トピックス


湯浅・・「スポーツ・i」(CS)で「J」解説をはじめます(1997年7月29日)

以前、スポットで「東海チャンピオンシップ」の解説を頼まれたことがあるのですが、その「スポーツ・i」(CS)が、セカンドステージの「10試合」を、「録画」で流すことになり、その解説をすることになりました。基本的には、「土曜日」に行われた「J」の一試合をえらび、日曜日の夜10:00(PM)から放送するというものです。

すでに結果が分かっている試合の解説ですから、実況解説とは少しちがったものにしなければなりません。私のコンセプトは、サッカーに興味をもっていらっしゃる方々が「サッカーを語れるようになる」というものです。このことは、拙著『サッカー劇場へようこそ』(日刊スポーツ出版社)、『闘うサッカー理論』(三交社)に共通する原則でもあります。私はプロサッカーコーチですから、コーチの視点で、「J」を「素材」に、分かりやすく、サッカーの面白さ、美しさを解説できれば・・と思っています。

サッカーに詳しくない方々でも、普通の日常生活における発想で(日常生活の言葉・表現で)理解できる解説にする自信はあります。私の解説では、「このチームは、スペースのバランスがいいですね〜〜」とか、「あそこのタメがよかったですね〜〜」とか、「いまはシステムがうまく機能していませんね〜〜」とかいった、ワケの分からないものは出てきません。そんな、普通の方々には「意味不明」の表現。その背景を解説するのがプロの解説者の役目ですからネ。

ここまで大きなことを言うと気合いが入ります。さてどうなることやら・・。乞うご期待・・

ワールドカップ・アジア最終予選・・ホーム&アウェー方式に変更!(1997年7月22日)

大きな「変化」です。それまで、一カ国で集中開催されていたワールドカップ最終予選が『世界の方式』に準じることになったのです。これで、最終予選の試合数が、「4」から「8」に増えてしまっただけではなく、最終予選の期間も大幅に長くなってしまうことになります。「J」の日程などがグチャグチャになってしまうわけですが、そこはワールドカップ。とにかく、最終予選をプライオリティーに、噴出してくる「課題」を早急に調整しなければなりません。サッカー協会の「緊急事態対応能力」が問われます。原則に則る・・そんな官僚的な対応では、追い付きません。「2002開催国決定」の経緯など、日本の型どおりの発想では、ついて行きにくい事態が矢継ぎばやに発生する・・・、それがサッカーの世界なのです。
とまれ、予選の形態が「世界の常識」に準じることはポジティブなことです。それは、ファンの方々が、この最終予選期間の「サッカードラマ」を、「より長く」また「自国でも」堪能できるだけではなく、基本的には底ヂカラのある「日本代表」ですから、より実力を出し切ることが出来るに違いないからです。一カ所での集中予選では、「運」や心理的要素(開催国がどこかによって大きく違ってくる)が多分に影響してしまいますからね。この方式によって、より実力が問われる予選になったというわけです。
本日、予選の組合せが決まります。前回のワールドカップ本大会出場国である、サウジアラビアと韓国は、AおよびBグループに振り分けられ、それ以外の8カ国が抽選によって両グループに振り分けられます。その予選グループ分けが決定した後に、また書きます。

1997年度ファーストラウンド、アントラーズが優勝(1997年7月20日)

ファーストステージの優勝争い、最後はアントラーズに軍配が上がりました。終盤の大事な数ゲームで、優勝経験という「心理的資産」(背景の意味が判然としませんが、それが重要なことは確か)が、ものをいったに違いありません。
第14節でトップに立ったフリューゲルス。ただ、次の15節でマリノスに破れ、逆にアントラーズは、アウェーのサンフレッチェにキッチリ勝利してトップを奪い返します。アントラーズは、そのまま残り二試合に連勝してチャンピオンに輝きました。確かにフリューゲルスも、残りの二試合に連勝はしましたが、それは、優勝という「未知の世界」からの心理的プレッシャーが、見ている方にもヒシヒシと感じられるような薄氷の勝利でした。
優勝争いに参加したことはあるが、そこで勝利した経験がない、という「未知との遭遇」が、勝負のかかった大事なゲームで、不安をかりたて、自信を押しつぶしてしまうことはよく起こることです。プレーが、受け身で消極的なものになってしまうのです。リスクのあるプレーを避けようとする態度が前面に出てしまうということですが、魅力的で強いサッカーの基本はその逆、つまり、攻守にわたる積極的な「リスキープレー」なのです。そんな積極プレーが出てこなければ、受け身の停滞サッカーになり、結局は「悪魔のサイクル」にはまり込んでしまいますからネ。優勝のかかったフリューゲルスの最終戦、対サンフレッチェの前半(0-2でサンフレッチェがリード)は、まさにそんな「リアクティブ(自分からアクションするのではなく、相手に反応するだけ)」なサッカーに終始してしまいました。ただ後半は、見違えるほどのアクティブサッカーで、あの大逆転劇を達成してしまいます。そこでは、「もう失うものが何もなくなった」という心理状態が後半だったにちがいありません。ということは、前半には「心理的プレッシャー」があったということですよネ。
それでも、1996年シーズンに続いて優勝争いを経験したフリューゲルスにとって、そんな「極限状態でのゲーム経験」が、大きな「心理的資産」になったのは確かなこと。ジーニョが抜けてしまうとはいえ、今後も、優勝戦線にからんでくるにちがいありません。「未知(優勝)との遭遇」は、いつかは果たさなければなりませんからね。
今回のアントラーズ、フリューゲルスもそうでしたが、優勝戦線にからんでくるチームは、例外なく「攻守のバランス」に優れています。つまり「ゴールが多く」「失点が少ない」ということです。アタリマエじゃないか・・、との声が聞こえてきそうなので、もっと突っ込みましょう。私は、バランスというよりも、しっかりとした守備が、「優勝」のための原点、だと思っています。守備がしっかりとしている。つまり、全員で、積極的に「ボールを奪い返す」プレーに優れている。また、インターセプトなど「予測ベース」の守備能力もある(ゲーム観察能力・インテリジェンスなど)ということです。
守備がしっかりしていれば、攻撃も、よりアクティブになるのが普通です。それは、アクティブにボールを奪い返すプレーは、その後の、積極的な攻撃プレーに「自然と連動してしまう」からです。「ヨシ!成功した」という、ポジティブな心理状態が「ボールを奪い返した守備プレーの結果」ですからネ。ただ逆に、攻撃から守備への「切り替え」には「高い意識」が必要になります。「あーー、失敗した・・」というのが、攻撃の終わり方のほとんどのケース。そんな、ネガティブな心理状態から素早く「立ち直る」ためには、どうもしても、しっかりとした意識が必要だというわけです。守備に対する意識を、優勝のための「原点」だといった理由はそこにあります。
今までの優勝チーム。アントラーズ、ヴェルディー、サンフレッチェ、マリノス・・。どのチームも、しっかりとした守備をベースに「アクティブ・サッカー」を展開していたとは思いませんか・・?
さて、後期がすぐに始まりますが・・。プレビューについては、考えがまとまり次第、掲載します。ご期待アレ・・

ドイツ(プロ)サッカーコーチ連盟の国際会議に参加してきました・・(1997年7月15日)

ドイツ(プロ)サッカーコーチ連盟は、1957年に結成されました。ということで、今回が「結成40年目」の記念会議ということになります。また、ドイツ・スペシャルライセンス(Fussball-Lehrer-Lizenz)コーチ(プロコーチライセンス=私は1981年に国家試験に合格し卒業しました)の養成コースが始まったのが1947年ですから、今年が「50年目」の記念すべき年。この「二つの記念年」に開催された今回の会議には、500人以上もの参加者が一同に会しました。参加者は、原則的にプロライセンスを持つコーチたちです(最近、アマチュアトップレベルの「Aライセンス」コーチにも門戸が開放されました)。そこでは、外国からもサッカーコーチたちが招待されます。私もその一人だというわけですが、私の場合、連盟の正式会員なわけで、「外国からの招待コーチ」というポジションとはチト違います。
国際会議でのテーマは、それぞれの時点でもっともホットなもの。私のもっとも近い友人で、ブンデスリーガ(ドイツ・一部プロリーグ)を代表するプロコーチ、クリストフ・ダウム(ガンバレ、クリストフ&ローラントのコーナーを参照してください)も講演しました。彼のテーマは、プロ選手の「モティベーション」。私は、モティベーションのことを、「ヤル気のポテンシャルを高揚させること」と定義します。オンラインマガジン、「2002 Japan」のコラムでは、クリストフの講演内容も含めてご紹介します。ご期待アレ(表紙ページにリンクボタンあり)。その他にも、生理学、心理学の権威による講演、トップコーチたちによる、最新トレーニングのデモンストレーション、ドイツを代表するジャーナリスト、コーチたちによるパネルディスカッション等など、内容の濃い国際会議でした。
ただ、プロライセンス・コーチたちの組織であるドイツ・サッカーコーチ連盟が主催する国際会議とはいえ、基本的にそこは、(現時点で)プロビジネスには直接かかわっていないコーチたちがノウハウを交換する場になっています。それは、毎年、会議が開催される時期が、各国プロリーグの開幕時期と重なってしまうため、どのチームの監督たちも、シーズン開幕へ向けての準備に大わらわだからです。それでも連盟は、「現役」のプロチーム監督との「関係」を維持するための努力をつづけています。彼らは、例外なく、ドイツ・スペシャルライセンス(Fussball-Lehrer-Lizenz)コーチングスクールの卒業生ですからね。連盟会長である、クラウス・ロルゲン氏は、「プロチームの監督に、できる限り国際会議に参加するよう電話で勧誘しているが、時間的に難しいというのが現状だ。もちろん、ほとんどのコーチ連中は、時間が許せば是非参加したいという返事はするが、現実的には難しい・・」と残念そう。そんななか、現役プロ監督(ブンデスリーガ・チーム監督)がつとめる「連盟副会長」のポストに、「クリストフ・ダウム」が選ばれました。このポジションには、現役のブンデスリーガ監督であること、という条件が付けられているのですが、アカデミックなバックグラウンドなど、彼ほどの適任者はいないということだったのでしょう。前任者は、ブンデスリーガで何度もチャンピオン監督になったことのあるカールハインツ・フェルトカンプです。連盟副会長に選ばれたことで、クリストフは、理論と実践を結びつける非常に重要な役割を担うことになりました。クリストフによる「モティベーションとは・・」というテーマの講演は、連盟副会長としてのものだったわけですが、前年のミュンヘンでの国際会議でも講演をしましたから、二年連続で「プロ領域の」副会長としての責任を果たしたことになります。それでも、毎年、シーズン開幕時期に開催される国際会議のために常に時間をつくることは難しいに違いありません。ブンデスリーガの監督ともなれば、トレーニングだけではなく、記者会見、その他のビジネスミーティング等など、やることが山積みですからね。今回の国際会議が開催されたケルンと、クリストフのチーム所在地、レーバークーゼンは隣町ですから、トレーニングの合間をぬうことも比較的簡単だったということですが、来年の国際会議が、レーバークーゼンから400キロも離れたカールスルーエであることを考えると、スケジュール調整がより難しくなるに違いありません。まあそのときは、代わりに私が講演しましょうかネ。
ドイツサッカーコーチ連盟は、ヨーロッパ・サッカーコーチ・ユニオンの「雛形」になった組織です。ヨーロッパ・サッカーコーチ・ユニオンの事務局長は、長くドイツサッカーコーチ連盟の事務局長をとつめた、モイラー氏(ドイツ人)ですし、ドイツサッカーコーチ連盟の重鎮メンバーの多くが、同時に、ヨーロッパ連盟の重要なポストを兼ねています。このように、この両連盟の関係は非常に深いのですが、そんな両組織に共通する大きなテーマが、「理論(知識、学術領域活動など)」と「実践(プロの現場で鍛えられた経験的ノウハウ)」との融合です。ですから、バリバリの現役プロ監督であるクリストフや、ドイツ代表チーム監督であるベルティー・フォクツなどの「実践家」たちが、ドイツサッカーコーチ連盟でも、アクティブな活動をつづけているというわけです。
ところかわって日本。皆さんもご存じのように、「J」における価値の大きな部分は、まだ「外国人(外国人監督・外国人選手)」が占めています。彼らは、基本的には「優勝請負人」。短期間に、報酬に見合った成果を出さなければ即刻クビ、という立場が普通です。あまり長い時間を与えられていない彼らは、自分のチームを「勝たせること」だけをテーマに仕事をするわけで、結局、彼らの『実践的なノウハウ』が、日本サッカーに広められることは希。その背景には、彼らのノウハウを吸収し、それを「伝える能力」のある日本人がいないという現実があります。ですから、このことは、日本サッカー協会のテーマでもあるように感じるのです。高い金をはらって雇った一流の外国人監督・選手。いなくなってしまえば、残されたのは「目のウラの残像」だけ・・というのでは、いかにも寂しいではありませんか。どんなかたちでもよいから、彼らの『実践的なノウハウ』が、日本サッカーの発展にとって効果的なかたちで活用されることが必要です。ドイツでは、「あの」故ヴァイスバイラー(世界的に『超』有名なプロコーチ)が、プロコーチ養成コースの、二代目校長でした。彼は、アカデミックな活動と平行して、一部プロチーム、メンヘングラッドバッハを何度も優勝へ導いたのですが、彼の存在が、「理論」と「実践」の融合にどれほどのポジティブな影響を与えたことか・・・。ドイツにおける「理論」と「実践」の融合は、すでに1950年代にはじまっていたのです。そしてそれが、今のドイツの強さのベースであることは確かなことです。

湯浅・・明日から二週間、ヨーロッパ出張です・・(1997年6月30日)

本業(副業?!)のマーケティングのプロジェクトを進めるため、また、ドイツ(プロ)サッカーコーチ連盟の国際会議に参加するため、明日から二週間、ヨーロッパへ出張にでかけます。友人のプロコーチたちとも会い、パーソナリティーをぶつけ合うハズ(意味不明の場合は、私のコラムを参照してください)。彼らとの会見内容については「2002」にコラムを書く予定です。ご期待アレ・・・

テレビ解説・・東海チャンピオンシップ・・グランパスvsエスパルス(1997年6月20日)

いつもラジオで解説していたのが、今度はテレビ・・とにかく映像があるのとないのではこれほど違うものなのか・・。
ラジオでは、まず聴取者の皆さんに「場面イメージ」を描いてもらわなければなりません。そして、そのプレーの「背景解説」と、非常に大変な作業なのですが、そこはテレビ、視聴者の皆さんは実際のプレーを見ていますから、私は「背景解説」だけに専念していればよいので、楽だし、解説もより深くすることができました。とはいっても、試合開始当初は、ラジオの「クセ」でモニター画面をまったく見ずに「ラジオ的」な解説・・。ディレクターから「もっとモニター・プレーを追いかけてください・・」などと指示されてしまったりして。それでも後半は、私自身も楽しんで解説することができました。私のコンセプトは『皆さんにサッカーを語ってもらうためのソース提供』というものです。そして解説のベース(評価基準)は、みなさんの「ナルホド」の数。これからも、テレビ、ラジオ解説をとおして、サッカーの楽しさ、美しさを、サッカー経験者ではない皆さんにお伝えしていこうと思っております。
さて試合の内容ですが・・、アッと、この試合には「内容」はまったくといっていいほどなかったんだっけ・・・。プレシーズンマッチということで、ほんとうに「動き」がない、つまらない試合でした。もう一つ。そこでテストされた若手プレーヤーたち。彼らにとっては、自分をアピールする機会という意味で、「勝負の試合」です。どんなにゲームの雰囲気が「ダレ」ていたとしても、彼らには、後で「足がケイレン」するくらいのプレーを見せてほしかったというのが私の本音です。彼らのほとんどは、雰囲気に呑まれてしまっていました。つまり、自主的な判断と自分自身の責任で、自由にプレーしようとする意志・・・それは、「パーソナリティー」と表現できるかもしれませんが、それがほとんど見られなかったのです。そのことが残念でなりませんでした。

湯浅・・テレビ解説へ・・(1997年6月13日)

6月18日(水曜日)、CSの「スポーツ・アイ」で中継される東海チャンピオンシップの一戦、グランパスvsエスパルスのゲーム(19:00キックオフ)の解説をすることになりました。機会があればご覧アレ・・

大変なマチガイをしてしまいました・・・ごめんなさい(1997年5月30日)

昨日、ドイツへ電話を入れ、レーバークーゼンのクリストフ(監督)、ローラント(ヘッドコーチ)と、今回の、ドイツ・ドルトムントとイタリア・ユーヴェントスとの間で行われた、チャンピオンズリーグ(クラブレベルのヨーロッパ最強チームを決める大会=優勝チームがトヨタカップに参加)決勝について話をしていたときのことです。「来シーズン、チャンピオンズリーグに出場できなくて本当に残念だったナ・・」、との私の言葉に対して「・・・・」という二人の反応。何か雰囲気がヘン・・。「ナニ言ってんだヨ。決定戦には勝たなければならないけれど、チャンピオンズカップに参加することは決まっているんだゼ」。そうだった!!来シーズンから、ドイツ、イタリア、スペインなどの強豪国の場合、優勝チームだけではなく、2位のチームも、チャンピオンズリーグへ参加できるようになったんだっけ・・。私はそのことをすっかり忘れていたのです。レーバークーゼンの場合、弱小国リーグの優勝チームと対戦する「決定戦」には、ほとんど問題なく勝つに違いないですから(決定戦の組合せは6月に決まります)、来シーズンは、レーバークーゼンも『チャンピオンズリーグ』に参加することが決定していたのです。今年の「チャンピオンズリーグ」の優勝チームは、ドイツのドルトムントでしたから、来シーズン、ドイツからは、ミュンヘン(今シーズン優勝チーム)、レーバークーゼン(同2位チーム)、そしてドルトムントと、計3チームが参加することになったというわけです。情報が錯綜して本当に申し訳ありません。これで、「ガンバレ!クリストフ&ローラント」コーナーにも活気が戻ってきますよね。

ボルシア・ドルトムント(ドイツ)1997年のヨーロッパチャンピオンに輝く!!(1997年5月29日)

日本時間で、今朝の5:00に終了した、1996-1997年チャンピオンズリーグの決勝は、ドイツのドルトムントが、イタリアのユーヴェントスを「3-1」で破り、初優勝をかざりました。これで、今年の「トヨタカップ」のヨーロッパ代表は、ドルトムントに決定です。試合は、しっかりと守り、効果的なカウンターと危険なセットプレーを中心に攻めるドルトムントが、「ゲーム戦術的な勝利」をおさめました。現在「世界最高のチーム」、ユーヴェントス。負けたとはいえ、ゲーム内容から、そのことに疑いをはさむ者はいないでしょう(プロセスではなく、結果として負けたのだから最高のチームではないという異論もあるでしょうが・・)。中盤でのアクティブな守備。クリエイティブで破壊的な攻撃力。どれをとっても世界最高峰です。それでも、この試合に限っては、全員が「チームとして」最高に機能したドルトムントに、「勝負では」軍配が上がったということです。1996年、ヨーロッパ最優秀選手に選ばれたドルトムントの星、ザマー選手。彼の持ち味は、しっかりとした守備をベースにした「後方からの攻め上がり」なのですが、この試合ではほとんど攻撃に参加せず、守備に徹します。また現役ポルトガル代表のボランチ、パウロ・ソーザも、中盤で、献身的で積極的な守備を展開します(残念ながら、試合終了間際ケガで退場してしまいました・・ヒザに問題を抱えるソーザ、そこを手で押さえて苦悶の表情・・ということは、半月版損傷で、再び長期離脱か・・)。昨シーズン、ソーザはユーヴェントスでヨーロッパチャンピオンに輝きましたから、彼にとっては二年連続のチャンピオンということになります。破壊的な攻撃力を誇るユーヴェントスですが、この試合ではほとんど「決定的なチャンス」をつくり出すことができません。それほど、ドルトムントの「守備」が素晴らしかったということです。危険ゾーンで「フリー」になるユーヴェントス選手がまったく出てこないのですから、ドルトムント守備の集中力に脱帽というゲームでした。この試合については、「2002 JAPAN」での私のコラムでも取りあげようと思っていますので、そちらもよろしく。最後に、この試合が、ドルトムントの母国、ドイツのミュンヘンで行われたことに触れます。当然、ドルトムントに有利だったわけですが、決勝の会場は、1996-1997シーズンが始まる前から「ヨーロッパ・サッカーユニオン」で決められていました。どこが決勝に進出してくるのか・・神のみぞ知る、ということだったのです。それでも、予選を戦うドルトムントのモティベーション(ヤル気のポテンシャル)が高かったことは言うにおよびません。なにせ、決勝が母国のオリンピック・スタジアムで行われることが、シーズン開始前から決まっていたのですからネ。これで、1996-1997年シーズンにおける「3種類」の「クラブレベル・ヨーロッパ選手権」のうち、二つでドイツ・クラブがチャンピオンに輝いたことになります。

バイエルン・ミュンヘン、ブンデスリーガ・チャンピオンに輝く!(1997年5月25日)

5月24日に行われたブンデスリーガ第33節。ミュンヘンがホームでシュツットガルトを破り、二位のレーバークーゼンがアウェーでケルンに敗れたため、この時点でミュンヘンのリーグ優勝が決まってしまいました。優勝争いが最終節までいくと思ったのに・・残念。

ドイツのシャルケ04、UEFAカップ・チャンピオンに輝く!(1997年5月22日)

ホーム&アウェーで争われる「UEFAカップ」の決勝。相手は、イタリアの強豪、インター・ミラノです。第一戦を「1-0(シャルケのホームゲーム)」で勝ったシャルケが、PK戦を「4-1」で制して1996-1997年シーズンの「UEFAカップ・チャンピオン」に輝きました。UEFAカップは、ヨーロッパ各国の前年シーズンの上位クラブによる、「クラブレベル」のヨーロッパ選手権です(各国の前年シーズンチャンピオンは『チャンピオンズリーグ』に参加します)。ドイツにとっては久しぶりの「ヨーロッパ・チャンピオン」ということになります。その第二戦は、インターミラノのホームゲーム。場所はインターのホームスタジアム『ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム』です。観客は81675人。そのうちシャルケからかけつけたドイツ人は25000人でした。試合は、互いにチャンスをものにできず、残り5分というところまできました。そのまま終了すればシャルケがヨーロッパ・チャンピオンです。誰もが「このまま終わってしまうのか・・」と思ったとき、ドラマがはじまりました。ピストーネのスローインを、イングランド代表でもあるインスが流し、それをサモラーノが決めてしまったのです。これで試合は振り出しにもどりました(第一戦、第二戦の合計が「1-1」)。そして延長戦。そこでも決着は付かず、PK戦に突入です。最初のキッカーは、シャルケ、アンダーブリュッゲ。ドカーンと「1-0」です。ミラノの最初のキッカーは、サモラーノ・・・シャルケGKレーマンがストップ!!シャルケ二人目は、元ドイツ代表、オラフ・トーン。ビシッ!これで「2-0」です。ミラノの二人目、フランス代表、ジョルカエフが蹴ったボールは、正しいサイドに飛んだシャルケGKの手をかすめてゴール!!「2-1」。シャルケ三人目のマックスが決めて「3-1」。ここでミラノの三人目、オランダ代表、ヴィンターが外します。これで両チーム3人づつ蹴って「3-1」。シャルケの四人目、ベルギー代表、ヴィルモッツが決めればシャルケの夢がかないます。それも相手のホームスタジアムで・・・。ヴィルモッツ、シュート。ゴ〜〜〜ル!!おめでとうシャルケ04。

拙著『サッカー劇場へようこそ』が、5月22日から、ようやく店頭に・・・(1997年5月19日)

お待たせしました。拙著『サッカー劇場へようこそ』が、5月22日から本屋の店頭にならぶことになりました。内容については「著書コーナー」を参照してください。日本に、本当の意味でのサッカー文化を根付かせるための一助となる・・というコンセプトで書いた本。ほんとうに、そのことに貢献できるかどうか、ご一読され、ご意見をいただければ幸いです。

ブンデスリーガ(ドイツプロリーグ)を見てきました・・・(1997年5月5日)

ドイツ出張のときは、時間がなくても絶対にブンデスリーガの試合を見るようにしています。今回(4月18日-4月25日まで)も例外ではありません。それも、現在トップの「バイエルン・ミュンヘン」対、4位に後退してしまったとはいえ、ヨーロッパ選手権の準決勝まで進出した(この試合の後、準決勝でマンチェスター・ユナイテッドを下して決勝へ進出!!)前年度チャンピオン「ボルシア・ドルトムント」、また現在2位の「バイエル・レーバークーゼン(私の親友、クリストフ・ダウムが監督です)」対3位の「シュツットガルト」とのゲームです(第28節。ドルトムント-ミュンヘン戦は4月19日の土曜日、シュツットガルト-レーバークーゼン戦は4月20日の日曜日に行われました)。今シーズンの天王山ゲームですから見逃せるはずがありません。両ゲームのチケットはすでに数週間前に完売しているので、クリストフとローラントに頼み込んでチケットを手に入れてもらいました。最初の試合が、土曜日にドルトムントで、またレーバークーゼンの試合が、日曜日にシュツットガルトで行われたため、両方の試合を見ることができたというわけです。ドルトムント対バイエルンの試合を見た後、日曜日の早朝、ケルンからシュツットガルトまで450キロを移動したのですが、アウトバーンが空いていたこともあって2時間半で到着です。スピードメーターが「200キロ」以下になったのは数回。とにかくアウトバーンをブッ飛ばすのは快適この上ありません。ということで、レーバークーゼンチームが泊まっているホテルに入りました。そこで、試合前の緊張のなか、クリストフ・ダウム、ローラント・コッホと(この二人については『がんばれクリストフ&ローラント』コーナーを参照してください)旧交を温めただけではなく、彼らが考えている対シュツットガルト戦のゲーム戦術などサッカーに関する情報を交換しました。彼らは、ホームであるシュツットガルトの強力オフェンスに対して、穴(つまり、スペースを使うフリーな相手)をつくらないしっかりとした「マンマーク」から、カウンターを狙うというゲーム戦術を考えています。まあ、アウェーゲームですから当然の戦術なのですが、とにかく選手たちに戦術を徹底させることが彼らの仕事。緊張感とリラックスした雰囲気を同居させるなど、とにかく彼らは良い仕事をしていました。シュツットガルトのホームゲームであり、今シーズンにおける最も重要なゲームですから、ネッカー・スタジアム(シュツットガルトのホームスタジアム:70000人収容)は満杯。それもほとんどがシュツットガルト・サポーターです。レーバークーゼンにとって厳しい試合になることは目に見えていました。

ブンデスリーガ・・・試合レビュー・・・(1997年5月5日)

ドルトムント対ミュンヘン

さて試合ですが、まず土曜日に行われたドルトムント対バイエルンからいきましょう。ドルトムントは、ホームゲームだったこともあり最初からフルパワー。そしてゲームが始まって3分。フリーキックから、ドイツ代表のリードレが見事なヘディングシュート。ゴール!!順調な滑り出しだったのですが、その後がいけない。その2分後には、ミュンヘンのカウンターから右サイドを破られ、ピンポイント・センタリングです。それに合わせてヘディングシュートを決められてしまいました。1対1。その後は、バイエルンの確実でハードな守備に、ドルトムントは、押し込んでチャンスは作るものの、どうしてもゴールを割ることができません。逆に、アウェーのミュンヘンにカウンターから何度か決定的なチャンスを作られてしまいます。この試合のことは、シュツットガルトのホテルでテレビ観戦したクリストフ・ダウムとも話したのですが、とにかくミュンヘンの闘い方は、「アウェー」であることを考えた場合、非常にクレバーだったということで意見が一致したものです。さてこれで、ドルトムントとミュンヘンの勝ち点は「1」づつ増えました。ドルトムントにとっては、非常に悔しい引き分けだったとすることができます。これで、現在二位のレーバークーゼンが勝てば、ミュンヘンとの勝ち点差は「3」に縮まり、優勝も射程圏内ということになるのですが・・・。

ドルトムント・・ヨーロッパ選手権(チャンピオンズリーグ)決勝へ進出!!

今は「チャンピオンズリーグ」と呼ばれるヨーロッパ選手権ですが、それは、ヨーロッパ各国の前年度リーグチャンピオン、つまり各国の最強クラブチームによるチャンピオンシップです。日本では、前年度チャンピオンの鹿島アントラーズが参加するアジア選手権がそれに当たります。ドルトムントは、ブンデスリーガの前年度チャンピオン。つまりドイツを代表するクラブチームとして、このチャンピオンズリーグの準決勝まで進出しました。その試合が、4月23日の水曜日、イングランドのマンチェスターで行われたのです。準決勝までは「ホーム&アウェー」で戦います。第一戦はドルトムントのホームスタジアムで行われ、ドルトムントが「1-0」で勝利しています。そして雌雄を決する第二戦が、今度はマンチェスターのホームスタジアムである「オールド・トラフォード」で行われたというわけです。このゲーム、攻めに攻めたマンチェスターでしたが、前半に素晴らしいゴールを決めたドルトムントに最後まで守り切られ、結局二連敗ということで姿を消すことになりました。ドルトムントの気迫あふれる守備が目立った試合。クレバーなゲーム戦術の勝利とすることができます。もう一つの準決勝。ユーベントス対アヤックスは、これも二連勝したユーベントス(前年のトヨタカップチャンピオン)が決勝に進出しました。決勝が行われるのは、ドイツのミュンヘン。決勝の開催地は、ヨーロッパ連盟によって初めから決められています。地元のドイツで戦えるドルトムントに、非常に有利ということですが、素晴らしいチームワークで、現在世界最高のチームとの呼び声が高いユーベントス。ドラマチックな闘いになること請け合いです。このゲーム、日本のテレビでも中継されるはずですから、見逃さないようにご注意あれ!!

シュツットガルト対レーバークーゼン・・・試合レビュー・・・(1997年5月5日)

さて次は、トップのミュンヘンを追うレーバークーゼンの試合。その、シュツットガルト対レーバークーゼン戦が始まりました。極度の緊張のなか、何となくシュツットガルトの選手たちの固さが目につきます。ほとんどの選手が、キッチリとハードマークされていたからでしょう。最初のころはレーバークーゼンのシュートはゼロ。ただ押し込んでいるシュツットガルトもシュートまでいくことができません。パスをもらうために走っても、走ってもフリーになれず、だんだんとシュツットガルトの選手たちのフラストレーションがつのっていきます。それはそうです。普通ならば、ボールのないところで「フリーランニング(パスをもらうための動き)」すれば、いつかはフリーでパスを受けることができるものなのに、その試合に限って、どんなにフェイントを入れてスタートしても、まったくフリーでパスを受けられる状況にならないのですからね。とにかくレーバークーゼンの選手たちの集中力は群を抜いていました。そのゲーム戦術に、シュツットガルトチームがはまり込んでしまった序盤戦でした。そして前半終了直前、それまで2度ほどしかシュツットガルトのゴール前に迫ることができなかったレーバークーゼンが、一瞬のスキを突いたセンタリングからシュート。これが決まってしまったのです。一瞬、静まり返るシュツットガルト・サポーター。とにかくその沈黙は、それまで大歓声に包まれていたスタジアムを、一瞬のうちに暗黒の黒い霧が包み込んでしまったように感じさせるものでした。躍り上がって喜んでいるのは、ベンチのクリストフ、ローラント、控え選手たち、そして観客席の一隅に「押し込められていた」レーバークーゼン・サポーターたちだけ。異様な光景でした。さて後半が始まりました。ここまできて、情勢はもう誰の目にもあきらか。生き生きと積極的に、守備からのカウンターというコンセプト(ゲーム戦術)をベースにプレーするレーバークーゼンの選手たちに比べ、シュツットガルトの選手たちは、まるで「精気を抜き取られた」ように消極的になってしまっています。ボールのないところでの「動き(フリーランニング)」がまったく見られなくなってしまったのです。「なんだアイツら、まったく動かないじゃないか・・」。そんな声が観客席からも聞こえてきます。そして後半の30分、またレーバークーゼンが一瞬のスキを突いて右サイドから「ピンポイント」のセンタリング、ヘディングシュート。まさに絵に描いたような素晴らしいゴールでした。0対2。これで勝負は決まったも同然。その後シュツットガルトは「パワープレー」で一点をかえしたのですが、それも焼け石に水。ゴールできるような雰囲気がまったく出てこないままに試合終了です。とにかくレーバークーゼンの「クレバーなゲーム戦術」が光ったゲームでした。これでクリストフ&ローラントコンビの株も、また大いに盛り上がるに違いありません。いま、クリストフ&ローラントコンビは、ドイツ中の注目の的です。応援のやり甲斐があるとは思いませんか・・・。




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