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ヨーロッパの日本人・・今週の第二弾は、復帰した中田英寿・・でもメインテーマは、レアル・マドリーを例にとった「バランス感覚」・・(2003年4月21日、月曜日)

パルマ対トリノのレポートに入る前に、リーガ・エスパニョーラを例にとって「戦術的な発想のポイント」にスポットを当てようと思います。対象にしたのは、もちろん「エル・クラシコ」、レアル・マドリー対バルセロナの伝統マッチです。

 ものすごいエキサイティングマッチになりました。両チームともに、(特に中盤において)力強く、激しいディフェンスを仕掛けつづけるのです。それでも、決してゲームが「ガチャ、ガチャ」にならない。要は、厳しいディフェンスに遭っても、彼らの脳裏に描かれる「攻撃の発想」に乱れが生じないということです。とにかく、あれ程ものすごい気合いプレッシャーのなかでも、簡単にボールを失うことなく(素晴らしいボールコントロール! 素晴らしい局面エスプリプレー!)、本当にうまくボールを動かしてしまうのですよ。本当に大したもの。やはり彼らは世界トップだ。

 そのベースは、もちろん身体的、技術的な「個のチカラ」ですが、私は、それと同等に大事なモノがあると思っています。言わずと知れた「戦術的な発想」。要は、サッカーは基本的にはパスゲーム・・だから勝負はボールのないところで決まる・・という例のコンセプトのことです。

 前日に、高原のゲームレポートでも書きましたが、バイエルン・ミュンヘンやドルトムントなどのドイツトップクラブを除いた多くのチームでは、その発想自体は浸透しているものの、個人のテクニックレベルが追いつかないから、どうしても「力ずく」の直線的サッカーになってしまう。そこでは、素早く、広くボールを動かすことで相手ディフェンスの「穴」を突いていくというシーンは、あまり見られないのです。だから、至るところで「ガチャ・ガチャ」というぶつかり合い(つぶし合い)になってしまう。

 レアル対バルセロナの試合を観た後、すぐにその高原のゲーム(ハンブルガーSV対1860ミュンヘン戦)を見直し、レアルとバルセロナが展開するサッカーは、確実に理想型へ近づいている・・と再認識した次第。そして、そこでの「戦術的な現象(発想)」を体感し、自分自身のイメージ蓄積ボックスにキッチリと収納しました。

 例えばレアル。彼らの攻撃での発想は、とにかくシンプルにボールを動かしながら(シンプルプレーほど難しいものはない! そこではじめて本当の意味でのテクニックが問われる!)、中盤の高い位置で、ある程度フリーでボールをもつ味方(仕掛けの起点)を演出するという目標イメージを基盤に、「勝負所」の演出にチャレンジしつづけるというものです(もちろんバルサも基本的には同じ発想ですがね・・)。

 例えば、その勝負所イメージは・・フィーゴが前を向いて「1対1」の勝負を仕掛けられる状況・・左サイドのスペースで、ロベカルが勝負をしかけられる状況・・ロナウドへの一発スルーパスを出せるような状況・・ラウール、ジダン、フィーゴ等が絡む、素早い勝負コンビネーションを仕掛けていける状況・・等々。

 特に、最終的な仕掛けでの勝負パスに対する感覚がレベルを超えています。彼らは、攻撃での最終目的が「シュート」であること、そしてそこに至る最終勝負のほとんどがボールのないところで決まってしまうという「メカニズム」を完璧に(体感として)理解しているのです。

 だから彼らにとっては、シュートを誰が打つのかとか、誰が「決定的な仕上げの仕事」をするのかということは、単なる二次的なテーマにしか過ぎない。その「発想」が本当に深く浸透しているのです(最前線のフタ、ロナウドも徐々に理解しはじめている!)。そこが凄い。だからこそ、最終勝負の流れ(コンビネーション)に入ったときの、(強烈な意志と期待が込められた!)三人目、四人目の決定的フリーランニングがレベルを超えているのです。チーム全体に深く浸透している「クリエイティブなムダ走り」という発想・・。

 パルマの試合を観ながら、そんなテーマに思いをめぐらせていた湯浅でした。

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 さて、前置きが長くなってしまいましたが、パルマ対トリノのレポートに入ることにしましょう。

 相手は、ほぼ降格が決まっている・・だからモティベーションレベルは低いだろう・・それに、この試合はオレたちのホームゲーム・・チャンスだ! ゴールを量産しておこう・・。ムトゥーとアドリアーノの、そんなマインドが明確に見て取れる・・。

 まあ、そんなイージー・マインドは、多かれ少なかれ、選手全員の心の片隅に巣くっていたことでしょう(アレ?! これって今節の「J」レポートで、どこかのチームにもあてはめた表現?!)。パルマ全体のプレーが、どうも気合い抜けしている・・。もちろん、そんなネガティブマインドは、中盤ディフェンスの内容に如実に現出してくるというわけです。

 だから、全体的に押してはいるけれど、不必要なカウンターを許してピンチを迎えたりしてしまう。これは、ゲームをコントロールしているとは言い難い状態です。

 たしかに後半は、勝たなければならないパルマですから、押し込んでいくエネルギーが増幅しましたし、何度も決定的なシュートを放ちました。それでも・・。

 要は、最終的な仕掛けの流れのなかで、ムトゥーとアドリアーノが明確な「フタ」になってしまっているということです。このことは、もう何度も書いたことですがネ。

 中盤で相手のパスをカットし、前に空いたスペースを超速ドリブルで突き進むジュニオール。そして最後の瞬間、ワンツーをイメージしてムトゥーへの「ワンのパス」を出して決定的スペースへ飛び出していく。でも結局は、「フタ」がボールをこねくり回してしまったことでチャンスを潰してしまう。

 また・・。中盤の高い位置でボールを奪い返したラムーシが、相手を引きつけるドリブルで前進する。そして最後の瞬間にアドリアーノとのワンツーにトライしたが、これまた結局は・・。

 このシーンでは、ジュニオールも、ラムーシも、素晴らしいタイミングで決定的スペースへ飛び出していきました。もちろんそのタイミングは、「ツーのパス」のダイレクトリターンがベースでした。でも結局は、決定的スペースで立ち尽くし、フ〜〜ッという深い溜息をつくジュニオールとラムーシ。

 「オレは、パスだってしっかりと出すよ・・」。現地メディアに対してアドリアーノがそう言っていたそうですが、まあ彼の言うパスとは、詰まった状態での「やり直しバス」のことだと言われても仕方ない・・。彼やムトゥーの場合、パスを受ける前の段階で、次の素早い仕掛けパスのことはほとんどイメージしていないでしょう。それは彼らのパスを受ける体勢や視線からも判断できます。

 たしかに観ている側にとっては、ムトゥーとアドリアーノの単独勝負シーンはアトラクティブ(魅力的=観戦価値がある!)でしょう。また実際に、単独勝負からゴールを決めていますからね。でも「やり過ぎ」はマイナスですし、いまの彼らのプレーは、確実にそちらへ振れています。でもだからといって、彼らに「組織プレー」を強要した場合(実際にやろうとするかどうかは別にして・・)、逆に彼らの良さである単独チャレンジのイメージが損なわれてしまうという危険性もあるし(チームにとってのマイナス要因!)、観客にとっての観戦価値にも悪影響が及ぶかもしれない・・。いや、本当に難しい。

 要は、またまた「バランス」という根元的な発想に辿り着くわけです。すべての社会的・人間的な事象を大きく左右してしまう「バランス感覚」。だから、本当に難しい・・。

 だからこそ私は、レアル・マドリーの天才たちが繰り広げる「高質なバランスプレー(バランスのとれたプレー発想)」に感嘆するんですよ。シンプルな組織プレーと、(単独ドリブル勝負などの)個人プレーとのハイレベルなバランス・・。

 このテーマについては、書きはじめたら切りがなくなってしまいますから、今回はこんなところで・・。

 ところで、怪我から復帰した中田英寿。彼もまた、「フタ」の犠牲者になっていました(何度も「フ〜〜ッ」のシーンを目撃!)。それでも、例によって、攻守にわたるチーム貢献度は素晴らしかった。攻撃では、まさに、組織シンプルプレーと、単独で仕掛けていく個人プレーの高質なバランス・・。とはいってもこの試合では、「フタ」だけではなく、チーム全体の「連鎖イメージ」も沈滞していましたからネ・・。

 中田英寿がメインテーマのレポートのはずが、ちょっとそこから離れてしまった・・。今度まとめて彼のプレーを分析しようと(いつものことですが・・)思っていますので。

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 今日はこれから、戸田が所属するトットナムの録画放送を観ます。戸田が期待に違わない活躍をしたとか。さもありなん。楽しみで仕方ありません。

 それでも、たぶんこの後すぐにでも私のHPが入っているサーバーのキャパが一杯になってしまうでしょうから(アクセス数データも、そのサーバーに蓄積されるから・・そうなったらアップは不可能)、彼のプレーに関するレポートは明日(火曜日)ということで・・。




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