ちょっと脚色していましたから、横から私が、ドイツ語で「ニュートラル」に補足説明を加えます。「それでもあの態度は、誰にとっても気持ちいいものではありませんでしたヨ」という一言を、しっかりと加えてネ。

 このアテンダントリーダーの対応は素早かったですよ。「イヤな思いをさせてしまって本当に申し訳ありません・・」と言いながら、すぐに行動を起こします。そして数分後、「かの」ツンケンしたアテンダントが、シャンパンを持って謝りにきました。

 「ちょっと、機内のノイズが大きすぎたもので、何もいらないと聞こえたんですよ。嫌な思いをさせてしまったとしたら、本当に申し訳ありませんでした。でもあれは、ミスアンダスタンディングでしたから・・」。

 まあ、ドイツ的な謝り方ではありますが(もちろん私のことを完全に無視してネ)、それでもイングランド女性は、少し落ち着いた様子。先ほどのリーダーも再び現れて、私に対しても謝罪していましたし、他のアテンダントも、スッと寄ってきては、「ゴメンなさいネ・・」なんて言っていきましたからネ。でも私は、当のアテンダント嬢の謝り方に、もっとイヤな思いをした次第。

 「何でもっと素直になれないんだ!? あなた方は、サービスセクターに従事しているんだゾ! そんな態度は、プロとしての意識が欠如している証拠だ!!」なんて、心の中で叫んだりして。まあ彼女は、例外だったんでしょうが・・。

------------

 さて、そのイングランド女性ですが、その後、今度は日本で経験したことを喋る、喋る。まったく止まりません。こちらが口をさし挟む「すき間」なんてまったくなし。湯浅が圧倒されてしまうんですから、レディーの勢いは推して知るべし・・ってな具合。でも、あんなことがあったから、とにかくハナシを聞いてあげれば、もっと落ち着くに違いない・・。

 でも、フムフムと頷きながら聞いているうちに、ちょっと「カチン!」とくる発言があったんですよ。

 「それにしても日本人は、なんてシャイ(恥ずかしがり屋)なんでしょう。こちらが話しかけても、まともに返事が戻ってこないことが多いのよネ。新幹線で、荷物運びを手伝ってもらったことがあったのよ。それでも、感謝しようとしても、まともな反応がなくて、ニコッと微笑んで、そのまま自分の席にもどってしまうんだもの。こちらは、もっとちゃんと感謝したいし、少しはお話をしたいのにネ。日本人は親切だし、日本の社会は安全で、本当に気持ちいいのだけれど、どうしてもっと人と触れあおうとしないのかしら・・」。

 その瞬間、私は、もの凄く落ち着いた声で、ゆっくりと話しはじめました。たぶん、その雰囲気に迫力があったんでしょう。急に彼女が、私を正視して黙ります。

 「いやそれは、日本人が、人との触れあいが苦手なわけではないと思いますよ。まあ一番の原因は言葉なんじゃないですか。感覚を100パーセント、言葉に託せるという自信がないから、触れあいのマインドはあっても、どうしても腰が引けてしまうんですよ」。

 「あなた方、英語圏の人たちは、ある意味ではラッキーですが、逆に不幸だっていう発想もあるんですよ。なんといったって、世界中どこへ行っても英語で過ごせるんですからネ。だから、言葉を学ぼうとするモティベーションを高めることができない・・。外国語を学ぶということは、本当の意味で、異文化と接するということを意味するんですよ。私は、母国語の日本語以外に、ある程度、英語とドイツ語をマスターしているんですが、外国の人々と、自信をもって、自分の言葉で会話できるようになるまでには、それは大変な努力をしたつもりです。おはよう・・とか、今日はいい天気ですネ・・なんていうレベルではなく、人間的な会話までも楽しめるようになるためには、言語を学んでいくなかで、異文化までもしっかりと(自分なりに)理解する必要がありますからネ・・」

 話す言葉にも、ちょっとリキが入ってしまって・・。それでも、そのイングランド女性は、ハッとしたように、「そう、そうなのよネ。私たちは、どこへ行ったって、英語で何とかできてしまうし、だからそれに甘えている部分があるわよネ・・」なんて、妙に納得していました。

 「要はネ・・、学習能力というか、自分たちの文化を基準に比較するのではなく、異文化を、あるがままに素直に受け容れられるか・・、そんな態度ができるかどうかということなんじゃないですか。もちろん好き嫌いとはまったく違いますよ。だから外国語を学ぶという行為は、自分自身にとっても、非常に大きな学習の機会になるということなんですよ。日本語は、日本のなかだけでしか通じませんからネ・・」。

 「あなたが会った日本人の人々にしても、本当はちゃんとした会話を交わしたいのに、稚拙な英語しかできないから・・、つまり、自分の頭に描くイメージを、十分に、言葉に託して表現できないから、どうしても腰が引けてしまう・・ということですよね。大人が、子供のようなレベルの表現手段しかもっていないとしたら、それはちょっと躊躇しますよ。なんといっても、自分自身が考えるレベルの会話ができないんですから・・。また、身振りや手振り、表情なんかを駆使して表現することは、日本人は得意ではありませんしね。本当はちゃんとした挨拶がしたいのに、十分に伝わったって実感することが出来なくて、逆に雰囲気が気まずくなってしまうなんていうことはよくあることですから・・」。私は、そんなことを喋りつづけていました。

 それは、本当に体感レベルのハナシです。何とっても私は、ドイツで、6年間も七転八倒してきましたから・・。

 それでも、その後は、そのイングランド女性と、ハナシが弾みましたヨ。彼女の方から、「なるほどネ・・、たしかに私でも、逆の立場だったら・・。そうか、そう言われてみたら、思い当たるようなことはたくさんあったわよネ。なんかこう、英語圏の人たちって、自分が(自分たちの感性、発想などのことでしょう)中心になってしまっているものネ。そうか・・、逆に私が、カタコトの日本語で話そうとすればよかったのか・・」なんて発言が出てきたりして。

 もちろん最後は、テロの話題になりました。基本的には「アレ」も、互いの文化を「認め合おう」とする『自分主体の努力』が欠けていることが深層の原因でしょうから・・。

 やはり、自分自身をしっかりと見つめることができるという意味での『謙虚さ』が、学習能力の重要な基盤の一つなんでしょう。それはコーチにとっても同じコト。できるかぎり、「自分自身を客観的に観察する能力」が、すべてのスタートラインなのです。

--------------

 

 

 長くなってしまいました。最初は飛行機のなかで書きはじめ、フランクフルトで書き足して、最後はパリのキャフェで仕上げたというわけです(写真も掲載しておきます)。

 それにしてもパリは芸術の都。そして「混沌」の都。こここそ、「異文化の交錯アクション」が日常環境になっている社会だ・・なんて感じています。

 異人種、異民族・・等々(ファクターは限りなく広範ですが・・)、それら全ての「異なるもの」が、「混沌」のなかにも、ある程度のバランスを魅せる「共生の社会」。そんな「異なるモノが融合した混沌文化」が、彼らの素晴らしいサッカーの「ベース」にあるんだよナ・・、そんなことを思っていた次第。

 では明日の、セネガル戦まで・・

 




[ トップページ ] [ Jワンポイント ] [湯浅健二です。 ]
[ Jデータベース ] [トピックス(New)] [ 海外情報 ]