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(11月19日に仕上げた週刊プレイボーイ用の原稿です)
さて、今週からチャンピオンズリーグの二次ラウンドがはじまります。
勝ち残り組で大勢を占めたのは、やはりというか、スペイン、イタリア、イングランド、ドイツという「ブランドネーション」を代表するクラブ。そこに、欧州クラブサッカーの現状が映し出されています。カネと優れた選手が集中する各国のビッグクラブが、国内リーグだけではなく、チャンピオンズリーグも席巻しているということです。もし、リバプールとバイエルン・ミュンヘンも勝ち進んでいたら、完璧に、有名クラブのサロン社会リーグじゃありませんか。
以前は、いくら優れた選手を集めても、すぐに良いチームを作ることはできないというのが定説でした。でも昨今は事情が大きく変わっています。何せ、金持ちのビッグクラブは、選手だけではなく、ジェネラルマネージャーや監督、コーチや心理マネージャーまで含めた、優れたチーム作りノウハウを持つトッププロ連中をパッケージで雇ってしてしまいますからね。だから結局は、有名クラブが抜きん出たチカラを有してしまうということです。
たしかにテレビマネーのバブル崩壊で、カネ回りに限界が見えはじめています。とはいっても、限られた原資が有名ビッグクラブに集中する構図が急に変化することは期待薄なのも確かなことです。
経済が主導で作り上げられたクラブ間の格差ですが、その功罪については様々な見方があります。各国リーグやチャンピオンズリーグをいつも同じクラブが牛耳るのでは、ドラマツルギーの基本である「対立の構図」に広がりが出てこないばかりか、機会の平等というスポーツの大原則が損なわれることで、人々の興味が冷え込んでしまう・・。でも逆に、スター軍団によって人々の興味を喚起したし、有名クラブのハイレベルなプレーは、世界サッカーの発展にも貢献している・・。
これからの展開は、まだはっきりとは見えてきません。それでも結局その方向性は、生活者によって決まってくるに違いありません。プロサッカーという社会的な存在の「主役」は皆さんなのです。
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ところでイタリア。昨シーズンまでの数年間、不振を極めていた彼らが、復活の兆しをみせています。「ユーヴェントスやミラン、インテルといったイタリア勢だけれど、ヤツらの勝負強さが戻ってきたと感じるよ。今年はかなり行くかもしれない。でも、あんな規制サッカーが勝つとしたら、問題だけれどな・・」。友人のドイツ人コーチが、そんなことを言っていました。
イタリアサッカーを一言でいえば、選手たちのポジショニングバランスを極力崩さずに守備を固め、一発ロングパスカウンターなど、素早くワンチャンスをモノにして勝つという勝利至上主義サッカーなんて表現できますかね。とにかくディフェンスが、彼らのサッカーの主体なのです。何せ、ほとんどの選手たちは、攻撃のときでさえ、次の守備に備えて互いのポジショニングを調整しているほどですからね。
スリーラインという表現を聞いたことがあると思います。要は、最終守備ラインと中盤、そして攻撃という三つのラインのこと。それがチーム守備戦術のベースの基盤であり、選手たちは、スリーラインのバランスを意識し、互いに協力しながら組織的に守るのです。もちろんそれは守備に限ったコンセプト。ところがイタリアサッカーでは、攻撃のときでも、そのラインバランスを極力維持しようとするわけです。まあ、あくまでも「傾向」のハナシですがね。
攻撃での基本的な発想は、何といっても変化の演出。バランスよりも、自由に動きまわる広い展開からスペースを突いていくという積極姿勢が重要なのです。他のブランドネーションでは、たまには最終ラインの選手が攻撃の最終シーンに顔を出したりなど、チャンスがあれば、誰でも攻めに参加していきます。もちろんボールを奪い返されたら、守備の組織バランスを素早く立て直さなければなりませんが、必要とあらば、フォワードの選手でさえも最終ラインまで戻ったりするのです。たしかにそんな攻めはリスキーなプレー。でもそれなしには、サッカーの中心的な魅力である攻撃の創造性を発展させられるはずがありません。要は、守備では、戦術という「規制」が基盤になり、攻撃では、自由で創造的なアイデアによる変化の演出がもっとも重要になるということです。
サッカーの理想像は、美しく、かつ強いことです。それに対し、勝負強さにこだわる「規制」を前面に押し出すイタリア。自分たちのツボを追求するあまり、魅力に欠けるサッカーという「どツボ」にはまり込んでしまわないことを願わずにはいられません。そんなところにも注目して、二次リーグをとことん楽しみましょう。(了)
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「そんな」イタリアが、守備の強さをそのままに、パサーとレシーバーのイメージがうまくシンクロした「ツボの仕掛け」を発展させることで、彼ら本来の勝負強さを取り戻しつつあると感じます。
たしかに彼らのプレーからは、例によってチーム戦術という規制のニオイがプンプン。それでも攻撃では、かなり解放傾向が進んでいると感じるのですよ。だからこそ「イタリアのツボ」がより威力を発揮するようになっている・・っちゅうことです。まあ一言でいえば、より攻撃的になっている(普通にもどっている)ということです。
ACミラン対レアル・マドリーでは、まさに「ツボ」のオンパレードでした。何度、マドリー最終ラインが「ウラ」を突かれそうになったことか。主役は、何といってシェフチェンコとルイ・コスタ。この二人のイメージシンクロコンビネーションは、目映い光りを放っていました。もちろん、前半40分に挙げた、この試合唯一のゴール場面以外にもね。
この、ルイ・コスタとシェフチェンコのコンビが挙げた決勝ゴールについては、次週発売のサッカーマガジンで取り上げました。
内容の骨子は・・チャンスのニオイを嗅ぎつけた瞬間、「出す方」と「受ける方」のイメージが、一発ラストパスによる最終勝負シーンに集約される・・このシーンだけではなく、試合全体を通じ、パボンとエルゲラで構成する最終ラインセンターコンビの、最終勝負のラインコントロールと「ラインブレイク」が不安定・・そして「規制と解放のバランス」について・・ってなところですかネ。
この試合でももちろん、ハイレベルに組織されたミランの頑強ディフェンスも目立ちに目立っていました。たしかにマドリーのボールの動きが光り輝くシーンも多かったのですが、それでも、ミラン守備ブロックのウラを突いていくことがままならない。それは、ミランの選手たちが、マドリーの仕掛けリズムを明確に把握していたから(明確にアタマに描けていたから)に他なりません。決して深追いせず、プレスをかけ過ぎず、そして勝負所ではボールがないところでの忠実マークを最後まで・・。だから、マドリーが展開する、素早く広いボールの動きに振り回されることが少ない・・。
この試合では、ロナウドは風邪でダウン。ということで、前線は、モリエンテス(ワントップ)、ラウール(1.5列目)、フィーゴにジダン。守備的ハーフコンビは、マケレレが怪我ということで、カンビアッソとセラーデス。このメンバーだったら・・と、大いに期待したのですが、カウンターが決まりそうになった二つのシーン以外は、組織パスプレーでミランの守備ブロックを崩し切るまでには行けません。パスで守備ブロックを振り回し、相手守備が薄くなったところで「個の最終勝負」を仕掛けていく・・というイメージなのですが、それがうまく機能しないのです。それには、ロナウドが加入してきたことで、組織プレーでの「イメージのシンクロ状態」がちょっと乱れていたことが影響していたに違いありません。ここ数試合は、ロナウドの動きのないプレーで、レアルのボールの動きが停滞傾向にありましたからネ。もちろんこの試合では、前述したとおり、ミランの素晴らしい組織ディフェンスという「壁」もあったわけですが・・。
それでも、ロナウドがいるときよりも、彼らの組織プレーが数段スムーズになったことは確かな事実でした。これでロナウドが帰ってきたらどうなってしまうのだろう・・。旧の木阿弥?!
トヨタカップを控えているマドリーに、ちょっと心配がつのる湯浅でした。でもこの試合では、強固なミランの最終ラインに「最後の瞬間での突破」がままならなかったわけで、逆に、もしかしたら(この試合に限っては!?)ロナウドがいた方が、「個」の突破という意味でより効果的だったのかもしれない・・なんてことも考えていた湯浅です。
サッカーは理不尽なものですからネ。でも、あくまでもロナウドは、「マドリーの組み立てと仕掛けのリズム」に自分自身を合わせていかなければならないのは確かなこと。そのあたりについて、数週間前のサッカーマガジンで、こんな文章を発表しました。
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(11月6日に仕上げたサッカーマガジン連載用の原稿です)
今世紀最高のチームとの呼び声高いレアル・マドリー。今、その彼らが苦境に陥っている。組み立てでの独特のボールの動きが減退気味。だから、最終勝負の仕掛けにも鋭さを欠く。その原因は火を見るよりも明らか。世界のスーパースター、ロナウドである。
ロナウドが出場したいくつかのゲームを観た。そして思ったものだ。「ロナウドは、最前線にフタをしてしまっている」。先日のリーガエスパニョーラ、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦も典型的な内容だった。
ボールがないところでの選手たちのアクションが鈍い。たしかに、小さなポジション修正が素早いため、横方向へのボールの動きはスムーズだ。それでも、連鎖するスペースへのランニングが停滞気味だから、前を向き、フリーでボールを持つ選手を作り出すことががままならない。
そんな仕掛けの起点を演出するためには、縦方向へもボールを動かすことが重要。横への足許パスをいくらつないでも、相手の中盤ブロックは、常に前を向いて次の守備イメージを描ける。ただボールの動きに、自分たちの背後スペースへも回されるような変化がミックスされてきたら・・。だからこそ、中盤だけではなく、最前線も縦横にフリーランニングを繰り返すことがキーポイントになってくる。それこそが、レアルの真骨頂だったはずだ。
そんな有機的なパス連鎖が、最前線の中央ゾーンで足許パスばかりを待つロナウドによって大きく乱されている。最前線のフタ。まさにそれだ。
ロナウドは、イタリアやブラジル代表でのプレーイメージから解放されていない。そこでは、止まった状態で足許パスを受け、ドリブルや、相手アタックをかわす細かなワンツーで仕掛けていけばよかった。ただレアルは違う。彼らは、最前線も積極的に絡む縦横のボールの動きで守備ブロックを翻弄しながら決定的スペースを突いていこうとするのだ。
デポルティーボ戦では、ロナウドと交代したモリエンテスが入ってから、攻めが格段に活性化した。縦横無尽に走り回るモリエンテス。それに呼応するように、彼らのボールの動きにも独特のタテの変化が加わっていった。
デル・ボスケ監督は、「試合をこなしていけば、ロナウド、ラウール、ジダン、フィーゴのコンビネーションも深まってくる・・」と考えているようだが、コトはそう簡単にいきそうもない。先シーズン加入したジダンの場合、組織プレーセンスでもレベルを超えていたから、初めから、味方とのプレーイメージが噛み合うのは時間の問題だった。ただ、足許パスからの個人勝負イメージばかりが極端に先行しているロナウドの場合は・・。
サッカーチームは、様々な要素の微妙なバランスの上に成り立つ生き物とも表現できる。そのつり合いに問題が生じた場合、こだわりの強いスターを多く抱えているほど、再び均衡させるのは難しい作業になるものだ。
さて、レアルの再生プロセスが楽しみになってきた。もちろん自分自身の学習機会として・・。(了)
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最後にもう一つ、バルセロナからミランに移籍したリバウドについて。
前述した、ミラン選手たちが、ボールを奪い返した瞬間に「まず」イメージする「一発ラストパス勝負のリズム」ですが、リバウドは、まだそのリズムに乗り切れていないようです。何度、彼のプレーが「仕掛けのタイミング」を失してしまったシーンを目撃したことか・・。そしてサイドの決定的スペースや相手最終ラインの「ウラ」で、ルイ・コスタやシェフチェンコが、両手を広げ、「もっと早いタイミングでパスを出してくれよ!」と不満を表明していたことか・・。フムフム・・。
マドリーだけじゃなく、ミランの発展プロセスに対する観察も、私にとっての良い学習機会(イメージトレーニング)になりそうな・・。
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デポルティーボ対ユーヴェントス、ローマ対アーセナル、はたまたバレンシア対アヤックスですが、機会をみてレポートしますので。