それでも、そこはレアル。一点リードされてからのゲームコントロールには、それなりのコンテンツが詰め込まれていましたよ。そしてロベカルが放った、夢のような「カーブ・ピンポイントセンタリング」からのモリエンテスの同点ヘディングゴール。それは、センタリングというよりも、ファーポストを狙ったシュートといった方が適当なほどの「ドカン!」ラストセンタリングではありました。もちろん「例によっての左足アウトサイド」。天才がほとばしりましたよ。
実力的には、リーグのなかで一歩も二歩も先行しているレアル。昨年11月のバルセロナ戦、クリスマス休暇明けのデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦、はたまた前節のバレンシア戦。全体的には拮抗した内容だったのですが、それでも「勝負所」では、レアルの「組織と個」が理想的にバランスした「最終勝負クオリティー」が光り輝くんですよ。
特に、強いバレンシアとの前節(第20節)のゲーム。もの凄くハイレベルな試合だったのですが、そこでも、決定的なチャンスを作り出すまでの「プロセスの質」という視点では、やはりレアルに一日の長を感じます。組み立てではチームプレーに徹し、勝負所では天賦の才を存分に前出しする。そんな「プレーのメリハリ」に、天才たちのインテリジェンスの高さを感じます。
インテリジェンスあふれる天才たちの饗宴。いや、今から日本代表との試合が楽しみで仕方ないじゃありませんか。
願わくば、「本気」のレアルと対戦したい・・。
「ジダン!? フィーゴ!? まったく怖くないね。組織プレーじゃウチの方が上であることは誰が見たって明らかなことさ。結局は、ヤツらの方が、日本代表のケツを追いかけることになるんだヨ!!」。そんな、フィリップ・トルシエによる、事前のプロボケーション(挑発)。心から期待しているゼ! フィリップ!!
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さて、ジダンが加入した今シーズンのレアルが、「天才たちの饗宴」というレベルの機能美を魅せるに至るまでの紆余曲折・・。その「プロセス」を、サッカーマガジンでも三回にわたって書きました。プリントメディアで発表した文章ですから、自分自身の「記録」という意味でも、掲載することにします。では・・
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(2001年8月30日に起こした原稿)
選手タイプのバランス・・
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レアル・マドリードが困難に直面している。バレンシアとの、スペインリーグ開幕戦。選手たちのプレースタイル(タイプ)の「組み合わせバランス」が微妙に崩れたことで、またその変化を十分に補正できていないことで、彼らの攻撃から危険な香りが消え失せてしまったのである。もちろんそれは、ジネディーヌ・ジダンという天才がチームに加わったことによる。
試合の立ち上がり、ジダンは、自由奔放に動き回り、実効あるクリエイティブプレーを繰り広げた。それに対し、創造性のシンボルとして君臨していたルイス・フィーゴは、あまり動かず、サイドでパスを待つばかり。ボールを持っても、不安定な心理状態を反映するかのように、ミスをくり返す。そして徐々に、フィーゴの「消極ビールス」が蔓延するかのように、ジダンやラウール、ロベカルたちの足が止まり気味になり、攻撃のダイナミズムが沈滞していった。
サッカーの現場では、同じタイプの「攻撃クリエイター」たちを、組織的にうまく機能させることほど難しい作業はないとよくいわれる。ジダンとフィーゴ。この二人が反目しているとは思わない。ただ、組み立て段階における個人勝負(キープ&ドリブル)や、シンプルな展開パスの「使い方」に代表されるプレースタイルだけではなく、最終勝負への「入り方」なども酷似していることで、また一方が「主役」になった仕掛けコンビネーションに、もう一方が乗り切れないというシーンが多発したことで、互いの才能が加算されるどころか、逆に「相殺」されてしまったと感じた。
攻撃力は、基本的には「個人能力の総体」になるべきだ。ただそれも、「接着剤」がうまく効けばのハナシ。ここでいう接着剤とは、選手たち個々が描く戦術イメージの「整合性」のことだ。その効きが強ければ、それぞれの能力を単純にプラスした以上のチカラを発揮するだろう。ただ逆に脆弱な場合、組織プレーのコンビネーションが機能不全に陥ってしまう。不確実性要素が詰め込まれた「有機的なプレー連鎖の集合体」であるサッカーの特異性が、そこにある。
レアルの場合、チームプレーの権化ともいえる汗かきプレーヤー、マクマナマンとエルゲラを欠いていたことも大きく影響していた思う。この二人がいることで様々な選手タイプの組み合わせがうまくバランスし、攻撃における「天賦の才」が最大限に活かされていたと思うのである。もちろんフィーゴとジダンが、クリエイティブなプレーだけではなく、「汗かき組織プレー」にも全力で取り組めるようになることが理想なのだが・・。
攻撃のクリエーターたちは、互いに「使い、使われる」というメカニズムに対する深い理解と適合が必要だ。それとも、代わりに「バランサー」を入れるのか・・。9月9日のリーグ第二節へ向け、デル・ボスケ監督の「ウデ」が問われる。
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(2001年9月14日に起こした原稿)
両雄は並び立つのだろうか・・
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そのとき、グラウンド中央のラウールは、首を大きく振りながら、冷静に状況を読んでいた。ローマ守備陣は、左サイドを上がるロベカル、マクマナマン、グティーによって引きつけられ、逆サイドでは、フィーゴが全くフリーになっている・・。
そして最終勝負。マクマナマン、グティー、ラウールへと、素早くパスがつながれる。そのときラウールは、次の勝負に対する完璧なイメージを描いていた。「フリーのフィーゴだったら、寸分の狂いもないラストパスを通してくれるに違いない・・」。まるで背中にも目があるかのように、フィーゴへダイレクトパスを送るラウール。そしてフィーゴから、ローマ守備陣の「間隙スペース」に入り込んだグティーへ向けて、これぞピンポイント!という鋭いカーブセンタリングが糸を引いていった。
チャンピオンズリーグ(CL)初戦、ローマ対レアル・マドリードの後半17分、レアルが追加ゴールを挙げたシーンである。
前回、スペインリーグ開幕戦について「両雄の才能を加算させるのは難しい」という内容のコラムを書いた。もちろんフィーゴとジダンのことだ。二節の対マラガ戦では、フィーゴがイエロー累積でメンバーに入れず、CLローマ戦(アウェー!)では、逆にジダンが出場停止だった。もちろん相手やステージの違いなど、単純比較はできないが、それでも選手たちのプレーマインドの違いだけは明確に感じられた。ちなみに、この二試合での先発メンバーは、ジダンとフィーゴが入れ替わっただけである。
「まだ」確信レベルを深められていないのだろう、攻守にわたって消極プレーに終始するジダン。チームの出来は、お世辞にも良いとは言い難かった(ホームで、マラガと1-1の引き分け)。それに対し、本来のアクティブプレーが戻ったフィーゴは、「攻撃のクリエイター」として抜群の機能性を発揮する。そして、「ボールと人の動き」が有機的に連鎖しつづける魅惑的サッカーでローマを圧倒した。それこそ、世界のサッカーファンが夢見る「レアルのサッカー」そのものだった(詳細については筆者HPを参照して欲しい)。
ボクは、フィーゴに対する「実績ベースの信頼」を感じていた。その象徴が、冒頭で紹介した、最初からフィーゴへの「全てを託すパス」をイメージしていたラウールのプレーだった。フィーゴは、仲間との「イメージシンクロ」レベルの高さを、有無をいわせぬ「実効」をもって証明してみせたのである。
リーグ第三節では「二つの才能」が肩を並べることになるのだろう。締めの文章は、前回と同じになった。「両雄、並びたたず」という、サッカーの歴史において多くのケースで成り立っていた「プロ現場の経験則」を超えることができるのか・・。「心理マネージメント」も含め、デル・ボスケ監督のウデが問われる。
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(2001年9月27日に起こした原稿)
確信する「三人目」・・
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そのとき、マクマナマンは確信していた。「前のスペースへ走れば、必ずパスが出る!」。スペインリーグ第四節、レアル・マドリー対エスパニョールの前半43分。三点をリードし、ゲームを支配しつづけるレアルが、一段と際だつコンビネーションで決定的シーンを演出した。
中央ゾーンで、レアルのカランカがボールを奪い返す。そのとき、左サイドにいたマクマナマンがアクションを起こした。そこへ、明確なイメージに誘われたパスが、ジダン、ラウールを経由して送られてくる。そしてボールを持ち直したマクマナマンが、最前線のムニティスへ縦パスを出し、今度は、決定的スペースへ向けて走り抜けていく。相手の厳しいチェックで体勢を崩したムニティスが、彼への「直接リターンパス」を出すのは無理だと分かっていたにもかかわらず・・。
それが勝負の瞬間だった。ムニティスが、倒れ込みながらも、サポートするジダンへバックパスを出したのだ。そして、「これぞイメージシンクロ!」というダイレクトのスルーパスが、「三人目」のマクマナマンへ向けて美しい軌跡を描いていった。最後は、ラウールへの勝負パスを合わせられなかった。ただそれが、レアルの「再生」を象徴する高質コンビネーションだったのは確かなことだ。
レアルは、フィーゴとジダンという二つの才能を、チームとして機能させることに苦労していた。そのことについては、二回つづけて書いた。ただここにきて、「両雄」の才能が有機的に連鎖しはじめたことで、チームの機能性が、急速に改善している。たぶんその背景には、デル・ボスケ監督と選手たちによる深いディベートがあったのだろう。監督の優れたリーダーシップ、そして選手たちの高いインテリジェンスを伺い知ることができるではないか。
エスパニョール戦。レアルのドリームサッカーが人々を魅了しつづけた。素早く、広く、そしてスムーズなボールの動き。フィーゴからジダン、ジダンからラウール、ラウールからフィーゴへと、縦横無尽に「人とボール」が連動するなかで、タイミング良く、才能たちが「攻撃の変化」を演出したりする。
ボクは、彼らが交換するパス、またワンプレー毎に交わす視線にも、互いの才能に対する敬意と、信頼を感じていた。だからこそ、チームメイトたちの、ボールがないところでのアクションにも、これ以上ないほどの明確なイメージが見えてくる。確信に満ちあふれた「三人目のフリーランニング」。それこそ、組織と個がバランスしたサッカーのシンボルなのである。
互いに使い、使われるというメカニズムに目覚めた才能集団。数日後に行われたチャンピオンズリーグでも、アンデルレヒトを「4-1」と一蹴した。彼らの高質サッカーは、どこまで高まっていくのだろう。今度はそちらに興味が移ってきた。
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・・ということで、本日は、このあたりで。
追伸:2002ワールドカップ本大会の取材ですが、「無事に」、フリーランスジャーナリストとしての「AD(プレスID)」申請が承認されました。ということで、本番は、できる限り動きまわって取材、レポートをつづけます。体力・気力の続くかぎり・・。もちろん「プレスシート」の獲得合戦はありますがネ・・。