なかなか面白い内容でした。細かなコンテンツについては、これまで通り、これからの私のコラムのなかで、暫時、テーマに応じて取り上げていこうと思っていますが、ここでは、中心テーマだった「テクニックの向上」について、簡単にご紹介しましょう。
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ユース選手たちのテクニックの向上。ドイツのサッカー関係者たちは、例外なく、ドイツ選手たちが技術的に劣っていると感じているのです。だから、若手の才能を発掘し、発展させるためのメインテーマとして、テクニックの向上をコアに置く。
国際会議初日、最初の講演者は、地元フライブルク(今シーズンから1部ブンデスリーガに復帰)を10年ちかくにわたって率いつづけているフォルカー・フィンケ。2002年に二部へ降格した際も、クビになるどころか、彼を中心にしたクラブ体制が強化されたものです。クラブ首脳から全幅の信頼を置かれるフォルカー。ドイツサッカー界のなかでも異彩を放っている彼の講演コアポイントは・・。
ユースサッカーにおける重要ポイントは・・上のレベルへの引き上げが「早すぎ」ないこと(時間的な余裕をもって、バランスした能力を発展させる!)・・とにかく、ボールコントロールの向上が最重要テーマ・・そのために、ボールを使ったトレーニングに重点を置かなければならない(テクニックが中心テーマ)・・。
彼の講演では、多くの「ジダンのシーン」が用いられていました。ジダンが魅せる、美しいボールコントロールとクリエイティブな仕掛けプレー。とにかく、ユース選手たちの育成では、まずテクニックがもっとも重要なテーマになることを映像的にもアピールするフォルカー。しっかりと、今回の国際会議での中心テーマとオーバーラップさせていました。
これまで私は、繰り返し、「ドイツサッカーは、私にとって、ある意味では反面教師でもあった・・」と書いてきました。その底流には、ロジックとクリエイティビティー(感性)の「バランス」という視点がありました。私のなかには、あまりにも「ロジック」が強調され過ぎるドイツサッカーに対するフラストレーションがたまっていたのです。
ここでいう「ロジック」とは、攻撃の理想は「ダイレクトパスプレー」をつないでシュートまでいくこと(時間をかけずに直線的にシュートまで)・・とか、一人の相手もフリーにしないというマンマーク守備原則の発想・・等々、攻守にわたって「柔軟性に乏しい組織プレー」ばかりが強調され過ぎていたこと(論理が先行し過ぎるサッカー)・・なんて言い換えられますかネ。
私は、フォルカーのハナシを聞きながら、ストリートサッカーの重要性を反芻していましたよ。
ストリートサッカー。そこには深いコノテーション(言外に含蓄される意味)が含まれています。子供たちは、自らが楽しむために特別なルールを決めるなど、自分たちでゲームを組織し、考えながらプレーしなければなりません。クラブで教えられたことを「自分なり」に消化する作業。トッププロ選手のプレーを真似たり、独特のフェイントを「自ら」工夫したり、はたまた狡猾さを身体で覚えたり。また自ら進んで守備にも入らなければなりません(チーム内での発言権を確保するために!)。クリエイティビティーを育むために、それほど理想的なステージはないというわけです。
とはいっても、それは不可逆的に減少しています。雑誌ナンバーでの、クリストフ・ダウムとの対談のなかで、クリストフが、こう言っていました。「80年代までは、子供たちの楽しみは、サッカーに代表される本格的なスポーツが主流だったんだよ。それがいまでは、コンピューターゲームとか、とにかく選択肢が爆発的に増えたことで、ストリートサッカーが消えてしまった。それは劇的な変化だった」。
このストリートサッカーというテーマについては、昨年のワールドカップの後に、現ドイツ代表コーチで、ドイツにおける、プロも含む、すべてのコーチ養成コースの総責任者でもあるエーリッヒ・ルーテメラーとミーティングの機会を持ちました。そして、彼とのディスカッションを元に、当時連載していたサッカーマガジンで下記のようなコラムを発表したものです。
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(2002年7月24日に書き上げたサッカーマガジン用の原稿)
「ワールドカップの決勝では、たぶん8割方がブラジルを応援していたのかもしれない。まあオリバー・カーンは別かもしれないけれど、とにかくドイツのサッカーに共感するファンが少なかったことはたしかだね。それについてどう思う?」
「まあそうだろうな。ブラジルは、スター揃いで、サッカーの魅力を満載したチームだからな。それでも、サッカーの本質的な内容では、決してオレたちが劣っていたわけではないぜ。たしかに、個人的な才能レベルでの面白さには欠けていただろうけれど・・」
先日再会した、現ドイツ代表コーチで、プロコーチ養成コースの責任者でもあるエアリッヒ・ルーテメラーと、ワールドカップについて話し合ったときのことだ。ボクの挑発的な質問に、落ち着いた声で、エアリッヒがそう答えていた。バラックを欠いたとはいえ、ゲーム戦術的な準備を積み重ねたドイツ代表は、自信をもって決勝に臨んだ。そして実際に、ブラジルを瀬戸際まで追いつめる時間帯もあった。ドイツの13本に対し、ブラジルが得たコーナーキックが僅か3本だったことも、その事実を裏付けていた。とはいっても、ファンタジーという視点では、たしかにブラジルに一日以上の長があった。
「そこなんだよ。とにかく、若手の創造性をもっと解放しなければ・・」。エアリッヒの言葉には、コーチ養成コースの責任者としての高い意識が感じられた。「でも、ネッツァーやベッケンバウアーの時代と違って、ストリートサッカーが姿を消してしまったからな・・」。そんな彼の言葉に対し、「だから普段のトレーニングに、ストリートサッカーの要素を取り入れるアイデアが重要になってくるんだよ。日本でも、型にはまり過ぎたトレーニングの弊害が目に付くしな・・」と、ボク。それに対し、間髪を入れず、「その通り。だからこそ、優れたコーチが必要なんだ」と、エアリッヒの声に力がこもった。
だからこそ優れたコーチが必要だ・・。含蓄がある。トレーニングにストリートサッカーの優れたファクターを取り入れるには、コーチの忍耐が欠かせない。楽しむことを目的にしたストリートサッカーでは選手が主体。だからこそ創造性も伸びる。もちろん勝負ファクターも不可欠だから、仲間のサボリには、彼ら自身が対処するようにもなるだろう。立ち会うコーチは、彼らの主体性を殺いではならないし、その「トレーニング」が、動きのない単なる遊びになってもいけない。だからこそコーチには、注意深く介入できるだけのハイレベルな「指先のフィーリング」が求められるのである。
長くドイツでは「オーバーコーチング」と呼ばれる、教え過ぎの傾向が問題になっていた。それは、チーム戦術という組織プレー(ロジック)ばかりに目が向いていたからに他ならない。そこへ、いかに「個のエスプリ」をうまくミックスしていくのか。いま、コーチの「バランス感覚」が問われている。
次回W杯ホスト国であるドイツ。組織と個が高質のバランスを魅せるサッカーで「輝き」を取り戻せるか。期待がふくらむ。(了)
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いままで、ドイツサッカーを縁の下で支える現場コーチたちの国際会議で、これほど真剣に「テクニック」が掘り下げられたことは希でした。
テクニックを向上させるためには、「選手たちのシステム(組織戦術)からの解放が必要だ・・」「特に才能あるユース選手には、エキセントリックな育成からの解放が大事な意味を持つ・・」「選手たちの興味の喚起(喜び・楽しみ・モティベーション等々)の重要性を再認識する必要がある・・」「イメージトレーニングが決定的に重要な意味を持つ・・」「特にコーチたちの忍耐力が重要だ・・」等々、現場のコーチたちの視点だけではなく、プロ選手を経験した心理学者(ウーヴェ・ハルトゲン・・ヴェルダー・ブレーメンでプロ選手・・その後、心理学を専攻)の鋭い指摘も、参加者をどんどんと覚醒していきました。
とにかく刺激のあった国際会議。次回は、ルディー・フェラー(ドイツ代表監督)、ミヒャエル・スキッベ(ドイツ代表コーチ)、マガート(シュツットガルト監督・・2003年度、キッカー選出のベスト監督)、フォルカー・フィンケ(国際会議が行われた地元フライブルク監督)、グロス(チャンピオンズリーグで話題になったスイスのクラブ、バーゼル監督)等が参加した、国際会議の最後を締めくくるパネルディスカッションを紹介する予定です。