日本では、「今年はテレビ中継がなくなるのかも・・?!」なんていう噂が飛び交うところまでいった(はずの)テレビ放映権を巡る争いにも静かな注目が集まっていたらしい・・。何せ、BSにしてもJスカイスポーツにしても、まったくといっていいほどアナウンスがないのですから・・。「これは、ウラでは大変な駆け引きが進行しているに違いない・・でも最後にワリを食うのは、(価値生産者が完璧に主導するビジネスプロセスが背景にあるから)例によって生活者なんだろうな・・」なんて思っていましたよ。
とにかく、いまのプロサッカーにおける「生活者不在」の傾向は、憂慮に値します。プロビジネスの主体は生活者。でもプロの当事者連中は「大衆なんて簡単にコントロールできるさ・・」と、高をくくっている(実際にそうだから始末が悪い?!)。
そして「価値」を自分たちに都合のよいように(都合のよい部分)に意図的に集中させたり配置したりして「富」を牛耳ろうとする・・。世界共通ルールの上での、人間の持てるチカラがベースのフェアな競争(限りなく外的ハンディーを取り除いた上で=限りなくイーブン条件で=人間の能力が主体の、誰が見てもフェアな競争)というのが、人々に感動を与えるスポーツの原則・原点なのに・・(ナイーブな湯浅の原点もそこにある・・だからこそとことんサッカーを楽しめる!)。
まあこのテーマについては、コンフェデ決勝レポートのなかで、W杯参加国数という切り口でも触れましたので「そちら」もご参照アレ。
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さてレアル・マドリー。
不満分子を一掃し(伝統を守ろうとする不満分子のコアを排除し?!)、あからさまに「ビジネス方向」へ突っ走りつづけているレアル。リーグ開幕前の大事な時期に、アジアという、ヨーロッパとはまったく違う厳しい気候の国々での「営業・興行ツアー」を敢行し、人気先行の(?!)「顔役」デイビィッド・ベッカム様の売り込みに奔走する・・でも現地に「交換価値」を落としていこうとはせず、価値を摘み取って持ち去るだけ・・。
私が知っている欧州エキスパート連中は、例外なく眉をひそめています。それでも声高に批判などしない・・いや、できない・・。それは、これから「プロサッカービジネス」がどのような展開をみせるのかについては、誰にも明確に見えていないからですよ。そこには、これからの世界情勢のなかで「国という枠組みがどうなるか」というテーマもありますからネ。
あっと・・また「政治的な方向」へ引っ張られそうになってしまった・・。
さて今シーズンのレアル・マドリーの立ち上がりです。リーグ開幕初戦のベティスとの戦い(レアルのホームゲーム)では「2-1」の勝利を挙げ、二戦目の(アウェーでの)ビジャ・レアル戦では「1-1」の引き分け。まあ順当な立ち上がりじゃありませんか。
内容的にも、前回の、グラウンド上の現象レポート(対FC東京戦)に準じていると感じます。要は、(ベッカムが入っても)よくボールが動き、そのなかで閃(ひらめ)く個のエスプリプレーも、組織プレーのリズムを邪魔することはない(選手たちのなかに、エスプリプレーをミックスするリズムもイメージされている!)。とはいっても、もちろん「最終勝負の仕掛けのイメージ」ではまだまだ多くの課題を抱えていると感じます。要は、パス出しタイミングとフリーランニングタイミングが(三人目、四人目が絡むコンビネーションイメージが)、まだうまくシンクロしていないということです。でも彼らのサッカーを観ていたら、それが発展ベクトル上に乗るのも時間の問題だと感じられてしまうから凄いですよネ(もちろんロナウドという、ネガ&ポジ両面で様々な意味を包含する「怪物」の存在もありますが・・)。
まあベッカムも、守備にも忠実だし、プレー姿勢が基本的に真面目だから(ボールがないところでの汗かきプレーの頻度と実効レベルで、仲間の評価が決まる!)、うまくチームに認められている(うまくチームに組み込まれはじめている)と感じます。FC東京戦のように、彼に「も」ボールが集まるし、そこからシンプルなタイミングでボールが動きますからね。もちろん彼の真骨頂は、決定的場面での「キックタイミング&モーションの早さと正確性」。その武器もまた、チームメイトたちに認められているようです。
開幕二試合では、やはり、チカラのあるベティスとの開幕戦での内容に興味を惹かれました(ビジャ・レアルとの対戦ではロベカル、ロナウド、カンビアッソがW杯南米予選に招集されて不在)。それは、そのゲームでの布陣が、新任のケイロス監督の「基本イメージ」だからです。最終ラインの四人(右からミッチェル・サルガド、エルゲラ、この試合ではパヴォンの代わりに先発したラウール・ブラヴォ、ロベルト・カルロス)の前に、常駐の守備的ハーフ(前気味リベロ)としてのカンビアッソが控え、その少し前に三人のハーフがポジショニングします。その三人とは、右からベッカム、ジダン、そしてフィーゴ。そして二列目には、例によって攻守にわたって労を惜しまずに動きつづけるラウールが入り、トップに(まだ重量オーバーの?!)ロナウドが残るというわけです。
攻撃については、前述したレベルの分析に抑えますが、中盤守備については、結果に直結するという意味で、より注意深く観察していました。何せ、その中心に君臨したマケレレがチェルシーへ移籍してしまったのですからネ。
アブラモビッチという、(ロシアの)社会システム醸成の間隙をぬって石油成金になったチェルシーのオーナーが、(自国の建て直しではなく、外国のプロスポーツビジネスに)湯水のようにカネを使う・・私が一番心配していた現象・・でもそこが、イングランドという原理原則の評価基準に厳しい伝統国であるにもかかわらず、その現象を容認してしまう(その経緯は定かではないけれど)・・たぶんこの出来事は歴史に残る・・もちろんスポーツとしてのサッカーのネガティブエポックメイキングとして・・(このことは、欧州エキスパートたちの共通認識にまでなろうとしている・・)。
あっと、また脱線しちゃった。失礼。何せまだ熱が完全に下がっていないモノで・・。とにかく私は、ラウールまで含めた(カンビアッソを除いた)中盤の四人が、どのような守備イメージでプレーするのか・・そしてカンビアッソを中心にした中盤守備が、どのように機能するのかについて、しっかりと意識してゲームを観察していたというわけです。そして思っていました。やはり彼らは大人・・守備的ハーフが「一人」になったことと、チーム守備プレーのマイスター、マケレレが抜けたことをしっかりと意識している・・だからベッカム、ジダン、フィーゴも含め、守備意識が確実に向上している(実効ディフェンスを展開している)・・。
とはいっても、勝負の試合でもっとも重要になってくるのは「ボールがないところでのマーキング」です。その視点では、やはり・・。まあこの試合では、まだ本調子ではないベティスの拙攻に助けられたという感は否めません。何せ、かなりの頻度で、「アッ、ウラに走り込まれた・・」というシーンを目撃していましたからネ(要は、ベティスが、そこへパスを送り込むことができなかったからレアルは助かった!)・・。
ハーフの三人、またカンビアッソにしても、どちらかといえば「インターセプター」イメージの強い選手。要は、ボール絡みでのボール奪取の方を強くイメージしているから、ボールの動きにつられやすい(ボールの動きへ向ける注意エネルギーが高い!)ということです。彼らがイメージするクリエイティブな(創造的な)インターセプト。それは、マケレレが展開するような、ボールがないところでの汗かきマーク(=パスコースの抑制!)があってはじめて機能するのに・・。まあ、守備ブロックの「機能性向上」もこれからということなんでしょう。その意味でも興味が尽きないレアルなのです。
新レアルの中盤では、やはりジダンが王様。彼のところにボールが収まり、そこから次の仕掛けがはじまるといった具合でしょうか。もちろんゲームメイカーだけではなく、チャンスメイカーからゴールゲッターまでこなしてしまう・・。まあ、やはり彼は現代サッカーのスーパースターです。
ベティス戦での決勝ゴールは、まさにスターの饗宴でした。中盤でボールをもった(相手のミスパスをカットした)ベッカムから、その直前からパスを意識していたに違いないと実感させられるような素早いタイミングで、左サイドでフリーになっていたジダンの前の決定的スペースへ、ピタリのロングパスが飛ぶ・・それを見事な「ソフトタッチ」でコントロールし、決定的な「トラバース・パス」を送り込むジダン・・そして最後は、ファーポストスペースへ走り込んでいたロナウドが、ビシリ!と決めた・・。まあ、ため息モノでした。
今シーズンのレアルも、様々な視点で、我々を楽しませてくれそうじゃありませんか。