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サバイバル第一戦に痛恨の引き分け、そして加茂監督の更迭(カザフスタンvs全日本・・1-1)(1997年10月5日)

ワールドカップ予選の第三戦、ホームでの日韓戦で「疑似・ドーハ」を経験し、あれだけメディアに叩かれた日本代表チーム。心理的に、一度はどん底まで落ち込んだに違いありません。ただ私は、逆にそのことを通して、精神的に逞しくなるものと確信していました。基本的に「チカラ」のある全日本。それに、サイコロジカルなチカラ(地獄を経験した精神的強さ・・開きなおり?!)も強化されたと思っていたのです。あとは「非論理的(アン・ロジカル)な部分」、つまり『運』さえついてくれば・・。加茂監督は「強運の人」といわれます。それらの要素に、大いなる期待を抱いていたのです。それが・・。今度も、より似通った「疑似・ドーハの悲劇」を繰り返してしまいました。

カザフスタンvs日本の試合開始から遅れること一時間、ソウルでは、韓国vsUAE戦が始まりました。その試合の韓国チームは、とにかく素晴らしいサッカーを展開し、「3-0」とUAEを圧倒します。1-0と韓国がリードし、UAEがフルパワーで攻め込んでいた時間帯でも、しっかりと確実に守り、そしてチャンスと見たら、何人もの韓国選手たちが攻撃に参加してきます。それもフルパワーで・・。そして、ボールを奪われた瞬間から「例の」超アクティブな守備参加です。「攻撃から守備への切り替えの速さ」、「ココダ、と判断したときのフルパワー・プレー」、それはオドロキそのものでした。彼らは、何十メートルもフルスプリントで攻撃に参加し(フリーランニング・・つまりパスを受ける動き)、守備となったら、またフルスプリントで、ボールを持つUAEの選手を追いかけます(チェイシング)。素晴らしい。とにかく、その「心理的パワー」だけは世界でも超一流です。

さてカザフスタン戦です。私は、前回の「日韓戦」についてのコラムで、結果を前提にするのではなく、プロサッカーコーチとして、プロセスのみをベースに論を展開するといいました。ただこの試合については、日本の「ツキのなさ」も含め、「結果」に対して、どうしても感情的なシコリが残ってしまいます。それにしても、ロスタイムでの、ズバレフの同点ゴール。どうして、ラストパスを出したエフチェーエフが、後方から上がってきたときに、誰もマークしていなかったのか(マークして戻る選手がいなかったのか)・・。どうして、チェックに入った秋田は、エフチェーエフに正確なラストパスを出させてしまったのだろう・・。どうして井原は、秋田がエフチェーエフのチェックにいったことで、瞬間的にフリーになったズバレフのマークではなく、秋田が抜かれることを考えた、カバーリングポジションなどへ入ってしまったのだろう・・。「シコリ」を掘り下げたら、きりがなくなってしまいそうです。

日本チームの出来は、お世辞にも「悪くなかった」とは言い難いモノでした。グランドがデコボコだった。暑かった。確かにそれもあったでしょう。ただ、だからといって、あんな「消極的な」サッカーでは、自信の回復につながるどころか、チームが、もっとネガティブな心理状態に陥ってしまいます。これから勝ち続けなければならない、追い詰められた状況だというのに・・。ロペスやカズ、中田の決定的ゴールチャンスなど、「ツキのなさ」という面も確かにあったのですが、こんなゲーム内容では、そのことが説得力をもたないことも事実です。

明らかな悪魔のサイクルに入っていたわけではありません。ただ、それに近い雰囲気はありました。グランドがデコボコだから、途中のミスですぐにボールを奪われるに決まっている・・。だから、守備ラインを上げにくいし、攻撃のサポートに上がっても、すぐに守備に戻らなければならない・・。また、(悪グランドだから)どうしてもボール(パスのプロセス)を見る時間が長く(ルックアップが緩慢)、パスを受けるための動き、フリーランニングをスタートするための「モティベーション(やる気のポテンシャル)」も低調・・。一点リードしているのだし、相手のチーム力からすれば、当然このまま逃げきれるに違いない、という受け身の姿勢・・等など。攻守にわたって、リスクにチャレンジする積極的な姿勢が、最後まで希薄だったことは残念でなりません。特に、決定的なフリーランニングにトライしたり、シュートにチャレンジする姿勢(最後はエゴイストに徹しなければならない)が消極的に過ぎました。どんな自然状況でも、また、どんな試合状況でも(リードしている状況でも)、攻守にわたって『物理的・心理的』な積極プレーを展開し続けることが、本当の勝負の場に臨むときの基本的な態度ですし、それなくしては、最終的な勝利もついてこないことはサッカーの歴史が証明しています。

また日本チームは、グランドが悪いにもかかわらず、いつもの「つなぐ組立サッカーからの、決定的ラストパス」という攻め方だけに固執していました(というよりも、臨機応変なサッカーができなかった?!)。それも、半径が小さなショートパスサッカーが主体です。こんなグランド状況ですから、素早いパス回しなど、ほとんど不可能。そこでは、「アバウト」なものでもいいから、最前線へのロングパスを多用したり、どんどんロングシュートにトライするなどの、戦術的な対応が求められるのです。何といっても、日本には、ヘディングの強い新戦力、ロペスがいるのですからネ。ヘディングの競り合いから、押し上げた選手が、こぼれたボールを拾いまくる(そこは、もう相手ゴール前!)など、彼の特徴を活用しない手はなかったハズですが・・。その意味では、明らかに、ベンチワークにも非がありました。

それでも、後半カザフスタンが攻め込んできたために、(カウンターから)日本は何度か、追加点の決定的なチャンスをつくり出しました。ただ、それをことごとく外してしまいます。「決定力不足」などという、ファジーな表現は使いたくありません。しかし、「肉を切らせて骨を断つ」という闘いに臨む「勇士たち」にしては、あまりにも不甲斐ない結果ではありました。シコリの残る感情的な発言ですが・・。

ロジックでは、もうこれ以上のことは書けません。とにかく日本代表の選手たちには、韓国選手たちの「捨て身の、闘う姿勢」を、謙虚に見習って欲しいと思います。この試合が行われた日は、Jリーグの最終日でもあったわけですが、前節で優勝を決め、最終戦にも勝ったジュビロの闘将、ドゥンガが、インタビューに対し、全く笑みを浮かべることなく、こう言っていました。「グランドに出たら、勝つために、死ぬ気でサッカーをやらなければならない。その覚悟がないのだったらグランドに立つな・・」。

さて、予選突破の可能性がある三か国の勝ち点は、日程の半分、四試合が終了した時点で、韓国が「12」、UAEが「7」、そして日本は「5」です(日本とUAEの得失点差は同じ=「+2」)。「実質的」に、日本チームに残されたのは、残り四戦に全勝することを前提とする「二位狙い」だけになってしまいました。もちろん「理論的」には、まだ一位になる可能性は残されていますが、「あの」韓国が、残りの四試合に3敗以上するとは考えがたいということです。それでも、そこはサッカー・・といいたいところですが、とにかく現状では、日本は二位狙いにターゲットを絞るしかなくなったと考えるのが妥当でしょう。このことは、皆さんもよくご理解されていることだと思います。

最後になりましたが、加茂監督の更迭について簡単に触れます。

私は、いままで彼が為してきた「結果」を、ある程度は評価しています。ですから私は、加茂監督の更迭が、「結果に対する責任」などという単純なものではなく、現在のチーム事情を考えた場合、『ワールドカップ予選を突破するという唯一の目的』を達成するための最善策であると判断した結果だと考えます。私は、現場において実際に何が起きているのか、「自分自身で見聞きするスベ」を持っていませんから、その判断を尊重するしかありません。 意志決定をした人たちは、そこのところを十分に検討・分析したのだろうし、結論は出たのですから、「次」を考えることにしたいと思います。加茂監督は更迭されましたが、崖っぷちの勝負は、まだまだ続くのです。

引き継ぐ岡田コーチは、こんな緊急事態だからこそ、チームのコアになる選手たちを、事前のゲーム戦術を練るだけではなく、その「意志決定」にも参加させるべきだと考えます。キャプテンの井原、山口、名波、中田、そしてカズ。彼らとの、より深いコミュニケーションをベースに、グランド上の選手とベンチが、一体となって闘うべきだと思うのです。彼らに替わる選手がいないことは事実ですし、ゲームが始まってしまえば、ベンチができることは、事実上、選手交代しかありません。ですから、監督の右腕になる、グランド上の「パーソナリティー」が重要なのです。もしかすると、加茂監督の「更迭劇」の本質は、この「パーソナリティー」を育てることが出来なかったことにあるのかもしれません。(このことについては、金曜日に更新される『On-Line Magazine 2002』でも触れます)

もう「何も失うモノがない状態」まで追い込まれた日本チーム。ここから本当の「サバイバル・ゲーム」が始まります。もう後戻りはできません。ガンバレ、日本代表!!




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