トピックス


(再び)『自由と規律のバランス』について考えています・・(1999年2月16日)

このごろ、サッカーチームの心理的な環境として「理想的な心理バランスを持たせる」ことについて、よく考えを巡らせています。

 難しい表現ですが、要は、サッカーの美しさを演出するクリエイティブ(創造的)プレーのベースになる『限りなく自由』という雰囲気と、勝つための絶対的な条件である組織プレーのベースになる『規律(チーム内の決まり事)の厳守』という雰囲気を、いかにバランスさせるかということです。これは、そのどちらに「偏りすぎ」てもいけないという難しいテーマなのです。

 このことは、(現場のプロコーチとして働いていた当時の)私自身も、何度かブチ当たった「壁」のようなものです。

 選手たちを管理しすぎれば(規律を重視しすぎれば)彼らのクリエイティビティー(創造的なプレー)が現れ難い雰囲気になってしまうし、逆に(雰囲気を)自由に振りすぎた場合は、彼らのプレーから「組織プレー」にとって重要な「(目立たない)縁の下のチカラ持ち」的な「忠実プレー(攻守にわたる、ボールがないところでのプレー=忠実なマークやフリーランニングですヨ・・)」が失われ気味になってしまいます。

 分かりにくいですかネ・・。エーイ、それではもっと具体的な例を挙げて、ご説明しましょう。

 例えば攻撃。ワールドカップでの日本代表では、「最前線へ放り込むようなロングボールはできる限り避けよう」とか、「中田、名波、山口のトライアングルでボールを動かし、(できる限り、リスキーな『仕掛け』を少なく)みんなでワッショイ、ワッショイって感じで前へ進んで行こう・・」などという『基本的な決まり事』がありました。

 それでもサッカーで点を取るためには、とにかくボールを奪い返したら、素早く、なるべく少ないボールタッチで相手ゴールに迫る・・、チャンスとなったら、リスキーなドリブル勝負、ラストスルーパス、ロングパストライなどで『仕掛け』ていく・・、(まだ状況描写が舌っ足らずですが・・)そんな攻撃によって、ほとんどのゴールが決まることも事実です(ボールを奪い返してから三本以内のパスでゴール!というのが大多数)。

 私がいいたいことは、ワールドカップでの日本代表は、『仕掛け』という意味で、本当に慎重になっていたということです。つまり、相手チームとの「チカラの差」を考えたら、「自由に仕掛け」ていくよりも、「後の守備も考えた、統制のとれた攻撃(決まり事重視)」の方が一番可能性が高い・・・そう岡田監督が判断したということです(私は同業者として彼の判断を尊重します・・)。

 そうでなければ、攻撃では「確実にベストプレーヤー」である「呂比須」を先発から外すことなどは考えられないに違いありません。それは、「呂比須は、最前線でボールを持つ・・、彼のウマサに対する信頼は厚いから、その瞬間に周りの味方が上がっていく・・、それでもその瞬間にボールを奪われてしまったら・・、それが怖い・・」ということだったのでしょう。

 相手との(個人的な)実力差をベースに、「仕掛けの後のこと」の方を主体に考えた、つまり、より『規律』にウエイトを置いたというわけです。小野コーチが、『人数をかけた(組織的な)攻撃』を志向していたのだから、あのチームが守備的だったといわれるのは心外だ・・といっていました。ただ、「攻撃でのリスクチャレンジ」が出てき難い方向性にあったことなど、彼ら(岡田監督とコーチングスタッフ)が選択したのが、(最後のジャマイカ戦を除き)『守備主体(・・マインドの)』ゲーム戦術であったことは確かなことですから、彼らもそのことを胸を張って言えばよいのです。あの「ゲーム戦術」は決して間違っていなかったし、相手との「実力差」を考えれば当然の選択だったのですから・・。

 ただ、「約束事」の多かった(つまり規律重視の)「岡田」日本代表のプレーからは、お世辞にも「クリエイティブ攻撃」と呼べるような攻めは出てきませんでした。それは、彼らの才能が追いつかなかった・・というものではなく、明らかに、そんな心理的な背景が、選手たちの「思い切りの良いプレー(リスクチャレンジ)」にブレーキをかけていたということなのでしょう。

 積極的に「仕掛け」ていくようなサッカー、つまり(攻撃では)自由奔放なサッカーは、(ある程度の才能さえあれば・・)たしかに魅力的で、ゴールチャンスを多く作り出せるかもしれません。ただ逆に、(守備において)それ相応のリスクを背負うことも事実です。要は、攻撃での自由度をより高めるということですから、攻撃と守備の人数&ポジションバランスが崩れてしまう可能性も大きいということです。

 チャンスとなったら、「ベースになる決まり事(=規律)」を守りながら(攻守のバランスを崩すことなく)、限りなく自由に「仕掛けていく」(リスクにチャレンジしていく)ことができる。そんなサッカーができるのは、世界の一流だけなのでしょうか・・。イヤ、私はそうは思いません。やり方によっては、『個人的なチカラの差を感じさせない』サッカーが展開できると今でも思っています。

 私は、実力的に劣っていても、(「やり方」は千差万別だとしても)「自由で積極的な仕掛け」と「守るべき規律」のバランスをうまく取りながら、クリエイティブ(創造的)で魅力的なプレーを展開させることができると自負しているのです。「あの」ベンゲル監督が評価されたのは、「普通の能力の選手たち」の集団だったグランパスを、優勝候補に挙げられるまでに成長させたことです。そこでのベンゲルの(隠れた?!)最も大きな功績は、選手たちに、どんな状況でもしっかりと「考え続ける」という姿勢を植え付けたことでした。

 それこそ、「自由と規律のバランス」のシークレット・ポイントなのです。「考え続ける姿勢の育成」・・それなのです。

 一つの攻撃プレーへの参加が遅れた・・、だから今度は積極的に「こぼれ球を狙ったり、途中で相手にボールを奪い返されることを想定した『次の守備』に備えよう」というプレーに「切り替える」・・、そして自分から守備の穴(要は、危険なポジションにいるフリーな相手)に「気付き」、その穴埋めをするような「目立たない忠実守備プレー」・・。

 そんな、それこそホンモノの「クリエイティブ・プレー(考え続けるプレー)」をグランド上で現出させるためのベース。それが、チーム全体に深く浸透した、楽しさの原点である「限りなく自由な雰囲気」と、不文律も含めた「(チームの目的を達成するための)チームの決まり事(規律)を『自ら、自然に』厳守できる雰囲気」の、理想的な『混在』であり、そのための原点が、選手たちの「自主的に考える姿勢」なのです。

 チョット難しくなってしまいましたが、これが、今回私が海外出張で考えたことです。このことについては、今週の金曜日にアップデートされる「Yahoo Sports 2002 Club」でも書こうかナ・・。では・・




[ トップページ ] [ Jワンポイント ] [湯浅健二です。 ]
[ Jデータベース ] [トピックス(New)] [ 海外情報 ]