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チャンピオンズリーグ準決勝(2)・・ある意味では現代サッカーを象徴するゲーム内容でした・・ACミラン対インテル(0-0)・・(2003年5月8日、木曜日)

ボールポゼッション(ボールキープ率)とチャンスの数が比例する傾向にないサッカー。この試合は、ある意味、現代サッカーを象徴するゲーム内容だったのかも・・。全体的にゲームを支配している方がチャンスを作り出すことができず、逆に押されている方が「勝負決定ファクター(結果)」で上をいく・・。

 ミランは、全体的にゲームを支配しながらも、勝負ゾーンでは、どうしても「ある程度フリーでボールを持つ選手」を演出することがかなわない。それに対し、アウェーのインテルは、あくまでも守備ブロックのバランス(人数的・ポジショニングバランス的)を崩さずに、ボールを奪い返したら、人数・手数をかけず、素早く、直線的に攻め上がっていく。もちろん勝負ドリブルと勝負コンビネーションを駆使して・・。

 要は、守備を固め、ボールを奪い返したら、相手守備ブロックの組織バランスが整わないうちに、限られた人数であるからこその「吹っ切れた」勝負のリスクチャレンジを仕掛けて「いける」チームの方が、より可能性の高いチャンスを多く作り出しているということです。

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 ミランが攻めきれないのは、明らかに、後方からのオーバーラップ(三人目の動き)も含む、ボールがないところでの勝負の動き(勝負のコンビネーション)が緩慢だから。まあそれも、インテル守備ブロックのクレバーな「読みディフェンス」が機能しているからでもありますがね。

 私は、最初から「見所」を設定してこのゲームを観はじめました。ディフェンスの機能性。素晴らしかったですよ、インテルは。まあ逆にいえば、攻めがうまく機能しないことで(うまくチャンスの芽を発芽させられないことで)フラストレーションのたまったミラン選手たちのプレーが(特にボールがないところでの仕掛けの動きが)詰まり気味になっていたということです。

 でもそれが「イタリアのツボ」ですから、普通だったら、ワンチャンスに賭けるという「エネルギーをタメておくマインド」が活きるはずなのですが。我慢して、我慢して、ここ一発の爆発に懸けるという心理エネルギーのタメ。まあ、(イタリア勢同士だから)相手を知り尽くした同士の対戦ということで。互いに「ツボ」を熟知しているから、簡単にはそのフタを開けられないということなんでしょうね。

 ボールキープ率で大きく上回るミランなのですが、攻めでは、「スペースである程度フリーでボールを持つ選手」を演出することがままならない・・だから結局は、相手ディフェンスにコースを限定されたミドルシュートを打つか、同様にコースを限定された「放り込み」で偶然のチャンスに望みを託すか、はたまたセットプレーからチャンスを狙うということになってしまう・・とはいっても、相手もそのことを熟知しているから、セットプレーのチャンスを与えないような慎重なディフェンスを展開している(なるべくファールをしない!)・・そして手詰まり感が(フラストレーションが)増幅することで、有機的に連鎖する仕掛けイメージを描写しようとするマインド自体が減退してしまう・・。

 やはりサッカーでは、ボールのないところで勝負が決まるというのが根元的なコンセプト・・。だから、クリエイティブなムダ走りが、ボールの動きと「有機的に連鎖」しなければチャンスを(スペースである程度フリーでボールを持つ味方=仕掛けの起点を)クリエイトする確率を上げることは難しい・・。もちろん、マラドーナのような「天才」がいればハナシは別だけれど・・。

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 手詰まり感ばかりがつのっていたミラン。それでも後半には、全体的な勢いが増幅したことで、チャンスの芽が成長していくかもしれないと期待させてくれる時間帯もありました。

 それは、ボールがないところでのリスクチャレンジ(後方からの押し上げの動き)が活性化しただけではなく(それに伴って、ボールの動きも活性化!)、選手たちの、ミドルシュートチャンスに賭けるマインドも向上してきたからなのでしょう。またその背景には、インテルが、より組織的に(人数をかけて)攻め上がろうとする姿勢をみせはじめたこともありそうです。

 まず後半5分、後方からの押し上げが見事にツボにはまります。左サイドでボールを持ったミランディフェンダーのカラーゼが、タテのスペースへ抜け出したセードルフへタテパスを送り、意を決したパス&ムーブの仕掛けに入ります。この時点でカラーゼは相手を振り切ってフリー。そして押し上げた彼へ、セードルフからリターンパスが戻されたというわけです。

 この瞬間インテル守備陣は、フリーでボール持ち上がる「見慣れない顔」に、正面から受け身で対処しなければならなくなった。それこそが、後方からの押し上げが有効だと言われるキーポイントなのです。読みベースのマークアクションをつづけるなかで対処する場合は(相手と同方向へ動きながら対処する場合は)、アクション方向への運動エネルギーを「同等」に保てるわけですが、足を止め、正面から「受けて立つ」場合は、まったく不利になってしまう。それこそ、相手のアクションに反応するしかない・・ということになってしまいますからね。

 このシーンでも、足を止め、受けて立たざるを得なくなったインテルのコルドバは、カラーゼのドリブルへアタックを仕掛けられずに、ニアポストゾーンに走り込んだシェフチェンコへのラスト横パスを通されてしまいました。あの優秀なディフェンダーのコルドバが・・。

 また後半17分には、逆にインテルがお株を奪われてしまいます。ミランに、必殺のカウンターを食らってしまったのです。そのとき、組織的に攻め上がっていたインテルでしたが、非常に悪いカタチで(高い位置で)ボールを奪われ、ルイ・コスタの「引きつけドリブル」が功を奏してフリーになった右サイドのシェフチェンコへ決定的なタテパスを通されてしまったのです。でも最後は、シェフチェンコの弱気のラストパスによって助かった。左サイドを走り上がるインザーギへのラストパスを、タイミング良く戻ったコルドバが見事にカットしたのです。

 でもその後は、またまた膠着状態へ。今度はインテルも(ミランのカウンター対処イメージが強化されたことで?!)、そう簡単にカウンターを仕掛けられなくなってタイムアップになった次第。

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 そんな、ちょっと動きが出てきた後半のゲーム展開でしたが、それでも冒頭に書いた全体的な印象には大きな変化はありませんでした。たしかに後半の立ち上がりで魅せたミランのサッカーには、「試合のなかでの成長(選手たちの、攻守にわたるプレーイメージの微調整)」という興味深いテーマが内包されてはいましたがネ・・。

 この試合は、ある意味で、結果(勝負)至上主義の(経済ファクターが主導する?!)現代サッカーを象徴していたのかも・・。

 もちろん、戦術という「規制」が先行し過ぎてしまったら、確実に、創造性の「解放」がもたらすサッカーの美しさは阻害されてしまう。やはり「規制と解放のハイレベルなバランス」こそが、サッカーにおける根元的なテーマだということです。そう、美しく、強いサッカーという理想型を目指して・・。

 どうも、このテーマを論ずる上で、まだまだ「舌っ足らず」だと感じます。もっと分かりやすく簡単に表現できないものか・・。私も発展途上ですから・・。

 まあ、このテーマについては、先日アップしたイタリアサッカーに関するコラムも参照してください。とにかく私は、あれ程の「個の能力」をバックボーンに持っているイタリアなのだから、もっと・・なんて思っているわけです。




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