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三位決定戦は、「ゲーム戦術」が大当たりしたクロアチアに凱歌・・(2-1)(1998年7月11日)

 このところパリの天候は不順気味。晴れ間が覗くのはごく希で、気温も20度を少し越えるくらいと、肌寒さ・・とはいかないまでも、かなり涼しい天候が続いています。

 それでも道行く人々の服装は、本当にまちまち。Tシャツに半ズボンという人もいれば、革ジャンを着ている人もいます。これも個人主義の現れ?! とにかく、着るものに関しても、周りに(天候にも?!)左右されずに自分流をつらぬくのが、フランス・・というかヨーロッパの人々ということなのかも。

 準決勝(フランス対クロアチア戦)が終わった夜の、パリの喧噪ですが、それはとどまるところを知らず、シャンゼリゼに繰り出した人々は30万人を超えたと報道されました。

 そんなことは、シャンゼリゼ通りができて(それっていつのこと?)以来の出来事らしく、フランス人自身もビックリするような人々の興奮レベルだったようです。私が実際に現場に居合わせたのは、そんなお祭り騒ぎが始まった頃だけですから、実際のところはわかりませんが、騒ぎ方も、いろいろと工夫を凝らした「自分流」が混在していたんでしょうね、フランス人のことだから・・。

 そして、そんな「自分流」が、フランス代表チームの、まとまりのない(チームプレーに欠ける)攻撃の問題の背景にもあったりして・・。  さて、オランダ対クロアチアの三位決定戦です。

 三位になるのと四位では、配当金(正式な名称はしりませんが、国際サッカー連盟からの各国への分配金のことです)の額もかなり違うこと、また明確に記録に残るということで(表彰台に登るチームと、それ以外というほどの差がありそうです)、昔と違い、この三位決定戦も重要な試合という性格を持つようになりました。決勝戦の前座試合ではなく、「隠れたビッグゲーム」というわけです。

 この試合、総合力で劣るクロアチアは、シューケルのワントップで臨みます。そして、準決勝の対フランス戦で、シューケルとツートップを組んだブラオビッチの代わりに、プロシネツキを入れて中盤を強化します。

 しっかり守り、「才能ベース」のカウンターを仕掛ける。それは、ドイツ戦(準々決勝)、フランス戦(準決勝)で非常にうまく機能した基本的なゲーム戦術だったですが、このオランダ戦では、中盤の人数を増やし、強力な中盤守備から、二列目(三列目)が積極的に参加する、より素早いカウンター攻撃への切り替えを狙ったようです。

 対するオランダは、ほぼベストメンバー。「中盤での組み立ての中心」、ブラジル戦でケガをしたロナルド・デブールを除いて・・。この試合の先発は、シードルフです。

 そのシードルフですが、試合開始からプレーが冴えません。ボールのないところでの動き(パスを受ける動き=フリーランニング)が緩慢というだけではなく、守備に入る姿勢もパッシブです。たまには、才能をベースにした突破を見せたりするのですが、全体的には、まだ十分にロナルド・デブールの穴を埋めているとはいい難い出来なのです。

 また周りの味方が、あまり彼にパスを回さないことも気になりました。思い過ごしだといいのですが、なんといっても(スリナム問題という)内紛をかかえているチームですから、どうしてもそんな色眼鏡でグランド上のプレーを見てしまいます。それにしても・・何となくイヤな感じ。

 それでも試合は、チームプレーと単独勝負プレーがうまくかみ合ったオランダのペースです。もちろん、クロアチアが、「しっかり守ってカウンター」というゲーム戦術で試合に臨んだこともあったのですが、やはり総合的なキャパシティー(実力)ではオランダの方が上であることは明白でした。

 とはいってもそこはサッカー。実力通りに試合が展開するはずがありません。

 相手にペースを握られていながら、チャンスとなったら、素早いパス回し、直線的なスペースをつなぐドリブル、はたまた爆発的なフリーランニング(パスを受ける動き)などをベースに、危険な攻めを仕掛けてます。

 彼らが挙げた二点は、まさに「意図した」カウンター攻撃がツボにはまったものです。

 それは目の覚めるような攻めでした。先制点は、ヤルニの左サイドのオーバーラップから、逆サイドのスペースにフリーランニングしたプロシネツキが、相手のアタックを巧みにかわして挙げたもの。

 そして二点目も、右サイドでのワンツーから抜けだしたアサノビッチから、中央へサポートに上がってきたボバンへとパスが回り、(そのパスを受ける前から、左サイドでフリーになっていたシューケルが見えていた)ボバンが、そのままダイレクトでシューケルへパスを流します。そしてシューケルは、迷わず左足でダイレクトシュート。素晴らしいゴールでした。

 対するオランダは、ゼンデンの単独ドリブル勝負からの一点だけ。

 確かに後半は、シードルフが二回(一回目はオフサイドではなかったから本当はゴール!! でも、レフェリーのミスジャッジもドラマのうち・・)、オーベルマルスとクライファートが各一回ずつ、決定的なチャンスを迎えましたが、結局ゴールを割れずにタイムアップ。

 サッカーでは「・・たら、・・れば」は禁句。決定機をモノにできなかったという事実は「結果」であり、それ以上の意味も、それ以下の意味もありません。それもサッカー・・ということです。もちろん、結果に至るプロセスを中心にした十分な分析をする必要はありますがネ。

 それにしても、ドイツ戦、フランス戦、そしてこの三位決定戦でのクロアチアは、非常に冷静な試合展開を見せました。わたしは拙著「サッカーTV観戦入門(小学館刊)」で、クロアチアの熱くなりやすいメンタリティーが日本にとってのチャンスだ・・と書いたのですが、ここでその前言を撤回しなければならなくなったようです。

 とはいっても、(対ドイツ戦のリヨンで経験した)クロアチアのサポーター連中は、例外なく、アタマの上に「200度」くらいのお湯が入ったヤカンを乗せてましたがネ・・。

 ということで、この三位決定戦は、両チームの実力は別にして、クロアチアのゲーム戦術が大当たりした試合だとすることができそうです。もちろんこの勝利の背景に、クロアチアの首尾一貫した戦術的プレーという「必然要素」があったことも忘れちゃいけない事実です。

 サッカーには、理不尽な面も多くあるわけですが、人はそのことを、「サッカーは、シナリオのないドラマ(必然と偶然が織りなすドラマ)だ」っていったり、「悪戯好きのサッカーの神様」って呼んだりするんですヨ。




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