トピックス


 

ストリートサッカーの価値を見直そう!(2002年2月12日、火曜日)

どうも皆さん、帰国しました・・フ〜〜ッ。全体的には短かった出張ですが、いろいろなところへ移動をつづけなければならず、また、あまり「セキュア」な地域でなかったこともあって、気を休めることがままならず・・フ〜〜ッ。

-----------

 要は、「所謂」開発途上国を回ったわけです。気が張ってしまったのは、単に、インフラ整備に対する信頼感が薄いから・・。例えば、食事や水、ホテル、ドメスティック移動のための交通機関、飛行機のタイムプランなどなど、気を遣わなければならない要素が、まさに山積み。要は、リスクヘッジも含めて、自分自身でマネージメントしなければならないところが多いということで、時間と金をかけて、それらの危険ファクターを、自分主体で、確実に消していかなければならない・・っちゅうことです。

 まあ、久しぶりに「生活インフラ」に対する発想を自分の意志で整備しなければならないという状況に陥ったわけですが、そのことが、プロとしての自分にとって、本当に「もの凄く大事」なことだと再認識した次第です。自分主体で、全てを考え、的確に判断し、躊躇せず実行していく・・。大袈裟ですが、そんな「思考・行動プロセス」を体感することの意義に対して「再び」大きく目を見開けたことは、本当に大きかったと思っているんです。

 というのも、いま私が抱えている「トレーニングの質」というテーマにつながる部分が多々あるからです。

 自分たち自身が考え、工夫することで困難に立ち向かう・・という内容であるべき「トレーニングの状況設定」が、限りなく「規制方向」へ振れ続けている・・。そんな今だからこそ、「トレーニングの質」についての深いディベートが必要だ・・。

------------

 「そうなんだよ、とにかくオーバートレーニングが問題の本質だよな。社会が豊かになってきて、子供たちのストリートサッカーを見かけることが、とんと少なくなってしまったからな・・」

 ヨーロッパへ行くたびに、仲間のプロコーチたちと同じテーマについてのディスカッションになることが本当に増えました。要は、「規制のない、自ら考え工夫しなければ立ちゆかない機会(トレーニング)」のことです。

 トレーニングとは、実戦の「要素」をピックアップし、「技術」「戦術的な発想」「イメージ・シンクロ」等々のテーマを改善していくプロセスのこと・・、形式は、もちろん千差万別・・、とはいっても、そこでの「コーチによる効果的な刺激」という、コーチのパーソナリティー能力にかかわる部分が、トレーニングの質を決めてしまう・・、だからそれが、もっとも大事なファクター・・等々、これまで、様々なメディアを駆使して、それについての論を展開してきました。

 たしかにトレーニングは、「実戦」で発見された「ファクター」を抽出し、そのなかでネガティブな部分は(必要とあらば!)改善を目指し、ポジティブな部分は、もっと発展させる・・ということを目的にしています。その原則は変わりませんし、世界サッカーの大きな流れが、その目的に逆行しているとは思いません。それでも、やはり何か「バランス」が欠けているのかも・・と感じられることも多々あるということなんですよ。

 私が言っているのは、「チーム戦術的なプレー」と「創造的なプレー」のバランスのことです。サッカーはパスゲーム。だから攻守にわたって、「プロセス」では、全員が「チーム戦術という規制」を守ることを原則にしなければいけません。そして、それぞれの「チーム戦術的プレー(プロセス)」のなかでの「小さな創造プレー(プレーヤーの個性!?)」をミックスしながら「最終勝負」へ向かうわけです。そして「最終勝負」において、「個人的な創造性」を最大限に発揮する・・。

 私が言っている「個人の創造性」には、攻守にわたる「ボールのないところでのプレー」も含まれます。だから、最終的にボールに絡めなくても十分に創造的なプレーも多々あるというわけです。

 ちょっと書き方が「大雑把」ではあります。サッカーでは、そんな風にカチッと分類するコトなんて出来るはずがありませんからネ。また「いったい、チーム戦術って何だよ!」とか「個人的な創造プレーって・・!?」なんていうディスカッションテーマも出て来るに違いありません。でもネ・・それは置いといて、ここでは、選手の創造性を伸ばすためのトレーニングも大事だっていうことを、大雑把ではありますが、言いたい湯浅なんですよ。限りなく、選手たちが「主体」になったトレーニングがネ・・。

-----------------

 ストリートサッカーじゃ、まったくコーチの規制はありません。だから選手たちは、自らの工夫をベースに、限りなく「楽しもう」とします。サッカーの楽しみは、トリックやフェイント、ドリブル突破などの創造的な部分に集約されます。もちろんディフェンスにも、大いに創造的な部分はあるけれど、それが基本的に「受け身」だから、誰も積極的にやりたいとは思わない・・。それでも、いくら「遊び」だからとはいえ、守備をやらなければ、ミニゲームで勝つことなんてできない。だから選手たちは、自分たちが主体になって「最低の規制(決まり事)」をつくり、これまた自分たちが主体になってそれを守ろうとするわけです。

 もちろんそこでは、普段のトレーニングで、コーチに言われていることがヒントになっているに違いありません。でもストリートサッカーだから、選手たちは、そのコーチの言葉を、自分なりに解釈して応用しようとするわけです。もちろんそこでは、互いのエゴがぶつかり合うでしょうし(そこで選手たちは、コーチの仕事の大変さを理解するかも!?)、決まり事を守らない味方に対する不満も出てくるに違いありません(不満を持って、それを指摘するプレーヤーは、もの凄く前向き!)。

 そんな「自分主体のプロセス」こそが、ストリートサッカーが持つ、どんな「規制トレーニング」でも及ばない価値なんですよ。そう、自分主体で創造性を発展させるという価値がネ・・。

 ジダンも、「僕は別に難しいプレーヤーじゃない。技術の(もちろん戦術的な発想も含みますよ!)ほとんどは少年時代の街路で学んだんだ・・(サッカーマガジン)」って言っているじゃありませんか。その言葉には、本当に深い「コノテーション(言外に含蓄される意味)」が含まれているんですよ。

--------------

 ここでは、これ以上深く、このテーマに入り込もうとは思いませんが、色々と考えるところがありますので、これからも様々なメディアで、なるべく「分かりやすく(=湯浅にとってのリスク!)」、論を展開しようと思っていますので・・。

 コーンやマーカーなどを使った「規制にあふれた」トレーニング。コーチは、トレーニング本来の「目的」ではなく、そのトレーニングがうまく進行することの方に、また自分の権威が失われないことの方に気を遣っている・・、フ〜〜ッ。もちろんそんな低レベルのコーチは、例外のはずですがネ・・(hopefully....)。

 一度、発想をまったく変えて、普段のトレーニングでも、選手たちが限りなく主体になるような「形式」を考案してやらせてみたら・・なんていうディスカッションを展開しようと思っている湯浅です。そこでは、コーチの忍耐力が問われるわけですが、それも、コーチとしての自分にとっての心理トレーニングだと割り切る・・っていうわけです。

----------------

 危険が一杯の外国(地域)から帰国し、まず、そのテーマに思いを馳せている湯浅でした。今後とも、どんどんとディスカッションを展開していきますので・・

 さて次は、今月27日に発売が予定されている新著、「サッカーを『観る』技術 スーパープレー5秒間のドラマ(新潮社)」の紹介、再開されるチャンピオンズリーグ、はたまた私が注目しているセネガルについて(祝! アフリカ選手権準優勝!・・決勝ではカメルーンに勝るとも劣らない内容で・・、いや、どちらかといえば勝った内容で引き分け、PK戦で、惜しくも涙を飲んだ!)書こうと思っています。

 私は、今回のW杯、予選ラウンドでは、日本、ドイツ、そしてセネガルを中心に観戦しようと思っています。また再来週には、セネガル監督の「ブルーノ・メツ」との対談も予定されています(予定メディアは、東京中日新聞、週刊プレーボーイ、そしてサッカーマガジン等)。ご期待アレ・・

 




[ トップページ ] [ Jワンポイント ] [湯浅健二です。 ]
[ Jデータベース ] [トピックス(New)] [ 海外情報 ]