ドイツでは、ビジネスのミーティングをこなしたり、友人たちと再会し、ワールドカップの話題に花を咲かせながら、合間に休養をとったりしています。現ドイツ代表コーチ、エアリッヒ・ルーテメラーとは既に対談したのですが、その内容は、雑誌の連載で発表します。また、今週末からは、ドイツサッカーコーチ連盟主催の国際会議がはじまるのですが、そこでも、もう一人のドイツ代表コーチで、戦術参謀として今回の成果に大きく貢献したミヒャエル・スキッベとも対談する予定です(内容については、サッカーマガジンをご参照あれ)。
雑誌で発表した文章については、後で、HPにも載せます。もちろん、雑誌スペースの関係でカバーできなかった部分も含めてネ。
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さて・・。
前回は、ドイツでトルコの友人(ヒディール・アクバシュ=トルコ人プロコーチ)と再会し、トルコ大成功などの話題に花が咲いたことで、ワールドカップ期間中にサッカーマガジンに寄稿した記事も含め、トルコについてまとめました(この前回の記事に、ヒディールとの写真を掲載しました・・)。
その数日後、ヒディールと、ドイツサッカー連盟によって独自に分割された「21の地域」から選抜された「U16」の大会を見に行くことになったのですが、そこへ向かう途中の車中で、ヒディールと、またまたトルコの話題になりました。ケルンから、プロ予備軍の大会ともいえる「U16選抜トーナメント」が開催されているデュイスブルクのスポーツシューレへ向かう車中です(このスポーツシューレは、ヴェーダウという俗称で有名・・川淵三郎さんがドイツを視察したときに、深く印象に刻まれたスポーツ施設です)。
「10数年前までは、トルコ代表は、トップネーションと試合しても、まったく勝てなかったんだよ。いい試合はするんだけれど、結局は負けてしまう。個人的なチカラは、周りの国のヤツらも認めてはいたんだけれど、とにかくチームになっていなかったんだな。それが、ドイツ人コーチが、トルコサッカーに深く関わるようになって、劇的に改善されたんだ」。ヒディールのハナシは止まりません。
大学の友人であるヒディールは、今から20年前にドイツへ留学し、私より数年遅れでプロコーチライセンスを取得しました。
「でもさ、トルコ人は、ドイツ人を嫌っているじゃないか・・」。そんな私の問いかけに、「まあたしかにそうだな。でも、サッカーは別なんだよ。トルコの連中も、サッカーではドイツに一目置いているということさ。そのドイツとトルコとの関係だけれど、そのスタートラインは、ゼップ・ピオンテックだったんだよ。今では、もう誰も彼のことを話題にしないけれどな・・」。
そうだ・・。たしかにゼップ・ピオンテックは、1990年前後からトルコ代表チームの監督に就任し、戦術的な考え方のベースを植え付けたんだっけ・・。私は、そんなことを思い出していました。
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ドイツ人のゼップ・ピオンテックは、母国ではなく、デンマーク代表で大成功をおさめたプロコーチでした。1980年代の中盤にかけて、世界のスーパーチームの一つに数えられたデンマーク代表。そのチームを組み上げたのが彼だったのです。私も、彼らが展開する魅惑的なサッカーに酔ったものです。そうか、そのピオンテックが、監督だったんだっけ・・。
それでも、成績が上がらなかったトルコ代表は、彼と袂を分かつことになります。そしてその後、フェルトカンプ、クリストフ・ダウム、浦和レッズを率いたこともあるホルガー・オジェックなど、クラブレベルとはいえ、優秀なドイツ人コーチたちが、トルコに、良いサッカーのイメージを浸透させていったのです。
「たしかに最近のドイツ人コーチばかりに注目が集まってはいるけれど、オレは、ゼップ・ピオンテックの為した仕事が、もっとも重要な試金石になったと思っているんだ。事実、トルコのプロサッカーでは、彼の影響を強く受けたコーチ連中が活躍するようになっているしな・・」。
当時私も、ピオンテックが、「個」に奔りがちのトルコ人選手たちに、組織プレーの明確なイメージを植え付けるのに苦労している・・というハナシは何度か聞いたことがありました。非常に興味をひかれ、何度かトルコへ行こうかとさえ思ったものです。「優れた個」に「組織マインド」を注入するプロセスほど面白いものはありませんからネ。それに、そのプロセスをドライブしているのが「かの」ピオンテックだというのですから・・。でも結局は実現する前にピオンテックは姿を消してしまいました。
「そして彼が去って初めて、トルコの連中が、彼の言っていたことの正しさを、徐々に実感していったというわけだよ。そしてそこに、第二世代のドイツ人プロコーチが入っていったのさ。ドイツの組織マインドを浸透させるのが、より簡単だったことは言うまでもないよな。だからこそオレは、ピオンテックの功績を今でも高く評価しているんだ」。
一番難しいのが、サッカーの「正しい発想」を受け容れる「土壌」がまったく整っていない段階での「浸透作業」であることは論を待ちません。もちろんその努力の多くは、結果となって実を結ぶことはありません。でもその後、同じ発想が、「別の人物」からもたらされた場合は状況が大きく違う・・。
そのコーチが去った後、彼らのサッカーが「元のやり方」に戻ってしまう・・そして選手たちは、自分たちのサッカーが「後退」している(去っていったコーチが正しかったかも)という微妙な感覚を抱くようになる・・そこに、去っていったコーチと同じ発想の「別」のコーチがくる・・。
選手たちが、そのコーチの発想に飛びつく(より素直に言うことを聞くようになる!)のは自然な流れだというわけです。
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私は、ヒディールと話ながら、だんだんと物思いにふけっていきました。
「組織の体質も含め、世界トップネーションとの最後の僅差を縮めていく作業には、大変なエネルギーが必要だ・・。良いコーチによって漸進しても、そのコーチが去ってしまえば、(目的に対する意識も含む)組織の基本的な体質が改善していないことで、今度は二歩後退してしまう・・。日本はどうだろう・・。創造的な破壊者であるフィリップによって、僅差を縮める確実な一歩を刻んだ日本サッカーだけれど、次のジーコは、日本サッカーに対してどのように貢献してくれるのだろう・・。彼ほど、日本の組織体質的なマイナス面を体感している人物はいないから大丈夫だとは思うけれど・・等々」。
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さて、デュイスブルク(ヴェーダウ)スポーツシューレでの「U16選抜大会」ですが、内容は濃かったですよ。攻守にわたるボールがないところでのダイナミックなアクションもそうですが、特に、テクニックに優れた選手が多いのには驚かされました。あの「クリエイティブな選手たち」は、一体どこへいってしまうんだろう・・なんて思ったものです。
それでも、そのなかの一人が、中盤で、うまい「エスプリ・プレー」を披露した瞬間(要は、うまいフェイントでマークする相手を翻弄しウラを突いた瞬間)、タッチライン際にいたコーチから、「ボールを持ちすぎるな!!」という大声が飛んだときには、ちょっと閉口してしまいました。(その選手のプレーのクセを知っている!?)周りの味方は、その「エスプリ・キープ」に合わせ、ベストタイミングでフリーランニングをスタートしていたんですよ。もちろん決定的なスルーパスも出されました。それなのに・・。ボールの動きのリズムには、常に、何らかの「変化」が必要ですからネ。
クリエイティブ選手たちの才能が、本当の意味で開花するためには、時間と「注意深いトリートメント」、また忍耐が必要。まあ、創造性が要求されるポジションのほとんどが「才能が開花した外国人」に占拠されているという今のブンデスリーガの状況では、たしかに難しいですけれどネ。
ミヒャエル・スキッベとの対談や、国際会議に参加してくる仲間たちとの「行間ディスカッション」が楽しみになってきました。現場を預かるトップコーチたちが、そこのところをどのように考えているのか・・。
また機会をみてレポートします。ではまた・・。