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コンフェデレーションズカップ・・三位決定戦、決勝、そして「W杯参加国数」について・・(2003年6月30日、月曜日)

三位決定戦は、トルコが、オカンの決勝ゴールで勝利をおさめました。

 まあ、ボールの動かし方(速さと広さ&ボールがないところでのアクションの質など)、仕掛けプロセス(組織プレーと個の勝負プレーのバランスレベルなど)、また守備における有機的な連鎖プレーの質など、戦術的な発想のレベルで、トルコに一日の長があったことはたしかな事実ですから、彼らの勝利は順当なものだったと言えるでしょう。

 準決勝のフランス戦でも、世界中に高質なサッカー(戦術的発想がハイレベルなプレー)をデモンストレーションしたトルコ。この、2000年ヨーロッパ選手権や日韓W杯での活躍につづく「内容的」な成果によって、彼らも、フットボールネーションでの評価の定着という意味も含め、本当の意味での「世界」の仲間入りを果たしたと言えそうです。

 試合ですが、立ち上がりの前半3分、トルコがラッキーな先制ゴールを奪います(相手のミスパスを拾ったトゥンジャイの、ゴールネットを突き破ってしまうほどの強烈なミドルシュート!)。そのこともあって、その後はコロンビアが攻め上がり、トルコがしっかりと(余裕をもって!)守り、鋭いカウンターを仕掛けていくという展開になります。

 そんなゲームの流れだから、どうしてもコロンビアの攻勢ばかりが目立っていたわけですが、どうもその「内容」が単調。ほとんどの彼らの仕掛けは、トルコ守備ブロックに読まれ、効果的に潰されていました。突き詰めれて言えば、ボールがないところでの「クリエイティブなムダ走りの質」に課題を抱えているということです(選手とボールの動きの連動性レベルに課題!)。それでもコロンビアは同点ゴールを決めてしまいます。このシーンは素晴らしかった。「3人目」のねばり強く走り抜けるフリーランニングが見事に決まったのです。エルナンデス・・。

 そこから、本当の意味での「底力のぶつかり合い」が展開されました。だからこそ、トルコの実力の方が上だということを明確に認識できた。だからこそ、オカンの決勝ゴールは順当だったと評価できる。

 高い「個」の能力が、(ドイツベースの!)組織戦術的な発想という接着剤によって、高質な「まとまり」を魅せていく・・。そんなプロセスで発展をつづけているトルコサッカーの今後に期待です。

 それにしてもドイツのコーチ連中は、そんなトルコの発展プロセスを複雑な思いで見つめているんだろうな・・。まず「組織ありき」ではなく、やはりサッカーの基盤は「個の能力の発展」にある・・どうもドイツでは、組織マインドを強調し「過ぎる」傾向が強い・・もっと「個」にも視点を置いて育成しなければ・・とはいっても、もちろんどちらかに「偏りすぎて」しまうのも問題・・要は「バランス感覚」だよな・・等々。

 そのあたりについては、現ドイツ代表コーチで、プロも含む、全てのコーチ養成コース総責任者でもあるエーリッヒ・ルーテメラーが、期待を込めて、こんなことを語っていましたよ。

 「そうなんだよ。これまでは、どうしても組織プレーを強調し過ぎる傾向があった。でも今は、それでは隠れている才能を見出して発展させるのは難しいというディスカッションが活発に行われるようになっているんだ。コーチたちのバランス感覚の重要性が見直されているということだな。だから今では、どんどん若い才能が発掘されているんだ」。

 まあ、このテーマについては、以前「ナンバー」の企画で行ったクリストフ・ダウムとの対談記事も参照してください(ちょいと、リンクがしつこい?!)。

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 ところで、2006年ドイツワールドカップ本大会への参加国の数。やっとそれが「32」で決着しました。良かった・・。もちろん「割りを食った」オセアニアに対しては、本当に同情します(不遜でしょうが・・)し、ゴリ押しの南米協会とご都合主義のFIFAに対しては、「この行為は歴史に残る(歴史が裁断を下す!)」と言いたい湯浅です。でも、とにかく「36」にならなかっただけでも本当に良かった・・というのが本音です。

 何が良かったのかって?? 何といってもそれは、政治的(経済的)な思惑に対し、純粋なサッカー文化(=主体である生活者!)が勝利したという事実ですよ。「36」になったら、決勝トーナメントへ進出するチームを決定するシステムが曖昧になるなど、スポーツ的に、様々な意味でアンフェアな(誰もが納得するわけではない)状況が生まれざるを得ませんからね。そのことは、過去の大会が如実に証明している・・。もし「36カ国」で本大会が強行された場合、サッカー&スポーツ文化にとって「害」にしかならない(主体である生活者にとって分かりにくい)、政治的な思惑主導の「アンフェアなトーナメントシステム」になってしまうのは自明の理なのです。

 もちろん、本大会への参加国数が増えれば、それだけワールドカップに対する認知度や参加(当事者)意識がアップするかもしれない等、それが最終的にはサッカーの発展に資するという発想もあるでしょう(もちろん今回の「36カ国提案」の背景には、そんな前向きな発想ベースはなかったけれど・・本音と建て前を使い分ける政治的な暗部がミエミエ!)。でもそれだったら、本物の「肉を切らせて骨を断つ闘い」である地域予選を、世界中のメディアがもっとクローズアップするような「システム」を構築するという考え方を積極的に推し進める方が本筋ですよね。

 とにかく、世界共通のルールの上で繰りひろげられる「フェアな歓喜と落胆のドラマ」という「本来のスポーツの在り方」が守られたことに胸をなで下ろしている湯浅なのです。

 サッカーの主役は、生活者です(最大多数の最大幸福という普遍的コンセプト!)。ディスカッションテーマが複雑で分かりにくくなったら、とにかく「本来の在るべき目的」を見つめ直すことです。そうすれば、おのずと答えが導き出されてくる・・。

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 前段が長くなってしまいました。さて決勝。

 ゲームは「典型的なファイナルマッチ」という展開になります。両チームとも守備を固め、人数をかけ過ぎることなく、注意深く攻め上がっていく・・。だからこそ、フランスが優位の「僅差」が見えてきた。その「僅差ファクター」のなかでもっとも大きな部分が、攻撃における「個の才能レベル」でした。アンリ・・。

 チーム力(様々なファクターの総体値)で差がなく、ゲームが膠着した場合、「個の創造力」がゲームのカギを握る・・。フットボールネーションでは、そんな言い方がされます。もちろん「チーム力」とか「差がない」とか「個の創造力」など、詳しい定義にチャレンジしたら何冊もの本を書けるわけですがネ。まあ、ここで言いたかったことは、ゲームの概観では膠着状態だったけれど、局面では、やはりフランスに分があったということです。

 そのことは、数字としては「チャンスの数」に現れてくるわけですが、私は、数字だけではなく、その「質」にも言及しなければなりません。

 たしかにカメルーンのサッカー内容も発展をつづけています。彼らには、「個の能力」をチームとして相乗的に(組織的に)まとめ上げる「ドイツ的な発想」がついていますからね。もちろん監督のヴィンフリート・シェーファーのことです。そのこともあって、彼らの攻めにおける「組織プレーと個人勝負プレーのバランス」も向上してきていると感じられるのです。

 素早くシンプルで広いボールの動き。その発想こそが、発展のバックボーン。もちろんそれに、彼ら本来の「高い個の勝負能力」がうまくミックスしている。カメルーンもまた、トルコ的な発展ベクトル上に乗っているのかもしれません。ヴィンフリートは、良い仕事をしている・・。

 それでも、組み立てから仕掛けへ移るときのスピードアップや、最終勝負での(決定的フリーランニングも含む)イメージの連鎖など「組織プレー的な変化の質」だけではなく、個人プレーのセンスでも、やはり局面ではフランスに一日の長がある・・そしてそのシンボルが、アンリだった・・。

 前半から、何本もの決定的シーンに絡みつづけたアンリ。チームメイトたちも、最後は彼の才能を活かすというイメージで仕掛けていく・・。それが、最後の最後に実を結びます。延長前半の7分。右サイドで余裕をもってボールをキープするチュラムから、ギリギリのタイミングで決定的スペースへ抜け出したアンリへのラストパスが通ったのです。最後は、身体を回転させながら、右足の太股で「泥臭いシュート」を決めたアンリ。まあ、全体的な「僅差」からすれば、(これまた)順当といえるゴールデンゴールではありました。

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 いま取りかかっている仕事が終わったら、自分の学習機会として、(もちろん日本代表を中心に)様々な視点でコンフェデを振り返ろうと思っていますので・・。




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